02-02 スフィアとアンジェリカ
アース村村長の息子、トキオが二つの石像の前で祈っていた少女に駆け寄って行く。
「姉ちゃん、スフィア姉ちゃん。母ちゃんにお客さんだよ」
「連れてきてくれたんだね。偉いよ」
スフィアと呼ばれた少女はトキオの頭を撫でてやり、アンジェリカに向き直る。
「いらっしゃい。マーサおばさんへのお客さんかな?」
「ええ、村に少し滞在する事になったのでご挨拶に。今はいらっしゃいます?」
スフィアの挨拶に対してアンジェリカも答える。隣にいるミツバも恭しくおじぎをした。
アンジェリカの問いに、スフィアは少しの間後方に首を向けると、
「おばさん……村長は大穴の方に出かけててね。私が代わりにおもてなしさせて貰うよ」
と答えてアンジェリカとミツバを家の中へ入るように促した。
お茶でもどうぞ、と差し出されたお茶を頂く二人。
茶に含まれた柑橘の香りが鼻腔をくすぐる。一口飲むと、冷えた身体が暖まる。
「おいしい……これは、山岳の国グランディアのお茶ですわね」
「分かる?ちょっとだけお酒を入れるのがコツなんだよ」
ミツバに自慢の茶を褒められてスフィアは上機嫌になる。
一方アンジェリカの方は、お酒入りの茶を飲んでいい気分になっていた。
一口飲むごとに疲れが取れている気がする。頭の中がふわふわとする。
「大丈夫?顔が赤いよ」
心配をするスフィアに「大丈夫」と返すアンジェリカ。
「アンジェリカ様は、お酒に弱いのです」
とミツバは言う。
「そんなことないわ」
確かに強いと言えるほど強い訳ではないが、弱いと言われるほど弱い覚えもない。
不満げに口を尖らすアンジェリカに、スフィアは苦笑した。
「私はスフィア。この家でしばらく厄介になってるんだ」
席についてお茶を一口。スフィアは少し遅い自己紹介をした。
「アンジェリカよ。こっちはミツバね」
「よろしくお願いします」
アンジェリカは椅子から立ち上がり、くるりと回って丁寧におじぎをする。
それに合わせて人形とぬいぐるみが荷物から飛び出して、思い思いのしぐさで挨拶をした。
「わっ、何だこれ……って、人形か。君は人形遣いなんだ?」
訝しげに人形を見つめるスフィアに、人形の一体が自ら近づき握手をしようと手を差し出した。
スフィアもそれに釣られて指を差し出し、友情を誓う握手が交わされる。
指を引っ込めると、人形はスフィアに手を振り荷物の中へと引っ込んでいった。
「可愛いね。君が作ったの?」
「そうよ。気に入って貰えて何よりだわ」
にっこり笑い掛けるスフィアに、アンジェリカも笑顔で返した。
そんなやり取りに、目をキラキラさせながら二人を交互に見やるトキオ。
アンジェリカは道具遣いとしての自分を知ってもらう為に、まずは人形達を動かして見せてみようと考えていた。
相手が人形達に対して見せる態度で大まかな人となりを見る事が出来るし、また相手もアンジェリカがどういった人物かを把握する事も出来る。
スフィアとは仲良くできそうだ。アンジェリカはそう思った。
扉がギィと軋む音が聞こえた。
同時に中年の女性による帰りを告げる声も聞こえてくる。
トキオはその声に飛び上がり、玄関へと走っていった。
「母ちゃんおかえり!」
「おかえり、マーサおばさん。お客さんが来てるよ」
二人の言葉を受けて居間に現れたのは、茶色の長い髪を括った恰幅のいい女性だった。
アンジェリカとミツバは立ち上がりスフィアに見せたものと同じ挨拶を交わす。
するとマーサは大きな両腕を持って二人を胸に抱き留めた。彼女なりの親愛の表現なのだろう。
「よく来てくれたわねぇ、可愛らしい訪問者さん」
マーサと呼ばれた村長は、二人を抱き留めた腕をパッと離しいつまでも居ていいからねと言いキッチンへと引っ込んでいった。
「いいにおいがしたね」
「……ええ」
残された二人が得た感想はそんなものであった。
「いい人でしょ?」
マーサ村長を見送る二人にスフィアは声を掛ける。
「そうだね。気候もいいし、ずっとここで暮らすのも悪くなさそう。だけど」
そこまで言って、アンジェリカは言葉をつぐんだ。
「だけど?」
スフィアが訊ねる。だがアンジェリカは答えない。
アンジェリカにとって「田舎でのんびり」など叶わない夢であった。
道具使いとしてネクロマンサーの親玉であるサーニャを追わねばならないし、逆にサーニャの方からアンジェリカにアプローチを掛ける危険性も否定できない。
そうなれば、巻き込まれるのは間違いなくこの村の者だ。
奴らの犠牲となった教会の孤児ネックスやシータのような者を、これ以上増やす訳には行かなかった。
「変なアンちゃん」
黙りこくるアンジェリカに興味を失ったのか、スフィアはマーサを追いキッチンへと消えて行く。
「アンジェリカ様……」
アンジェリカを慮り、ミツバが声を掛ける。
「村長さんやスフィアさんと仲良くなれそうだけど。やっぱり早めにここを発つよ」
「はい」
ミツバもアンジェリカの意思を汲み取り、迷う事無く同意した。
アンジェリカとミツバは村長のマーサに誘われ、夕飯を一緒に摂る事になった。
「あ、おいしい!」「おいしいですわ」
「そうだろう、そうだろう」
海で釣ってきたばかりの魚に砕いた木の実とソースで香り付けされた焼き料理は、
酒場で食べた大雑把な料理とも、船で食べた豪勢な料理とも違った味だった。
森産まれのアンジェリカとミツバにとってそれはとても新鮮なもので、いくら食べても飽きる事は無い。
談笑するスフィア。会話などそっちのけで食事をかき込むトキオ。そんな二人を見つめるマーサの姿。
アンジェリカ達の知る物とは違うが、それは確かな家庭の姿だった。
「いいなぁ」
アンジェリカの率直な感想だった。
彼女らを見ているほどに募る故郷への想い。
サーニャを追う限り、サーニャに狙われている限り、決して帰ることが出来ない場所。
「私に安住の地はあるのかしら?」
誰にも聞こえない声で、アンジェリカは一人呟いた。
「お邪魔しました」
「すみません、ご馳走になってしまって」
夜も更け始めた村長の家の前で、それぞれの言葉でお礼を紡ぐミツバとアンジェリカ。
「あはは、うちで良ければいつでもおいで」
スフィアの案内を受け、マーサとその息子トキオに見送られながらアンジェリカとミツバは宿への帰路につく。
「そういえば、スフィアさん。あの石像ってアンジェラ様とビクトリア様だよね」
アンジェリカが指差したその先には、二つの石像が寄り添うように並んでいた。
三人が初めて出会ったとき、スフィアが祈りを捧げていた像だ。
片方は二人もよく知る天使アンジェラの石像で、もう片方はアンジェラの妹神とされるビクトリアの像だった。
「そうだよ。有史以来から勇者としてアンジェラ様と共にある女神様なんだ」
スフィアは像の前に立ち、両の手を胸の前で組む。ビクトリア神殿でよく見かける祈りのポーズだ。
「アンジェラ様はヒーローだけど、ビクトリア様はそんなアンジェラ様の傍にずっと寄り添っていたんだよね」
像の前にかしずき、目を瞑ったまま祈り続けるスフィア。
「ビクトリア様から見たアンジェラ様はどういう人だったんだろうって」
「そう思って古い本を漁ってたら、いつの間にかこっちを好きになってたってわけよ」
天使アンジェラの逸話に比べ、勇者ビクトリアの資料は非常に少ない。
それらの情報の殆どは山岳の国グランディアの王立図書館に寄贈されており、閲覧にはある一定以上の地位と権限が必要であった。
「私の家系は遡ればビクトリア様に当たると言われててね。ここに来たのは先祖にお参りってとこかな」
「そうだったんだ」
組んだ両手を解き、目を開く。
「時間取らせて悪いね。さ、帰ろうか」
スフィアは立ち上がり、早足でアンジェリカ達の前を歩いていく。
そんなスフィアを慌てて追いかけるアンジェリカとミツバ。
「アンジェリカ様、スフィア様はもしかして……」
耳打ちするミツバの唇に、アンジェリカは人差し指を当てる。
「そこは触れないであげよう。隠したいことかもしれないし」
勇者ビクトリアは人間に恋をし、グランディアに嫁いだ女神とされている。
スフィアがビクトリアの子孫であるなら、彼女がグランディア王家の者であることが容易に予想できる。
当然現状では裏付けを取れてはいないが、タイガの言った「姫」という呼称とも矛盾はしない。
スフィアの出自には触れない事にした二人であったが、それでもタイガがスフィアを探している事は伝えるべきであった。
「スフィアさん、タイガーさんって人知ってる?」
「ぶっ!?」
明らかにタイガの名前に反応し、スフィアは思い切り振り返る。
「た、タイガさんがこっちに来てるの?」
「よかった、ちゃんと知り合いだったね」
スフィアの反応にアンジェリカは胸を撫で下ろす。
タイガを疑う訳ではなかったが、タイガがスフィアの知り合いを騙っていた可能性は捨てられない。
その為、アンジェリカはまず確認を取りたかった。
「今、一番会いたくない人の一人だけどね」
面倒そうにスフィアは右手で頭をかきむしる。
善悪はともかく、スフィアにとって招かざる客である事実は変わらないようだった。
「ま、いいや」
かきむしる手を止めると、そのまま頭の後ろで組み片足を軸にしてぐるりんと回る。
「明日も村長の家にいるから、タイガさんを呼んで来てよ」
大げさに足を振り、先程と同じように二人を先導するスフィア。
「あの、もしかして旅行に水を差してしまいましたか?」
「いいんだって」
取り付く島も無いスフィアに、訳の分からない二人はあっけに取られ、お互いに顔を見合わせるしかなかった。




