01-12 出立、青空の下で
それからしばらく、アンジェリカと七人の仲間達は常に忙しなく動いていた。
一日目の王からの表彰式では爵位(功績を称える物で実効性は無い)を賜り、食事会に主役として顔を出した。
王の前にかしずくのは初めての体験であったアンジェリカは粗相をしてしまったが、王には笑って許して貰えた。
同じ日に、コール・タールの冒険者としての正式な登録も行われた。
エンブレムは簡易な身分証明となっており、出身国や現在の国籍、どの家の生まれかを印字・捺印されている為、簡単には誤魔化せないようになっていた。
また、登録の際に二の腕にアルファベットと数字の焼印を押される。これはエンブレムにも刻まれたIDと対応しており、所持者とエンブレムを結ぶ楔になる。
アンジェリカのIDはC-00165。新陳代謝で薄らいで行くので一年毎の更新が必要らしい。
二日目は道行く人々に声を掛けられた。それらは一様に感謝の言葉であり、照れてしまうアンジェリカ。
友人もたくさん出来た。皆、アンジェリカを気に掛けていてくれたようだ。
三日目は教会へと向かった。兄を失った孤児のシータは未だネクロマンサーの悪夢から逃れられてはいないようだった。
アンジェリカはシータが安心できるような言葉を選び、もう大丈夫だよと頭を撫でてやった。
四日目は馬の牧舎へと向かった。馬作りの仕上げに、身体の構造を今一度確認する必要があった。
馬のたてがみは暖かかった。これをアンジェリカはなんとかして再現したかった。
五日目は酒場のマスターから冒険者に於ける金の使い方を教わった。
商人の商品は物だけではない。町を渡る内に培った噂話や耳寄りな情報を聞けるのだという。
六日目は町の顔見知り達に別れの挨拶をして回った。皆、一様にアンジェリカとの別れを惜しんでいた。
またこの町を訪れる際は、必ず新作の人形劇を引っさげてくると約束した。
そして、七日目。アンジェリカは馬のテスト運転へと出かける。
テストは概ね順調に進み、大きな不具合も無いようだった。
戻ってきたところで教会から買出しに出かけた教会のシスター・エリーを見つけ、アンジェリカは足を止める。
「やぁ、アンジェリカさん。そいつが例の駆動兵器の部品を使った馬?」
「こんにちは、エリーさん。名前はヒッポカムポスって言うの」
ヒッポカムポスとは遠い世界の神話に登場する海馬だ。こことは違う世界から伝わる神話に登場する、海を駆ける半馬半魚の名前だった。
「ヒッポ……ああ、あの舌を噛みそうな名前の馬ね」
教会に置かれている絵本は、稀に著者不明の物が陳列されている事があった。
妖精のいたずらか、変わり者の作家が置いて行ったのか、はたまた女神からの贈り物か。
それらはこの世界では起こりえない絵空事ばかりが描かれており、古くから異世界からの贈り物ではないかと言われている。
「仕上げをごろうじろ。これなら長旅にも耐えうるいい馬になりそうだわ」
鞍から飛び降りたてがみを撫でてやると、ヒッポカムポスがいなないているかのような動作を見せる。
この馬はあたかも生きているようだったが、こがね色のたてがみと目を凝らせば節々から見えるからくりの駆動部分から、かろうじて本物の馬でない事が伺えた。
「すごいな、じっくり見ないと作り物だなんて分からないよ」
「ディティールには拘ったもん」
感心するエリーを見てアンジェリカは腰に手を当て鼻を鳴らす。やはり自信作を褒められて悪い気はしないらしい。
もちろん乗ったりなどすると違和感はあるだろうが、荷物運びを目的とするなら当面はこれで問題は無かった。
「乗ったりなんだりは今後の課題だね」
その後は、とりとめのない会話をしながら酒場へと歩いていくアンジェリカ達。
ちょうどそこへ、酒場から顔を出すホックに遭遇したのだった。
「やぁ、ホックさん。お仕事かい?」
「にしては、随分と大荷物だけどね。引越しするみたい」
二人の言うとおり、ホックの荷物はまるで旅に出るかのようなそれであった。
「ああ、一度国に戻ろうと思ってな。その……アレだ。妹の顔を見たくなったんだよ」
照れくさそうにホックは頬をかく。もちろん、フルフェイスなので仕草だけであるが。
ホックの故郷は、南北に長い『緑の大陸』の南側……大陸を横断する山脈を越えた先にある小さな漁村だという。
「途中までは一緒なんだね。私達も同行していいかな?」
「おう、構わんぜ」
アンジェリカの提案をホックは快く引き受ける。
「やった。おーい、ミツバ!そろそろ町を出ましょう!」
答えを聞くやいなや、アンジェリカは酒場へ駆け込んで行きミツバを呼びつけるのだった。
「なんだ、随分気に入られちゃってるじゃない」
「そんなんじゃねぇさ」
苦笑してからかうエリーに、ホックの方も肩を竦めて返した。
ホックはドワーフの女性に……とりわけ、エリーに対して強く好意を持っている。
エリーの方もそれを理解していたが、しかし年齢差を気にするが為に答えを返せないでいた。
どちらかが黙ってしまうと、気まずい空気が流れるのは分かっている。
それ故、エリーはアンジェリカが戻ってくるまで、日常会話で茶を濁す羽目になっていた。
「……あー、うん。妹さんってどんな子なの?」
「あぁ、いい子だよ。俺みたいなデカブツでも構わず慕ってくれるしな」
「いやいや、そんなことはないよ」
ホックはエリーの目から見ても『いい男』であった。
齢十八にして十分な落ち着きがあり、状況を見て即座に決断する判断力も持ち合わせている。
その恵まれた体躯に裏づけされた頑丈さ。同時に揺るがない自信によって身近な者に安心感を与えていた。
少なくとも、それがエリーから見たホックへの評価であった。
「ねぇ、やっぱり考え直してよ。年齢が釣り合わないって」
対するエリーは、そろそろ二十の半ばに届くか届かないかくらいの年齢であった。
冒険者としても、シスターとしても。人間の道にもとるような事をしてきたつもりはない。
しかし、それでも。エリーにはホックの若さと強さは眩すぎた。
「ごめんごめん、遅れちゃったよ」
結局流れ始めたぎこちない空気を打破したのはアンジェリカだった。
アンジェリカ、ミツバ、ホックの三人の出発は、晴れ渡った青空の下、親しい仲間達に見送られながらの終始和やかな物であった。
街道を南に進み、山の麓にあるジュブナイルの町で別れるまでの三人旅。
先程完成した愛馬、ヒッポカムポスに荷物を背負わせ、アンジェリカとミツバは町で買い漁った砂糖菓子をホックと分け合う。
愛用の兵隊人形が三人を守るように並び歩き、その様子はさながら王を守る兵達の行進にも見えるだろう。
「あっ、美味しい……」
「でしょう?たまには甘い物を摂らないとね」
甘い物は女の子の栄養とばかりに、アンジェリカは杏飴をぺろりと平らげる。
天候に恵まれ、魔物に襲われる事もなく二人は順調な旅を楽しんでいた。
そんな中、ただ一人ホックだけが何かを思案するように俯いていた。
「なぁ、アン。俺ってお前から見てどう思う?」
「うん?」
アンジェリカから見れば意外な質問であった。
ホックは他人の目など気にしない側の人間だと、勝手に思っていたからだ。
「単なる印象で構わん。聞かせてくれ」
いつものように静かだが、いつになく不安げに訊ねるホックに、アンジェリカは少し頭を悩ませて答えた。
「そうだね。ホックさんは強くて大きくて頼れる人だと思う」
「嘘も言わないし、ピンチの時は守ってくれるし。カッコいい人だと思うよ」
偽りの無い本音。少なくともアンジェリカはホックに対して好印象を覚えていた。
「あー、その。アレだ。そんなんじゃなくてよ」
「男として、どう思うんだ?」
「……くすっ」
思わず噴き出すアンジェリカ。その勢いのまま腹を抱えて笑い出してしまう。
ミツバに至っては両手を顔に当て、真っ赤になりながら今にも黄色い声を上げてしまいそうである。
「な、なんだよ、笑うこたぁねぇだろ!」
「だ、だって……ふふっ。大丈夫よ、ミツバ。そういうのじゃないから」
ミツバやミツバの真似をしている人形達を宥めつつ、アンジェリカはもう一本砂糖菓子を取り出しホックに差し出した。
「エリーさんのことでしょ?分かってるよ」
「……おう」
態度を見ればバレバレだよ、と棒付きの飴を顔の前でフリフリさせるアンジェリカに、ばつが悪そうにフルフェイスの下から飴を突っ込み食べ始めるホック。
「根気よくアピールを続けるしか無いと思うけどなぁ」
砂糖菓子の甘さに顔を綻ばせる。たまの贅沢も悪くないな、とアンジェリカは思った。
「年齢差を気にしてるんだったら、時間を掛けて信頼を築くとかさ」
「プレゼントを用意してみたりとか?」
「教会の人たちとの交流も深めてみたら?」
尤もらしい助言を並べ立てるアンジェリカだが、ホックの納得する答えは見つからないようだ。
するとそのやり取りを見ていた馬のヒッポカムポスが、突然ホックに鼻先を擦り付けた。
「な、なんだよこいつ。……お前、こんな馬持ってたか?」
驚きにたじろぐホックだが、それでも構わずヒッポカムポスは身を摺り寄せる。
「覚えてない?ホックさんが以前戦った駆動兵器のフォートレス」
そこまで言われてホックは思い出す。
ゴブリンのアジトの最奥に鎮座されていた駆動兵器。数々の武器を扱い、熱線を発する鋼の戦士フォートレスだ。
その部品を使い、馬として蘇らせた存在がヒッポカムポスであった。
「ホックさんが戦ったフォートレスは知ってるんだよ。ホックさんがいい人だってこと」
私のことも助けてくれたもんね、とアンジェリカはニカッと白い歯を見せる。
「わ、私もそう思います!」
ミツバも同調する。
そしてそれはヒッポカムポスも同じ気持ちのようだった。
駆動兵器としての身体が朽ちても、魂までは滅ぼせない。
誰かの起こした優しい気持ちは、別の誰かへと伝えられていく。誰かを助ける善の行動は、また別の誰かを助けていく。
アンジェリカがフォートレスにそうしたように、ホックも同じようにして欲しい。
そう言いたげなヒッポカムポスのたてがみを、ホックは撫でてやった。
南の街道を歩き続け、山の麓にある若者達の町ジュブナイルに僅かな時間滞在する一行。
食料などの消耗品を補充し、山を越えるホックと海を渡るアンジェリカとミツバはここで別れることになった。
「向こうでも上手くやっていけよ」「そっちこそね」
最後の言葉を交わし、別々の道を歩んでいく若者達。町はそんな彼らの旅立ちを祝福しているようだった。
「皆さん、いい人達でしたね」
「そうだね」
突き抜けるような青空の下で、アンジェリカとミツバはコール・タールでの思い出を語り合う。
世話になった人々と別れ、ヒッポカムポスという新たな仲間を迎え入れた二人は、船が出る港町ディープ・ブルーを目指し、ジュブナイルから西へと歩を進めていったのだった。




