01-11 魂に語り掛ける者
その場に居た全員が、力が抜けてへたり込む。
「終わったのか?」
誰かが問い掛けた。
「わかんねぇ」
誰かが答えた。
「ホントに死んだのか見てこいよ」
誰かが促した。
「やだよ。お前が行ってこい」
誰かが拒否した。
その後も疲れで思考力が低下しているのか、実のある会話は殆ど無かった。
そんな中、アンジェリカ一人だけが立ち上がり、四本腕のアンデッド――デードスの死体の元へと歩いていく。
「アンジェリカさん?」
ドワーフの神官シスター・エリーは、デードスの前で屈むアンジェリカを疑問に思い、ついて行った。
「どうしたのさ、アンジェリカさん」
エリーはデードスの死体を覗き込み、驚愕した。デードスは両断されながらも、まだ死んではいなかったのだ。
最後の力を振り絞り、何かを訴えかけるようにアンジェリカを見つめている。
「みんなッ!デードスはまだ生きてるッ!!」
「なんだとッ!?」
エリーが叫び、その一声で冒険者達が一斉に立ち上がり武器を構えた。
先程までの空気が嘘のように緊張が張り詰める。が。
「待って」
今にも駆け出して来そうな仲間達をアンジェリカは制した。
「大丈夫よ、エリーさん。それにみんなも……デードスにもう抵抗の意思は無いから」
アンジェリカの言葉で冒険者達は武器を下ろす。が、当然ながら警戒は解かれない。
「どういうことだ?」
疑問を呈するホック。
「それをこれから訊ねるの。デードスの魂に直接ね」
アンジェリカはそう言ってデードスの額に手を当ててやると、一瞬だけ、デードスの身体が光った。気がした。
気が付くとアンジェリカの手の平に、それと同等の大きさの光の玉が浮かび上がっていた。
玉は虹色に薄ぼんやりと光り、ふわふわとした不定形の水球のようにも見える。
「アン、そいつは何だ?」
「それが、デードスの魂?」
仲間達が口々に疑問を表に出していく。
アンジェリカがふわふわした魂を丁寧に、優しく撫で上げると、デードスの魂は静かに語り始めた。
デードスはコール・タールのある緑の大陸の遥か南西にある、砂漠の大陸出身の商人だった。
商売人としてはうだつが上がらず、妻と共に苦しい生活を強いられていたが二人はそんな苦境に耐えながらも幸せに暮らしていた。
しかし無理が祟ったのか、デードスの妻が流行り病に倒れてしまう。
治療法は発見されていたが、それにはお金が掛かった。妻の命の灯火はとても小さかった。
絶望したデードスの前に、一人の女が現れる……その女の名前はサーニャ。
黒くボサボサの長い髪に神官のような服装で、表情は優しげだがその瞳は油断のならない力強さを感じた。
サーニャは妻の病の薬のアテがあるという。デードスは是非それを譲って欲しいと懇願した。
サーニャはそれを快く受け入れると、その腕を以ってデードスの胸を貫いた。
流行り病の薬とは、人間の心臓だった。
息も絶え絶えとなり、意識がかすれていくデードスをサーニャは微笑みながら見つめていた。
それはさながら、小さな人間を包み込む母なる女神のようであった。
しかしデードスは死ななかった。否。生きながらに死んでいた。
デードスはサーニャの手によって生きている死体と作り変えられていた。。
サーニャはデードスとの約束通り、妻の命を救っていた。
妻は健康体そのもので、心なしか病気になる前より元気になっているようだった。
だが、デードスはもはや妻の元へ帰ることは出来なかった。死者と生者は共に生きる事は出来なかった。
デードスは妻に別れを告げ、サーニャと共に旅立ったのだった。
サーニャはデードスに旅の目的をつらつらと語った。
世界を混乱に貶めること。その為に救世の天使アンジェラを炙り出す必要があること。
アンジェラは二百年前から姿を隠していること。
アンジェラとは別に、この世界を救う勇者を探しているということ。
サーニャの目的の為に、この二人を始末する必要があるということ。
到底信じられない荒唐無稽な話であったが、デードスはこれらの話をすんなりと受け入れた。
この頃には既に、人間としての心や常識、倫理観を失い始めている事にデードスは気付いていたようだった。
サーニャは旅の途中で、天使アンジェラの力の残り香を感じたらしい。
その場所は、コール・タールの遥か北西の島に存在する小さな村。
深い森に囲まれた、人間と妖精コボルドが共存している村。アンジェリカの生まれ育った村だった。
そこまで語ると、デードスの魂は言葉を発さなくなる。
「魂は、自分で見て、聞いて、感じた事しか語れないの」
訝しかる一同に、アンジェリカはそう締めくくった。
「で、お前はそいつをどうするつもりなんだ?」
ホックが問い掛ける。
アンジェリカは目を瞑り、逡巡するような姿を見せてから。
「こいつが、自分の意思で村を焼いたなら。このまま魂を握り潰すつもりだった」
両親の仇。共に育った異種族の友の仇――アンジェリカはデードスを強く憎んでいた。その心に嘘偽りは無い。
「でも」
魂は見聞きした事しか語れない。
デードスがアンジェリカの村を焼き討ちした光景を見ていないのならば、それは即ち、デードスの意識は既にサーニャの支配下に堕ちていたという事。
サーニャの意のままに操られる「道具」になっていたという事であった。
「できない。できないよ。使い手の責を使われただけの人に押し付けることなんて」
道具にも心はある。魂はある。しかし、道具はあくまで道具である。
それはアンデッドにも同じ事が言えた。
使い手が動かすようにしか動けない。使い手には、逆らえない。
そんなことは、道具使いたるアンジェリカが一番分かっていた。
「今回の事は、サーニャって奴が悪い」
迷う事無く、アンジェリカは言い切った。
「奥さんを愛する心を弄んで、殺して、道具のように扱ったサーニャを……」
強く、強く。アンジェリカは拳を握り締める。
デードスは……否、デードスの口を借りたサーニャは、死霊使いと道具使いは同じであると言った。
あの時は咄嗟に否定したアンジェリカだったが、今ならその言葉の意味が分かる。
そしてそれは同時に、死霊使いによる道具使いへの侮辱であると理解できた。
「絶対に、許す事なんてできるもんか」
アンジェリカの表情は、決意に満ちていた。
シスター・エリーの提案により、一行はアンデッド達を外へ運び出し埋葬してやる事となった。
デードスの遺体を調べると、女性の絵姿の入ったロケットが見つかる。
アンジェリカに似ているようにも見える茶髪の女性は、デードスの妻である事が伺える。
「ガイアナへ。永遠の愛を誓う」と彫られているそのロケットは、デードスが今も妻を忘れていない証でもあった。
アンデッド達の死体を坑道の外に運び終えた頃には、既に日が傾き始めていた。
「ごめんね、エリーさん」
「何さ、突然?」
アンジェリカによる突然の謝罪に、声を上げるエリー。
「ネックスの仇、討てなかった。デードスの裏に本当の犯人が居ただなんて」
申し訳なさそうに頭を下げるアンジェリカに、エリーは気にするなと笑い掛ける。
「シータには、仇を討ったって伝えておくよ」
兄を失った孤児に嘘を吐く事は、エリーにとっても胸が痛む事だった。
しかしそれ以上に、シータの心には安心と休息が必要だとエリーは判断したのだ。
「アンジェリカさんは、そのサーニャって奴を追うの?」
エリーの問い掛けにアンジェリカは首を横に振る。
「それより、このロケットを。デードスの奥さんに届けてあげたいと思う」
砂漠の町出身であるデードスの妻を捜すことは、サーニャという名前だけをアテにして探すよりもずっと現実的な事だった。
元より雲を掴むような話である。デードスの軌跡を手がかりにして、本来の仇を探していこうとアンジェリカは決めていた。
本当は、ミツバと共に身を隠し続けられたら……そう思っていた。
けれど、既に運命は決していた。サーニャはこちらの動向を追っている。逃げられる保証など無い。
ならばこちらから追い縋り、捉え、討つ――そんな目途などどこにも立っていないが、せめて生きる為に抗いたい。そう思っていた。
町の入り口でミツバはアンジェリカの帰還を待ちわびていた。
三日、四日は掛かる大掛かりな仕事だと酒場のマスターに聞かされてはいたが、やはり心配なのか、夕刻に近づく度にミツバは町の入り口で沈む夕日を眺めている。
「よっ、ミツバの嬢ちゃん。もうすぐ日が暮れるぜ」
「そうだぞ。帰ってきたら教えてやるから宿で休んでいろよ」
同じ酒場の冒険者の青年達が、見かねて声を掛けてきた。
「は、はい」
ミツバは二人の青年に会釈をして戻っていこうとする。
「……ホック達、おせぇな」
「ああ、大抵の連中ならアイツだけでなんとかすると思っていたが」
ミツバに代わり、町の南を目を皿のようにし観察する男達。
アンジェリカ達のことを気に掛けているのはミツバだけではなかった。
「さすがに、やられちまったかな。アンデッドってヤバイんだろ?」
「滅多な事を言うなよ。ミツバの嬢ちゃんに聞かれたら」
そこまで言って、青年の片割れが言葉を止める。細くした目を更に凝らして、南の水平線を凝視する。
「なんだ、どうした?」
「お、おい、アレって……おやっさんに報せろ!!」
真っ赤に燃える水平線の彼方に見える、町へと向かう一団の姿。
アンジェリカが。ホックが。アンデッドの討伐に出立した冒険者達が戻ってきたのだ。
「アンジェリカ様!」
「あぶねぇからおとなしくしとけ。おおーい!」
駆け出しそうなミツバを片腕で捕まえ、酒場のマスターは大きく手を振って呼びかける。
それに対してアンジェリカ達も手を振って応じていた。
「あ、あ、あ、アンジェリカ様!」
「お前さん、思ったよりじゃじゃ馬だな……」
手をじたばたさせて拘束から逃れようとするミツバを見て、マスターは呆れながらもほっとした笑みを浮かべていた。
「おう、戻ったぜ」「ただいま、ミツバ。それにおじさんも」
マスターの手を離れ飛び出したミツバを、アンジェリカはその胸に抱きとめ頭を撫でてやった。
久しぶりの命のぬくもり。命の匂い。
ミツバを抱きしめる度、心が温かくなる。ミツバを撫でてやる度、胸の中に幸せが溢れてくる。
それは生の実感。死の満ち溢れる世界から生還した事実を感じさせる物であった。
アンジェリカは今、生きていた。
町を救った英雄に休息の時間などない。
あっという間に人だかりに囲まれ、賞賛と感謝の言葉を浴びる一行。
酒場を一つ貸切にして宴会が行われ、アンジェリカ達はへとへとになりながらも酒と食事を楽しんだ。
「じゃあ、もうすぐこの国を出るんだな」
兜を被ったまま器用にステーキを食べながら、ホックが腕を組み訊ねる。
「そうだね。あと数日したら町を発つよ」
グラスを傾けて液体を転がすアンジェリカ。中身はもちろんジンジャーエールだ。
以前撃破した駆動兵器、フォートレスとの約束を果たすメドは立っている。
出発の日には、彼の部品を使った馬に乗って港町へ向かう予定だった。
「そうか。おやっさん、そういうことみたいだぜ」
「おう、じゃあお前さんにはこれを託そう」
マスターからアンジェリカへと手渡されたのは、コップからこぼれそうな酒を模した金属製のバッジだった。
「おじさん、これは?」
「うちの酒場のエンブレムさ」
疑問を口にするアンジェリカに、マスターは言葉を続けた。
「これを持ってる限り、どこへ行っても仕事が無いなんてことはまずないだろう」
マスターはいじわるそうにニヤリと笑った。
「その代わり、うちの看板を背負う事になる。下手な仕事をしたらすぐに取り上げるぞ」
「困っている人を見かけたら、それを見せて助けてやれ。そいつはお前さんを信頼するだろう」
「たくさん人脈を作れ。頼れる仲間を見つけろ。それがお前さんの冒険者としての価値だ」
そう言って親指を立てるマスター。
ホックとクール、先に受け取っていたエリーもエンブレムを見せた。
彼らも、アンジェリカも、もはや半人前と見られる事は無い。酒場のエンブレムは即ち一人前の証であった。
「うん……ありがとう。おじさん。みんな」
感極まりそうな心を宥めながら、アンジェリカは満面の笑顔で感謝の言葉を紡いだのだった。
「アンジェリカ様、今日は本当にお疲れ様でした」
風呂で身体の垢を落とし、さっぱりしたアンジェリカはミツバに髪を梳いてもらう事を欠かさなかった。
「ありがとう。道具達の頑張りも労ってあげないとね」
戦いに汚れ、ほつれた人形とぬいぐるみが煩雑に片されている。
彼らの垢も落としてやりたいアンジェリカだったが、その前に。
「御髪を今のうちに染め直しましょう。明日、表彰式があるのでしたね」
「うん、お願い」
頭頂部の生え際から、新たに地毛が生えてきている。実母から貰った艶やかな黒い髪だ。
それをわざわざ染めていたのは、アンジェリカが幼い頃より救世の天使アンジェラに憧れるが故のものだった。
道具の魂と語る今の力が発現した八歳の夜、母がお祝いにと染めてくれた赤い髪。
アンジェリカは天使と同じこの赤い髪が大好きだった。
「お前も綺麗にしてあげようね」
オルトロスのぬいぐるみにブラシを掛けてやるアンジェリカ。
ぬいぐるみはどことなく気持ちよさそうな仕草を見せている。すると、銃兵隊の人形達もこぞってアンジェリカの元へと集まってきた。
「順番ね、順番。慌てないで」
汚れを落としたかったり、アンジェリカと触れ合いたかったりする人形達に、アンジェリカは微笑み優しい声を掛ける。
少なくともこの時のアンジェリカは、天使に憧れるだけのただの娘だった。




