4 誰か助けて下さい
「さあっ! ここからはアタシが取り仕切らせてもらうっ!」
唐突に現れた光利の宣言により、今から紅白戦をしようとしていた場の空気が変わった。戦いが始まろうという熱気と緊張感が消え去り、困惑の視線が一点に集まる。
誰もが彼女に呑まれていた。
やはり自分勝手で、しかし謎の支配力がある。例えるならお伽噺の女王のよう。
とはいえ。
大人しく従う下々の民ばかりでない。
いち早く立ち直った唐行は、呆れ顔で深い深い溜め息を吐く。
「お前なあ……新人の初日なんだぞ? ぶち壊すなよ。最初の印象悪くしても自分が困るだけだぞ」
彼は正論による反撃を行った。
確かに最初の印象は肝心だ。出会った初日の行動により、知結の光利に対する感情は既に恐怖で確定している。
しかし独裁者にそんな理屈は通用しない。光利は唐行を華麗に無視し、別の方向へと顔を向ける。
「おい、三バカ」
声をかけられたのは二年生。知結の自己紹介に騒いでいた軽い三人組である。
「来いよ。いっちょ揉んでやる」
「いえ、今日こそ揉ませてもらいます!」
失礼な呼び方をされた彼らだが、元気に返事をした。
だが、どうにも会話がおかしい。本人達にとっては噛み合っているようだが、知結にはまるで分からなかった。
戸惑い警戒しつつも、光利に尋ねる。
「あの……何の話をしてるんですか?」
「ん、分からねえか? アタシの揉むは厳しく鍛えるって意味で、アイツらの揉むはケイドロにかこつけて色々触ってやろうって意味だが?」
「……うわぁ」
反射的に声が出てしまった。
知結は横目で三人の様子を窺う。その目は極度に冷えきった軽蔑の視線である。
「いやな、こいつら。去年の見学ん時にケイドロだからどこに手が当たっても仕方ない、ってふざけ半分で言ったら本気にしてな。それでまあ色々あったんだが、結局はほとんどこれ目当てで入部までしたんだぜ?」
「えーと、つまり。そんな理由がなかったら去年の入部ゼロだったんですか」
「おう。糸コンニャクはもっとアタシに感謝するべきだな」
確認の為に唐行を見るも、事実だからか言い返さない。
ただのマイナー部よりも格段に印象が悪くなった。一部の人間が原因であり、競技ケイドロ自体に罪はないのだが。
「ちなみにその三バカの名前はな、あのギザギザ頭がヒヨコで」
「小玉高信!」
「そのデカいボウズがタヌキで」
「貫井要太(ぬくいようた!)」
「この一番目付きがいやらしいヘアピンがカッパな」
「瓦部仁伍!」
あっという間に紹介を終えた。小馬鹿にしたようなネーミングセンスといい、無視っ振りといい、雑な扱いが定着しているらしい。
「まあ覚えるのがメンドかったら、三人まとめて三バカ先輩でいいぞ。アタシが許す」
「そりゃないっすよ、パイセン!」
「俺も許す」
「そんな部長まで!」
光利に続いて唐行までが冷たい態度を取った。
三人組は権力者達に詰め寄り抗議する。しかし見事に無視された。
どうやら三人まとめて部全体のいじられキャラらしい。
「……というか、いいんですか、先輩。触られても」
「なあに、揉まれたら所詮その程度の女だった、ってだけの話さ」
「無駄に格好いいですね」
光利の発言に呆れ混じりのツッコミを入れる。
わざわざ立ち位置を調整し、ポーズも演出して。さながら危険を省みずに戦いへ赴く戦士のようであった。真実は下らない話なのに。
一応あった心配も不必要だったらしい。知結はなんだか馬鹿らしくなり、気が抜けてしまった。
そして似たような心境になった人物がもう一人いたようだ。
「はあ……もういい。その代わりさっさと終わらせてくれ」
唐行は諦め、ぞんざいに手を振った。
定番のやりとりめいた雰囲気を感じる。この部での彼は、手に負えない問題児を抱える苦労人のようだ。これもまた知結にとっては意外な一面である。
そして、歓迎会改めエキシビションゲームが始まった。
「よーく見とけよ、チューちゃん。マネ止めて選手やりたくなるようにさせてやっからな」
「え? ……と、はい」
不敵な顔で言い残し、光利はグラウンドへ――競技ケイドロのコートへと駆け出していく。
迷いなく進み、知結から見て左の一番近いフェンスに隠れた。
フェンスは線で結べば三角形になるように並べられている。端に近い方の直線上に二つ、中心近くに一つ。それがコートの中心を挟んで左右対称、合計六枚。全てコートの短い辺と水平となる向きだった。唐行によれば公式戦ではほとんど見られない練習用の配置らしい。
ドロが隠れる時間は三十秒。
三人組の先輩はもとより、見守るギャラリーもまたじりじりと待った。
そして、審判役の唐行が笛を吹く。
即座に動きがあった。
ギザギザ髪の高信が手で示し、他の二人は無言で頷き合う。迷いも乱れもなく、キビキビした動きで散っていく。
張りつめた表情には彼らの本気が見えた。
ただし。
「逆行っちゃったね」
「まあ、あるあるだな」
「別々に探せばいいのに」
「そうすると見つけた後が困るんだよ。ケイ側の戦術は挟み撃ちが基本。ただでさえ相手はアイツなんだから、数揃えないと駄目なんだよ」
「……ケイドロにも色々あるんだね」
いつの間にか横にいた唐行の滑らかな解説に感心した。
それと同時に戦慄する。
男子と女子の体力差があるのに、一対一では勝てないと言い切ったのだ。女子外れの身体能力だと思ってはいたが、光利はどれほどの女傑なのか。
「ほら、今からだ」
唐行の言葉通で我に返る。
端まで着いた三人は距離を空けて並び、左へ走る。最寄りのフェンスを確認し、次へ。
探す手際はよく、遭遇するまで長くはなさそうだ。三回外れを確認し、フェンスのない中心地帯はさっさと走り過ぎ、残る半分へ。
「……っ」
そこで知結は小さく唾を呑み込んだ。
三人が次に囲もうとしているフェンス。それこそが光利の隠れている場所であるからだ。
それを知る知結の緊張感が高まっていく。
三人はそれまでと同じように、流れるような動きでフェンスを探る。
坊主頭の要太をフェンスの中央付近に待機させ、挟む。奥から高信、そして手前側からはヘアピンが特徴の仁伍。
彼がフェンスの裏に回り込もうとした時。
「よっ」
気軽な調子で声がかけられた。
攻めるより先に光利が顔を出したのだ。挟み撃ちになる前の奇襲特攻である。
光利は驚いた一瞬を見逃さない。
力強く足を踏み出し、仁伍の手が触れる前に正面突破。
「反応遅ぇぞ!」
言い残し、抜き去る。それから更に加速し、瞬く間にコートの中央を通過した。
我を取り戻し、必死に後を追いかける仁伍。意地や責任からか、顔には余裕が無い。その分厳しく、闘志に溢れているように見えた。
両者の差は徐々に縮んでいく。
「おおおおお!」
気合いの全力疾走。
ペースを考えていないように見える、短距離走めいたペースで仁伍は追走する。鬼気迫る表情で迫っていき、遂には追いついた。
そして背中から抱きしめるように、前方へ左右の掌を伸ばす。
「うおっ!?」
そこで光利が急加速。
爆発的な勢いで差が開いた。
しかも絶妙なタイミングでの回避により、空振った仁伍はつんのめり大きく減速。その隙を使い、光利は悠々とフェンスの陰に消え去った。
光利は最初から、わざと速度を落として追いつかせた上で抜く算段だったのだ。すぐ奥にフェンスがあり、視界でも物理的にも邪魔な位置で。
だとしたら最早予測ではなく、後ろに目が付いているレベルだ。知結は自分の事を棚に上げてそう思った。
そうこうしている内に、光利の姿が見えた。
Uターンして戻ってきている。逃げる側であっても猛獣のような笑顔で。
遅れてフェンスを回り込み、向こう側から追いかけてきた仁伍との距離はかなり離れている。こちらは荒い息遣いか聞こえそうな顔だった。
余裕に満ちた光利が次に相対したのは要太。
彼はバスケ選手のように腰を落として両手を広げ、行く手を塞いでいる。積極的に攻めずに仁伍の応援を待っているようだ。
挟み撃ちは基本戦略。忠実に守る気のようだ。
対する光利は進路を変えず、正面から挑む。獰猛な笑みを深くして。
そして互いが近付いてくると右へ。
いや、直ぐ様左へ。前進しながらも踊るような足さばきを混ぜている。
フェイントに惑わされる要太。視線がキョロキョロと動き、足も小刻みに反応している。
そしてすれ違う寸前に、もう一手。
光利が大きく後ろを振り返った。明らかな隙に要太はピクリと動きそうになるが、その場に留まる。警戒故の判断だろう。
そして次の瞬間。
光利は背後を向いたまま、進路を右へ。鋭く一歩を踏み込んだ。
しかし要太も反応。飛びつくように地を蹴り、追随する。
「んあ!?」
ところがそれもフェイント。光利が出したのはあくまで足だけであり、重心はしっかり残していた。
失態に気づいた要太を尻目に、すかさず左へ切り返して逆をつく。
「甘えっ! もっとよく見とけ!」
二人目も余裕でかわした。反転しても尚速度は衰えない。
再びコートの中央を走り過ぎ、最初に隠れていたフェンスの辺りに差し掛かる。邪魔などいない順風満帆な走路。
その前に現れる、新手のケイ。
フェンスの影から三人目。高信だ。
彼は初めに追いかけず、ずっとその場で待機していたのだ。恐らく光利が反転してくると予想して。
フェンスの奥から助走を始めていたのか、加速は充分。低い体勢から突撃する。
「太股ぉぉっ!」
気合いの雄叫び。
足を狙う高さも、奇襲に足る速度も申し分無し。作戦は確実に遂行された。
されど相手はアマゾネス。
光利は前を向いたまま軽やかに跳んだ。
ハードル走のように最低限の動作で宙を駆け、高信の奇襲を上に避けていった。
こうなれば単なるヘッドスライディング。べしゃあっ、と高信は顔面から地面に突っ込んだ。なんとも痛ましい姿である。
そんな這いつくばった彼を、光利は振り返って挑発する。
「ほらさっさと立てよ! まだまだやれんだろ!?」
「勿論す!」
「今日こそっ!」
「俺たちならやれる!」
汚れた顔で立ち上がる高信に、汗を飛ばしながら追いついてきた仁伍と要太。勢い衰えず、気迫をみなぎらせる三人。
そんなコート上の彼らから、知結は目が離せなかった。
戦略、駆け引き、個人技。
ケイドロの奥深さに触れたような気もした。
だが、雑念が多過ぎていまいち素直に認められない。それどころかマイナスイメージが大きい。そのせいで時間の無駄だと感じてしまう。
だから引き続き行われたこのケイドロの試合を、知結は氷のような目で見ていたのだった。
「いっやー。お前らまだまだ素人だな! 特にカッパは酷え! もっと気合い入れて練習しとけよ!」
勝敗の結果は予想通りだった。
約十分間、光利は三人を相手に捕まらずに逃げきったのだ。それが三対一のエキシビションの結末である。
全力を使い果たしたらしい三人組は力なく地面にへたり込んでいる。
だが彼ら以上に走っていたはずの光利は至って涼しい顔だった。更には大声を張り上げて唐行を煽る。
「よっしゃ、次は糸コン来いよ!」
「おい、ここで俺に振んなよ! こいつらと同類だと思われる!」
「酷いっすよキャプテン!」
「実際同類でしょうよ!」
「従妹の前だからって気にし過ぎっすよ!」
「うるせえ! 俺は品行方正な人間だよ!」
二年生達はここぞとばかりに口々に罵り、反論する唐行は青筋を立てて喚き、ケラケラと可笑しそうに光利は笑う。端から見れば愉快な仲の良しグループである。
そんな彼らを、やはり知結は無感情な瞳で見ていた。
「ほらぁ! 知結が軽蔑の目で見てるじゃねぇか!」
周りのどうでもいい騒ぎを聞き流しながら、彼女はこの高校生活には灰色の未来しか来ないのだと確信していたのだった。




