3 新人マネージャーの憂鬱
――どうしてこんなことに……。
平日、全ての授業終了後。部活動で賑やかなグラウンドの端の、とあるマイナー部に割り当てられた区域。
知結は場違いな程に暗い顔をしていた。心中を占めるのは、最早何度目かも分からなくなった嘆きである。
彼女はすっかりネガティブな感情に支配されていた。
それというのも、あの見学の一件によりすっかり校内での有名人になってしまったのだ。
ここ数日、同級生からはからかわれ、見知らぬ先輩からは温かく応援された。正反対だが、どちらも恥ずかしい事に変わりなかった。
やり直せるものならやり直したいと心底願っていた。
だがそれが無理だとは分かっているのだ。
過去は変えられない。今更幾ら募金しようとも許されない。
となればこの嘆きも全て抱えて歩むしかないのだ。例え どんなに醜態を晒しても。
だから、嘆きを内に抱え込んだ知結は、それを表に出さないように挨拶する。
ただし温かみのない目と起伏の無い平淡な声で、だったが。
「このケイドロ部のマネージャーになった真平知結です。よろしくお願いします」
失礼ではあったが、なんとか形だけでも丁寧にした事は、今の精神状態を考慮すれば誉められるべきかもしれない。
もっとも、態度はあまり問題にならなかった。
ノリのいい先輩達は「かわいいねー」や「女マネ!」などと、やいやい囃し立てている。それもかなり異様なテンションでだ。よほど女っ気を切望していたらしい。
これなら厳しく注意された方がマシだと思い、知結は更にネガティブになるのだった。
一年生の本入部初日。
空は清々しく晴れ渡っていた。門出に相応しく、自然も祝っているよう。知結はかえって恨めしい気持ちが増すばかりだが。
顧問の先生は挨拶の後、すぐに去ってしまった。普段から掛け持ちしている他の部に行っていて、たまにしかいないらしい。顧問となれば専門的な知識を持つ先生が望ましいところだが、それをケイドロ部が求めるのも難しい話だろうか。
とはいえ大人の目は必要であったはずだ。
現に今、無法地帯となっているのだから。
「いやー助かる助かる。去年、雑用は俺達の仕事だったからさ」
「大変かもしれないけど、その時は相談してね」
「貴重な癒し枠なんだ。簡単に辞めないでくれよ」
「ところで部長とはどういう関係?」
「この中で彼氏にしたいのは誰?」
「ちょっと言ってみてほしい事があるんだけど?」
主に騒いでいるのは、ギザギザ髪と坊主頭とヘアピン
を着けた三人の二年生だ。四人いる三年生は礼儀正しく待機しているのに、彼ら三人組はノリも雰囲気も軽い。
更には質問が段々セクハラ気味になってきている。敬意を持てないタイプの先輩達だ。
そして話しかけるのは知結ばかりである。一応他に二人、男子の新入部員がいるのだがそちらには欠片も興味がないようだ。なんとも分かりやすい単純な人間だった。
とはいえ、その放置された二人も不満はなさそうだった。そもそも彼らからしてあまりやる気がないような態度。入部希望者の多かった部に入れず、仕方なくケイドロ部に入ったのかもしれない。だとしたら不憫である。
そんな風に他の事を考えてエスカレートする質問を無視していると、唐行が声を張り上げた。
「いい加減お前ら散れ!」
部長の一喝により騒いでいた三人が黙る。
助けが遅い、とも思ったが助かったのは確か。知結は心の中で従兄に感謝する。
が、これで終わりではなかった。
「気持ちは分かる。こんなに可愛いんだから仕方ない。ある程度近付くのは許す。だけどな」
唐行は声を徐々に大きくし、若干の怒りを含ませていく。
それだけなら良かったが、内容が部長として不真面目な部員を叱るものではなくなってもいた。
雲行きの変化を感じとり、知結は最大限に警戒する。
「可愛い可愛い俺の従妹だ。これ以上ちょっかいかけるなら、まずは俺に筋を通して貰おうか!」
「ちょっと何言ってんの!?」
恥ずかしさから顔を赤くし、怒鳴りながら彼に掴みかかった。
親戚の集まりではこんな感じだが、学校では抑えてくれると期待していた。だがその期待は叶えられなかった。妙におかしな方向性で可愛がられているのである。
そんな抗議を受け流し、唐行は真面目な顔で指示を出す。
「とにかく新人のお披露目は終わりだ! さっさと紅白戦の準備しろ!」
「ええー! ずるいっすよー!」
「ぼくらにも女子との触れ合いを!」
「歓迎会しましょうって!」
「だから紅白戦なんだよ。最初にケイドロの良さをアピールしとくんだよ!」
知結の見た事がないような顔で唐行は怒鳴る。
先程の発言はともかく、こちらは部長としては健全。部を纏める毅然とした姿だ。
他の三年生達も同調して促し、二年生達はぶつくさ文句を言いながらも準備をしに向かっていった。
「よし、今の内に説明するぞ」
作業開始を確認した唐行が一年生達へ向き直る。
「今運んでるのが、そのまんまの名前でポールとフェンス。捕まったドロの待機場所と、試合中のグラウンドに隠れる場所を作る物だ。今度からは手伝ってもらうからな」
説明を聞いてグラウンドを見やれば、ポールはコートの中心に置かれ、フェンスは数人がかりで運ばれていた。
ポールは白く塗られた金属製で二メートル近い高さの棒。
フェンスには細めの枠に分厚い紺色の生地が張ってある。向こうが透けて見える事はないし、下に隙間もない。こちらも高さが二メートル程はあり、余程の高身長でない限り余裕を持って隠れられそうだった。
「逃げる時も攻める時も、フェンスを巡った駆け引きと戦略性がケイドロの醍醐味だ。勝敗を決める肝だから勉強しておくんだぞ」
知結もスポーツではない遊びのケイドロなら小学生の頃にやった覚えはある。
広い場所でひたすら走り回る場合も多かったが、確かに隠れ場所は重要な要素だった。スポーツとして成立させる為に必要なのだろう。
「公式戦だと決まった配置パターンの中から選ばれるし、キッチリ調整する。でも練習ならそこまで気にしなくていい。今回はよくあるオーソドックスな配置だな。競技ケイドロの基本を覚えるのにちょうどいい。……まあ、とりあえずはこんなもんか」
説明を終え、唐行も準備に加わる。的確に指示を出し、サボろうとするお調子者を注意する。部長らしい姿は知結がよく知る彼のイメージからすれば意外だった。
それはともかく、知結達一年生は手持無沙汰。
見て覚えると言っても、運ぶだけなので大して注視する必要もない。
だからその間、知結は二人に気になっていた事を尋ねる事にした。
「ねえ、二人はどうしてこの部に?」
自己紹介の際、先輩方から放置されていた二人の同期に顔を向けた。
知結と違い、自らの意思でケイドロ部を選んだはずの二人である。
突然の質問に面食らっていた彼らだったが、気の弱そうな男子がまず答えてくれた。
「あ。えぇと、僕はここならレギュラーで大会に出れるかな、って。他の部だとまず無理だし」
そしてもう一人の目付きの悪い男子は、やや時間を置いてから躊躇いがちに答えた。
「……楽して結果残せそうだったからだ。まあ、こんな部で活躍したところでプラスになるか知らんが」
どちらも求めているのはケイドロ自体ではなく、部員が少ないが故のチャンスの多さのようだ。
やはり競技自体への興味は薄いらしい。
「で? そういうアンタは?」
目付きの悪い男子に尋ね返され、知結は思わずたじろぐ。
自分から振った話題なのだ。答えない訳にはいかない。
だが、彼女の場合は色々と複雑で説明が難しい。原因の出来事は軽いトラウマでもある。
だから少し悩み、目を逸らしながら答える。
「……アマゾネスの族長から逃げる為です?」
答えはぼかした。事実なのだが詳しくは説明せず、更には何故か敬語かつ疑問形で。
それからゆっくりと、恐る恐る二人の男子を見る。
はあ?
と、強い困惑が両者の顔に表現されていた。珍しいマネージャーから一変し、珍しい変な人扱いをしている顔だ。
ごもっともである。
だが勘弁してほしかった。あまり思い出したくない記憶なのだ。だから変な人扱いも甘んじて受け入れる。
とは思っていても居たたまれない空気は実に耐え難かった。
ただただ早く準備が終わる事を願うばかりである。
「おーい、もう始めるぞ!」
だから五分程経って唐行の呼び声が聞こえた時は、彼を見直した。
心の中で何度も何度も感謝する。
「それじゃチーム分けだ」
上級生と二人の新人。知結以外の部員でバランスを考えて組む。
部長らしいテキパキとした進行。うっとうしい彼しか見慣れていない知結にとってはやはり意外な姿だった。
チームを分け終わると手を叩き、注目を集める。
「よし、一年。これは紅白戦だが歓迎会の意味合いが強い。だからって俺達は手は抜かない。ただのケイドロと競技ケイドロの違いって奴を存分に」
「待たせたな野郎共ぉ!」
部長の真面目な口上は容赦なく遮られた。その非常に聞き覚えのある声に、知結は身震いする。
「よしよし準備終わってんな!」
目を向けた先にいたのは予想通り、スラリと背が高く豪快な笑みを浮かべる女子。
彼女は威勢よく声を張り上げる。
「さあっ! ここからはアタシが取り仕切らせてもらうっ!」
アマゾネスの族長が襲来してきたのだった。




