1 春は出会いの季節
頭上には春らしい麗かな青空が広がり、時折吹く心地好い風は人々を優しく撫でる。暖かく爽やかな、体を動かすのに絶好の日和だった。
四月。県立豊之森高等学校。
新生活が始まったばかりである午後の、部活動が行われている時間帯。
校内のそこかしこは普段以上に賑わっていた。この高校に入学したばかりの一年生が各部活動を見学しており、部員を確保しようとする上級生が声高くアピールしているのだ。部活動が盛んな校風という事もあり、何処も熱気が溢れていた。
だがどんなものにも例外はある。
具体的に言えばグラウンドの端で活動しているとある運動部だ。活動中ではあるが、余所と比べれば圧倒的に静かで人も少ない。六人が基礎トレーニングをしているだけだった。
そこにいる唯一の見学者が真平知結。平均よりも大分低い身長と強い癖っ毛、くりくりとした大きな目が目立つ、小動物のような女子である。
背中で手を組んで立つ彼女は、隣に立つ人物へ軽やかに話しかける。
「全然人来てないねー。他のトコには結構いるのに」
「まあ、マイナー部だからな。元々大して期待してないよ」
そう言いつつもやはりショックなのか、相手の男子は台詞の割に気落ち気味な声で答えた。
彼は真平唐行。
平均よりやや高めの身長であり、髪質は癖毛。垂れ目で優しげな印象だが、体つきはスポーツマンらしく鍛えられている。
知結にとっては先輩の三年生であるのだが、それ以上に幼い頃からよく知っている従兄でもあるので態度は気安い。
むしろ事前に、学校でも今までと同じ態度でいてくれと頭を下げられていた。知結としては分別をつけようと思っていたのだが、余りにしつこかったので仕方なく承諾する羽目になったのだ。妙に可愛がられているのである。
だから知結は遠慮なく、ショックに追い打ちをかけるように話を続ける。
「いやマイナーどころじゃないでしょ、この部。ほとんど同好会レベルじゃない?」
「失礼な。全国大会にも出場してる立派な部だぞ」
「それはそもそもチームが少なくて全国大会しかないからでしょ?」
「……なんだ、ちゃんと覚えてたのか。いつも興味なさげだったのに」
「まあ、この話は印象強かったから。で、その唯一の大会、参加校の数は?」
「……全国で二十二……」
「ほら少ない。そもそもこのスポーツ? 自体がもうなんか……アレなんだよ」
「いやアレってなんだよ」
「しょうがないじゃん。アレ以外にどう言えばいいのか分かんないよ」
そこで一度黙った知結は、目の前で体を動かす部員達を不思議そうな目で見回しながら改めて口を開く。
「競技ケイドロ部なんて」
――競技ケイドロ。
単なる遊びであったケイドロを、明文化したルールにより近代スポーツへと昇華させたものだ。
発足してから十年も経っておらず、競技人口は全国で千人に満たない。中学高校社会人と各世代で大会は開かれていても、唐行の発言通りの小さな規模。まだまだ発展途上の競技である。
知結がその存在を知ったのは、高校に入学した唐行から入部したとの話を聞いた時だ。
初めは冗談だと思っていたし、しばらくは信じなかった。競技ケイドロ協会の公式ホームページを見せられてやっと事実だと信用したのだ。
以降、会う機会がある度に話だけは聞かされた。
とはいえ覚えているのは協会発足時にケイドロ派とドロケイ派が揉めて本格的に始動するのが遅れた事だとか、今もドロケイ派は改名を諦めていない事だとか、どうでもいい話ばかりだ。
従兄だからといって試合の応援に行った事すらない。この人がいない現状を見て、それが正しい選択だったと改めて確信していた。
「……うん、まあ、うちの部がどマイナーなのは認める」
知結の態度にとうとう降伏宣言をした唐行。
彼はすがるような弱々しい目と、祈るような手つきで懇願してくる。
「だからケイドロ部の普及の為にもさ、せめてマネージャーやってくれると助かるんだけど?」
「あー、ごめんね? 今日来たのただの冷やかしだから」
「ほら、前に高校じゃマネージャーやりたいって言ってたんだしさ。丁度よくない?」
「確かに言ったけど、他の部がいいかな」
「そんな事言わずに。折角同じ高校なんだからもっと接点作ろうよ。近くにいるのに会えないのは寂しいだろ?」
「え、いや全然」
格好つけた顔での気取った従兄の発言だったが、知結は対照的にあっさりと答えた。
照れ隠しなどではなく完全な本心。知結にとっての唐行は、あくまでそこそこ仲のいい親戚だった。適度なこの距離感が最適だと思っている。
すげなく断られた唐行はがっくりと肩を落とした。
「あーあ、昔は素直だったのになー」
「残念でした。もう子供じゃないから」
「こんなちっちゃいのに?」
清々しい笑顔で拒否した知結。
すると唐行は彼女へのちょっとした仕返しのつもりか、手頃な高さにある頭へと意地悪な顔で掌を伸ばす。
しかし、
「子供扱いは止めて」
瞬時に空気が張った。
知結は唐行の手首を頭上で強く掴んでいた。その目つきは鋭く、対峙した者をすくませる程の迫力がある。まるで真剣白刃取りを成功させた歴戦の達人のようであった。
人より背が低い知結は、昔から頭を子供のように撫でられる事が多かった。両親や親戚、唐行だけでなく、同級生から年下にまで。それは自尊心が傷つく毎日だった。
結果、頭を触られる事に非常に大きな苦手意識を持つようになり、中学生の頃から全力で避けるようになっていた。それを続ける間に技術力が高まっていき、遂には気配を察知して防ぐ域まで到達してしまったのである。
女子高生に見合わない妙な気迫に、唐行は若干引いていた。
「相変わらず恐えよ。女子高生の顔じゃないって、それ」
「そんな顔にさせたのはそっちでしょ」
「これぐらいで怒るなよ」
「これぐらいとか言わないで。私の気持ちなんて誰にも分からないの」
手首を解放して言い返した知結はやさぐれた表情になっていた。憂いに満ちた雰囲気と相まって、波乱万丈の人生経験を経た苦労人にも見える。
端から見れば起きた出来事と結果に深刻なズレがあった。
そのせいか奇妙な空気だ。練習していた部員達も何事かと手を止めて見ている。
そんな事態を無視し、唐突な乱入者が現れた。
「おっ!? なんだなんだ、入部希望の女子か!?」
やさぐれた顔のまま、知結は声の方を見る。
声高く興味を示してきたのは学校指定ジャージ姿の女子だった。
明るい色で短めの髪。スラリと背が高いが、か細くはなく整った筋肉がついている。女性らしさがありつつも、可愛いというよりは格好いいという印象の美人だ。
そんな姿を見て知結は息を呑み、見蕩れる。
背が高い女性へ強烈な憧れを持つ彼女にとっての理想像だったのだ。先程の鬱屈した感情も忘れてつい眺めてしまう。
その間に長身の女子は大股で歩いてきて、唐行に気安く呼びかける。
「こんな部のマネ志望な訳無えから、こっちの希望者だよな!?」
「いや、それこそある訳ないだろ。様子見に来た俺の従妹だよ」
「従妹……ああ例の」
唐行と知り合いらしい女子が興味深そうに知結の方を向く。
「名前は知結だったか? 糸コンニャクから色々聞いてるぞ。アタシは雨園光利。三年で女子の方のキャプテンだから、そこんとこよろしく」
「あ、はい。真平知結です……けど、糸コンニャクって、もしかしてあだ名ですか」
「おう。コイツにピッタリだろ?」
「気にしたら負けだぞ。野蛮なアマゾネスの言う事だからな」
ケラケラ笑う光利と、淡々と言い返す唐行。その雰囲気は悪口というより軽口の言い合い。
付き合いの長い、互いに遠慮のない関係なのだろう。そう解釈した知結は深く突っ込まない事にした。
「それより女子の方のって、何のですか?」
「? 何って、ケイドロのだよ」
「……あるんですか」
困惑の感情を浮かべた知結。
女子部の存在自体もそうだが、所属している事への疑問もある。この身長ならどこの部からも引く手数多だろうに、何故ケイドロなのか。
気にはなったが、初対面では尋ね難い。
それをなるべく顔に出さないように努力しなければならなかった。
「おうよ。入部するならいつでも大歓迎だぜ」
光利は爽やかな笑みを浮かべ、自然な動きで頭上へ掌を下ろそうとする。
その動きを認識した瞬間。知結はすっと、無意識の内に体を横へずらしていた。
結果。光利の手は空を切り、彼女は小さな驚きを顔に出す。
「お?」
「あっ、すみません先輩! つい反射的に!」
慌てて自分のした事に気づき、深く頭を下げて弁明。
唐行と違って初対面の先輩。礼儀はしっかりしておきたかったのだ。
ただし頭を触られる事だけは譲れないのだが。
「頭触られるのは苦手なんです。出来れば止めてくれませんか」
「ふーん、そうかそうか。嫌だって言うなら仕方ないな」
と納得したように何度も頷く光利。
しかし彼女はそう言いつつも、ゆっくりと知結の背後へ移動する。そして死角からこっそりと、しかし素早く手を伸ばした。
「早速やるんじゃないですか!?」
危機を察知して機敏なステップで回避し、抗議する知結。
「おーう、今のよく避けたな」
「いつか言ったろ。こいつは頭触られるのが苦手過ぎて、人の気配に敏感になってるからな。もう忍者の域だ」
「止めて」
唐行の解説に心底嫌そうな顔で文句を被せる。知結としても気配察知技術を極めてしまったのは不本意なのだ。
だがその解説が光利の興味を引いてしまったらしい。挑戦的な笑みを浮かべ、囁くように言った。
「……へーえ。そんな事言われたら、意地でも触りたくなるなぁ……」
途端に緊張する知結。
不穏な台詞。不穏な表情。
光利一人だけは楽しそうだが、知結の全身には悪寒が走った。最大限に警戒し、身構える。
一方、光利は静かに呟いた。
「ケイドロの公式ルールでは、最初に三十秒。ドロが逃げる時間が与えられている」
「え? はあ……?」
突然のルール説明に、知結は呆けた返事しか返せない。
意味は分からなかった。だが、足は無意識に後退る。本能は今すぐ逃げるべきだと判断していたのだ。
「いーち、にーい」
「え? え? ちょっと、これ。ユキ兄?」
突然何かを数え出し、知結としては困惑が深まるばかり。仕方なく、理解がありそうな唐行に説明を求める。
しかし彼は黙って目を閉じるだけだった。手を合わせてすらいる。
御愁傷様。そういう意味だろうか。説明は期待出来す、不安だけを増加させる態度だ。
「いや、そんな事してないで止めてよ!」
「あー、ごめんな? そうしたいのは山々なんだが、アマゾネスの族長に文明人の言語は通じないんだ」
酷い言い草である。
混乱の最中でも少しだけ同情する。
しかし、聞こえているはずの当の本人はなに食わぬ顔でカウントを進めているのだ。
「さーん、しーい、ごーお」
「……!」
訳も分からないまま、最終的に出した結論は逃走。
危険を感じた知結は一目散にその場から走り去ったのだった。




