10 その熱は思い出を炙って
戦意の乗るかけ声が鼓膜を叩く。床をボールが跳ね、人の動きも止まらず、展開は目まぐるしく激しい。汗が飛び散って熱気すら立ち上る。
その仲間達を応援する知結は隔離された外側にいた。声は張っていても涼しい顔のままで。
それが、中学時代の部活の常だった。
――なんでバスケやってんの?
知結は過去、そう尋ねられた事があった。
それは、同学年の一人との一幕。
言った彼女は一年生の頃から頭角を現した力のある選手であり、知結からしても尊敬に近い感情を抱いていた。だから悪気の無い純粋な疑問だとも理解していた。合ってないのに、なんて言外の意味があると感じるのも被害妄想だ。
だが答えられなかった。
理由である憧れの姿と自分が違い過ぎたから。ずっと補欠であり、結果を出せていなかったからだ。ただ、不快な熱を飲み下して誤魔化し笑いを浮かべただけだった。
口に出せずに、自分でも納得してしまう。その事が、何よりも悔しいのだ。
――どうして、ケイドロなの?
心の声を繰り返す。思い出したのは己の内から湧いたその問いかけと、この状況が当時に近かったからだ。
実力の乏しかった知結だが、選手の温存や勝敗に影響の無い展開の時など、試合に出た経験はある。
繋ぎ。情け。だとしても真面目に参加していた。
でも、言えなかった。答えられなった。それだけの自信がなかった。
しかし目の前で戦う彼らは違うように見えた。
実力の有無はあまり関係が無い。彼らならきっと、誤魔化さずに答えられるだろう。
だからこそ強く、思う。憧れる。
羨ましいな――。
「おーい、チューちゃーん。起きてるかー?」
意識が眼前から異なる場面へ飛んでいた知結だったが、聞き覚えのある声で覚醒。
ではなく。危機察知能力が発動。
頭に伸ばされた手を、機敏なサイドステップで避けた。
「すみません、それ止めて下さい!」
「うーわ、本気でオートガードなんだな。変態か」
「ドン引きするのも止めてくれません?」
頭頂部を巡る攻防、もといふざけ合うような光利とのやり取りで気が削がれてしまった。
おかげで知結は落ち着きを取り戻す。
あくまで今は、マネージャーとして参加している練習試合の真っ最中なのだ。
競技ケイドロの公式戦のルールでは、試合は両チームがケイとドロを交互に二回ずつの四つの部分に区分される。各十分間でインターバルを挟む、バスケットボールのような形式だ。
ケイの時に捕まえた相手の人数が得点となり、二回の合計で勝敗を決めるのである。
前半――双方がケイとドロを一回ずつ――が終わり、長めのインターバルで選手の熱意を間近に感じて自分の世界に入ってしまったのがつい先程。
そして後半が始まれば、眼前には前半以上の熱戦が繰り広げられていた。
既に四分以上経過している現在、意識を改めてグラウンドへ向き直る。
「今度はまだ誰も捕まってませんね」
「まあな。ウチの野郎共はスロースターターなんだよ」
「そういうものですか……」
ほとんど見ていなかったので曖昧な相槌を打つしかない。実際中央の牢に一人もいないのだからそうなのだろう。
と、そう納得しかけたところで疑問を覚える。
この二回目のドロ、初めとは大きく異なる点があるのだ。
「いえ、理由ってメンバー変えたからじゃないんですか?」
「そんだけじゃねえよ。やっぱ見てなかったんじゃねえか」
光利がねちっこくニヤニヤと笑った。
試合に集中していなかったと見抜いた上での発言だ。咎めるというより、遊んでいるかネタにしている態度なのが彼女らしい。
確かにマネージャー失格だと反省する。
選手の交代は基本的にインターバルのみだ。怪我でもなければ途中交代は認められない。
交代には疲労は勿論、ケイとドロ、選手の得意な方に集中させるという理由もある。もっとも、マイナー部にそれだけの人数はいないのだが。
出場している部員は七名。現在、最初に出場していた仁伍と要太は外れてベンチに座っており、コートにいるのは三年生の四人と高信だ。
豊乃森で一番強いメンバー構成となる。
だからこそ唯一の二年生である高信は的になっていた。
高信が中央付近を斜めに突き抜けていく。右前方から迫る相手を避けての進路だが、行く手にも違う選手が現れ、無理なコース変更を余儀無くされる。
片や不十分、片や十分な加速のついた、分の悪い競走。案の定差はすぐに縮まっていく。
泉刻にとってはドロまで一直線。勝負を仕掛ける気なのか、前傾姿勢となり更に加速する。
「ぐ!」
その、頭スレスレのところを、唐行が駆け抜けていった。
斜め後方から急速に接近、割り込んだ異物により驚きケイの速度が緩む。出鼻を挫かれ、走りが乱れる。高信との距離が大きく開いた。
横切る一瞬、僅かな時間で仕事は為された。
そうして逃げた高信の、その後ろにも新しく泉刻選手が付く。そしてチームメイトの先輩もまた。
逃走するドロと追走するケイの間に入って、視界と進路を塞ぐ。皆、部長同様に妨害中。
ただ逃げているのではなく逃がしている。チーム全体としての戦略なのだ。
「泉刻はキツめに統率されたチームだからな。目の前でウロチョロしてるからって勝手に狙いは変えねえんだ。ま、流石に手が届きゃ話は別だが、ウチもそのラインはちゃんと見極めてやってる」
「弱点が分かってたんですか? なら最初から……」
「スロースターターつったろ。初めは情報収集の意味合いもあったし、徹底的に集中する方針だって確かに強い訳だけしな」
圧倒されっ放しの知結に、腕を組んで眺めながら光利は解説してくれた。
堂々としたその姿には貫禄があり、歴戦の監督のように見える。普段の傍若無人ぶりを忘れてうっかり錯覚しそうになった。
一方。先輩達の力を借りた高信は追走を切り抜け、二枚が直角に並んだフェンスの奥に隠れた。ひとまず相手が見えない事で足を止める。
息が上がっていた。ぐったりともたれかかり、汗を腕で拭う。倒れてもおかしくないような、いかにも辛そうな様子だ。
無理もない。ずっと集中して狙われていたのだから。
その状態で目線を動かし警戒しているのだから知結は素直に感嘆する。
それにしても、と知結は思う。
「二年の先輩達も真面目に試合してますよね……」
「そんなに意外か? 三バカが奮闘してんの」
「え、いやいや、そんな事は……」
「遠慮せずもっとハッキリ言っていいんだぞ? アタシも糸コンも許すからな」
「許すとかの問題ではなくてですね」
「んじゃ勝手に言うが。三バカはバカなだけでケイドロに関しちゃそこまで不真面目じゃねえぞ? 高信なんか特に見所あるし」
「さっきウォーミングアップの時不真面目でしたけど」
「そりゃこんだけ珍しいモン見たら誰だってああなる」
「人を珍獣扱いしないで下さい」
光利のからかいに対し、冷たく文句を投げつける知結。
つい先程の貫禄はすっかり行方不明。立場相応の発言をして欲しいと願うばかりだった。
その間もしっかり目を離さないでいた試合に、見過ごせない動き。気づいた知結は声を張った。
「あっ! また先輩に!」
「そりゃそうだ。大人しくしてる訳が無え」
高信に二人が迫る。味方のピンチに、光利は何故か不敵な面構え。楽しそうな、いや純粋に楽しんでいる顔だった。
代わりに知結が応援するしかないと、見逃さないようにじっと見詰める。
角に隠れていた高信は、二人から逃げ場を無くすように距離を詰められていた。狭いので速さは必要ない。手を広げればそれだけで事足りる。
「フッ!」
そんな追い詰められた状況で、高信は鋭く息を吐いた。
横のフェンスを押して転がるように移動。泉刻の手を弾きつつ一息に壁を抜け、更に端を掴んで押した反動で急加速する。追っ手を振り切り広い場所へと逃げていった。
見事に突破。
しかしあくまで一旦に過ぎない。目の前には次なる相手。さほど間を置かず、再び窮地に陥ってしまう。
疲れのせいか、これまでよりも動きが鈍くなっている。
インターバルで交代しているが、やはり人数不足。相手も同じ条件とはいえ、唐行と副部長に至ってはこれまで出場しっ放しだ。フォローの手際もどうしても劣化てしまう。
その唐行が、走る。
囲まれかける高信の下へ。
そして手で後輩を押し退けて強引に泉刻選手との間へ割り込み、自らを盾に。体を張って逃がしたが、代わりに肩を掴まれ捕まってしまった。
「えっ!? なんで自分から!?」
「あー、あれな。糸コンの野郎、あんな顔で度胸ありやがるよな」
「え、度胸?」
知結が注目する前で、唐行は激しく身を揺さぶった。
無理矢理に振り払う気だ。
左右に、前後に、緩急もつけて。知結には知識が足りないが、幾つものテクニックがあるようだ。
数秒続け、遂に手が離れた。その感覚を得た唐行は、体勢を崩したケイを置いてすぐさま逃げる。
唐行には自信があったようだが、これは賭けだ。下手すれば更なる窮地を招く、実力と度胸があってこその技。
それを成功させたのだから素直に認めるしかなかった。
だが、しかし。
「糸コンも甘えよな」
待ち受けるのは冷たい現実。
高信は逃げた先、中央部で、キャプテン龍歩と対峙した。
直前まで姿を隠していた待ち伏せ。そしてフェンスから出てきた、次の瞬間からの凄まじい加速による電撃的な攻撃。ほぼ正面衝突するかのような勢いは、見るだけで体が強張る程だった。
判断までが短い。焦りが隙を生む。フェイントもなく大きな角度で進路を変えた高信に、そうして速度が落ちたところで龍歩が食らいついた。
引っかけた指先で崩し、踏み込んで掌でより広く掴み、全身で引き寄せる。肉食獣の狩りめいた早業だった。
そして十秒。
今までは封じられていたが、またも本命がその仕事を全うしたのだ。
「……残念ですね」
「いや奴は運がいい。ここで真剣勝負を経験出来たんだからな」
「そうかもしれませんけど……でも、負けちゃいますよ?」
「練習試合だぞ? 今の内に負けたんなら経験分の得じゃねえか」
「得、ですか……」
光利の論理は合理的で豪快な彼女に似合わないように思える。
だからと言う訳ではないが、妙に強い反発心が知結にはあった。それが顔にも分かりやすく表れている。
そして試合はと言うと。新たな標的として三年生の一人が選ばれたが、本格的な攻防が始まる前にホイッスルが鳴った。
激しく争っていた選手達が足の動きを緩める。静かに、重そうに、しかし気迫だけはそのまま漂わせていた。
これで試合の四分の三が終了。
一人だけに抑えたのなら讃えるべき活躍か。
三度ベンチに戻ってくる選手達。
その姿は汗まみれ。疲労が蓄積しており、立っているだけでも辛そうにしている。もう少しのところで逃げ切れなかった、その精神的なショックも大きいだろう。
タオルとドリンクを差し出せばある程度は和らぎ、ひとまず安堵の表情を浮かべた。知結もせめて少しでも、との思いで出来る限り微笑みかけた。
未だケイドロ熱への戸惑いはあるが、私情は切り離す。今はただ応援したかった。勝って欲しかった。
「これまでほぼ互角で来てる。逆転は難しい話じゃない」
手を強く打ち、唐行が切り出す。
差は二点。実際には分が悪いはずだが、だからこその強気。
疲れに構わず見た目を整えて。キャプテンらしく、堂々と。
冷めぬ熱気を纏い、唐行は威勢良く声を張り上げた。
「お前ら、今日は勝つぞ!」
――おおう!
一同の声が揃う。気迫は充分。消耗した体力を補うように燃えている。
そうして豊乃森チーム二回目のケイ。最後の十分間が幕を開けるのだった。




