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第10話 共和国の「共和」の語源
中華人民共和国など、いまではあたりまえのように使われている「共和」の言葉ですが、周王朝の厲王後の時代が語源になっているといわれています。
『史記』によれば、周王朝の厲王は暴虐の君主で、やがて民衆の暴動が起き、厲王は彘に亡命しました。
朝廷は君主不在の状態になり、太子はまだ幼く政治はできない。
そこで召公と周公の二人が政治をとりしきることになりました。
二人で政治をおこなったので、宣王が即位するまでの期間を「共和」といいます。
ただ『竹書紀年』によれば、この時期に政治をとりおこなったのが「共伯和」という人物で、共和はそこから来ているという説もあります。
現在ではこちらの説のほうが有力だとされています。