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ゼロからの中国古典  作者: 渡辺仙州
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第1話 3分でわかる、春秋戦国の中国思想の流れ

 世界史を勉強すると、孔子(こうし)孟子(もうし)荘子(そうし)など、なんだかいろいろな「子」が出てきます。


「子」は先生の意味で、孔子は「孔先生」です。


 この孔子の活躍した時代を「春秋(しゅんじゅう)時代」といいます。


 春秋という名前はどこから来たのでしょうか?


 すこし歴史の話をします。


1、周から春秋時代へ

 いまから三千年ほど前、武王(ぶおう)太公望(たいこうぼう)の補佐を得て商((いん))を滅ぼし、周王朝を興しました。太公望は、『封神演義(ほうしんえんぎ)』に出てくるあの太公望です。


 しかし周王朝は、代を重ねるにしたがって、各地の諸侯がいうこと聞かなくなってきます。


 やがて諸侯たちが力をつけ、戦乱の世がはじまりました。

 

 いくさに明け暮れる毎日がつづき、人心は荒れに荒れ、もはや「ヒャッハー」という声が聞こえてきそうな世紀末。


 これではいけないと立ち上がる者たちがいました。諸侯たちに礼儀や正しい道を説き、徳や法によって世を治める方法を授けようとしました。


 そして魯国にひとりの偉人が登場します。


 身の丈二メートルを越える知勇兼備のこの偉丈夫は孔丘(こうきゅう)。「孔子(こうし)」と呼ばれ、ひろく世に知られる人物です。


2、孔子の登場

 孔子は礼や仁を説き、混沌とした戦乱の世に秩序をあたえようとしました。


 孔子のもとには多くの弟子たちが集まり、これが中国初の学閥(学問のグループ)となりました。


 そして孔子は晩年に()国の歴史を整理し、『春秋(しゅんじゅう)』という歴史書を編纂しました。


 この歴史書『春秋』におさめられた時代を「春秋時代」といい、それ以降から秦の始皇帝の天下統一までを「戦国時代」といいます。


 春秋と戦国の区切りについてはいろいろ意見がありますが、とりあえずこう覚えておいてください。


3、孔子の死後と論語

 孔子の死後、その教えは「儒学(じゅがく)儒教(じゅきょう))」として、弟子たちによって天下各地にひろまりました。


 この弟子たちによる孔子の言葉や行動の記録が、あの有名な『論語(ろんご)』です。孔子が書いたわけではないので注意。


4、墨子(ぼくし)の登場(墨家)

 儒家の教えは天下にひろまりましたが、疑問を感じる者たちがあらわれました。


 もと儒家であった墨子(ぼくし)もその一人です。


 儒教は礼義を重視しますが、そのために冠婚葬祭が煩雑になり、お金もかかるものとなりました。


 墨子はこれを批判し、「ぜいたく禁止」を旨としました。


 またすべてを等しく愛する「兼愛」精神と、戦争して他国を攻撃しない「非攻」を唱えました。


 自由平等のないこの時代で、けっこう現代的な思想です。


 墨子の教えは、形骸化した儒家に反発する人びとのあいだでひろまります。彼らは「墨家」と呼ばれました。


 そして言論界は、儒家と墨家の二大勢力があらそう形になったのです。


5、荘子(そうし)(道家)の登場

 礼儀だのぜいたく禁止だのと儒家と墨家があらそう中で、


「ものごとって相対的なものだし、絶対にただしいとかありえなくない?」


 と斜に構える者があらわれました。


 荘子(そうし)です。


 善も悪も、うつくしいもみにくいも、生も死も、すべては相対的なもの。


 どこにも絶対のものはない。


 変わりゆく世の中の地位や名誉やお金にしがみついて不自由になるより、すべての根源である「(タオ)」と一体化して、ともに生きることで人は自由になれる。そう考えました。


 この「道」ですが、いろいろ解釈があります。ものごとの一番の根源で、すべてはそこから発生しているという感じでしょうか。

 

 道家にいわせれば「ちゃんと説明できたら道ではない」というようなもので、ブルース・リーのいう「見るんじゃない。感じるんだ」というような存在です。


 こうして第三勢力の「道家」があらわれました。


 伝説の偉人に「老子(ろうし)」がいます。孔子の師匠だったともいわれる人物です。老子は道家の祖とされ、その思想は荘子と合わせて「老荘(ろうそう)思想」と呼ばれています。


6、孟子(もうし)(儒家)と荀子(じゅんし)(法家)の登場

 荘子と同時期、儒家には「性善説(せいぜんせつ)」を唱える孟子があらわれました。


「人の本性は善である」という考えです。


 しかし戦国時代後期になると荀子(じゅんし)があらわれ、「性悪説せいあくせつ」を唱えて孟子を批判します。


「人の本性は悪である」という考えです。


 人は放っておくと欲望にしたがって悪さをするので、教育や法律が必要なのだということを説きました。


7、法家と秦の始皇帝の天下統一

 荀子の弟子には韓非子(かんびし)、そして秦の始皇帝の宰相・李斯(りし)がいます。彼らは法律による現実的な統治の重要性を説いたので「法家」と呼ばれます。儒家、墨家、道家に対する、第四勢力の登場です。


 ちなみに三国時代における曹操の名参謀、荀彧(じゅんいく)荀攸(じゅんゆう)は、荀子の子孫です。


 最終的に戦国時代は、法家のやり方で国を強くした秦の始皇帝が統一します。


 こうして戦国の世は終わりを告げ、秦の時代になります。


(まとめ)

・孔子の登場で儒教がひろまる。「儒家」の登場。

・儒教に疑問を持った墨子の教えもひろまる。「墨家」の登場

・それを外から眺める、荘子を中心とした第三勢力「道家」の登場。

・もっと現実的で合理的な法の運用をしないと世の中は治まらないと「法家」の登場。

・始皇帝は法家のやり方を採用して天下統一。


(登場人物)

儒家:孔子、孟子(性善説)

墨家:墨子

道家:老子、荘子

法家:荀子(性悪説)、韓非子

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