第8話 おわり
廊下から見る空は、赤く染まっていた。
それは恋をする少女の頬みたく、愛おしそうに赤い。少なくとも凛子はそう思えた。
「あたしが恋をしているから、そう思えるのかな」
恋を自覚するには、充分な時間を過ごした。そして大沢先生の言葉を実行する前に、いろいろと練習した。
恥ずかしがらないようイメージを膨らませたり、気の利いたセリフを考えたり、指でキスの練習をしたり、考えつくことはなんでもしたのだ。
「ガンガン行きなさい。それはすこし恥ずかしいけれど、でもあたしはそうしてみるよ」
がはは、と笑う人の励ましが、背中を押してくれる。
だから深呼吸ひとつして、美術室の扉を開けた。
「早苗。まだいる?」
まず目に飛び込んできたのは、日暮れの赤が侵食した世界旅行の風景だ。
そのなかに早苗が描いた、ありきたりな夕焼け空もある。
そして夕焼けの創造主。早苗がこっちをふりかえってくれた。
「あっ、凛ちゃん。ここに来てくれたんだ」
「うん」
「凛ちゃんが来るの、久しぶりだね」
なに気ない調子で、早苗は微笑みをうかべた。
それが凛子にとって愛おしかった。早苗の笑顔を正面から受け取れるのがこのうえなく。
「早苗とここに居れるのは、けっこう前まではあたりまえだったのにね」
「不思議。わたし、今こうしているのが特別に思えるよ」
あいている距離を縮めるべく、凛子は早苗に近づいた。恋色をした教室が凛子を赤くさせる。凛子があっというまに夕焼け色になって、早苗もまた頬をあからめた。
そして手をのばせば届く距離。
「早苗。またせてごめん」
早苗はうなずいた。いいよ気にしてないから。そういう仕草だ。
「あたし、早苗に伝えたいことがある。聞いてほしい」
「聞いているよ。いつまでもずっと」
優しく微笑みかける太陽。凛子はそれに言葉を紡いだ。
「早苗が好き。離れたくないぐらい大好き」
胸に芽生えていた感情。好きという花を見せる。その花びらを見た早苗も、また心を見せた。
「うれしい。わたしも好きだよ。凛ちゃん」
好きを見せあいっこして、好きを結び合う。
凛子はそれがうれしくてたまらなかった。
早苗が凛子の背中に手を回す。ぎゅって抱かれるとシビレがきた。しかしそれはドキドキと同じだった。そして凛子はこのシビレすら愛おしく思えた。
凛子は早苗の肩をつかんだ。
「凛ちゃん。わたしね、凛ちゃんのこと思い続けてた。凛ちゃんの素敵なところいっぱい知って、好きになってからずっと」
見つめ合う。そうすると心がとけあった。息づかいが好きを語る。そして、
「好きだよ」
つぶやいて二人はキスをした。
触れる。世界のときが止まる。現実感が吹きとぶ。あるのは夕焼けの微かな匂いと、愛すべき人のくちびる。
キスは一瞬であり永遠だ。
ほんの数秒の行為だが、愛おしさが永久に刻まれる。
「んっ」
くちびるを離すころには、世界が変わっていた。
凛子は世界のすべてが早苗にあると感じた。それほどに大切だと言えた。
「凛ちゃん。わたし凛ちゃんに誓う。ぜったい幸せにするって」
にこっと早苗は笑った。まるで太陽のように暖かい。見るだけで幸せになれた。
だから凛子も微笑んだ。
早苗にも幸せになってほしいから、ありったけの思いを口にする。
「あたしも早苗に誓う。この太陽のもとで、幸せにすることを」
誓い、手をとりあった。早苗が握りしめるので、凛子も強く握り返した。
そしてシビレに酔いしれながら、永遠を決めた。
この愛しき人の手は、二度とはなさない。