第7話
一人でチョコレートを食べる日が続く。
そんな毎日に凛子はまいっていた。
早苗と一緒にいられないからか全身がけだるい。体に必要な成分が足りていないようだ。
これに危機感をおぼえた。
このままでは倒れてしまう。
「やばい。なんとかしないと」
だから凛子は苦肉の策として、あることを決断した。
「だれかに相談しよう」
まず職員室に向かった。
その真面目な空気がある室内に入って、大人たち数人に挨拶しながら、相談に乗ってくれる気さくな先生を探した。
そして見つけた。
彼女はふくよかだから、すぐにわかった。
「大沢先生。ちょっとよろしいですか」
業務用デスクに腰をかけている大沢先生に、凛子はていねいに尋ねた。
「あらやだ朝倉さんじゃない」
大沢先生はにこやかに応じた。
凛子は“朝倉”と呼ばれることに、生徒と教員との距離を感じた。生徒からは“凛子”で通っているので、苗字読みだとむずかゆく思える。
そんなのは知ることなく、血糖値の高さを笑い飛ばすアグレッシブおばちゃんは、心底愉快そうに言った。
「ここにくるなんて珍しいわね。なにか用事でもあるのかしら?」
「用事がなかったら来ないです」
「それもそうよね」
がっはは! と手をたたきながら、大沢先生は笑った。
彼女は音大にいたらしく、その声は打楽器のように迫力があった。
とはいえ、なにが面白いのだろう? わからないから凛子は、とりあえず苦笑いしてごまかした。
「とにかく、お話を聞きましょうか朝倉さん」
「はい、じつは頼みがあります。あたしの相談に乗ってくれませんか」
「もちろんいいわよ。でも休み時間中は無理っぽいわね」
大沢先生がぷっくりとした手首に巻いている、モダンな腕時計を見た。
休み時間が残り少ない。
「放課後、相談室に待ち合わせしても大丈夫?」
「大丈夫です。では放課後にうかがいます」
凛子は頭を下げた。
「ありがとうございます」
「お礼を言うのはまだ早いわ。朝倉さんの悩みを解決してから、その言葉を頂戴な」
こうして相談を取り付けた。
――……――
凛子は相談室にて大沢先生を待っていた。
「ここって相談室というより資料保管室だよね」
腰かけたソファからきょりょりと見て、正面のソファと自分が座っているソファ以外は、書類保管用キャビネットばかり目についた。
こんな紙だらけの場所で相談できるのだろうか? 不安が芽生える。
ふとすると後ろのドアがあいて、大沢先生が入ってきた。
「いやぁーごめんなさいね。いろいろと遅くなっちゃって」
申し訳ない、と言いたげに大沢先生が入ってきた。
「朝倉さん。時間は大丈夫?」
「あたしは帰宅部なんで、時間には困ってないです」
「あらそう。じゃお言葉に甘えちゃうわ」
貫禄ある歩きでソファに近づいて、凛子の向かいにどっこらしょっと座った。
「さてさて朝倉さん。相談とはなにかしら」
大沢先生が気持ちを切り替える。
凛子もまた、同じようにした。
「はい……その」
語る。でもなぜか緊張してしまい、体が熱くなっていく。
うまく言葉を表現できないが、それでも。
「あたしには好きな人がいます。ですが、なんで好きなのかわかりません」
「なるほど。朝倉さんは私に恋の相談をしてほしいのね」
「はい」
凛子は返事をした。
「好きなのはわかるのですが、なんで好きなのかがわからなくって。理由なく好きになるなんて、ぜったいにないと思うから」
「そうかしら」
大沢先生がすぐ否定した。
「人を好きになる理由って、たしかにいろいろとあると思うけれど、なかには理由なんて思い浮かばないけれど好き、なんてこともあるわよ」
「それ本当ですか?」
「生徒に嘘つくわけないでしょ。これでも30年教師をやっているのだから、私を信じなさいな」
得意げに大沢先生は鼻を鳴らした。
「と言っても知り合いからその話を聞いただけで、根拠はないけれど。でも好きになることの、理由付けなんて必要ないわ」
「それはなぜですか?」
「相手のことが好きだからよ」
好きならば理由なく愛すればいい。大沢先生はそう言った。
「好きならば好きに甘えればいいのよ。私はそう思うわ」
大沢先生の言葉が、頭のなかに入っていたダンベルを、ひょいっと摘まんでくれた。
「好きに甘える……あたしは、そんなの考えもしなかった」
「ならこれは朝倉さんにとって新しい発見ね」
「はい。それと、好きな人に甘えてみようと思います。ただそれには問題が」
凛子は暗い表情で言った。
「じつはその、あたしは好きな人と付き合っています。いつまでも一緒に居たいほど好きで、かけがえのない人と」
「それは素敵ね」
大沢先生が優しく言った。けれど凛子は、うんと沈んでいくような声で続きを語る。
「でも数週間も前に、とても苦手な体験をしました。好きな人と手をつないだときです。あれはなんというか……稲妻が体に落ちたような、それがなぜだか嫌で、とっさに手を振り払ってしまったのです」
「朝倉さんは好きな人を拒絶しちゃったわけね」
「はい。そうするつもりはなかったけれど、体が勝手に動いて……それからというもの、その子とは距離を置くようになりました」
ここで息を吸って、言葉を紡いだ。
「好きなのに、なんで離れてしまうのでしょうか? なんで拒んでしまうのですか? あたしにはそれがわかりません。好きなのに、ずっと一緒に居たいのに、あたしだけ変なのでしょうか」
わからなくて、ずっと考え込んでいたモノを吐露する。
「大変辛い思いをしたのね。でも大丈夫よ。それはみんな経験あるから」
懐かしむように大沢先生は、栄養たっぷりな右手かざす。薬指にはキラリとした指輪がはめてあった。
「朝倉さんは、その人に好きって言いましたか?」
聞かれたことを凛子は考えた。記憶を探ってみると、不思議と言ったことがなかった。
「顔を見るかぎり言ってないようね」
「はい」
「あなたが恋人から離れる理由がわかったわ。あなたがヘタレなのよ」
ヘタレ、と言われて凛子は驚いた。
「大沢先生。もっといい言葉はなかったのですか?」
「過激になるけれどよろしい?」
「ヘタレでおねがいします」
弾丸がとんできそうだったので、凛子はしぶしぶうなずいた。そこに大沢先生は続ける。
「人って不思議な生き物でね、ときには感情と不一致な行動をしてしまうのよ。だから離れてしまうときもある……朝倉さんは今、好きだからこそ離れたいと思っているのかも」
「それって」
「自分に素直になれていない。相手の好きに恥ずかしがっているのね」
そう言われてみれば、納得できることがたくさんあった。
早苗とのやり取りで、なんどか恥ずかしいと思うことが。
「なんとなくですけれど、わかった気がします。自分の悩みの正体」
「それは一歩前進ね」
凛子は話をしてなにかつかめた気がした。
暗かった気持ちが晴れる。
「あたし素直になります。好きな人に好きって、真正面から言えるように」
「良い覚悟ね。恋は繊細なところがあるけれど、ときには荒っぽく攻めてみるのも効果的よ。だからガンガン行きなさい!」
がっはは、と大沢先生は豪快に笑った。これが大沢先生ならではの励まし方なのだろう。
凛子にとっては少々うるさく感じられたが、心によく響く声援であった。




