第4話
朝を迎えるころに、凛子は濡れたくちびるを開けた。
「昨日はずっとキスしていた」
目覚まし時計の暴力にたたかれて、ふと思い返す。
お風呂と晩御飯を後回しにして、身悶えするぐらいキスに熱中した。それはもう止まらなくて、風呂と飯と睡眠時に頭のなかで早苗にキスをしていたぐらいだ。
「キスでなんだか悪い気分」
好きいっぱいで頭が重い。
脳みそのなかにダンベルでも仕込んだみたいだ。凛子は頭を抱えた。
そして下半身に違和感。
「うわっ、下着やば」
毛布をめくると、なぜか雨水でも吸ったかのように、鼠色の長袖パジャマが濡れていた。下着もろともぐっしょり。
不快な感触に、凛子は顔をしかめる。
「夢のキスでこうなるのか」
自分にあきれる。まさか寝ているときに……それ以上は言葉にならない。
「でもまだたりない。キスしたい」
キスをしたい。早苗としたい。パジャマが濡れてもしたい。
それほどにキスは気持ちよかった。
でも学校に行かないと。
今日は平日。キスをしている時間はない。
ため息ひとつ。気持ちを整理する。
「早苗のこと、こんなにも好きだったのか」
キスの感覚。それをまざまざと見た。そして感じた。
でもそれを一旦、胸にしまう。
凛子はベッドからでてパジャマを脱ぐ。あとぐっしょりな下着も。
裸のままクローゼットの前に来て、タオルと下着と制服を取り、着替え始めた。
……――……
住宅街から見る空は、悲しそうであった。
分厚い雲がたくさん重なっていて、今にも泣いてしまいそうである。
「雨とか降ってきそう。まいっちゃうなぁ」
なにはともあれ濡れるのは嫌だ。そう凛子は足早に学校へと向かう。
こぢんまりとした商店街をぬけると、昨日行ったファミリーレストランに着いた。その向こうには横断歩道とゲームセンターが見える。
昨日と変わらない、早苗とキスをした場所だ。
信号機を見る。赤になりたて。青くなる気配はしない。そこに、
「凛ちゃーん。おはよーう!」
ゲームセンター前にて早苗が、元気いっぱいに手を振っていた。
横断歩道の向こう側に早苗がいる。
キスをしたのに早苗はいつも通り。かわいく元気に笑う。
そんな早苗を見ていたら、昨日のキスが鮮明に蘇った。
『それじゃあ、ちょっとだけ動かないで』
昨日見た光景。
くちづけが気持ちよくて、幸せで死にそうになる。
もう妄想なんかじゃたりない。本物が欲しい。
「あたし、なに考えてるのっ」
キスへの貪欲さに、凛子は恥じた。
いくら気持ちよくても、こんな場所で欲しがるなんて、節操がない。
心に暗い影が落ちて、なさけなくなってきた。
「どうしたの凛ちゃーん!」
信号が青になる。
あわてんぼうな猫のように早苗は走った。
一呼吸でどんどん距離は縮まって、早苗は凛子の傍に着く。
「凛ちゃん」
「なにっ」
心拍数が滝登りをする。
それを早苗は察したようで。
「顔が赤い。もしかして風邪でもひいた?」
「そんなことたぶんぜったいありえないかもしれない」
「日本語めちゃくちゃだよ。まったくだいじょーぶじゃないよ」
「大丈夫だから」
心配しないで、と凛子は幾度か言った。すると早苗は、さんさんと輝く太陽のような、にこやかな笑顔を見せた。
「ふーん。凛ちゃんがそういうなら、だいじょーぶにしてあげる。それじゃ学校いこっ」
早苗が凛子の手を握った。
いつものことだ。二人一緒になれば手をつなぐ。
けれど今回は違った。
凛子の全身に、稲妻が響いたのだ。
「やめて!」
電撃の鋭い痛み。それを嫌って凛子は、早苗の手を振りほどいた。
ほどかれた手を早苗は見た。
「凛っ……ちゃん?」
突然の出来事に、早苗は呆然とした。
その顔は「なんで」と、悲しげに歪んでいる。
凛子にはそれが痛いほどわかった。
手を振りはらわれたことに、早苗は傷ついている。
「違う。これは違う。違うよ」
なぜはらってしまったのか、なぜ拒絶してしまったのか。凛子は必死になって釈明をしようとした。
けれど言葉は脳内で四散。散ってしまった言語の破片を集めようと、頭を抱えて座りこむがなにもならない。
「あたしはそんなつもりじゃ……」
「わたしはだいじょーぶだよ。うん平気へいき!」
早苗の顔を見る。そしてわかった。早苗はまったく平気じゃなかった。
笑顔に悲しみを隠している。太陽を雲で隠して、涙を降らせてしまいそうな、偽りの笑顔だ。
この笑顔を、凛子は見ていられなかった。
代わりに信号機を見る。青色だ。
「本当にごめん。それと先行くから」
返事を聞くまえに、シャトルランをするみたく、鮮やかにダッシュをした。
早苗を置き去りにする。足は軽やかに進むが、気持ちは焦るばかりだ。




