表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
恋愛トリップ  作者: 智秋
1/8

第1話 はじまり

 みんながここで絵を描いたのだろう、美術室にはインクの匂いがした。

 創作の匂い。ブレザーと鮮やかな水色プリーツ・スカートに染みつきそうな色彩だ。

 それを嗅ぎ、朝倉(あさくら)凛子(りんこ)はイスに座って壁を見ていた。


「あたしなんでこの絵が好きなんだろう」


 目先には世界旅行をして収集したかのような、たくさんの風景画が飾られている。

 どれも有名な風景だ。

 ただひとつを除いて。

 それは夕焼け空であった。

 旅行先の風景にしては貧相で、今から窓を覗けば広がっているような、名無しの風景。

 凛子は、このありきたりな絵が好きであった。


「好きな理由がわからない。でもなんだか、眺めていると心地いい」


 凛とした子になりますように。そう育てられた凛子のキリリとした目が、たやすく緩んでしまう。

 でもなんで好きなのか、わからない。

 凛子はため息をついた。サッカー部をやめて、この絵を見てからはため息ばかりでる。そして幾度かのため息をすると。


「凛ちゃん。そろそろ帰ろうか」


 綺麗な音色に呼ばれた凛子は、席から立ち後ろを向いた。

 夕日で鮮やかになる美術室の机たち。それらが規律正しく並んでいる。そんな隊列のちょうど中心に、一人の少女が立っていた。


「あぁ早苗(さなえ)か」

「どうしたの凛ちゃん。ぼーっとして」


 早苗がスカートをひらひらさせて、そばに寄ってくる。

 その身振りはハムスターのように健気で、彼女の微笑みかけには、凛然とした凛子も自然と笑みがこぼれた。


「見ての通り」

「また絵に集中してたの?」


 隣にて首をかしげる早苗とは、おでこひとつほど身長差があった。それと茶色いボブカットと、人目を惹きつける笑顔から、ちっこい動物を連想してしまう。

 そんな早苗に目を向けて、凛子は冗談交じりに言った。


「早苗が描いた絵は、いつ見てもよくわかんないからね」

「わたしの絵そんなに変かなぁ」

「変じゃなくて不思議」

「不思議って?」

「すごくいい絵だ、てこと」


 聞いて早苗は頬を赤くした。夕焼けよりも綺麗な色彩に染まる。そして照れながら「ありがとう凛ちゃん」と口にした。


「うん。てか今なん時?」

「五時なりたて。下校時間まで描いちゃってた」

「なるほど、あたしらは帰りそびれたわけか」


 ずいぶんと長く美術室にたむろしたな、と時間を聞いて凛子は思った。こうも遅く居残りしていたら先生に怒られそうだ。


「だいじょーぶ。今日の顧問は大沢先生だから、いつもみたいに大目に見てくれるよ」


 楽観する早苗に、凛子は釘を刺す。


「大沢おばちゃんか。でも怒ると超絶怒涛だぞ。マシンガントークでハチの巣だ」


 身の毛もよだつ、と凛子は言う。

 大沢先生は信頼できる優しい先生だが、怒ったときは天地がひっくり返るほど恐ろしいのだ。


「わかってる。それに怒られないよ。あとは部活動を終えたことを伝えるだけだから」

「なら大沢おばちゃんのマシンガンが火を噴くまえに、とっとと伝えに行こうか」

「うん。でも凛ちゃんはここにいて」


 言われて凛子は驚いた。


「なんで。てか一緒にいくよ。まつのはつまらないし」

「まぁまぁそう言わずに。廊下は寒いから、ここでお菓子でも食べてくつろいでてよぉ」


 まのびした声とともに、早苗は上着の内ポケットを探る。そして一口サイズのチョコレートを取りだした。

 なにかとつけて早苗は、甘いモノを渡したがる。それを知っている凛子は、自然と手を出した。


「はい凛ちゃん。どーぞ!」


 凛子の手にお菓子が落ちる。

 これには見覚えがあった。昼休みにもらったチョコと、同じ包み紙だからだ。


「昼のと同じだね。ありがと」


 包み紙を開けて、チョコを口に放りこむ。

 舌で甘さを転がした。唾液に絡んでカカオがとろける。やたらと甘い。


「それじゃ凛ちゃん。行ってくるから、ぜったいに待っててね」


 凛子がチョコレートをなめる。早苗は出口へと軽やかに歩いた。そして扉前で凛子に手を振る。笑顔で「行ってきます」と扉を開けて、冬風に身震いしながら、廊下に出て扉を閉めた。

 美術室にひとりぼっちとなった凛子。

 すると途端に、絵の具の不思議な匂いを嗅いだ。

 カカオとは違う匂い。存在感のある匂い。

 芸術の残り香、というのだろう。なんとも意欲的である。

 そんな匂い元のひとつ。早苗の絵を眺めた。


「やっぱり、わからないけど好き」


 太陽が地平線へと去って行く、オレンジと黒のグラデーション。

 ありきたりで見慣れている風景。

 だけど好き。

 でもなんで好きなのだろうか? 今までにも早苗の絵を見てきた。しかしこれほど惹かれたことはない。不思議だ。いったいなんで、この平凡な絵に魅力を感じるのだろう。

 ため息ひとつ、とりとめのない考えを巡らせる。すると早苗が戻ってくる音――ガラガラと美術室のドアを開ける音――を聞いた。


「おかえり。どうだった?」

 

 凛子は夕焼け空に背を向ける。そしてすぐ、早苗に異変があると気がついた。

 目を合わせてくれない。


「ねえ凛ちゃん」


 早苗はうつむいたまましゃべる。そしてドアを閉めて、内鍵をかけた。


「なにしてんの早苗?」

「あのね。聞いてほしいことがあるの」

「なんかあったの?」

「それも含めて聞いてほしい」


 見るからに早苗は震えていた。まるで蛇に睨まれたハムスターのように。

 近くによると強く怖がる。その証拠に手が、ぎゅっと握りこぶしを作っていた。

 なんで怖がる、と凛子が声をかけようとしたとき。早苗が顔を上げた。

 目と目が合う。


「わたしね、凛ちゃんが好きなの。だからお付き合いしてほしい」


 鋭い目つきの凛子なのだが、このときだけは目を丸くした。

 好き。そう親友から告白されたのだ。驚きだ。


「ちょっとまって。冗談でしょ?」

「凛ちゃんにとってわたしは、冗談で告白する酷い子なの?」

「それは違うけれど……」

「これはおふざけじゃない、嘘でもない。これはわたしの、本気の告白」


 幼子の目から、重みを感じられた。

 見知らぬ重量。言葉の圧が凛子にのしかかる。


「凛ちゃん。わたし、もしかして気持ち悪い……かな」

「そんなことない」


 凛子は否定した。

 なぜならば早苗の好きに、うれしく思えたからだ。

 告白してきたのは同性の早苗。同じ学校の女子。しかし一番の親友で、とても大切な人なのだ。


「ほんとうに?」


 早苗が尋ねる。心配そうだ。

 それもそのはず、親友になって一年半の月日をともにしたのだ。そんな親友に告白をする。それも同性。告白が原因で嫌われることもあるだろう。好きな人に嫌われると思えば、心配でいてもたってもいられないはずだ。

 だからこそ、それをふまえて凛子は答える。


「あたしはね、友達に告白されたからって、絶交するようなヤツじゃないよ」


 おずおずぎこちなく。


「それと……あたしでよければ、おねがいします」


 答えを聞いた早苗は、一筋の雫をこぼした。


「早苗、泣いてる?」

「だって。やっぱりダメだと……拒絶されるって、間違ってるって」


 ぽろぽろと涙する早苗の背中に、凛子は両腕を回して、優しく抱き寄せる。


「泣かないで」


 涙する早苗を見ていられない。凛子は静かに言った。涙を見ていると心がしめつけられる。


「わたし凛ちゃんのこと、好きでいい?」

「いいよ。早苗の好きは、あたしが受けてあげるから」


 今の早苗は本当に小動物みたいで、ちょっとしたことで死んでしまいそうだ。

 だから守りたいと思った。

 早苗を守れるのなら、どんな関係になっても構わない。

 たとえ今の生活が変化してしまっても。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ