もしかして同志?
「ささいくん、ささいくんってば!」
これから漫研の部長にとあることをお願いに上がろうかとしていたところを、甘ったるい声で呼び止められる。意識が完全に営業モードにいっていたのと、その後に行かねばならないバイト先での話し合いに気が向いていたせいで、頓珍漢な受け答えをしてしまった。
「はいっ、お呼びでしょうか、お客様?」
「さ、ささいく、お客様って……あははっ!」
言ってから気づいてももう後の祭りだ。目の前ではなにがそんなに面白いのか、目尻に涙を浮かべながら笑い転げる女子生徒が。
「なにがそんなに可笑しいのかね、女子生徒A」
「なに、その扱い。失礼しちゃうっ、ちゃんと中西結菜って名前がありますう。知ってるくせに」
少しいたずらが過ぎたようだ、悪い悪い。まあ、三年間一緒のクラスにいた仲だ、まったく知らないわけじゃない。女子生徒Aはさすがに失礼だが、普段は大して深い付き合いをしてるわけでもない。とある場面以外では。
「そうだったー、ごめんなさいー」
「謝るんなら棒読みは止めてよね? もう。」
そう言いながらもうそんなに怒ってはいないのか、表情は明るい感じだ。
この中西結菜は、普通に俺に話しかけてくる奇特な女子生徒の一人であったりもする。言ってて悲しくなるが事実だからしょうがない。俺は自分では意識しないようにしているが、かなり変わっているらしい。
え、そんなのもう分かっているって? そうなのか、なぜだろう。
本好きの勉強嫌いで、複数の部活を掛け持ちしながら生徒会で副会長をこなしている俺は、外では禁止されているアルバイトを、これも掛け持ちでしている。別に苦学生というわけではないのだが、なぜだかじっとはしていられない性格なのだから致し方ない。
性格は……けして悪くはないと思う。たぶん。ややとっつきにくいとはよく言われるが、付き合いの深い親友、板垣秀頼などから言わせると面倒見のいい、頼れるナイスガイなのだそうだ。いや調子に乗りすぎました、すみませんごめんなさい。そんなことは言ってないね、ただの隠れお調子者なだけです。
その俺に話しかけてくる女子生徒はさっきも言ったがそんなに多くない。だが板垣などは、おれをよく鈍感な男だと呆れているがそんなことはない。確かに俺は、自分自身で話しかけられにくいオーラを発している。今みたいに営業スマイルは、仕事の場所でしかする意味のないものだと理解しているし、のべつまくなしに微笑んでいてはよくバッグに付けられている、あの年中笑い顔の黄色いバッジと大差なくなってしまう。
俺はニヒルで、ひと味もふた味もその辺の普通の高校三年生とは違っているのだ。いい意味でだ、当然ながら。
んでそんな俺に話しかけてくる、数少ない(悲しくなんかないやい)女子生徒の一人である中西結菜が、ようやっと笑い終わって目じりを拭いていた。
「ささいくん、最近雰囲気良くなったね。前はもっとわけのわからんち~だったのに、今は普通に変わった男子みたい」
ん? なにげに胸の奥に刺さるものがあるような気がするのは気のせいだろうか。
「その、普通に変わった男子というのは……いったいどう言う意味でせうか?」
「そうやって子供っぽい困った顔を見せたり、時には政治家さんも顔負けの演説をぶってみたり、大きな声では言えないけど――」
そう言って俺の耳元に顔を近づけてくる。すみません、なんだかとても良い匂いが鼻をくすぐるんですが。
「バイト、してるんでしょ? アサシンが調べてるみたいよ、気をつけたほうが良いよ」
生徒会副会長なだけに、見つかったら大変だからね? と耳元の甘ったるい声がささやいた。俺はその意味するところをよくよく吟味してみるが、あまり芳しくない状況のようだ。
「あのアサシンか。そういった情報は確かに俺も耳にはしていたが、中西、お前の情報網にも引っかかっているのか」
こくこくと頷く。その目は真剣さを増して、この女子生徒Aをただならぬ人物に思わせるには十分だった。
「学大一校風紀委員会、生活指導委員会の兼任委員長である私の情報網は、伊達じゃないわよ?」
相変わらず甘ったるい声だが、なにやら不思議とミステリーか、サスペンスタッチになっているのが不思議にもその声にマッチしている。
「それで、どの程度感づかれているみたいだ? 単なる噂程度では、わざわざお前がこうやって言ってはこないだろう」
「ふふふ、よく分かってるわね。さすがささいくんね。そう、もう内偵はすんでるようだから、最悪その場を押さえられたらよくて停学、悪くて……」
調子を合わせてくれているようでなかなかよろしい。女子生徒A、もとえ、中西結菜よ。
「そうか。だがそうも言ってはいられないんだ。今日はそのバイト先で、仕事終わりに大事な打ち合わせがあるんだ。行かないわけにはいかない」
「大丈夫かしら、なにせ相手はあのアサシン、浅埜新平先生よ。泣く子も黙る、寝てる子はたたき起こすで有名な」
そう、アサシンとあだ名されるその先生。浅埜新平は生徒指導主任をしながら、県大会常連の我が学大一校柔道部の、鬼監督としても有名な猛者だ。普段は物静かだが、ひとたび怒り出すと空恐ろしいことになる。くわばらくわばらな要注意人物である。
「仕方ないけど、くれぐれも気をつけてね? そうでないと、私……」
おおう? そうでないと私、どうだと言うのだ? すんごい気になるんですけど!
「なあんてね! まあ、せいぜい見つからないようにね。ささいくんが捕まっちゃったら、私も寝覚めが悪いから」
んん? どういう意味だ、中西結菜よ、それは。深く聞き出そうと思って声を発する前に、中西は俺の横をすり抜けざまこう言い置いていった。
「お互い様ってこと!」
よく分からん。なんのこっちゃ?
内野指定席からバックネット裏のVIP席付近を割り当てられた俺は、いつもよりパフォーマンスの度合いを下げて、落ち着いて観客席の間の階段を昇り降りした。どうしてかって? それはこの場所に関係している。内野自由席や外野席なんかは、威勢よく目立つように売り歩かないと、観客の購買意欲を刺激できない。ところが内野指定席やVIP席は逆で、お客様にはエグゼクティブ感を持ってもらうようにしないと売れない。
最前列まで降り、すり鉢状になっている客席の上方に目をやると、こちらに手招きをするサラリーマンが見えた。俺は右手を挙げて、そちらに行く旨を合図する。
ここでただお客様に駆け寄るのは並の売り子だ。だが俺は違うぞ。
向かう間に、廻りの売り子の位置を確かめる。俺がベンダーに積んでいるのは、レオポンズ弁当におにぎりやサンドイッチ類。ビールやコーラ、おつまみなんかは他の会社の売り子達が積んでいるから、お客様から要望があればすぐに呼べるように把握には抜かりはない。
「はいっ、お呼びでしょうか、お客様?」
「さ、ささい、やっぱりお前だったか」
行ってから気づいてももう後の祭りだ。
目の前には、やれやれといった様子で額に手をする、今一番会いたくない人物がいた。
「笹井、お前今自分がどう云う状況にいるか分かるか?」
よーく分かります。非常にまずい状況だということが。背筋に冷たいものが……ないな。
「はい、今は仕事中だということをよく分かっていますが」
「んん? そういうことじゃなくてだな、俺にバイトしてることが見つかった、今の状況が分かってるのかってことだが?」
そんなの分かってるのに決まってるじゃないか。だが俺はそこを問題にしたいんじゃない。
「すみませんが今自分は仕事中でして。こうして無駄話をしている時間はないのです。他のお客様に対してもご迷惑になってしまいますので、ご用命がないのでしたら失礼させていただきますが」
俺は別にここに遊びに来ているわけではない。遊び心はあるが、それと仕事をしないで無為に時間を使うのとは大違いだ。
「まあ待てよ。そりゃあお前の言うとおりだわな。いやあ悪い悪い。そんじゃあその弁当、もらおうか。それとビールかな……」
ビール売りを探すアサシン。明後日の方向を見ていたので、俺は先程確認した位置から推測される場所に向かって、見もしないで手を上げてパチンと指を鳴らした。見ないでも俺のやることを確認していたのが分かっているから出来る芸当なのだが、アサシンは相当驚いたようだ。すぐにやってきた売り子と俺との間に視線を漂わしている。
「こういうのってなにか、マニュアルとか指導はあるのか? すごい連携プレーだな、驚いたぞ」
「そんなのありません! こちらのささいくんは『売り場の神様』って言われてて、彼の行動を追っていれば自然と売上も上がるし、なによりもお客様が喜んでくださるんです。さりげない行動にすべて意味があって、お客様にとってもレオポンズにとっても欠かせない存在なんですよ!」
なんだか熱弁を奮ってもらって申し訳ない限りだが、誰だ、この売り子?
俺は大抵の売り子、職員や球団関係者の顔と名前を把握しているつもりだが、どうにもこの売り子のことは印象にない。でも、なんだかどっかで会ったことがあるような、と言うか喋ったこともあるような気がするんだが……もっとよく確かめようとすると、その売り子はいち早くビールをプラスチックのカップに注ぎ入れて、お会計を済ませると俺の目の前を素早く通り過ぎていった。
ふっと香った匂い、そして残されたささやき声。
「お互い様ってこと!」
甘ったるい声だった。
アサシンとはその後ほんの少しだけ話をして、俺は開放された。後に聞いた話だと、アサシン、いや浅埜先生は俺のことを問題にはせず、その後しばらく経ってから学業に支障をきたさない限り、生徒のアルバイトを容認するという規則変更に力を注いでくれたそうだった。
俺は今日のバイトの終わりに、いつものアルバイト各社の入っている建物に向かった。着替えを終えてうちのブースで今日の仕事内容、時間や売り上げなんかを自己申告する。そうしているうちに主任の斎藤さんがやってきた。
「笹井ちゃん、おつかれさまあ♪ お話、大丈夫? うん、それならこっちにお願いね?」
斎藤さんと一緒に小会議室の中に入る。斎藤さんは唯一、ナルビルで俺たちバイトと会社の橋渡しをしている人だ。休みの時には違う人が来ることもあるが、やはりこの人以上に俺たちのことを考えてくれてる人はいない。この人の特殊なこの……それがなければ普通なんだが、まあもう慣れたし俺にとってはどうでもいいことだ。斎藤さん自体の人柄、仕事の確かさにはなんら影響するものではないからだ。
「はい、じゃあ座ってね。え、隣じゃ話しにくいって? そう、残念だわあ」
横にピッタリくっつくようにして座ろうとするのを断る。さすがにそれはどうなんだ? 仕方なさそうに向かいの椅子に腰掛ける斎藤さんは、あごに少し伸びかけた髭を手でこすってから、鞄の中から書類を取り出して俺の前に差し出した。
「笹井ちゃん、いつもお仕事ご苦労様! 三年生でいろいろ大変な時期なのに、シフト守ってくれてありがとね。わたし、笹井ちゃんが来てくれるとほんと助かるの♡」
なんだか言葉に変なものが混じってるような気がするが、あえて気にしないことにした。
「それでね、その書類を読んでほしいの」
俺は差し出された書類に目を落とした。その書類には、『労働条件変更書』と表書きがされていた。中身に目を移すと、どうやら俺の扱いに関することが事細かく書かれているようだった。
「笹井ちゃんのがんばりはね、本社も高く評価しているのよお! それで時給のアップと併せて、卒業後に笹井ちゃんさえ良ければ、正社員として働かないかって。進学とかいろいろ、今すぐには答えられないと思うけど、考えてみてもらえるかしら?」
おおう、俺をそんなに買ってくれているのか。嬉しい半面、なんだか怖い気もする。その書類をもらって、薄っぺらい通学鞄の中に入れて帰宅の途に着く。
俺は将来のことなんかこれっぽっちも考えたことはなかったが、とりあえず在学中はこの仕事を続けていかれるようにはしたい。さっきなんとなくうやむやのうちに場を離れてしまった浅埜先生に、直談判しに行くとしよう。
帰ってきて、少し遅い夕飯を食べてから部屋に入ってベッドに倒れ込む。ぐっすり寝た後に見た夢の内容は忘れてしまったが、甘ったるい声でなにか言われたのだけは覚えている。あれはやっぱり……
久しぶりの更新。
それにしても彼、思った以上に鈍感さんですね……