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球場の天使。

笹井くん、十八の初秋。

「鈴? りんー! もう、あの子ったらどこに行ったのかしら。ついさっき帰ってきたばかりなのに。まさか、また……」


 鈴の部屋のベッドの上には、中学校の制服であるブレザーに白いブラウス、チェック柄の可愛いプリーツスカートが無造作に放り投げられており、いつも持ち歩いている愛用のリュックサックが消えていた。


 ほんっとにあの子は! どうしてああもレオポンズが好きなのかしらねえ。もしかしたら、将来はプロ野球に入りたいとか? いえ、鈴は女の子よ? そんなの無理に決まってるわ。でも、鈴は運動神経抜群だし、それになんて言ってもあの可愛らしさだもの。絶対人気選手になれるわね! 選手が無理だったら、きっと球団のマスコットガールになら……って、私は自分の娘で何を想像してるのかしら!


 心の中で可愛い娘を思い浮かべながら遊んでいるうちに、当の娘である鈴は、そのレオポンズの本拠地のある球場駅に降り立っていた。


「あ~あ、今日は麻美も恵も来ないんだよね~。一人で来ることなんて今までなかったんだけど……ま、女は度胸よねっ、だいじょぶだいじょぶ!」


 少し間違っているような気もするが、根っからの明るさと並はずれた体格、いや、ありていに言って中学一年生ではありえないくらいの高身長、引き締まったボディに愛くるしい顔、黒いさらさらヘアーを邪魔にならないよう、短めに揃えたボブカット。つまりは、とんでも美少女である鈴には、怖いものなど存在しないのである。しかも、一人でもいいからどうしても出かけようと思った本当の理由が。


「え~と、今日の笹井くんの予定はっと。ふむふむ、今日は駅前広場のワゴンかあ♪」


 この球場前駅から、少し先に見えるレオポンズ球場までの間には、チケット売り場やレストラン、スナックコーナーや売店などが立ち並んでいる。その一角に、いかにもシーズンに合わせて用意されたと思しきワゴンの売り場が。鈴はその一角に急ぎ足で向かいながら、お目当ての人物を探し当てようときょろきょろしていた。本人はまったく気づいていないが、モデルも顔負けのスタイルにまだあどけなさを残す(かんばせ)、否が応でも目立ちまくっていた。しかもその背には、レオポンズのマスコットキャラのレオポンと、その妹キャラのランナの顔が描かれたピンクのリュックが。さらにそのリュックからは、応援小旗とメガホンがこんにちはっ! と言わんばかりに顔をのぞかしているのだからこの上ない。


 周囲のおのこたちの熱い視線などどこ吹く風。思い人を探すその目に、ようやっと映った人物は。


「はい、いらっしゃあっせ~! レオポンズの応援商品にファンブック、大好きな選手の手形入り直筆サイン色紙。その他各種取り揃えてますよお~! いかがっすかあ~!」


 鈴と比べると、頭一つつ分は低い身長に細身の体。よくあんな小柄の身で、この球場前広場の隅々まで通るかのような声が出せるものだ。しかもうるさい嫌味な声に感じさせないのは、その声の主が声優教室に通っていたからだってことを、鈴はついこないだ本人から聞いたばかりだった。


 さすが笹井くん♡


 飛ぶように売れていく応援商品。他のワゴンではその青年の声につられてやってきた、お客様に対応するように青年からの身振り手振りの指示に合わせて、商品と代金を手際よく交換している。まるで横に連なったワゴンが、ひとつの大きな生き物のように活気づいているのが分かる。


 そう、このものすごい活気の中心に、あの人がいるんだ! 私が初めて家族で野球観戦に来た時から、他の人とは違う笹井くん(後から名札を見て分かった)の姿に、レオポンに感じる以上のものを持ってもおかしくないよね。うん!


 少し辺りが落ち着いてきた頃合いに、鈴は笹井くんと呼ぶその青年のいるワゴンに近づいた。少しでも早く気付いてもらいたいから、青年に向かって両手をひらひらさせる。


「おっ? いらっしゃい! あれ、今日は麻美ちゃんや恵ちゃんと一緒じゃないのかな?」


 開口一番、笹井はそう言って鈴の周りを見やる。


 鈴は、なんだか少しイラッとする自分の気持ちにびっくりしながらも、健気(けなげ)に明るく答えた。


「うん、今日は一人で来たんだ! ぜんぜんへーきだよ、家族にも言ってあるしね」


 それは嘘である。中学校から帰るなり急いで着替えた鈴は、母親の顔を見ることもなく家を飛び出てきたのだから。そうとは知らない笹井は、安心した表情で自分のワゴンの方に手招きする。


 お客様の邪魔にならないようにしながら、少しでも笹井の近くに寄りたい一心の鈴は、ワゴンの裏側、つまり売り子側の方に回った。笹井は少し驚いた顔をしたが、すぐ隣にきた鈴に向かって笑いかけた。


「鈴ちゃん、今日も内野自由席だよね? 友達も家族もいないで一人じゃちょっと心配だから、少し待っててくれる?」


 そう言いながら笹井は、着ていたスタッフジャンパーを脱いで、後ろで在庫のチェックをしていた男性に話しかけた。


「ワゴン長、すいません。知り合いの女の子が一人で観に来ちゃったんで、源さんたちに預けに行っても良いですか?」


 どうやらこの笹井青年、鈴を心配するあまり信頼できる人間に、鈴を託そうと思ったらしい。


 え、な、なに? 笹井くんが一緒してくれるの? 中までだけど、一緒に歩けるなんて、ま、まるでデートみたい!?


 笹井青年がワゴン長に交渉している横で、なにやら鈴がいじらしく身悶えしている。それを見るとはなしに見るスタッフは、なんであんな変人を気に入ってるのかと、一様に怪訝(けげん)そうな表情でその様子を窺っていた。しかし可愛い娘だよなあ、いくつくらいだろ? 絶対に笹井には似合わねえよなあとかなんとか。


「うーん、べつに良いよお。そろそろお客も引けてきたから、休憩がてら行ってあげなあね」


 のほーんとした口調で了承する彼も、笹井と同じアルバイトなのだが大丈夫なのだろうか、そんな安請け合いをして。


「じゃあ、お言葉に甘えまして。笹井、休憩いただきます。お先でーす」


 飄々(ひょうひょう)とした態度で、鈴ちゃんと呼んだ美少女と連れ立って歩いていく。その姿はまるで彼が主人ではなく……犬生を達観した老犬を連れ歩く美少女モデル、いやいや悟空を引き連れた美人三蔵法師、といった風だったと、後になってから茶々を入れられる笹井青年だった。



「おや、売り場の神様じゃないか。今日は駅前じゃなかったっけ?」


 スタジアム内に入るゲート。ゲートには、チケットを拝見してお客様を中に通す係員がいるのだが、笹井青年はその横にある、通用門前にいる守衛の方に近づいていく。鈴はなんだか普段向かわない先に行くのに、少し気後れしたが笹井くんと離れたくない一心で、後ろにぴったりとくっついた。


 しばし固まる笹井青年。しかしおかしな様子も見せずに、すぐに再起動して守衛に話をし始めた。


「こ、こちらの知り合いを、中に案内したいんですが通っていいですか?」


「うんあ? こりゃまためんこい娘っこだなやあ! なに神様、お連れは天使さんかい。違うねえ、やっぱり」


 ほえっ? 笹井くんが神様なのは良いとして、私が、その、天使さん? そんなあ~♪


 またまた身悶えしている鈴が揺れるたび、ぴったりくっつかれた背中の上の方から首筋にかけて当たる、柔らかい感触はもしかして……再度固まる笹井青年が、少し前に距離を取った。


「よ、吉田さん、だからその呼び方はやめてくださいって。大事なお客さんなんですよ、お願いします」


 後ろでふるふるしている鈴を無視するように話をするが、なんのことはない。笹井青年もそれなりにお年頃なだけだ。


「あいよ、じゃあ神様、社員証を拝見。はい、オーケーね。後ろのお嬢ちゃん、チケットを見せてくれるかい?」


 被っている制帽をくいっとつまんで、吉田は鈴ににこやかに話しかけた。


「は、はいっ! わ、わりゃしはにぇんか、ねんかっ……う、うえ~ん!」


 前にも泣かれた経験がある笹井は、あまり驚かずに鈴の背中を、手を思いっきり伸ばす格好でさすり出した。


「大丈夫だよ、吉田さんとは俺、すんごい仲良いから。心配ないからね」


「ひゃうっ! は、はい、ありがとうございました、もうだいじょぶですっ!」


 背中をさすられた途端、今まで感じたことのないくすぐったさ、なのかなんなのかが鈴の体を貫いていった。あわてて姿勢を正して、年間パスを吉田に提示する。


「おし、確認したよ。じゃあ行っといで」


「ありがとうございます。送ったらまたすぐ戻ってきますから」


 笹井がそう吉田に伝えて、鈴を伴って内野自由席の方に向かう。



 どこの球団でも同じだと思うが、一部の熱狂的なファンが集まり、応援団なんかを結成するのは至極当然のことである。このレオポンズも(しか)りで、内野自由席はそんな彼らからすれば聖地、戦場だった。その聖地に入り込む笹井と鈴。当然場違いだと排除されるかと思いきや、


「お~、笹井っち! どうしたあ、仕事中じゃねえのか? ん? まさか、仕事ほっぽってちちくりあってるのかあ、ええ~?」


「なあにを言ってけつかるんですか、源さん。冗談は顔だけにしてくださいよ」


 ちょ、ちょっと笹井くん!? なんてこと言っちゃうの? 怒らしちゃったらどうするの~!


 鈴が怖気(おぞけ)を感じて震えだす前に、源さんと呼ばれたよく言えば豪放磊落(ごうほうらいらく)、ありていに言えば能天気な角刈りオッチャンが笑い出す。


「おめえ、それを言っちゃあおしめえよ! この顔あってのレオポンズ私設応援団、なあ、みんな!」


 てんでバラバラにそうだそうだと合いの手を打つ、陽気そうな応援団の面々に最初は抵抗感を感じていた鈴だが、だんだん慣れてきたようで笑顔が見える。


「そうそう、そのレオポンズになくてはならない源さんに、お願いしたいことがあって来たんですよ。試合中、こちらの鈴ちゃんを預かってもらえないですか? 今日一人で来ちゃったらしくて」


 そう言って笹井は、源さんに頭を下げた。


「おいおい、笹井っちよお、頭を上げてくんねえ! よしきた、おいらに任せろい、試合終わるまでうちらみんなとレオポンズ応援、みっちりとしごいてやらあな!」


 え、えと、私だいじょぶだよね? そんな不安げな顔をする鈴に、笹井が不敵な笑みを返す。


「大丈夫だって。こう見えて源さん、愛妻家で娘ラブな人だから」


 どう大丈夫なのか、とっても不安になった鈴だが、笹井くんが大丈夫って言ってくれたんだからきっとだいじょぶ!


「じゃ、じゃあよろしくお願いします、源さん♪」


 鈴の恥じらい笑顔に、源さんが落ちた瞬間だった。


 仕事場に戻っていった笹井を見送り、鈴はこれから体験するであろう応援の神髄に、胸が高まるのであった。



 ちなみにこれから後、鈴はたびたび一人で球場に訪れては、私設応援団の一員となってレオポンズの熱烈な応援に明け暮れるようになっていった。笹井のことは好きだったが、こうなるとレオポン一筋、応援に力が入るようになってしばらくして。とある芸能プロダクションのスカウトマンの目に留まり、そのモデル体型とアンバランスな小顔、明るい性格から一躍人気者になり、モデルやリポーターとして活躍するようになるのだが、それはまだ少し先のお話である。


 笹井修司は変わらずバイトに委員会に部活に引っ張りだこで、忙しい毎日を送っていたが卒業を控えているのに果たして、進路の方は大丈夫なんだろうか。心配は尽きない。



「先生、何をお書きになってらっしゃるんですの? とっても楽しそうでしたわよ?」


「い、いやあちょっと書き物を。人に見せられるもんじゃないんで、勘弁してくださいな」


 そう言い終えて慌てて机の上を片付けだす。そんな彼を、外から呼ぶ生徒の声が聞こえた。


浅埜(あさの)先生、準備できましたので、お願いします!」


 浅埜と呼ばれた彼はおもむろに立ち上がり、着ていた道着の帯を締め直した。


「分かった。今行くぞお!」

 いつもお読みいただき、ありがとうございます。


 最後になにやら書き物をしていた人物、お分かりの方おられますか? ニックネームで一回だけ名前だけ登場していますよ♪

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