俺のファン?
前三作に続く最新話です。
「ねえねえ、麻美。今日も行こうよ、スタジアム♪」
「え~、やだよお。昨日も行ったじゃん、それよかサーティーズのアイス食べに行かない? 駅前に出来たみたいじゃん」
「……買い食いは校則違反……」
「そだよね-、めぐりんの言うとおりっ! だからレオポンズ応援に行こうよ-!」
「……放課後の寄り道も校則違反……」
「ぶうーっ!」
この微笑ましくもかしましい会話は、とある中学校の教室で交わされたもの。
鈴、麻美、恵の三人組。小学校からの仲良しで、中学に上がってからもクラスが一緒になり、こうしてわいわいやりながら帰るのが日課みたいなものになっている。
恵は内向的で、あまりしゃべらない方。まっすぐお家に帰って、猫のニャムコと遊びたい。麻美は出歩くのが大好きで、ギャルが行きそうなところをチェックしては、他の二人を連れて回るのが楽しい。
最初に声をかけた鈴は、とても中学一年生には思えないくらいの長身で、バレーボール部に入部してからは練習に忙しくしていたはずだった。なのにスタジアム? レオポンズ?
「そんなに気になるの? あの彼氏」
ショートカットで、やや丸みを帯びた小顔の鈴を見上げて、麻美が言う。その声は、少しからかいとやっかみが混じっていた。
「な、な、なんば言いよるとっ? しょ、しょうじゃにゃくてですね、レオポンズの応援に行きたいだけだみょ」
「……りんちゃん可愛い……」
「でもどこが良いのか分かんないよ。あんたよか全然背が低いし、顔だってそんなには──」
「麻美、失礼だよあの人に! 背なんて関係ないもん、それに顔だって……まあ目は細いし眉は太いし暗そうだけど。ううん、そんなのどうでも良いのっ! 優しくって、そんでとっても……哀しい? 笑顔が素敵なの」
「……りんちゃん墓穴掘ってる……」
「はっ! いやいや、ち、ち、違うんだからあ!」
「はいはい、分かりました。仕方ないから付き合ったげるよ、ねえめぐりん?」
「……うん……」
わたわたと、両手を振り回しながら否定をする鈴だが、色白の肌が傍目にもよく分かるくらい、紅く染まっていた。
東京の隣県に本拠地を置く、プロ野球チームのスタジアム。収容人数三万人で、グラウンドが地面より低いすり鉢状に設計されている。後にお椀を被せるようにドームになるのだが、それは今からだいぶ先のお話。
私鉄の乗換駅から単線で球場線が敷かれているが、他にもこの球場に乗り入れている線があった。それは新都市交通といわれるもので、鉄道と違いレールの上を車輪で走るものではなく、ガイドコースの上をゴムタイヤの車両が走るものだった。
ゴムタイヤのおかげでとても静かに、鉄道とは違う電気モーター音が車内に聞こえてくる。居住環境動線に影響が少ないように、高架化されているために見晴らしが良い。
「でもさあ、あんたの一途な思い、彼には伝わってないでしょ。絶対」
車窓から眺める街並みは、季節を反映してやたらにキラキラしているように感じられる。鈴は、ほうっと大人びた吐息を口にした。
「そうかなあ、やっぱり気づいてないかなー」
「……追っかけ二年……」
小学五年、当時から身長も高く成長も早かった鈴が、両親に連れてこられた初めての野球観戦の日から。もう何度こうして球場に通ってきたか、鈴にも分からなくなっていたし、両親も今年からは年間フリーパスを買って与えるほどだった。その両親もまさかこんなに鈴が、一人の男性に入れ込んでいるとは思いもしないだろう。多感な少女はまた、一途な乙女でもあった。
球場のホームスタンド側、年間フリーパスの内野自由席。鈴たちは一度家に帰ってから向かったのだが、それでもナイターゲームが始まるよりはだいぶ早くに着いていた。まずはコーラを売り子さんから買い、ほっと一息つく。
「で、今日のシフト分かってるの?」
麻美が聞くやいなや、鈴が即答する。
「うん、今日はホーム側のお弁当売りからの駅前ワゴンだから、お弁当を彼から買って、試合終わってから即行ワゴンでおしゃべりタイムね!」
「……アイドルみたい……」
「ま、リンにしてみればそれ以上だからね~」
当の鈴は心ここにあらず、浮き足立っている。キョロキョロと落ち着かない様子で、あちらこちらを探すように見て回っている。するとバックネット裏から良く通る声が聞こえてきた。
はっと気づき、声のする方を振り仰いだ鈴の表情は、同性である麻美や恵からしてもうっとりしてしまうほど、華やいでいた。
「お弁当、いかがっすかあ! あったかあいお弁当、レオポンズのホームラン弁当におにぎり、いかがっすかあ? おいしくてたまらん! のお弁当はいかがでしょうか!」
早く気づいてもらいたくて、でも次から次へとお客様対応しているカッコイイ姿も見ていたくて。手を上げたり胸元でぎゅって握ったり忙しいことこの上ない。
「……りんちゃん乙女……♡」
そうしてしばらくして。やっと気づいてくれたようだ。いや、最初から気づいていたがそれをおくびにも出さなかったのかもしれない。
「お客様。たいへんお待たせしてしまいました、申し訳ありません」
ベンダーを脇にやり片膝をつきながら、胸元を片手でトンっと打つ。いわゆる貴族が淑女にするような挨拶だ。こんなことを恥ずかしがりもせずに公衆の面前でやってのける売り子の青年。
「はわわっ! ううん、ま、待ってなんかないよ、だいじょびゅれすっ! さ、さ、笹井さんこそ、お仕事おつかりぇしゃまです…………う、うえーーん」
あまりの動揺からか、鈴はうつむき泣き出してしまった。大柄な彼女が少しでも小さく、隠れてしまいたそうに身を屈める。両側から慰める麻美と恵だが周囲からの好奇の目にさらされて、とてもではないが落ち着ける雰囲気ではない。それを感じ取り笹井と呼ばれた売り子がすっくと立ち上がり、そのよく通る声でとある口上の一節を切り出し始める。
「ぶぐばぐ武具馬具三武具馬具、合わせて武具馬具六武具馬具。 きくくり菊栗三菊栗、合わせて菊栗六菊栗。 むぎごみ麦ごみ三麦ごみ、合わせて麦ごみ六麦ごみ。 あの長押の長薙刀は、誰が長薙刀ぞ。 向こうのごまがらはえの胡麻がらか、あれこそほんの真胡麻殻。 がらぴいがらぴい風車、 おきゃがれこぼしおきゃがれ小坊師、ゆんべもこぼして又こぼした。 たあぷぽぽたあぷぽぽ、ちりからちりからつったっぽ、 たっぽたっぽの一丁だこ!」
その口上を聞いた観客席の間から、やんややんやの拍手喝采が沸き起こる。あっけにとられた麻美と恵だが、うつむいていた鈴の肩がフルフルと震え出す。そのうちに涙を流しながら笑う顔を笹井に向けた。
「さ、笹井さんー、お、面白すぎるよお! それなあに? 早口言葉の練習かなんかなの?」
すっかり泣いていたことも忘れて機嫌を良くした鈴が、明るい笑顔で笹井青年に尋ねた。目元が笑い涙でキラキラしているのが、なおのこと初々しくて可愛い。
「ああ、これは昔、声優教室に通ってた時に覚えさせられた『外郎売』のほんの一部分。いやあ先輩たちからよく酒の席で鉄拳指導を受けてね……っとと、ごほんげほん」
さらっと流したが、どう見ても高校生くらいの青年が語る内容ではない。しかもその口上自体が淀みなく、抑揚もあってとても上手かった。
「なんか、笹井さんってすごいね! 声優さんのお勉強もしてるんだ?」
尊敬の眼差しが、笹井青年を射抜く。当の青年はなぜだかうろたえ始めてしまった。一体どうしたのだろうか。
「う、うん。まあ、その、ね。その教室の先生、というかお師匠と少しやりあってしまって。結局良いとこまでいっていながら破門されちゃったんだけどね! あははは……」
「そ、それは……なんて言ったらいいのか、そのうー、ご愁傷様?」
言い得て妙。
周囲の生暖かい目が笹井青年に集まる。結果的に鈴を守った形の笹井修司、十八の夏のことだった。