俺と相棒の距離感。
『選挙管理委員会からのお知らせです。本日は次期生徒会の役員立候補者による立会演説会があります。先生や生徒は体育館にお集まり下さい。繰り返します、選挙管理委員会からの……え? 間違ってる? 抜けてるってなにが……あ』
あ~あ~、マイクのスイッチ切れよ。ダダ漏れだぞそれじゃ。
ここは俺が通っている学校だ。俺は都心なんかに行くのに便利な、いわゆるベッドタウンの市に住んでいて、当然通っている学校も生徒数が多い。クラスの人数も四十人、正直言ってほとんど喋ったことのない連中ばっかりだ。二月の半ばにもなるのに、話をするのはほんのわずか。でもみんなそんなもんだろうと思う。ま、俺の場合話しかけてくるやつもそんなにいないけどな。
訂正のアナウンスがあってから昼が過ぎ、放課後になってみんながぞろぞろ体育館に向かう中、俺は応援演説を買って出てくれた相棒に支えてもらいながら、立候補者の控えになっている教室に向かった。
「ねえ、ほんとにぼ、ぼくでいいの? ぼ、ぼく、人前でしゃべったことなんてないんだけど……」
おいおい、今更怖気づいたのか、板垣。
「もう遅いよ。お前からやりたいって言ってきたんだ、自分を変えたい、もっと人前で堂々としてられるようになりたいからって。忘れたのか?」
「ううん、忘れたわけじゃないけど、やっぱりその、こわいって言うか。なんだかゾクゾクしてきたんだよ、こんなの初めてで変な感じなんだ」
それを乗り越えなきゃ自分なんて変えられないぞ、板垣。俺は相棒の支えてくれている手をポンって叩いて励ました。
俺らが体育館で、他の立候補者やその応援演説者と一緒になって並んで入ると拍手が起こった。
良いねえ、この感じ。気分が高揚してくるじゃないか。俄然やる気も湧いてくるってもんだ。俺の演説順番はだいぶ後の方だから、精一杯場をあっためてもらおうじゃないか。そう思いながら用意されていた椅子に座る。なんだか板垣が心配そうに俺を見ているのが気になった。
「ぼくは、この学校が大好きです。いろんな人がいて、仲良くなったりケンカしたりもします。先生方もとても熱心に勉強を教えてくれます。毎日がじゅうじつしていて、学校に来るのが楽しくてしょうがありません。だから、この学校のため、生徒みなさんのためになにかしたいと思い、今回の生徒会役員に立候補しました。ぼくが当選したあかつきには、この学校のとくちょうでもある明るいふいんきを……」
俺の出番まであと何人いるんだっけか。正直なところ、もう厭きてきた。
だってしょうがないだろう? これまで出てきた立候補者の中に一人でも、自分なりの主義主張を述べたやつがいたか? いないんだよ。みんながみんな同じように言うのが、やれこの学校が好きだ、やれ友達が好きだ勉強が楽しい、文化祭を楽しくしますだ、体育祭を盛り上げますだ。耳ダコだよ、いい加減。
まあそんなことはどうだっていいか。いや、学校という枠組みの中では仕方のないことかもしれないな。予定調和、とでも言った方が良いか。期待された言葉や内容で期待通りに、生徒らしく模範的に。
次に出てきた女子も異口同音。その後に出てきた生徒も大して代わり映えしないことを言っていた。応援演説者に至っては言うまでもないな、ひどいもんだ。誰々さんは良い人です、素晴らしい人なんですみたいなことを連呼している。太鼓持ちじゃないんだから、もう少しなんとかならないのかね。
ようやく俺の番だ。板垣とはわざと打ち合わせもなんにもしないで、俺の後に思ったことを言ってもらうようにした。その方が度胸もつくだろうし、俺が場を温めてあげるつもりだからきっとやりやすいだろう。
え、俺自身は大丈夫なのかって? そんなの決まってるじゃないか、俺を誰だと思ってるんだ。
そう俺は、笹井修司。小学五年生の十一歳だ。
なんか変だって? 喋り方や考え方が普通の小学生らしくないってことか?
そりゃそうだ、俺は普通じゃないからな。
『では次は生徒会長候補の五年生、笹井修司君です。笹井君、お願いします』
アナウンスが流れて、俺が登壇すると体育館の中がざわめいた。中にはこれみよがしに俺を指差しながら、なにか大声でわめいてるやつもいた。
まあ分かっていたことではあるが、あまり嬉しくない反応だ。こういう反応しないで普通に接してくるのは板垣くらいなもんだ。だからあいつだけは別格なんだ。
「皆さん、静粛に! 静粛に!」
先生方が生徒を落ち着かせるように声を張り上げる。そんな中で、俺だけが意にも介せずに壇上に立つ。
壇上に置かれた演台に手をついて、場が落ち着くのを待つ。俺が保つ時間は……おおよそあと五分くらいか。厳しいところだな、このままだと。
そう思っていたら、俺の担任の宮島先生が小さな体を震わせながら、声をふり絞った。
「皆さん! いい加減にして下さい! 笹井君に失礼でしょう、身体が自由に動かない中、こうやって頑張って上がってきてこれから演説をしようっていう時に! 皆さんは上級生なんですよ、そんなんで下級生に示しがつきますか? もっと自覚しなさい!」
おお、いっぺんに静かになった。さすが俺の担任だ。ずっと俺の担任をしてきているってくらいだから、俺のことならなんでも知っているんだろう。悪いけど俺にはさっぱりだけどな。
宮島先生に促され、俺はひとつ咳払いをしてから演台に置いてあるマイクのスイッチを切った。そして演台の前に回って、演台を背中に当てて支えにするようにして立つ。残り時間は四分ってとこか。
「え~、皆さん、私の声が聞こえますか? もし聞こえないなら前に出てきて下さい。大丈夫ですか? はい、では始めさせていただきます」
おもむろに生徒全員の顔を見渡すようにしてから息を吸う。
「ご紹介に預かりました笹井修司です。ご覧の通りこんな姿をしていますが、皆さんと同じ小学生です。訳あって復学してから間がないので、きっと違和感をお感じになるのも仕方がないことと思いますが、どうかご容赦ください。」
ここまで喋って息を切らす。思ってた以上に時間はなさそうだ。
「私がこの選挙で会長に立候補したのは、やり直しのためです。なんのやり直しかと言うと自分の人生のです」
みんな静かに聞き入っている。知ってる人も知らない人も、なにを言い出すのかと興味津々な様子。いい感じだ。このまま、このまま。
「今まで私は自宅療養をしていて、学校に出てこれるようになってから二週間弱です。申し訳ありませんが、今まで仲良くさせてもらっていた友達や良くしてくれていた先生方もおられることでしょうが、覚えていません」
思ってた以上に知らない人の方が多いのか、またざわめき始める。その間に息を整える。
「皆さんは経験がないと思いますが、私は記憶喪失でつい最近のことまでまったく覚えていません。親の顔も、姉弟のことも、友達や親戚、勉強もどんなことをしてきたのかも全てです。だからこれからやり直しするためのきっかけとして、この選挙に出ることにしたんです。個人的な理由からですので、他の候補者の方と違い、こうしたいとかこうしますっていうのはありません」
息が続かない。つい最近まで、自宅の居間にあるソファーベッドから起き上がることも出来ないでいたんだ。これじゃあいけないということで、リハビリをしながらようやく復学したばかりだから仕方がない。
「幸いにと言うか、言葉と文字だけは覚えているみたいなので、業務自体には支障はありません。数学に関しては連立方程式まではなんとか覚えましたので、クラブ活動の予算審議なども問題ないと思います」
ん? なんだか座って聞いている生徒たちの顔に? マークが浮かんでいる気がする。なぜだろう、先生たちもあ然としている。少しばかり話が重いかもしれないが仕方ない。もう時間がないからこのままいくことにしよう。
「と言う訳で、生徒会運営に関してはお任せ下さい。新たな施策などはまだ思いつきませんが、これから提案出来るようにしていきますので。ではよろしくお願いいたします。ご静聴いただきましてありがとうございました」
ふう、なんとか保ったぞ。ふらふらしながら板垣の横にある椅子に座り込む。あとは板垣の応援演説だけだ。それだけ聞いたら悪いが退席させてもらおう。もう少しの辛抱だ、相棒のために頑張れ俺。
『え、えと、笹井君ありがとうございました。続きましては笹井君の応援演説者、板垣君です。お願いします』
呼ばれた板垣は、俺の方を最初は不安そうに、そうしたあとは吹っ切ったよう大きくににかっと笑ってすっくと演台の前に立った。それから俺がしたように、演台の前に回ってマイクを使わないで演説を始めた。
「お、おあつまりのみ、み……すみません。……お集まりの皆さん、ここにいる笹井君は笹井君です! おかしい言い方かもしれませんが、まちがいないです。見てくれやしゃべり方、考え方や様子は全然前とはちがいますが、それでもぼくが断言します。ここにいるのは、笹井君です。笹井君なんです! ほかの誰でもありません、明るくって優しくってよく笑ってた、あの笹井君なんです。そうじゃなきゃ笹井君がかわいそうです。なんにも覚えてなくって、体も自由がきかなくって。だからぼくはこれから笹井君を支えます。今回は急なことでびっくりしちゃって応援演説しかできないけど、これからはずっと笹井君を支えていきます。だから皆さん、笹井君にやり直しを、ここにいるんだってことを作らせてあげてください。お願いします、お願いします!」
「おーい、笹井! 今なにしてるんだ? 今日は演劇部のリハじゃなかったのか、行かなくって大丈夫か?」
お前は俺の女房かなんかか? どうしてそんなに俺のスケジュールをいつも把握してるんだ。ある意味気色悪いぞ、板垣よ。
「ああ今行く。少しばかり脚本を手直ししていたところだ」
「ほう、今度の卒業記念公演のやつか? どうだ調子は」
いつもの様子と少し違う気がする。どうしたんだ板垣。お前はそんな心配キャラじゃないはずだぞ、まるで小学校の頃に戻ったようだ。
ふとあの頃の事が頭の中をよぎった。
そう言えばあの小学五年の選挙演説後、意識をなくした俺はこいつの応援演説を聞けなくて、えらく後悔したものだった。でもそれ以降、あんなに自信なさげだった板垣が、目を見張るように変わった。堂々として細かいことにうろたえること無く、いつも大きな声で存在感たっぷりになった。
だから俺は会長とかじゃなくて、こいつを支える副会長をするようになった。中学卒業後なぜだか高校も一緒になり、どんだけくされ縁だ? と思ったが、まあこいつがいたおかげで今の俺がいる、なんて気持ち悪いことを考えてしまった。やめておこう、俺のキャラじゃないからな。
もう少しで学大一高ともおさらばだ。今は俺の高校生活の集大成でもある、単独卒業公演を成功に持っていかなければならない。あの頃とは違ってもう倒れるようなこともなくなったし、沢山やりたいことも出来た。
俺は学食の定位置から立ち上がって、板垣に軽く手を上げて離れた。
そう言えばあいつなにしに来たんだ、飯を食うわけでもないのに。やっぱりあいつ俺に気が……いやいや俺はノンケだからな。許せよ、相棒。