弁当いかがっすか!
この小説は、時系列を無視して書かれています。作中の年齢などをお含みいただいてお読み下さい♪
「お~い、笹井! 今日はなにする日だ?」
いつも変わらずでかい声だ。少しは抑えろよ。
「今日はこっちだ」
俺は左手をへその下辺りで上に向かせ、右手は高く上げて軽くこぶしを握った。
「おう、仏像か。大変だな、そんなこともやってるのか」
誰が仏像やるって? どんなシチュエーションだそれは。
「お前なあ。バイトに決まってるだろ、バイトに」
「仏像のバイト? お前すげえなあ!」
おい。仏像から離れろ、板垣よ。
「違うよ、売り子だろ、どう考えても」
「そうか! まあ頑張れよ、アサシンに捕まらないようにな!」
こいつ、絶対わかっててやってるよな。大体俺がやってるバイト、お前が紹介したやつだぜ?
笹井修司、齢十七歳。俺はこれから、通っている学大一高で禁止されているバイトに行くところだった。
とかく学校というものは、生徒にあらゆる角度から規制をかけたがるものだ。買い食いしかり、異性交遊しかり、バイトしかり。
まあ俺は買い食いや女の子の尻をおっかけるより、部活や委員会活動が忙しかったし、いろいろ勉強できるからバイトする方が好きだ。けして彼女がいないからとか、もてないからとかじゃないからな。
バイトで稼いだ金はどう使うのかって?
それは決まってるじゃないか。本を買うか、映画に行くか、えっちいビデオをこそっと借りに行くかだろ、当然。あ、後は後輩たちに奢りまくるってのも大事な使い方だ。もちろん家にも月々いくらかは納めてはいる。無駄には使っていない。残らないだけだ。
学校を出て電車を乗り継いで、東京近県の球場に隣接する駅で降りた俺は、スロープ脇にある関係者以外立ち入り禁止のゲートに向かった。
今日の守衛さんは吉田さんか。
「お疲れさまでーす」
頭を軽く下げながらゲートを通り抜けようとすると、吉田さんから声がかかった。
「やあやあ、売り場の神様じゃないか。今日はなんの担当だい?」
「よして下さいよ、それ。たまたま売り上げがいいだけですって。今日は確か、グッズですかね」
「そうかいそうかい、がんばりすぎなさんなよ」
おとなしく頭を下げておく。
俺はこの球場でバイトしている連中や、今の守衛さんみたいな関係者から、一目置かれる存在だった。それは……
「お、笹井ちゃん! 良かったあ、待ってたのよお」
球場で働くバイトや従業員は、みんなこの建物を利用している。俺の勤めるバイト先はナルビルメンテナンスという会社で、球団公認の応援グッズや、弁当なんかを扱っている。
今声をかけてきたのが、俺たちナルビルバイトの管理者、主任の斉藤さんだ。斉藤さんは、いわゆる……あれだ。そう、あれ。
「斉藤さん、おはようございます。どうしたんすか?」
「笹井ちゃん、いつも早く来てくれるから助かるわあ! あ、おはようね♪ あのね、実はおべんとの売り上げがあんまり良くなくてね、少しだけでも笹井ちゃんに入ってもらいたいの。いい? だめ?」
しなを作りながら、一気にまくし立てる身長百八十越えのおっさん。濃すぎるって。
「今からっすか? たいして時間ないけど良いっすよ」
俺は基本何事も断らない性格だ。それだけに周りからは信頼されていた。高校でも、委員会に部活動や同好会から引く手あまたで、毎日が忙しい。しかも生徒会の副会長もやっていて、あの板垣勝頼が会長だったりする。生徒会役員自ら、校則違反のバイトって……どんな高校だ?
断らない、手を抜かないのはバイトでも同じだ。今日入る予定になってた、応援グッズの立ち売りの前に弁当売りをプラス。いつもの事だから別に驚きはしない。
更衣室で着替えて、キャップをかぶる。スイッチが入る瞬間だ。
斉藤さんが用意してくれた吊り紐とベンダー、腰当てを受け取る。ベンダーっていうのは、弁当やグッズなんかを積んで、球場内を練り歩く際に肩から吊す籠の事だ。ジュラルミン製で、ベンダーだけで三キロはゆうにある。
釣り銭用の袋を腰に巻き、空のベンダーを小脇に抱えて品出し倉庫に走る。品出しのおばちゃんに愛想を振りまき、残っている弁当の中から売れ筋と今の時間を考慮して、何を仕入れるか手早く考えて伝票に書き込む。
書き込んだ弁当の個数と、実際の弁当とを照らし合わせてベンダーに積み重ねていく。この積み方にも工夫があって、ただ積めばいいってわけじゃない。俺はおばちゃんに、
「サンプルの空き箱か写真パネル残ってる?」
と尋ねた。
「あるよ! そう言やあ今日は、だあれも持ってかなかったねえ!」
それじゃあ弁当も売れないわけだ。斉藤さんに言っといたんだけどな、売れる方法。
俺は仕入れた弁当を積んだベンダーを左の腰に当てて、忍者走りで客の間をすり抜けていく。
え、売れる方法や忍者走りってなにかが知りたいって? 仕方ない、教えて進ぜよう。何様だ?
まずベンダーの持ち方だ。そんなのはどうでも良いって? ちっとも良かない。素人さんが一番やりがちなのが、ベンダーを普通に首から担いで前で抱えてしまうやり方だ。
これじゃあ首、肩、腰をすぐに痛めるし、なにより安定しないんだ。腹の前で走るたびに跳ねてしまい、弁当が台無しになる。そこで、吊り紐を長めにしてたすき掛けにして、釣り銭用の袋と反対側の腰に当てる。この時に必ず腰当てもずらして、ベンダーが骨に当たらないようにすること。後になってからじみに痛いんだ、これが。
それから忍者走り。俺の編み出した奥義のひとつだ。
普通走る時にみんな、手を振って腰をひねりながら足を回転しやすいようにしてるはずだ。俺はあえて手を振らずに、左手はベンダーの弁当を上から抑えるようにして、右手は腰に当てて釣り銭袋を抑える。
そして腰はひねらず、足をまっすぐ前に交互に出す。太ももを上に上げるんじゃなくて、前に押し出す。上下動しないように、腰の位置をキープするんだ。
そうすると、滑すべるように滑なめらかに走れる。こうすると、弁当は崩れたり寄ったりしないし、人混みを避けるのも楽に出来る。
そして売り方だ。売れる方法はそれぞれ自分なりに考え、編み出した方法がある。でもこれがけっこうみんな適当で、いい加減なものが多いのが実状だ。
そこで、奥義の出番。
売れる奥義はいくつかあるが、まず最初は売れる場所を絨毯爆撃する、だ。
弁当が売れる場所は、時間によって変わる。当たり前のようだけど、これが案外難しい。
今日は平日金曜日のナイトゲーム。お客さんの入りは六割強で、三塁側はけっこう良い具合に席も埋まっている。当然売り子も張り切っている。
一方で一塁側は空席が目立ち、売り子の姿もまばら。
おれは迷わず一塁側に入った。
俺のバイト先であるこの球場、他の球場と大きく違う点がある。それはすり鉢状に建てられていて、一番上の席の外側から観客が下に降りていって、自分の席に着くというところ。
今はまだ試合開始一時間前、午後五時過ぎだから一塁側のお客さん、つまり敵チームの応援客はこれからまだ入ってくるはず。経験上間違いない。
そこで俺は二つ目の奥義を発動した。
キャップを後ろに回して、チームロゴを見えなくする。胸のロゴマークを用意していた弁当箱の空箱で隠して吊り紐で押さえつける。手には弁当の写真パネルを持って、一番上の席の外側のスロープと階段の間に立って思い切り息を吸った。そして演劇部で鍛えた声を使い、
「はい、お客様! こちらにありますレオポンズ弁当、三塁側で売れに売れてます! 一塁側のパイソンズファンのお客様、なんか悔しくないっすか? ここはひとつ、このレオポンズ弁当食べちゃって、レオポンズのあの応援団ごと喰らっちゃいましょう!」
と、三塁側まで届く声を張り上げた。
一瞬固まるスロープを歩くお客さん。階段席のお客さんは、何事かとこちらを振り仰ぐ。
ここでまた一発かますのが重要だ。
「ぼくは今、みなさん側の売り子です! こちらにいる限りみなさんとパイソンズの味方です。敵さんをこれ以上腹一杯にするこたあないっす! 敵さん側の腹を空かせてやりませんか?」
この口上二つは、芝居っ気たっぷりにやること。けして小さくまとまっては駄目だ。それだと逆効果になってしまう。
恥ずかしさはかなぐり捨てて、観客の気持ちを鷲づかみにするのがコツだ。
「さあさ、お弁当はいかがっすか?」
「おいあんちゃん、おもろいやんけ! わしが買うたるわ、なんぼや?」
「はいな、まいどあり! おにぎりは三個セットで五百円、レオポンズマーク入りのハンバーグ弁当が千円になります!」
そう言いながら心底嫌そうに顔をしかめる。
ここで胸に吊り紐で挟んだ弁当箱が活きてくる。わざと吊り紐でバチーン! と弾く。上手くいけばここで歓声と拍手がくるはず。
きたっ! 受けたぞ、こっからが勝負だ。
「ほならその敵さんマークを食って消したるわ! 二つよこしい」
「へい、おおきに!」
関西弁なんかしゃべれないのを、ノリと勢いで乗り切る。
「さあさ他の方! いかがでっか、こちらのお客様に乗っかりまっしょい!」
ここまできたら後はなんでも良い。俺は役者、おどけ役。楽しく可笑しく。
「あんちゃん、あんたおもろいわあ! ついつい買うてしもたやんかあ、これでパイソンズ勝たなんだらどないしてくれるの?」
さっきのおっさんとは別のおばちゃんたちに囲まれ、内心冷や汗もんだがおくびにも出さず、妙ちくりんな言葉でやり過ごす。
「そりゃお客様、大丈夫でっせ任しときいな! おいらは嘘つかないよってにい!」
ふう。こんな感じの売り口上をスロープで数カ所、階段降りてブルペン近くでもやる。この頃には俺の声を聞きつけ、行った先で人だかりが出来る。こうなればしめたもんだ。
途中で弁当を補充する。その際には、わざわざ品出しのおばちゃんのところには行かない。一塁側スロープ横の売店で補充してしまう。本当は駄目なんだけど、俺は例外。なぜなら、売店に置いてても売れないからだ。俺なら間違いなく捌く自信がある。
こうして素早く弁当を補充して売ること三十分間。試合開始前には終わらすこと。これは絶対だ。
どうしてかって? 考えてみてほしい。試合が始まる前の両チームが練習している時は、選手の姿を肴に弁当を食べる箸が進むもんだ。それが試合が始まると、それどころじゃなくなる。試合に集中してしまい弁当を食べてる場合ではなくなるからだ。
これが弁当売りの極意。この三十分で俺の日当は、時給と売り上げ個数によるプラス、さらにはまだヒーヒー言って売っている人たちの三、四倍は稼いでるので、報奨金が二倍。たぶん八千円くらいにはなるだろう。
まさに天職!? そんなことを思ってニヤニヤしながら三塁側に移る。
さあ、こっからはレオポンズ応援団になりきって、応援グッズの立ち売りにスライドだ。今日だけでおそらく軽く一万五千円はくだらないだろう、
よし、後で今まで観たこともないすんごいえっちいのを借りよう。タイトルは大事だが、騙されてはいけない。裏の写真も信用ならない。
自分を信じるんだ。考えるな、感じろだ。