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俺と先生。

「せんぱい~、ささいせんぱい~? 役柄が気にくわん! とか言い出して持ち出した脚本の手直しが伸ばし伸ばしになってて、部員一同練習できずに困ってるの知ってて、逃げ回ってるささいせんぱい~? いい加減手直し終わりましたかあ?」


 いきなり俺のいる教室にやってきて、心臓に悪い話を大声、いや、よく通る声で噛まずに捲し立てるように伝える後輩。どんだけ肝が据わってるんだ?


「そ、そのような名前の人はこの教室にはおりませんが? もう授業が始まりますですので、お、お引き取りいただけますかな、そこなお嬢ちゃみゃ? げふげふ」


 真顔で真面目に俺は答えた(つもりだ)。そんな薄情な先輩は見たことないもんな、うん、ないない。いないない。


「せんぱい~、なにをしどろもどろに言い訳してるんですかあ、今はお昼時間ですし。もしもし~? あなたですよ、そこの()()()、ささいせんぱい~!」


 お願いだから指差ししながら、芝居口調で詰め寄らないでもらえますか? そんなにずかずか来られますと恐いですし、近過ぎてふんわりとその、なんとも言えない妖しげな香りにこう、鼻孔が刺激を……


「笹井、おい笹井よ。この見目麗しい美少女はお前の後輩さんか? なぜにこの俺に紹介してくれなんだ」


 指を突きつける後輩――ああ認めますとも、俺が在籍するいくつもの委員会や部活のひとつ。そう、演劇部の一年生でやたら度胸のいい見た目美少女、性格残念なこいつ。


「や、それはすまなんだ。では改めて紹介しよう、こちらは水野茜(みずのあかね)嬢だ。水野、こっちの奴は……知ってるよな、我が校のカリスマ生徒会長であらせられる、板垣勝頼様だ。ではお二人、仲良うしなはれっ」


 俺は脱兎の如く、この場からおさらばした。演劇部らしく、芝居っ気たっぷりに。


 

 学校の屋上はかなり広く、晴れた日はよく文科系の部活があちらこちらで活動している。今はお昼だから、そこここで弁当を食っている生徒や、ぴったりくっついて手をつなぎ合ってるカップルなんかがいた。見ない見ない。気になんかならないぞ、けして。


 俺はさっき板垣が見せた、呆けたような顔を思い出しながら一人空を眺めた。


 もう少しで午後の授業が始まる頃合いになっていたが、俺は慌てない。


 元々変わり者で通っている俺は先生方から、授業の出席態度やテストの成績での評価は度外視されている感があったから、なんとかなるだろう。このまま空を眺めていようかな。


 

 数学のかさバアはよく俺に、補習だと言って授業に関係ないことを聞いてきたり、教えてくれる。テスト用紙の裏に書いた『美味しい味噌汁の作り方』をいたく気に入ったようで、いろんな料理のことをレポートに書かされたりした。それとたまに数理? 定理? の公式などを持ってきては、俺にそれを見ての感想を聞いてきたりもする。思いついたことを書いて渡すと、かさバアが年甲斐もなく喜んでくれるのが嬉しかった。


 こないだ生物のアラタちゃんが、俺が授業のプリント裏に書いた『古生代前期カンブリア紀における、特異な生物体系とその多様性』と題した落書きを、目の色を変えて奪っていったりもしたっけ。学説が覆されたとかなんとか、興奮して叫びながら走って行ったのには正直面食らった。


 長い時間をかけて、研究されてきた学者さんからしたら冗談にも程がある! と思われるだろうが、先生が喜んでくれた上に、点をくれるのだから俺にとっても悪い話ではない。俺自身も普通の勉強をやるよりは楽しいし、なによりもそれで自分に必要な時間が作れるのが大きい。


 そうして俺は、生徒会やいくつもの委員会や部活、バイトを掛け持ちしたりできている。そんな部活の中の一つである演劇部。けっこう思い入れもある部活なのだが、今取り組んでいる脚本の手直しは難題だった。


 元々小劇団が上演していた脚本を部の顧問が、三年でもうすぐ引退する俺のために書き直してくれたものだった。なかなかによくまとまった物に仕上がっていたが、俺には納得いかない点が二つあった。


 一つは主人公の役が、半端ないくらい長寿のじいさんだということ。もう一つはそのじいさんが、神様だって設定に置き換えられていたことだった。


 顧問のにしむ~こと西村先生は、俺のキャラクターに寄せて手直しをしたんだそうだ。おいおい、誰が年寄りだ。俺は高校三年の十八歳、生き直しからだとまだ七歳だぞ? ピチピチの小学一年生をつかまえて、年寄りの神様役とはこれいかに。

 猛抗議の結果、主演である俺自身がやりたいようにしたらいいと言われた。だからこうして今、逃げ回る結果になったという訳なのだ。



 空にはぽっかりぽっかりと、冬にはよく見られるような鉛色の雲ではない積雲が浮かんでいた。風があまりないせいか、屋上にいてもそんなに寒く感じないでいられるのがありがたい。のんびりとそんな雲を眺めていたんだが、校庭の方から俺を呼ぶ声が聞こえた。


「おーい、笹井。なにをそんな所で感傷にひたっている! せっかくの陽気、巡見(じゅんけん)にいくぞー。巡見、巡見!」


 あちゃあ、見つかってしまったか。しかもあの堂々たる立ち姿は、社会科の佐分利先生だ。結構な年の割にやたら元気で、今日みたいな天気の日には巡見と称して、武蔵野の自然を実際に巡って野外授業を行うという、かなり風変わりな先生だ。仕方ない、行かない訳にはいくまい。


 階段を降りて校庭に行くと、そこにはなぜか板垣に懐いているかのような、水野が一緒にいた。おいおい、一年生のお前がここにいて言い訳はないだろう。どういうこっちゃ。


「み、水野。お前がなんでここに当たり前のようにいて、なおかつ蝉が木にしがみつくかのようにして板垣にくっついてるんだ?」


「え~、だってささいせんぱい、言ったじゃないですかあ、自分で。お二人仲良くしろってねえ~、かっちゃん♪」


 かっちゃんて誰だ、かっちゃんって。おい板垣よ、なにをそんなに相好を崩しているんだ。かなり気持ちの悪い顔になってるぞ?


「笹井、感謝するぞ! お前がすっ飛んで逃げた後に、こうしてあかねちゃんと意気投合してな。こういうのを相思相愛と言うのか、はたまた前世からのめぐり合わせだろうか? 離れがたくてな。幸い先生はあまり細かいことを気にされる方ではないし、それなら一緒に巡見に参加することにしようと。楽しみだな、あかねちゃん♡」


 うん、かなり気持ち悪い。その後も二人して、語尾にあまーい記号をくっつけながらイチャイチャするのを横目に、俺は佐分利先生が案内する一行に離れないようにしながら歩いた。


 巡見はいつも、うちの高校がある武蔵野の隠れた名所や史跡なんかを徒歩で巡るもので、当然そこに行くまでも徒歩である。たいていは近場だが、今日は確か二時限連続授業の日。遠出確定だな。


 さすがに今でこそ、体力的に問題ないくらいにはなっている俺だが、身長だけはいかんともしがたい。 事故後の影響なのか俺の身長は、退院後の療養生活が明けてからは一センチたりとも伸びることはなかった。まあ、その事故から小学校に復学するまでの半年弱で、四十センチ以上も伸びたんだから、それも致し方のないことなのだろう。

 それにしても、事故前の俺はどんだけマイクローンだったんだ、小学五年生で百十センチにも満たなかったとは……



「よし、着いた! ここはな、今はもう知る人もなくなってしまったがな、不老長寿や生命賛歌を謳う神を祭っているんだ」


 なんとか追いついた俺を待っていたかのように、佐分利先生が落ち着いたしゃがれ声でそう言った。


 先生の言うようにあまり、いや、まったく人気の無いこの場所には、かろうじて参道と分かる苔生した石畳と、けして立派とは言えないくらいに変色? 腐食してしまいようやく立っている小さな鳥居があった。

 その先には、少しだけ開けた雑草だらけの境内と、ここまでの様子からして想像できないほどしっかりとした造築の、荘厳で時の重さを感じさせる本殿が建っていた。

 佐分利先生の声も同じくらい、この苔むした空間に響いた。


「お前さんたちはこれから、与えられた学びの舎から巣立っていくことになる。若干一名、まだ先の雛もいるがな」


 ここで佐分利先生はその年風貌に似合わないウィンクを、一年の水野に向けてしてみせた。水野よ、どうしたお前らしくないじゃないか。えらく神妙? な顔になってるぞ。


「義務教育とされているのは中学までだが、神代の昔から幾千年。あと十数年もすれば新世紀になるこの日本国においては、高等教育機関である高校も義務教育みたいなもんだ」


 水野だけではなく、今ではみんなが聴き入っていた。俺もそうだ。

 神代の昔と結びつけるあたり、この場所にぴったりだ。そこまで狙っての話と思われる、おそらく何回となく繰り返されただろう、この光景。


「お前らの前にはな、ここまで歩いてきたのと同じような道が、数えきれんほどに存在していると思え。その道は歩きやすいよう舗装されているかも知れん。下生えに足を取られ、歩きにくいこともあろう。いくつも分岐し、どの道をたどれば良いか時には分からなくなり、不安になる日の方が多い。それこそが人生だ」


 もしかしたら、綺麗にされているこの本殿は、佐分利先生が掃除されているのかもしれない。今度、中西に聞いてみよう。


「人生とは、なかなか思うようにいかないものだ。むしろ苦難の連続で、へこたれてしまうことも多かろう。そんな時にはな、こう思うようにしてみると案外楽になるもんだ。『いずれ必ず朽ちる身なれば、なにをかなすともなさずとも、ようよう変わることもなし。ただ抗い、流さるる。それで良し、それが良し』、つまりは足掻いたり、諦めたりしているいちに人生なんてもんは、あっという間に過ぎていく。そんなもんだから、あんまり深く思い詰めんでも大丈夫だとな」


 なんだか良い話を聞けていたようで、そうでもないような感じに……つまるところ、死生命有り、富貴天に在りってことか? ちと違うか。



 この後、佐分利先生の話がしばらく続いた。学校に戻りようやく開放されたと思いきや、今回の巡見に対して出された所感文書きの宿題に、ほとんどの生徒が悩む羽目になった(一年生である水野にも、同じ宿題が課されたそうな)のは言うまでもない。俺はこの所感文を、家に帰ってから翌日の登校時までに作成し終わって、朝イチで教員室に持っていった。


「佐分利先生、おはようございます。朝からお邪魔してしまい、申し訳ありません」


 先生は自分で淹れたのだろう、かなり濃いめの煎茶をすすろうとしていたところだった。一口ズズッとやって、直截的に尋ねてくる。


「おお笹井、やはり来たか! お前なら必ず朝一番で持ってくると思っとった」


 机の上に広げた新聞を無造作に折りたたみ、鼻眼鏡を目の位置まで持ち上げる。俺は学生鞄のファスナーを開いて、中から分厚い大きめの茶封筒を、その机に差し置く。


「ほうー、これはまた大層な量ときたもんだ……複写した方が良いか?」


「実は、地域資料館に提出することになっておりましたものを、手直ししまして此度の巡見の所感として、提出することに致しました。あちらには別のを既に書き終えてはおりますが、出来ますれば保管の為、原本はお返し願いたく存じます」


 深く腰を折ったせいで、佐分利先生の表情は分からなかった。姿勢を戻すとなにかしら感じ取ったのか、先生が原本を複写機に持っていきながら、複雑な顔付きをしていた。


「笹井。気軽にそんな貴重な文献を手直しってなあ……まあいい。ほい、原本だ。では心して拝読つかまつらん」


 そう言ってから五、六分は経っただろうか。何度も読み戻りながら、一言も先生は口を開くことはなかった。そうして先生がゆっくりと、真顔で俺に向かって言ったのは、放課後に話をしたいので再び教員室に来てほしいと言うことだった。

 学校の先生には、本当にお世話になった。何人もの先生に迷惑をかけ、影響を受け、今に至っている。当然ながらこの連載に登場する人物たちは、フィクションなので実在している訳ではないが、実際にはもっと強烈で個性的な先生方ばっかりで、とても私の稚拙な文章では表しきれない。

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