プロローグ1-6 二人のぬくもり
それは突然だった。
「いっ!?」
哀歌が頭を押さえてうずくまる。
「哀歌?」
深夜の目の前でまるで頭痛に襲われたかのように苦しむ哀歌。いや、少女は確かに頭痛に襲われていた。まるで何本もの鉄芯が頭蓋を貫くかのような痛みに襲われていたのだ。よたよたと不自然な足取りで深夜との距離をとる。
「やだ…もう、戦いたくないの…もうこないで、お願い…だから…」
まるでここにいない誰かと話しているかのような彼女は、もはや立つことすらかなわずその場に崩れ落ち、痛み悶えている。深夜は予想外の事態についていくことができない。
「だ…大丈夫?」
「来ないで!」
深夜は慌てて近寄ろうとするがそれを近づくなとばかりに哀歌は手で制する。
「い…た…だ、大丈夫…ただの発作だから…」
そう口では言うものの顔面蒼白の哀歌はどう見ても大丈夫なようには見えない。それでもなんとか作り笑顔を向ける哀歌に深夜は近づくことができなくなってしまう。異能者としての本能が、愛する人を前にして近づくなと、危険だと告げているのだ。しかし、当然ながら深夜は大丈夫だという哀歌の言葉を信じられるわけがなかった。
「本当に大丈夫なの!?」
「もう話しかけないで!」
深夜に言ったのか、いや違う。深夜はハタと気づいた。異変は哀歌の剣呪によって生み出された炎の影だった。深夜の影、そして哀歌の影、そしてもう一つ。どこからともなく伸びてきた人影が哀歌の影につながっている。それはまるで影の頭の部分に流れ込んでいるかのようにうねっていた。目には見えず、しかしその存在そのものは消せない何かが起こっているのだ。深夜は哀歌に流れ込む影のそのもう一方に目を凝らす。
「影があるってことは、そこに何かいるってことだよな…」
暗がりで影のもとまでは見通すことができない。しかしその先に、哀歌を襲っている「何か」がいるのだ。恐らくそれは彼女に何かを語り掛け、暴走させている何かだ。深夜は持っていた刀の鯉口を切り、いつでも抜けることを確かめるとその「何か」がいる先へ恐る恐るに近づこうとする。しかし、それを阻んだのはほかでもない「何か」に苦しめられている哀歌自身だった。弱弱しく震える手が深夜の学生服の裾をつかみ、そして離さない。
「哀歌!?」
「…いっちゃ、ダメ。深夜じゃ絶対に殺されちゃう…」
「そ、そんな…。でも…」
深夜は哀歌と影の先、双方に目をやり、そしてそれでも影のほうに行こうとする。
「ダメっ!」
「でもっ!『あれ』を何とかしないと哀歌が…」
「だから、私は大丈夫だって…」
「そんなの嘘だろ!?」
必死の形相で進もうとする少年に哀歌は悲しげに苦笑した。優しい少年だ。そして素直に好きだと思った。だがそれは言うまい。私はもうすぐ消えるのだ。深夜には未練なく生きてほしい。
哀歌は、焼き付けるように深夜を見つめるとスッと服から手を放した。急にバランスを崩した少年は「ウベッ」とカエルのような声を上げながらうつぶせに倒れる。痛みで起き上がることができない深夜に哀歌は覆いかぶさるように抱き着く。
「ヒッ!?あ、哀歌…」
「じっとして」
さっきまで心配していたくせに随分興奮しているじゃないかと、少し不満に思ったがそれを怒るような体力もない。哀歌はそのまま目をつむり体全体で深夜の体温を感じた。深く息を吸い、体の中までそのぬくもりを感じる。そうしていると、もう何が起きても怖くないような気がした。
「…」
そんな哀歌に、少年も何かを感じ取ったのかなされるままになっている。得体のしれない脅威がすぐそこまで迫っている。しかし、そんな二人の慈しみはまるで永遠にも思えるのだった。