第三章-11 火に巻かれるか煙に巻かれるか
「くっ、こしゃくなっ!」
炎にまかれながら鋸刺鮭は怨嗟の声を上げた。一瞬にして逆転された。それを悟れないほど鋸刺鮭は愚鈍ではなかった。
目の前が一気に火に覆われる。アイシャの紙吹雪を一気に引火させた深夜の仕掛けは実際のところは焚火が風に舞い上がった程度でしかなかったものの鋸刺鮭にはあたかも周囲が火に包まれたかのような錯覚を引き起こしていた。
舞い散る炎が鋸刺鮭の肌を焼く。自分自身や配下の死神装束たちに装備させているローブには飾りではない。戦いのために多少の耐火性が備わっている。なので引火して火に巻かれるような惨事は避けられるが、それでも顔や袖の部分から容赦なく火の粉が流れ込んでくる。
「うぎゃぁ!?」
「あ、あついっ!」
彼方此方の死神装束たちも悲鳴を上げているようだが、まあ大事は至るまい。
完全に予想外だ。剣呪は剣や槍といった得物に呪いという形で超常の力を付与し、それを使うというワンクッションを踏む。その都合、遠距離攻撃にはめっぽう弱い。もちろん深夜が機転を利かせて短剣を亜音速で打ち出したように遠くの敵を攻撃することは不可能ではないものの、基本的に魔法の杖を振って魔法をばかすか打つみたいなことはできない。それゆえに配下を伴って距離を取りつつ追い詰める作戦を採用したのだが
「なかなか一筋縄ではいかない相手のようですねぇ……」
……結果はこのざまだ。元から眼中にない、というか『ターゲット』ではなかったがどうして邪魔してくれる。そう鋸刺鮭が歯噛みする目前で徐々に火が落ち着いてきた。時間にすれば数十秒程度だったろうか、視界が開けたら必ず始末してやる。鋸刺鮭はそう心に誓ったのだが……
「に、逃げられたようですねぇ」
火の消えた住宅街に残されていたのは鋸刺鮭と火にあおられ倒れ伏す死神装束たち。そこに深夜たちの姿はなかった。どうやら今の炎で自分たちが慌てふためいている間にどこへともなく消え去ったらしい。鋸刺鮭は天を仰いだ。
「ただの目くらましだったというわけですか」
随分な機転の利き方だ。これで深夜たちが居残って立ち向かってくれれば確実に制することができただろうが……どうやら自分は相当手ごわい相手と対峙してしまったらしい。徒手空拳でも咄嗟に一撃お見舞いできるだけの能力、無言の支援を最大限活用できるシナジーを発揮する応用力、そして彼我の戦力差を見極め撤退できる戦略性。どれも実戦を積んできたものにしかなしえないことだ。
と、そこまで考えたところで遠くから消防のサイレンの音が近づいてくるのが聞こえた。どうやら今の紙吹雪が燃えたのを火事だと勘違いして通報した人間がいたらしい。これでは深夜たちを追うこともままならない。大人数でぞろぞろ歩いていたらそれこそ怪しまれることこの上ない。鋸刺鮭は死神装束たちに退却を命じた。すると死神装束たちはほどなくしてどこへともなく消えていった。
「私も消えましょうか」
それを見届けると鋸刺鮭も移動を開始する。騒ぎが収まるまでは静かにしていよう。そして次の瞬間、鋸刺鮭の姿は忽然と消えていた。
消防や警察が到着することには当事者たちは霞のように消え、出荷の通報が勘違いだったのだろうと結論付けられるまで長い時間はかからなかった。
そして時を同じくして……
「大吾!教えてくれ、お前はいったい何に巻き込まれたんだ!……『異能バトル』っていったいなんなんだ」
「……」
まんまと逃げおおせた深夜は救出した大吾に事の真相を問い詰めていたのだった。