第一章-6 傷と確執
「ここで降ろしてくれ」
黒浦が運転するパトカーで数十分、後部座席で救護を担う婦警の治療を受けながら揺られていた深夜は車が横浜駅周辺を通り過ぎ、武蔵小杉あたりまで来たところ。そんなところで声を上げた。アイシャは同じく後部座席の反対側で意識を失ったままだ。もう一人、救護を担う婦警はどちらかの容体が悪化してもよいように挟まれるように真ん中にいる。
「もっと先だろ?家まで連れてってやるぞ」
親切心からか、厳つい顔に驚きを隠せない黒浦に深夜は笑う。
「家にパトカーが来たら『両親』がびっくりするだろ」
その含みのある言い方に何か感づいた黒浦が苦い顔をする。
「…本当の親御さんには何も連絡を取ってないのか」
そういわれると深夜は車の窓から遠い景色をみやる。
「特に何も」
「心配してるんじゃないか」
深夜は鼻を鳴らした。
「…まあ、お尋ね者だからな。俺」
そう自嘲する深夜に黒浦はそれ以上なにもいうことができない。その代わりに出たのは救護の治療の確認だった。
「三島、どうだ。もう大丈夫か」
話の途中も治療を続けていた三島と呼ばれた婦警が顔を上げる。
「三ヶ月君のほうは問題ありません。後は木崎さんだけですが…まあ気を失っているだけです。」
深夜は頭を下げた。
「すんません」
結局、「ピラニア」の手によって吹き飛ばされたアイシャは気を失っていただけだった。目立った外傷もないアイシャは治療の後回しになっていたのだった。
「仕事ですから」
気にするな、とその婦警は無機質に返す。三島由加里、28歳。今でこそどこにでもいるような婦人警官の制服に身を包んでいるもののその正体は警視庁異能管理局付きの異能者で、数少ない実戦に投入できる救護だ。その性格と美貌も相まって「鉄仮面の天使」と呼ばれる彼女は…数少ない旧八句郡の事件の生き残りでもある。
「そうか…じゃあ二人とも大丈夫なんだな」
やり取りを見ていた黒浦が割って入る。三島がそれにうなずく。
「ええ、木崎さんも時間がたてば目を覚ますかと。場合によっては神経治療するのもやぶさかではありませんが」
神経治療-読んで字のごとく、人間の神経系に作用する異能だ…が、同時に救護系では最も難しい術だともいわれる。どんな手練れの異能でも意識不明の重体でもなければ使用しない。そんな施術を何の気になしに提案できるこの女に深夜は得体のしれない実力差を感じる。それを聞いていた黒浦が頷く。
「そうだな…このまま帰れないとなると家でも騒ぎになりかねんからな…」
そう神経治療を指示しあようとしたそのとき、別の声がそれを遮った。
「私はもう平気よ」
それは目を覚ましたアイシャだった。
「「「アイシャ!?」」」
驚きの声が三人分こだまする。その驚きの余り硬直する三人の中で最初に動き出したのは場慣れしている黒浦と三島だった。
「アイシャちゃん、もう大丈夫なのかい…?」
「治療はともかく、検査は必要かと…」
そういう二人をアイシャは満面の笑顔で
「もう必要ないわ」
そういってはねのけた。
「さ、降ろしてちょうだい?」
笑顔で圧力をかけるアイシャを黒浦は困った顔でじっと見つめていたが、結局折れたのは黒浦だった。
「わかったよ。大丈夫っていうなら大丈夫なんだろ…」
「救出してくれたことは感謝するわ」
形ばかりの礼を受けた黒浦が目を反らす。
「…嫌われたもんだな」
「さ、ここで十分よ…深夜、行くわよ?」
そうぼそっと言う黒浦を無視してアイシャは運転中の車の扉を開けた。焦った黒浦が急ブレーキをかける。
「はい、ありがと」
そういうや否やアイシャは車から飛び出した。
「お、おい待てよ!」
深夜もそれをおうように車から飛び出す。黒浦と三島はパトカーの中から暫く二人を見つめていたが、すぐにパトカーで去っていった
「アイシャ!?」
アイシャの異能管理局嫌いは深夜が初めて会った時からずっとこんな感じだ。「いったいなんであんな風にするんだ…」とそう聞こうとする深夜の唇をアイシャは右手の人差し指でふさいだ。
「詮索はしない、そういう約束でしょ?私たちは。」
そういわれた深夜が言葉を飲み込む。深夜はこの二人の間に何があったかは知らないし、聞いたこともない。それは二人が偽りの兄妹として生きる上で定めた約束だった。
「わかったよ」
「よろしい」
そういうと二人は歩き出した。