困ったように、嬉しそうに
以前、違う設定で書いたもののリメイクです。
いろいろおかしな点があるかもしれませんが、あまり見直していないので基本スルーでお願いします。
※12/2続編執筆に伴い、設定を変更
『彼女』:シス課→所轄のノンキャリア
『彼』:秘書室長→本庁のキャリア官僚
「……ん?」
「……え?」
「なんだ、誰かと思ったら碓氷じゃないか。こんな所で逢うなんて縁があるな」
羽田空港のロビーで声をかけられ振り向くと、そこには本庁のキャリア官僚である緒方がいた。
(え、なんで緒方さんがここに?見た感じ出張っぽいけど……あれ、キャリアも出張なんてあるのかな?)
もしかしたら広域捜査での出張か何かかと周囲を見渡してみるが、既に顔なじみとなっている彼の部下は誰一人として同行しておらず、またそれらしい同行者の姿も見当たらない。
同行者がいないなら、広域捜査での出張という線は怪しくなってくる。
かといってビシッとスーツで決めたいかにも『お仕事中です』と言わんばかりのその姿から、プライベートでの旅行という線も考えにくい。
ゆっくりと歩み寄ってきた緒方は、不思議そうに首を傾げる彼女の疑問に気付いたらしく、「上の命令で、研修にな」と簡単に説明を加えた。
「碓氷はどうなんだ?お前は強行犯係とは言ってもその実内部作業班だろう?いかにも着慣れてなさそうなスーツにヒール、ってことは仕事絡みなんだろうが……所轄のお前が出張なんて珍しいどころじゃないだろうに」
内部作業班って、と彼女……碓氷香織は間接的な上司にあたる男の表現に苦笑する。
(ま、確かにメインは書類作りだし、滅多に現場に出ないのは事実だけど)
強行犯係というのは強盗や傷害、殺人などの捜査を扱う所謂刑事ドラマなどで最も取り上げられやすい花形部署である。
ただその分、あれやこれやと慌しく複数の事件を取り扱うことが多いため、どうしても上に提出する書類がおろそかになりがちだ。
そういった書類関係を一手に引き受け、もし本庁や他の所轄と連携することがあれば、その連絡係として率先して動くのが香織の仕事だ。
そのため彼女は、所轄の内勤としては珍しいくらいに顔が広い。
「私も上の命令で研修に行くところです。今回はちょっと特殊ケースみたいで、断れなかったそうなんですよ」
「そうか。お互い、宮仕えは辛いな。……おっと、そろそろ行かないと」
じゃあまたな、と踵を返す緒方。
その斜め後ろから香織も追随するように同じ方向へ向かって歩き始める。
そのことに気付いた緒方はふと振り返り、先程の香織と同じ様に首を傾げてみせた。
『行き先が同じなのか?』と視線で問いかけられ、香織は「同じみたいですね」と応えて頷く。
「私が今回研修に行くのは石川県警なんです。緒方さんは?」
「余程縁があるらしい……俺もそうなんだ」
今回、石川県警のたっての希望により『県境を越える広域捜査について』と『年末の特別警戒に関して』という二種類の研修が行われることになり、警視庁とその管轄下にある所轄署からそれぞれ講師役が呼ばれることとなった。
広域捜査の講師は言うまでもなく本庁広域捜査課長である緒方が務め、特別警戒関係は香織の直接の上司である田崎が講師を引き受けた。
香織は田崎の研修助手として「行って来い」と刑事課長に派遣されたクチであるが、講師ではないので旅費は全て自腹である。
「もしかして席も近かったりしてな?」
「さあ、それはどうでしょう?こちらのチケットは警務課に手配を頼んでありますし、そちらは本庁の総務でしょう?可能性は低いですが、まぁゼロではないですね」
「だったら願ってもないんだがな」
「……はい?」
さらりと真顔で意味深な発言をされ、香織はきょとんと眼鏡の奥の瞳を見開く。
緒方率いる本庁の広域捜査課とは、実はたびたび現場がかちあって何度か連絡を取り合うことがあった。
そのうちに意外と気さくだった広域捜査課のメンバー達とたまに話すようになり、連絡先を交換し合うまでになり、そして課長である緒方とも話をする機会がちょっとだけ増えた。
だが他のメンバーに比べて仲が良いというわけでもなかったし、彼は時折こんなからかうようなことを言ってはくるが、それが本気なのか冗談なのかも彼女には判断できずにいる。
緒方自身もそんな彼女の反応を面白がっているふしが見られるだけに、改めて彼は大人なんだと思わされてしまうくらいだ。
(天然なんだか計算なんだか…………ずるいなぁ)
惑わす方がずるいのか、惑わされる方が悪いのか。
彼に惹かれる気持ちを綺麗に押し隠しているつもりでも、それすら見透かされているのではないかと勘ぐってしまう。
手荷物検査のゲートを通り、更に奥へ。
もともと雄弁な方ではない香織は黙って先を急ぎ、緒方も何も言わず隣に並んで歩いている。
本当ならもっと先を行っていてもいいはずの緒方は、しかし彼女の隣を離れることはない。
スピードをあわせてもらっている、それを意識すると気恥ずかしくて仕方が無いのだが、微妙にスピードを変えても彼はそれについてくる。
その身のこなしはさすがはキャリア官僚と感心すべきか、そこまでしてあわせなきゃいけないのかと問いただすべきかと迷った挙句
「……飲み物買ってきます」
と、ちょうど進行方向にあった自動販売機を指差して、気恥ずかしい状況からの脱出を図った。
緒方は足を止め、何を言うべきかという顔で香織を見下ろす。
だが結局引き止める言葉も思い浮かばなかったのか、「じゃあ俺にもコーヒーを頼む」と告げて搭乗カウンタの方へ去っていった。
それから10分後、搭乗カウンタが開いた
次々と立ち上がりカウンタを通過していく人の波を眺めながら、香織は中々立ち上がろうとしない。
ほぼ全員が通過し、立っているのはCAだけという頃になって漸く彼女は立ち上がり、チケットを機械にかざして飛行機へと続く通路に一歩踏み出した。
「…………どうした、随分遅かったが具合でも悪いのか?」
「緒方さん……まさか」
「ああ、その『まさか』だ。到着するまでよろしく頼む」
「はぁ……こちらこそ」
飛行機の座席まで隣、となるともう気恥ずかしいとは言っていられない。
幸いというか不幸というか、今の彼女に『緒方課長の隣』という状況を深く考えるだけの余裕はなかった。
(飛行機か………憂鬱だなぁ)
彼女は飛行機が苦手だった。
これまで何度か遠方に出かけてはいるが、目的地が国内であった場合はどんなに時間がかかっても車か電車で行くことにしている。
今回の目的地である石川県にも、電車を乗り継いで行っていた。
だが今回ばかりは私用ではなく公用だ、自分のわがままが通じるわけもなく否応無く飛行機の予約をされてしまった。
扉が閉まり、CAの挨拶が流れる。
目の前のディスプレイには前方のライブ映像が映り、シートベルト着用のランプが点灯する。
ゆっくりと機体が向きを変え、滑走路をそろそろと動き出す。
次第に身体に重力がかかりはじめると、香織は堪らず緒方の服の袖をぎゅっと掴んだ。
「……碓氷……?」
「す、みません……ちょっとだけ……いいですか」
「…………もしかして飛行機嫌いか?」
「嫌い、ではないです。少し苦手なだけで……」
少し、と彼女は口にしたが
緒方が見る限り、香織の顔面は蒼白を通り越して白かった。
これはかなり苦手なのだろうと判断した彼は、袖を掴んでいた彼女の手をやんわりとはずし
「同じ掴むならこっちにしておけ」
と自分の手の上にそっと重ねた。
通常の精神状態であったなら慌てて手を放していただろう香織も、この異常事態では何かに縋りたくて仕方が無いらしく素直にぎゅっと手を握り締める。
その可愛らしい仕草に、緒方は困ったように……しかしどこか嬉しそうな笑みを浮かべた。
「おっ、緒方さん……浮いてます、浮いてます」
「ああ、浮いてるな」
「鉄の塊が空を飛んでる、んですよ、ね?」
「大丈夫だ。ちゃんとエンジンは動いてるし、パイロットもいる。……というか碓氷、お前理系だったよな?なのに飛行機の性能を信じられないのか?」
「り、理屈ではわかってるんです、けど……わ、また揺れた……っ」
「お前な……さっき気流の関係で揺れると言ってただろうが」
仕方の無いやつだと苦笑しながらも、彼はいちいち香織の呟きに返してやっている。
固く握り締められた手は汗ばんでいて、それだけ彼女が緊張しているのがよくわかる。
緒方はふと思い立ち視線を上げると、シートベルトの着用を義務付けるランプが消灯しているのを確認し、握っていた手をやんわりと放した。
そして反射的に縋るような目を向けてくる香織に覆いかぶさるようにしてシートベルトを外すと、座席に背を戻しがてら彼女の頭をそっと自分の胸に引き寄せた。
『心臓の鼓動は人の心を落ち着ける作用を持つ』
生まれる前に母親の胎内で育まれた記憶が残っているのか、パニックになった人ほどその効果はめざましいのだと聞いたことがある。
香織はさすがに驚いて抵抗を示したものの、直接伝わってくる体温と心音に徐々に落ち着きを取り戻したのか、ゆるりと瞳を閉じて体の力を抜く。
「大丈夫だ、俺がここにいる」
深みのある低音が、触れ合った部分から彼女に染み入る。
結局そのまま、着陸間際にシートベルト着用サインが点灯するまでの間、彼女は緒方に凭れた格好で無事小松空港へと降り立ったのだった。
「………すみませんでした……」
「ん、なんで謝る?俺には役得だったんだが」
「緒方さんは冗談のつもりでも、大概にしないと誤解受けますよ?」
「冗談を言っているつもりはないんだがな……」
迎えに来ていた車の後部座席で言葉を交わす二人を、運転席の石川県警職員が興味津々といった視線でミラー越しに見つめてくる。
その視線を居心地悪く感じた香織が距離を置こうとするが、緒方は何を思ったかぴったりとくっついて離れない。
(誤解されたら緒方さんだって困るはずなのに)
彼に今決まった人がいないらしいことは同じ広域捜査課の面々から噂で聞いてはいるが、彼に想いを寄せる女性はそれこそ数え切れないほどいることも知っている。
その代表格が、捜査一課所属の美人刑事であることも。
チケットを手配してくれた総務課の女性の中に、緒方を密かに想っている職員がいることも。
とにかく緒方という男は隙がなさ過ぎる、そして面倒見がよく例え他部署や所轄であってもフォローを決して忘れることなく、なおかつ顔も男前で声も渋いときた。
金持ちだとか名家の出だとか上へのコネがあるとか、そういう意味での優良物件では決してないのだが、それでも彼がキャリア官僚であることには違いがなく、だからというわけではないが彼は独身の超優良物件として人気が高かった。
だからこそ、こうしてからかわれるとどうしていいかわからなくなってしまう。
「そういえば碓氷、帰りのタイミングも同じか?」
「多分、そうだと思います。帰りはうちの上司も一緒でしょうし、まさか帰りまで連番ということも…………いえ、なんだかありそうな気はしますが」
「そうか。なら帰りも手を繋げるな」
「ですから、そういう誤解を招く発言は…………もういいです」
さすがに緒方がわざと面白がってそういう発言をしていると気付いた香織は、溜息と共に反論も訂正も諦めた。
運転席にいる彼は二人の仲を誤解しているかもしれないが、管轄が違うこともあってあまり広まることもないはずだ。
それに、帰りがもしまた連番であったとしても今度は田崎も一緒なのだ。
どういう席順かもわからないのだから、それはそれで安心かもしれない、と。
「…………まぁ、落ちる時は一緒だ。安心しろ」
「縁起でもないこと言わないで下さい」
即座に否定する香織を見つめ、緒方はおかしそうに含み笑いを洩らした。
県警本部に到着すると、一足先に来て準備を始めていた田崎が待っていた。
三人揃って改めて本部長に挨拶し、荷物を預けてからそれぞれの研修の準備を始めた。
緒方の研修は田崎と香織も受講し、田崎の研修では緒方が聴講する。
そうして一通りのスケジュールをこなした三人は、県警の接待役だろう下っ端警務課員から宿泊予定のホテルについての説明を受けた。
「碓氷、俺達は宴席に出てくるからな。一人でホテル行けるか?」
「問題ありません、この辺の地図は記憶しました」
「そうか、なら大丈夫だな。明日も早い、ゆっくり休めよ」
「はい。お疲れ様でした」
送るという警官の申し出を断って、香織は近くのバス停から駅前のホテルまでのんびり観光がてら移動するつもりだった。
田崎は「じゃあな」とさっさと車に乗り込み、緒方は少し躊躇ってから香織を視線で傍へ呼んだ。
「本当に一人で大丈夫か?」
「子供じゃないんですから心配要りませんよ」
「子供じゃないから心配なんだが……」
わかっているのかと言いかけて、止める。
そのかわりに、彼は少しだけ距離をつめて握手でもするように香織の手を握った。
「緒方さん、本当に誤解されますから」
「誤解されないいい方法を教えてやろうか?」
「はい?」
「 ─────── 」
低く耳元で囁かれた言葉に、一瞬遅れて香織の頬が朱に染まる。
『……適当に抜け出すから部屋で待っていてくれ』
誤解誤解と主張するなら、それを事実にしてしまえばいい
そっと手渡されたカードキーを見つめ、囁きの意味を考えて更に赤くなる。
これはどういう意味だ、そういう意味なのか、と。
その日、宴席の場からいつの間にか緒方が姿を消していたことに気付いたのは誰もいない。
そして翌朝
帰りの飛行機の中で、どこか楽しげな緒方と疲れた面持ちの香織がしっかりと手を繋いでいたことも、席の離れた田崎は知らない事実だ。