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第五話

 エラトが国王に害される心配もなくなり、ガヌメデスも職を失わずに済んだことで、ウラニアは自分の役目が終わったように思った。しかし、これからどうしたらいいのかわからない。このままいつまでふわふわと漂っていられるかはわからないから、とりあえず現状を楽しむことにした。

 元々、どういうわけか、家族や周囲に愛情を向けることを苦手としていたから、戻りたい場所もなければ、会いたい人もいなかった。それは勿論、ガヌメデスを除いて、の話だが。だから遠くへ行くこともなく、今までずっとガヌメデスの傍にくっついていたのだ。

 一先ず、ウラニアは城を隅々まで見て回った。城には沢山の部屋があって、ゆっくり見て回るのに何日もかかった。きっと一生入れないような国王の私室や地下牢、女中達の部屋にも自由に侵入した。中でもウラニアは小さな礼拝堂がお気に入りになった。大勢の人が入れるような礼拝堂も別にあったが、こじんまりとした礼拝堂はウラニアが心を休めるのに絶好の場所だった。


 そうして城中を巡っていたから、色んな人の噂話も秘密の話も、何でも聞くことができた。何日か漂っていれば、ウラニアはすっかり情報通になっていた。

 噂の中のでは、エラトとガヌメデスのことは大きな話題にされていた。攫われた姫を救った騎士としてエラトが吹聴するのも手伝って、城ではガヌメデスは英雄だった。それなのに偉ぶる様子もなく、口数少なく多くを語らない彼は、城で働く全ての者の憧れのようだ。女性だけでなく男性だって、彼を尊敬していた。

 ところがガヌメデスは、いつまで経っても無口で無愛想だった。時折見せる笑顔も、誰に向けられると言うものではない。それがまた、女性達の心を擽ったが、当のガヌメデスは誰に対しても見向きはしなかった。ただ、エラトにだけは、優しい眼差しを向けていた。それは彼にとっても無意識だったようで、以前他の騎士に指摘されて驚いていたのを、ウラニアはよく見ていた。

 『ガヌメデス様は、エラトが気に入っているのかも』

 ここ最近はガヌメデスにべったり張り付いていたウラニアは、エラトを無意識に目で追うガヌメデスを見て、そう思った。彼の一番のお気に入りだと自負しているウラニアだって、あんなふうにずっと見つめられることはなかった。積極的にガヌメデスに愛を囁くエラトに、ガヌメデスはまんざらでもなくなっているのだろうか。もし、そうなら………ウラニアは、覚悟を決めなければならない。

 『ガヌメデス様には、幸せになってほしいもの』

 ぽつりと呟いて、自分を戒める。ウラニアはいつだって、自分のことばかり考えてしまう。でももう、ウラニアはこの世界に生きている人間ではない。自分の幸せばかり考えて、自分の心を守ることだけを考えていた昔とは違う。今なら、オモルフィにだって愛情を注げる気がして、自分の卑しさを知った。

 『今更、気づくなんて。死ぬ前に気付くべきだったのにね』

 誰にも聞こえない声で、ウラニアはそっと囁いた。囁きは誰にも届かない。それでいい。ウラニアはそっと、覚悟を決めた。




 この日もウラニアは、ガヌメデスにひっついて城を漂っていた。ただ、こんな風にするのは今日を最期にするつもりだった。

 ウラニアの覚悟とは、彼女の持つ力を、世界のために使うことだった。今の身体のないウラニアであれば、時間はかかるかもしれないが、世界の何処へだって行ける。世界を回り、困っている人のために、自分のできる限りのことをするつもりだった。今まで自分にしか向けてこなかった愛情を、世界の人に向ける覚悟をしたのだ。

 最近は力をうまく制御できるようになっていて、よほど心が荒れることがなければ、もう自在に天気を操れた。これを世の中のために使わない手はない。ムーサ王国に限らず、自分の力を生きとし生ける全てのものに使うのだと思えば、使命感さえ芽生えてくる。


 だからこそ、最期の日は、ガヌメデスと一緒にいたかった。できれば、彼が幸せそうに笑う顔を見ておきたかったが、エラトが彼を笑顔にさせるのには、まだ暫く時間がかかりそうだ。何せ二人は、まだ手を触れることすらしていない。目を合わせることも数えるほどだし、微笑みあうことなどないに等しい。

 『さっさとくっついちゃえばいいのに』

 ガヌメデスを忘れられないウラニアにとっては、目の毒だ。それに、いまだにエラトの胸元に光るペンダントを見ると、胸がかき乱れる。死んでもなお、穏やかにいられないなんて、まったく笑えない話だ。ウラニアが旅に出る気になった原因のひとつがこれだった。

 「ガヌメデス、此方へ」

 剣の鍛錬に勤しむガヌメデスをウラニアが眺めていると、遠くからエラトが彼を呼んだ。彼は少し優しい目をしたが、すぐに仕事用の表情を作って、エラトの元へ駆けていく。少し胸の痛みを覚えながらも、ウラニアはガヌメデスについていった。

 今日も、エラトの胸元には、ガヌメデスの瞳を映したような色のペンダントが輝く。恨めしそうに見つめる自分を叱責して、ウラニアは二人を見守っていた。エラトは自室にガヌメデスを連れ込むと、机の上に置かれた綺麗な箱から、豪華な剣を取り出した。そして恭しく、ガヌメデスの前へ持ってきた。

 「これは、私が特別に作らせたものなの。私を守る騎士に、これを捧げます。これからも、ずっと、私の一番傍で、私を守って頂戴」

 「王女様」

 エラトの言葉を遮るように、ガヌメデスは頭を垂れる。

 「受け取れません」

 「ど、どうしたの? 何も受け取ってくれないから、剣ならどうかと思ったのだけれど。これは、プレゼントではないの。支給品だと思ってくれればいいのよ」

 「王女様」

 ガヌメデスは困ったように眉をひそめた。ガヌメデスは嬉しくないのだろうか。ウラニアも怪訝そうに彼を覗き込む。表情だけでは、彼の考えが全くわからない。瞳は優しく揺れているのに、眉はハの字に曲がっている。エラトも不思議そうに、彼の顔を凝視している。華奢な王女は、体に似合わぬ大きな剣を箱に戻すと、ガヌメデスに向きなおった。

 「ガヌメデス、お願い」

 エラトはガヌメデスの両手を握り、その指先に口づける。祈るように、その手に額を擦りつけた。一瞬、ガヌメデスは苦虫を噛み潰したような顔をする。それは決して嫌悪感からではないことを、ウラニアは感じ取っていた。エラトは、瞳を閉じたままで、懇願した。

 「一度でいいの。私に口づけをして」

 握られて自由を奪われたガヌメデスの手が、エラトの手によって、持ち上げられる。エラトの唇に、ガヌメデスの指先が触れた。無意識のうちに、ガヌメデスはその唇を指でなぞっていた。ハッと気づいて、すぐさま引こうとするガヌメデスの大きな手を、エラトはしっかり握って繋ぎ止める。

 そうして彼の腕を、自分の首に回させた。今は、二人の身体は密着せんばかりに近づき、熱い瞳で見つめあっている。ガヌメデスが観念したように目を閉じた。エラトも、高揚した瞳を瞼で遮る。

 ウラニアは、もう見ていられなかった。ガヌメデスの傍に一日くっついていようと思っていたけれど、瞼を閉じられないウラニアには、もう耐えられない。目線を逸らすだけでは、二人の熱は遮れない。いてもたってもいられなくて、ウラニアは飛び出した。



 やっと。エラトは、熱くがっしりとした腕を首に巻き付けて、心で呟いた。やっと、ガヌメデスを近くに感じる。今まで、彼の目を自分に向けるために、いろんな努力をしてきた。沢山のプレゼントを渡したし、自分を綺麗に着飾った。しかし何をしても、彼がエラトを見ることはなかった。ガヌメデスを自分の護衛にして、常に傍に置いたのに、彼が見ているのは自分ではなかった。

 きっと、過去の自分、忘れてしまったウラニアであった頃の自分を見ているのだろう。当時のことは全く思い出せないが、これからの時間を長く過ごせば、彼の心も動いていくだろう。何せ、彼の愛するウラニアと自分は、同じ人物なのだ。もしかすると、この身体を、彼はもう貪ったのだろうか。そう思うだけで、ウラニアという過去の自分にすら嫉妬する。


 ガヌメデスが瞳を閉じたので、自分も同じようにした。きっと、彼の唇が、すぐにでも自分の唇に重ねられるのだろう。その期待を、彼は大きく覆した。

 「申し訳ありません」

 囁かれた低い声は、それが耳元で響くだけでエラトは身体を震わせた。内容は予期せぬものだったのに、その声に身体は反応してしまう。驚いて瞼を開くと、そこに知っている顔はなかった。不敵に微笑む騎士が、ゆっくり離れていく。

 「私には、心に決めた人がいます。それは、王女ではありません。もう二度とこの手に抱きしめられなくとも、私が彼女を忘れることはないのです」

 「そ、それは、私と同じ人物でしょう。思い出せないだけで、そのうち、いえ、すぐにでも……」

 「いいえ。今私の目の前にいる王女と、確かに姿かたちは似ていますが、全くの別人です。このペンダントは、私が愛する人に贈ったもの。返していただきますよ」

 気づけば、ガヌメデスの手には、先ほどまでエラトの胸元で揺れていたペンダントが握られている。抵抗することなく首に手をまわした意味を知って、エラトは頭に血が上った。馬鹿にされている。この男にも、過去の自分にも。

 「王族への不敬だわ。あなたなんて、消えておしまい」

 思わず発した言葉に、慌てて口を噤む。しかし、もう遅い。ガヌメデスは初めて、屈託のない笑顔をエラトに向けた。

 「もとより、そのつもりでございました。国王には許可をもらっています。私は今、この時をもって、騎士を辞めさせていただきます」

 エラトが何か発するより早く、彼は踵を返して、部屋から飛び出していた。残された哀れな王女は、驚きと悲しみで、涙も出なかった。



 ガヌメデスは、息を切らせて長い廊下を走っていく。重たい鎧は脱ぎ捨て、騎士になる前から身に着けていた短身の剣だけを腰から下げていた。中庭に面した廊下の窓には、静かな雨が降り注いでいる。それをちらりと確認して、ガヌメデスは急いだ。

 彼がたどり着いたのは、城の奥にある小さな礼拝堂だった。王妃が亡くなる前に、よく訪れていたという礼拝堂は、彼女の死後は誰も使わなかった。城にはもうひとつ、大きく煌びやかな礼拝堂があるので、ほとんどの者がそちらに集まる。だから小さく質素な礼拝堂など、誰も見向きはしなかったのだ。

 だが、ガヌメデスは確信していた。扉を開けると、昼間だというのに薄暗い部屋に、一筋の光が差し込む。扉を後ろ手で閉めて、ガヌメデスはゆっくり歩みを進めた。そして、ハイマットにあった女神像と同じような石像の後ろを覗き込んだ。


 誰も、いなかった。しかし、そこには確かに、彼の愛する人がいた。ガヌメデスの目には何も映らないが、そこだけキラキラと輝いて見えた。見えなくても、わかる。触れなくても、感じる。確かに、ここにいるのだ。嬉しくて、笑顔を我慢できなくて、ふにゃりとガヌメデスは笑った。


 「見つけたよ、ウラニア」


 時間がかかってしまったと、少し申し訳なく思う。違和感に気付いていたのに、それを突き詰められなかった。本能に従えば、こんなにすぐに、彼女は見つかったのに。ガヌメデスは、輝くその場所に、そっと手を伸ばした。その手に握られているのは、あのペンダントだった。

 「ウラニア、君に傍にいてほしいんだ。姿が見えなくても、声が聞こえなくても、俺の傍に」

 騎士として、仕事として、そんなものはもう何もない。ガヌメデスはすべて捨ててきた。もう、他のものは何もいらない。そっと掌を開くと、キラキラと輝く光は、そのペンダントに集まったように感じた。ゆっくりペンダントを握りしめて、また、ガヌメデスは笑った。掌の中では、アッシュグレーの鉱石が、優しく熱を発していた。



 ウラニアは、驚いていた。誰にも見えない、こんな姿なのに、ガヌメデスは見つけてくれた。優しく差し出された掌に見えたのは、あのペンダント。こみ上げる感情を抑えられなくて、ガヌメデスの瞳のような石にしがみついた。ガヌメデスが、ウラニアごと石を抱きしめてくれて、穏やかに笑う。

 『ありがとうございます』

 きっと、ウラニアに身体があったなら、今は涙で顔がぐじゃぐじゃになっていただろう。ガヌメデスに抱きついて、わんわん泣いていただろう。誰かに見つけてもらうこと、認めてもらうこと、それがこんなにも幸せなことだったなんて。

 もしかしたら、彼はウラニアをちゃんと認識できていないかもしれない。いや、おそらくそうだろう。それでも、彼は確信をもって、ウラニアを呼んだ。身体がなくたって、ありのままのウラニアを、見つけ出して、大切にしてくれる。

 先ほどから降っていた雨は上がり、空は綺麗に晴れていた。



 ガヌメデスは、そのまま部屋にあったマントをひとつ羽織ると、すぐに城を飛び出した。彼の愛馬は、すべてをわかったように、ガヌメデスが跨るとすぐ駆けだした。ガヌメデスの胸元には、あのペンダントが下がっている。アッシュグレーの鉱石は、キラキラと輝きを放っていた。

 ウラニアは、確かに彼の胸元のペンダントにいた。もう彼から離れる気はなかったし、この石が彼の色だったから、ここにいたかった。ガヌメデスも、そこにウラニアがいるのがわかるように、一人でウラニアに話し続けた。


 最初にエラトが目覚めてから、ずっと違和感を感じていたこと。どんなに調べても真実はわからず、ただ不信だけが募っていったこと。エラトにどうしてもウラニアの面影を捜してしまい、ずっとその姿を目で追っていたのに、ウラニアの面影を微塵も感じられなかったこと。ウラニアの心と天気が鏡のように互いを映していると気づいていたから、ウラニアが傍にいることには疑いがなかったこと。だから、晴れれば嬉しかったし、雨が降ればウラニアの心を思って悲しくなったのだと言う。

 「ウラニアが傍にいるのに、王女を護る仕事をするなんて、もう耐えられなかった。国王に、職を辞する許可を戴いて、王女にも消えろと言わせた。王女に迫られたときは、少し危なかったよ……何分、愛らしい見た目だけはウラニアそのものなんだから。ずっと触れるのを我慢していた分、少しくらい触れても罰は当たらないと思ってしまった」

 困ったようにため息を吐くガヌメデスに、ウラニアは少しくすぐったくなる。彼の行動にすべて意味があって、その全部がウラニアのためだったなんて、嬉しくて仕方なくなって、ガヌメデスに擦り寄った。

 「さっきも、礼拝堂に行くまでに雨が降り出したから、ウラニアは絶対に傍にいたんだと確信できたよ。どうせ、王女に嫉妬していたんだろう。俺はもうずっとウラニアしか見ていないのだから、心配はいらないのに」

 そう笑って、嬉しそうに風を受ける。姿も声もなくても、ウラニアが恥ずかしそうにする様子を思い浮かべて、ガヌメデスはにやけるのが止まらない。事実、ウラニアは驚きと恥ずかしさに悶えていた。だが、次の言葉にはもっと驚いた。

 「それで、これからのことを考えたんだが。俺には何の力もないが、ウラニアには力があるんだろう。どうせなら、このまま一緒に世界を回りたいんだ。いろんな場所に行って、ウラニアの力を、人の役に立てたいと思うんだが……」

 さわやかに晴れていた空が、一層青く輝いた。風が優しく頬を撫でる。それを肯定と受け取り、ガヌメデスはまたにやけた。

 「なんだ、ウラニアも同じことを考えていたんだな」


 それから、ウラニアと王都に来るまでに立ち寄った場所で、ガヌメデスは身体を休めた。少し豪華な王都の宿―――騎士ではなくなったガヌメデスには、少々痛手だったようだが―――野宿をした小さな小屋に、質素な部屋の宿。ウラニアとの思い出を話したり、その時のガヌメデスの想いを話したり、彼は眠る以外はずっと、ウラニアに話しかけた。まるで幼子が母に聞いてほしくて話をするようにも思えて、そんな彼が可愛らしく見えたし、何よりウラニアに寂しさを感じさせないようにしてくれているのが、とても嬉しかった。

 王都に来た道を戻るように辿ったので、とうとうハイマットまで戻ってきた。また懐かしいにおいがして、今度は二人だけだからか、自然と穏やかな気持ちになる。祭りの時とは違う雰囲気だからか、二人は心境の変化に微笑んだ。

 ガヌメデスは少し躊躇いながら、家族に会うかとウラニアに聞いた。ウラニアは、空に雲をかけて、否と答えた。こんな姿で会っても、ガヌメデスのように受け入れてくれるとは思えない。それに残念ながら、ウラニアは家族や友人に未練は全くなかった。空を見上げたガヌメデスは、そうか、とだけ呟いて、馬に跨ったまま村を通り過ぎた。


 国境の森まできて、彼は馬を降りた。手綱を引きながら、森の奥へ入っていく。着いたのは、森の中の古い教会だった。

 「ウラニアはよく、此処で隠れていたな」

 馬を外に繋ぐと、懐かしむように扉を開けた。少しかび臭いにおいも、懐かしさを助長させる。此処で、二人は距離を縮めたのだ。ウラニアが悲しいとき、苦しいとき、此処に隠れてはガヌメデスに見つかっていた。村を出てからそんなに経っていないはずなのに、ひどく昔のように感じられるのは不思議だ。ガヌメデスは女神像の前まで来て、膝をついた。優しく、ペンダントの石を握る。

 「俺は毎日、此処で祈っていた。此処に来られない時も、この方角へ向けて、欠かさず祈っていたんだ」

 ウラニアに向けて呟くと、彼はペンダントの石を掌に包んだまま、そっと手を組んで頭を垂れた。そしていつものように、祈りを捧げる。


 「神よ、信心深き聖女ウラニアを守り給え。神に身を捧げる聖女ウラニアの行く先に幸いあれ」


 その瞬間。本当に一瞬だった。あたりは光に包まれ、その眩しさにガヌメデスは目を閉じかけた。腕で顔を覆って影を作り、何とか細く目を開く。突然のことに驚きながらも、ガヌメデスは現状を把握しようと辺りを見回した。

 どうやら、光は女神像に集まっているようだった。光だけではない、空気中の水分や周囲の空気でさえも、みな女神像へと収束していく。ある程度集まると、光は収まった。恐る恐る女神像に向き直るガヌメデスの目には、信じられないものが映った。

 女神像の表面が、パリパリと剥がれるようにヒビが入っていく。ぽろぽろと、頬から腕から、石像の表面だけが零れ落ちていく。そうして粗方剥がれ落ちて、中から出てきたのは、この世のものとは思えないほど美しい少女だった。

 白い肌にプラチナブロンドの髪が流れる。整った顔立ちは女神像そのものだが、どこかあどけなさも感じる。ゆっくりと開かれた瞳の色は、アイスブルー。快晴を映したような瞳が、しっかりとガヌメデスをとらえた。顔かたちが違っても、彼には、すぐにわかった。アッシュグレーの瞳から、温かい滴が溢れては落ちる。少女を見上げるようにして、彼は笑った。


 「ウラニア、また此処にいたのか」


 石像から現れた少女は、天使のように微笑んで、涙を流す。一糸纏わぬ姿に、ガヌメデスは慌てて自分のマントを被せた。ガヌメデスのすぐ傍に歩み寄った少女は、泣きながら笑っている。

 「泣いているのか。泣き虫なウラニア」

 「ガヌメデス様だって」

 それ以上の言葉を紡ぐ前に、二人は抱き合っていた。二人の間に、もう距離はない。しっかりと抱きしめられた少女は、その手を大きな背中に回して力を籠める。少し離れて、大きな手がウラニアの頬をなぞった。愛おしそうに見つめる瞳が、涙で揺れる。

 「ウラニア、ウラニア」

 うなされているかのように、ガヌメデスは何度も少女の名を呼ぶ。額と額がぶつかり、互いに顔を近づけた。相手の涙が合わさって、二人とも顔がぐじゃぐじゃだ。言葉にできない想いが、二人の心を占める。こうして、また触れることが叶うなんて。愛しい鼓動を感じられるなんて。お互いの心が通わない城での日々は、数か月だったのに何十年にも感じていた。それがいま、すべて報われたのだ。


 ガヌメデスは、首にかけていたペンダントをウラニアにかけた。ウラニアは、ペンダントを握ってまた泣き笑いをする。自分の元へ戻ってきた、愛しい人からのプレゼントに、ウラニアは何度も口づけを落とす。その愛らしい姿を確認して、ガヌメデスはその場に跪いた。

 「が、ガヌメデス様」

 驚いて動きを止めたウラニアに、愛しそうな瞳を向けて微笑むガヌメデスは、彼女の手をしっかりと握った。彼女も無意識のうちに、その手を握り返す。ガヌメデスが、ずっと、伝えたかったことが、今漸く言葉にできる。


 「ウラニア、君を愛している。たとえ命が終わろうと、いつまでも私と共にいてほしい」


 輝くアイスブルーの瞳が零れ落ちんばかりに、ウラニアは目を見開いた。そしてまた涙を零して、満面の笑みで応えた。

 「私も、ガヌメデス様を愛しています。どうか、ずっとそばにいてください」

 言い終わるや否や、ウラニアはガヌメデスに抱きかかえられた。また何度も名前を呼ばれて、愛しさがこみ上げる。半ば強引に、でも限りなく優しく、ウラニアの唇はガヌメデスの唇に塞がれた。何度も何度もキスをして、二人は微笑みあう。

 何もいらない、あなた以外は。言葉にならない二人の想いは、留まるところを知らない。古い教会の上には、いつの間にか、眩く輝く七色の虹が弧を描いていた。




 天使のような、ある一組の男女が世界を回ると、天から幸せが落ちてくる。この世界にそんな噂が流れる。けれどそれは、またいつか、別のお話。

最後までお付き合いいただき、ありがとうございました。

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