三
「老いぼれ道士、出てこい!」
「おやおや、これは一体どういうことです、洪太尉殿? そんなに血相を変えて」
扉を引きちぎらんばかりの勢いで麓の社殿に飛び込んできた洪信の異様な姿にも、老道士は穏やかな笑みを崩さなかった。
「張天師様にお目にかかることはできましたかな?」
「ふざけるな!」
気取ったように結いあげていた髪を振り乱し、真っ白な衣を泥まみれにした己の姿を見てもまだ戯言を放つ老道士の胸倉を掴み上げ、洪信は唾を飛ばす。
「私は陛下の覚えもめでたい身分というのに、よくもあんな山道を歩かせ、そのうえ命まで取ろうとしたな」
「……と、おっしゃいますと?」
「とぼけるな! 私を喰おうと目をぎらつかせていた白い虎も! おぞましい臭いのする大蛇も! 私をこけにするために貴様が術で呼び寄せたものではないのか」
「これは異なことをおっしゃる。なぜ私たちのようなただの道士が、あなた様のような高貴なお方を弄ぶようなことをいたしましょう。洪太尉殿、まさにその試練こそ、張天師様が太尉殿の御心を試されたものでございます。この山には確かに虎も蛇もおりますが、人に害を及ぼすようなものではありません」
ありったけの威厳をもって睨みつけてもなお静かな表情を浮かべ続ける道士の様子に、洪信の手から力が抜けていく。こんな風に言い含められては、まるで自分が駄々をこねる子供のようではないか。
「しかも、負けずに私が再び山道を登ろうとしたとき、あろうことか牛飼い童が牛に乗って松の茂みから現れたのだ。どこから来たのか、私が誰か分かっているかと問いただせば、幼子らしからぬ訳知り顔をしおって、おまけに張天師様はすでに鶴に引かせた雲にのって開封東京に向かわれたと言う。どうにも怪しく思い、これも貴様らの術かと山を下りてきたのだ……道士よ、説明しろ、お前たちは私に何をしかけた? 何を企んでいる?」
「お、おお……洪太尉殿」
どれだけ険しく睨みつけても変化のなかった老道士の顔に、唐突に、弾けんばかりの笑みが咲く。
「洪太尉殿、その牛飼い童こそまさしく、張天師様その人にございます! なんと幸運な御方だ」
「なに、あんな小さくて貧層な幼子が、天師だと」
「ええ、張天師様は、この世の理では計り知れぬ御方なのでございます。年端もいかぬ御姿ながら並外れた力をお持ちで、あちこちで奇跡を起こしては崇められているのです」
そのあまりにも誇らしげな語りぶりに、洪信の疑念や怒りはするすると毒気を抜かれていく。冷静になれば、まさか皇帝の勅使に対して嘘偽りを述べるほど、この道士も命知らずではあるまい――洪信の拳は、ようやく道士の胸元を解放した。
「そうか……私は目があっても泰山も知らず、天師様の御姿を見抜くことができなかったというわけか。みすみす目の前で天師様とお話する機会を手放したとは」
「太尉殿、どうか御安心ください。天師様ご自身が行くとおっしゃられた以上、太尉殿が都へお帰りになられる頃にはもう、天師様が御祈祷をすっかり済ませられていることでしょう」
未だ半信半疑で中空をさまよう洪信の手を、道士の老いさらばえた手が柔らかく包み込む。
「太尉殿、さあ、そうと分かればどうか御怒りを鎮めて、後は天師様にすべてお任せください。我々も太尉殿が御勤めを無事に終えられますこと、大変喜ばしく思っております。さあ、こちらへ……足慣れぬ山道、お疲れになったことでしょう。宴の席をご用意しておりますれば」
ようやく、すべてが終わったのだ――先ほどまでの怒りもどこへやら、大きな脱力感に肩を上下させると、洪信は道士に向けて尊大に頷いて見せた。