カンヘル族1
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半人半龍、地球では天使的な性格を持つとされる龍人『カンヘル』は、地球での伝承に反してこの世界では魔種に属している。人種にも『ズメウ』と呼ばれる龍人が存在するのだが、こちらの種族は魔種の中でも上位に位置づけられる力を持つカンヘル族と人種の中でも中位に位置する力しかない。それぞれの種族の中から無作為に1人ずつ選んで並ばせればどちらがどちらだかわからないほど似た容姿をしているが、カンヘル族、ズメウ族それぞれが龍人と同じ呼ばれ方をしていながらも似ているのは容姿だけで身体能力や戦闘能力と言った点では天と地ほども違いがある。
臆病で内向的、協調性を重んずるズメウ族に対し、カンヘル族は勇猛で好戦的、力こそが正義であるという気質の典型的な魔種と言える。
人族となんら変わらない容姿をしたマサユキは、そんな人種を敵視する典型的な魔種であるカンヘル族数十人に囲まれていた。
「人族の男よ、何用でこの地に足を踏み入れた」
リーダーなのであろう、一際体つきのいいカンヘル族の男がマサユキを取り囲む輪から一歩前に出る。手に持つ武骨な槍の穂先をマサユキの首筋に押し当て、下手なことでも言えば即座に首を刎ねると言外に語っている。
普通の人族であれば絶体絶命としか言えない状況だが、普通とは隔絶したマサユキはそんな状況にあってもなんら動揺することなくリーダーだろうカンヘル族の男の顔をまじまじと見つめていた。
龍人、カンヘル族と一言に言っても龍と人の割合はまちまちで、完全に龍としか思えない顔をしている者もいれば身体の随所をわずかばかりの鱗が覆っているだけの者もいる中で、リーダーらしいカンヘル族の男は人間に近い。頬を鱗が覆っており、目は縦長で爬虫類らしく鋭いが、それ以外はほとんど人族と大差ない。
ちなみに、同じ人族のように見える容姿をしていても、カンヘル族のリーダーの方がマサユキよりも数段男前であるのは覆しようのない事実であった。
龍人の力を目の当たりにしたことがない人間は、龍に近い容姿をしているほど強いと言う印象を抱きそうなものだが、人と変わらぬ容姿をしたこの男は、むき出しの腕に刻まれた多くの傷跡や鋭い眼光など他のカンヘル族と比べても頭一つ抜ける威圧感を放っている。
「とりあえず、俺は敵じゃないってのを先に言わせてもらうよ」
「なに?」
「ここらいったいを魔王の許可をとって治めることになったんだ。今回は顔見せと移住のお願いに来た」
「ふざけたことを言っているとその首叩き落とすぞ!」
カンヘル族のリーダーは槍を握る腕に力を込め、今にもマサユキに襲い掛からんとする。
予想していたとはいえ、あまり友好的でないカンヘル族の様子にマサユキはため息を1つつくと懐から1枚の紙を取り出し、カンヘル族のリーダーにその紙を差し出した。
「これが証拠ね。カンヘル族は魔王への忠誠心が強いって聞いてるし、魔王が領主に指名した人間を殺したりはしないだろ?」
「む!」
槍を片手で持ち直し、空いた手で差し出された証書を受け取ったカンヘル族のリーダーはその内容を目にした直後、驚愕に目を見開いた。
あまりにも強い力を持つマサユキは、周囲を案じて普段は力を抑えている。そのため、見ただけではマサユキも脆弱な人族となんら違いがない。
マサユキの存在を知らない魔種たちは、突然領主になったと言われても信じないばかりか、嘘つき呼ばわりして襲い掛かる可能性もある。
どちらの、と言えば魔種の心配をした魔王は、マサユキを領主として認めたという内容の証書に魔王の魔力を込めた印を押してマサユキに持たせていた。早速マサユキはその魔王の好意を使ってカンヘル族の説得を始めることにしたわけだ。
マサユキとて、あの魔王が自分の臣民が傷つくことを望まないためにこの証書を持たせたことは理解している。が、カンヘル族のリーダーは証書がマサユキの手にある理由を知らない。
マサユキの言葉ぶりは自分たちのように魔王に忠誠を誓っている人間のものだとは思えず、だというのにマサユキが魔界北方辺境領の領主と認める証書を持っていることに強い憤りを覚えた。
「この証書は本物だろう。魔王様が認めているのならば、貴様が領主となることに異論はない。だが……」
「だが?」
「我々は貴様には従わない。魔種は力こそすべてだ。力なき人族ごときに従う道理などない」
「あぁ……なるほどね。魔王様の威光を笠に着て命令すんじゃねえってわけだ」
うんうんと頷きながらもマサユキはどうするべきかを考える。
力こそがすべて、カンヘル族のリーダーが言った通りに、力で言うことを聞かせるのはマサユキには容易い。100人いたところで、魔種の中でも強い部類に入るカンヘル族とて3秒と掛からずに倒すことができる。手加減が必要なければ1秒も掛からない。
だが、それでいいのだろうか。
マサユキの目的は平穏な日常、争いが続く世界において平和な街を造ることだ。はたして、いやいや連れて行かれて無理やり働かされた彼らがマサユキの理想が実現した街で暮らす姿を想像してみる。
「やっぱダメだよな……」
マサユキはボソリと槍1本分の距離しか離れていないカンヘル族のリーダーにも聞こえない声でつぶやいた。
マサユキが想像した未来は、平和を求めて人間界から逃げてきた人種の住人、争いが嫌いで力の弱い魔種の住人が暮らす街で、無理やり連れてこられたカンヘル族たちの顔に笑顔はない。最初は無理矢理でも、一部の人間はマサユキの理想に賛同して考えを変える者もいるだろうが、全員が全員武力だけで従えて不満を抱かないとは思えなかった。
マサユキが理想とする街に無理やり連れてこられた人間がいてはならない。それは自分が何の承諾もなしに無理やりこの世界につれてこられたのだから、マサユキとしても当然の考えだ。
ならばどうすればいいのかはわからない。もともと策略や謀略といった頭脳労働が苦手なマサユキはこの時もどうすれば平和的にカンヘル族を説得できるのか見当もつかなかった。
「しょうがない」
再びカンヘル族のリーダーにも聞こえないほど小さな声でつぶやく。
出来ることなら出来ればいいが、無理に説得する必要もない。こちらから命令することはできないが、魔王の威光もあってカンヘル族側も敵対することはできないだろうと考えたマサユキは無理に説得することを諦め、次の場所に行くことを決意した。
なにも、説得することを諦めたのはこれが初めてではない。カンヘル族と同程度の力を持ったテング族などの強い種族、それどころか魔種の中でも人族にすら勝てないような力の弱いパック族などの種族ですら話を聞かずに断るほどなのだ。
魔種としては、人種、それも魔種よりもはるかに弱いとされている人族に従うようなマネはしたくないのだろう。と、マサユキはそう結論付けた。
このままでは最初の1歩で詰んでしまうが、根気強く通えば、少しずつでも話を聞いてくれる人間も出てくるだろう。
――急いては事をし損じる。だな。
幸いにも時間はいくらでもある。急ぐ必要もないマサユキは説得を諦め早々にここを立ち去ることを決めた。
「わかった。無理に話をしようとは思わないし、今日のところは退散するよ。でも、誰か1人ぐらいは話を聞いてくれるまで何度でも来るから、その辺は覚えておいてくれ」
「む……」
マサユキが簡単に引き下がるとは思っていなかったのだろう。カンヘル族のリーダーは意外そうな表情で槍をひいた。
マサユキを囲んでいる他のカンヘル族の男たちも互いに顔を見合わせ、次にはマサユキを不思議な生き物を見るかのように見つめる。
「それでいいのか?」
「ん?」
今までは、少なくとも今は帰るというマサユキを諸手をあげて喜ぶ種族ばかりだったと言うのに、今回のカンヘル族たちは様子が違うことに今度はマサユキの方が不思議そうに首を傾げることとなった。
いや、不思議なのはカンヘル族の態度だけではない。先ほどの言葉、カンヘル族のリーダーが発したものではない。若干低めではあるが、女性の声だったのだ。
キョロキョロとあたりを見回して声の主を探すが、マサユキの視界に入るのは筋骨隆々としたカンヘル族の男たちばかりで女性の姿などは全く見当たらない。
まさか、女のような声をした男の声だったのでは? とマサユキが考え出したところで、カンヘル族のリーダーの後ろでマサユキを囲んでいる輪の一部が道を開け、その向こうに1人のカンヘル族の女性の姿が現れる。
「お前は人族とは思えぬほどの力を持っているだろう。それこそ、魔王様ですら足元にも及ばぬほどの力を。なぜ魔種の流儀にのっとり力で解決しようとしないのだ?」
突然現れてそんなことを言うカンヘル族の女性。
年のころは20に届くか届かないかと言ったところだろう。先ほどまでマサユキがリーダーだと思っていた男と同様に頬を鱗が覆っている以外に顔は人族と大差ない。カンヘル族は人に近い容姿をしている場合は揃って美形になるのかと思えるほどの美人だ。
何よりもマサユキが驚いたのはその容姿よりもまず、女性でありながら先ほどまでリーダーだと思っていた男をはるかに凌駕する力と威圧感。マサユキからすれば取るに足らない力しかない、魔王にも及ばない力でしかないが、龍人の呼ばれ方通りドラゴン並みの力を有している。10や20の人種が彼女に挑んだところで傷1つつけることすら叶わないだろうほどの力だ。
女性でありながらそれだけの力を持ち、胸部は女性らしくかなり大きなふくらみがあるとは言え、鎧をまとっている姿を見れば彼女が戦士であることは間違いない。
「答えてもらえるか?」
「……あ、あぁ」
女性が現れたことでリーダーだと思っていた男は横にどいて女性とマサユキが対面する。ちょうど身長170センチのマサユキだが、女性の身長は頭1つ分マサユキよりも高い。見下ろされることで自分よりもはるかに弱い力しか持たない相手でありながらも、マサユキは少しばかり気圧されてしまっていた。
「俺が望んでいるのは部下とか配下じゃなくて仲間だからだ。力づくで言うことを聞かせるような関係じゃなくて、俺の考えに賛同して自分から一緒にやりたいって言ってくれる相手じゃないと俺が嫌だと思うから……この答えでいいか?」
女性は得心がいったと表すために大仰に頷いた。
女性は納得しているようだが、マサユキの言葉を聞いて理解も納得も出来ないことは、女性を除いたマサユキを囲むカンヘル族の男たち全員に共通することだろう。
「で、こっちからも質問してもいいか?」
「かまわない」
女性が頷くのを確認すると、マサユキはいつまでも混乱でざわつくカンヘル族の男たちを無視して女性との会話を続ける。
「今の俺は力を抑えてるから、傍から見ただけじゃあ人族と大差ないはずなんだけど、なんで俺に力が……それも、魔王を越える力があるってわかったんだ?」
「なに、簡単だ」
マサユキの質問に女性はさも当然のようにこう答えた。
「あの魔王城でお前に一番最初に倒されたのはこの私なのだから」