ある魔王の出会い
2
それは突然のことであった。
はるか太古、人種が栄華を誇っていたが、いつからか魔種によって支配される『魔界』と呼ばれる土地。その魔界に存在するかつては人種の城であった建物に爆音が響き渡る。
続けて聞こえてくるのは怒声。その後も爆音と怒声が途絶えることなく続いている。
魔種は魔族の中でも最強と呼ばれる存在、魔王。その魔王は何事かと配下を調べに行かせるが誰一人として戻ってこない。
まさか人種が攻めてきたのかとも考えるが、人種は脆弱であり個の戦闘力はこの城にいる魔種たちの足元にも及ばない。大軍勢で攻めてきたと言うのであればいかな強者である魔種であろうと苦戦することはあるかもしれないが、誰一人として戻ってこないことなどありえない。いや、そもそもそんな軍勢が近づいて来れば見張りもいるのだから攻め込まれる前に報告があるだろう。
徐々に近づいてくる怒声と爆音。
ゆっくりと扉が開かれ、ようやく誰かが報告に現れたのかと視線を向けた魔王は扉の向こうに立つ者の姿を見てしばし呆然とした。
人種だ。
どこからどう見ても人種は人族。人種の中でも数はひたすらに多いが、この強さは人種の中でも最弱と言われている人族の男が立っている。
見たこともない光沢の鎧に身を包んでいるが、兜はかぶっていないので平凡な顔つきをしているのがよくわかる。人間界でも東方に暮らすと聞く黒目黒髪ののっぺりとした顔立ちの男だ。
騒ぎの理由はこの男のせいであることはすぐに魔王も気づいたが、たかが人族の男1人にここまでの騒ぎが起こるとは信じがたい。
いったいどうなっているのかと考えたところで、男の後ろを見た魔王は先ほど以上に驚きの表情を浮かべた。
男の後ろ、1メートルほど後ろの地面から天井まで届く光の壁がある。光の壁とは言っても、向こう側が透けて見えるほどに薄く、その向こうに見えるのはこの城にいる自分の配下たちの姿だ。声を上げ、魔法を放ち、剣を振るっても壁には傷の1つもつかず、微動だにしない。
男が動くのに合わせて光の壁も動き、男が魔王の部屋に入ると、壁は扉の位置で止まり魔王の配下たちは部屋に入ることが出来なくなる。
「ぁあ……っと……あなたが魔王さんでいいのかな?」
「あぁ、そうだ」
ごく自然に、それこそその辺を歩いている人に道を尋ねるような気軽さで問いかけてきた男に取り乱しそうになるのをこらえて返答する。
「そっか、よかったよ。ちょっとお願いがあるんだよね」
魔王の様子などかけらも気に留めずに男は続けた。
「ちょっと土地を貸してくれないか?」
男がそう言ったところで、男の顔が爆ぜた。
自分の定めた場所に爆発を起こす〈エクスプロージョン〉という魔法。火属性の魔法の中でも三階位に位置する高等魔法だ。小規模とは言え〈エクスプロージョン〉を無詠唱で即座に発動させるのだから、さすが魔王と言える実力がある。
人種の中でも魔法に長けたエルフ族と言えど、無詠唱で発動できるのはせいぜい六階位までだろう。それも命を落とす危険をはらんで、だ。魔種の中でも魔法に長けた者でも五階位が限界であり、魔種の中でも特別な実力があるのは間違いない。
規模は小さくとも人族を殺すのに十分な威力がある。まして兜もかぶっていない頭部を爆発されれば生き残れるはずもないだろう。
そう考えていた魔王であったが、男は何事もなかったようにその場に立っていた。
「おいおい。危ないだろ。いきなり魔法で攻撃するのが魔王なりの礼儀なのか?」
「……名前も名乗らずに厚かましい願いを申し出てるよりはましだろう」
この時魔王はこの人族の男を面白いと思った。威力を抑えていたとはいえ自分の魔法を受けてぴんぴんしている。いや、内心では焦っているのだろうが、冷静を装うだけのキモの太さがある。
先ほどまでの騒ぎや今もなお配下たちを通らせない光の壁などから察するにこの男は防御に特化しているのだろう。少なくとも魔王の配下の中で今の威力でも〈エクスプロージョン〉を傷一つ負わずに防げるのは魔王直下の幹部クラスぐらいだ。四天王とも呼ばれる魔王直下の幹部たちはそれぞれが魔種を超越した強さを誇っている。具体的に言えば、ドラゴン100頭と互角に戦えるほどで、あまり大きくない人種の国1つぐらいなら1人で滅ぼせるぐらいの力がある。
そんな幹部とて魔王に逆らうことはなく、敵対する人種には魔王が戦いを楽しめるような強さの相手はいない。久しぶりに面白い獲物が現れたと、魔王はそう勘違いしてしまっていた。
「そう言えば、名乗ってなかったな。悪い悪い。俺の名前は昌幸、本田昌幸だ」
「ホンダ・マサユキ……か、変わった名だな」
「よく言われる。で、この間レーノンとかいう国に召喚されて、魔王を倒してくれとか言われたんだけど、俺は平和に暮らしたいんだよ。だから、この魔界で俺が平和に暮らせる土地を貸してくれ。無期限無利息、交易はするけど上納はしない。
希望としては、あんまり狭すぎるとあれだから、街1つ作ってある程度拡張できるぐらいの土地で位置は人間界に接するあたりがいい。できるだけ先住民の意志は尊重するよう努力するけど、戦争から逃げてきた難民とか戦いたくないやつがいたらそれが魔種でも人種でも安心して暮らせる国が作りたいんだ」
男、マサユキの言葉はあまりにもふざけていた。
十を超える数の国が存在する人間界と違い、広大な土地のすべてを魔王が治めている魔界。ある程度の広さの縄張りを治める領主のような存在がいる場所もあるが、そのすべてが魔王に従い、食料や武器、宝物などを上納している。明確な領主が決まっていない土地もかなりの広さが残っているが、その土地を一部とはいえ寄越せと願う。それも、上納はしないが土地を寄越せと言うのは植民地支配、いや一個の国として認めろと言っているのと変わらないだろう。些かばかり強い力を持っているとはいえ人族ごときの男が魔王に願い出るようなことではない。
「くっくっく、はぁっはっはっは! そのふざけた願いを聞き入れろと? 頭に乗るなよ人族ごときが!」
案の定激昂した魔王は城の被害も考えないで最大威力の魔法を連発した。
灼熱地獄とも言える温度の炎が部屋を包む二階位の火属性魔法〈インフェルノ〉、床から鋭い土の槍が突き出る三階位の土属性魔法〈グラウンドヘル〉、圧縮された水をレーザーの如く撃ち出す三階位の水属性魔法〈ネーベルシュトーセン〉など、1つ1つが魔王が本気で放てば万を超える軍隊すら簡単に全滅させる威力の魔法が数十もだ。
城は消し飛び、標的であったマサユキも跡形もなく消えるはずだったが、城は先ほどまでとまったくかわらず、マサユキも平然とその場に立っていた。
おかしい。
〈インフェルノ〉は魔法を放った人間が止めるまで燃え続け、〈グラウンドヘル〉は床の形を変えたまま自然に元に戻ることはない。その他の魔法も同様だ。が、部屋の様子は魔法を放つ前と何一つ変わっていなかった。
「な……に……?」
たしかに魔力は消費されている。しかし、変化は何一つとしてない。
魔力を消費したと言うのに魔法が発動しない理由はただ1つだ。ありえないとしか言いようがないが、魔種最強の存在である魔王の本気の魔法が掻き消されたのだ。
通常魔法は発動すれば使用者以外に制御することはできない。例外に発動した魔法を上回る魔力で構成を上書きすることで、使用者の権限を乗っ取る手段が存在する。が、それはありえない。いや、魔王はそれを信じたくはなかった。
一般に上位と言われる二階位や三階位の魔法であっても魔王ほどの魔力があれば、手加減抜きでも10発や20発発動したところで十分な余裕がある。しかし、魔法は上位であれば上位であるほど上書きするのに必要な魔力と言うのは桁違いに増えていく。加えて、同時に上書きする魔法が1つ増えるごとに消費される魔力は桁が1つずつ増えていく。二階位や三階位の魔法を打ち消すには通常の消費魔力の100倍程度の魔力が必要だろう。1つや2つ程度であれば二階位の魔法でも消すことは魔王にも十分可能だが、3つ以上になれば魔王とて難しい。それが数十にもおよぶ魔法をすべて同時に掻き消すのは不可能な所業だった。
「そんなに怒らないでくれよ。まぁ、俺の言ってることがそっちにとって納得できるとは思ってないけどさ」
到底人族、いや人種とは思えない所業を軽くやってのけた化け物はゆっくりと魔王へと近づいていく。
「今のでわかったと思うけど、俺の力はおたくより圧倒的に強いんだよね。今の魔王を殺して俺が魔王になるとかそう言うのもやろうと思えば簡単に出来るけど、さっきも言った通り俺は平和に暮らしたいだけだからやるつもりはない。
勝手に魔界の一部を占拠して独立宣言とかしてもよかったのに、今こうして話を通しに来たのが俺なりの誠意だと思ってくれよ」
ふざけている。ありえない。
魔王の脳を埋め尽くすのはそんな言葉ばかりで、マサユキの言葉など耳に入っていなかった。
人種の対魔王生命体とも言える勇者が現れるのはまだまだ先の話で油断していたが、きっとこいつが勇者で、魔力が高いだけだ。そう思い込んだ魔王は拳の届く距離まで近づいてきたマサユキに掴みかかった。
人族は魔力が高ければ体は弱く、体が強ければ魔力が低い。魔種や人種の中でも長命な種族と違い、寿命の短い人族は身体の強さと魔力の両方を鍛えるだけの時間はないので、ある意味真実だ。そう、ある意味では。
ただの人族ではないマサユキは掴まれるよりも速く襲い掛かってきた魔王の横っ面に拳を叩き込んだ。左からのフック、ただの一撃で気を失いそうになる魔王の体は衝撃のあまり音の速さで吹き飛ばされる、はずだった。マサユキは左フックの直後に右のフックで勢いを相殺すると今度は逆方向へ吹き飛ばされそうな魔王の顔を掴み、そのまま床にたたきつけた。
威力を抑えていても床にたたきつけた衝撃は床を大きく凹ませ、亀裂が蜘蛛の巣のように大きく広がっている。
「あぁ~あ、結局力技になっちったよ」
パンパンと手のひらを打ち合わせながらぼやく。
殺さぬように手加減はしたが、魔王は完全に気を失っている。光の壁によって部屋に入れずにいた魔種たちもあまりの衝撃に言葉を失っていた。
人種にとって魔王が恐れる存在であることは魔種にもわかっている。この人族の男が自分たちにとっての人種が恐れる魔王と同じ存在なのだとマサユキに恐怖した。
「おぉ~い、起きろ~」
もしもこの世界でHPを数値化することができれば、魔王のそれは1%を切っていただろう。瀕死と言って過言ない。それを起きろと声をかけるだけでは起きられるはずもないのは傍から見れば誰の目にも明らかだった。
しばらく声をかけ続けても反応がないことでようやくマサユキも魔王が瀕死であることに気が付いたのか、回復魔法で魔王の傷を癒す。
「っは!?」
「おし、起きたな」
「い、いったい何が……」
魔王の記憶はマサユキに襲い掛かったところで突如、経験したことのないものすごい衝撃を受けた。とi言うところで完全に途切れている。今の今まで立っていたはずが、気が付くと床に横になっていたのだから混乱するのも無理はなかろう。
しばし呆然としているが、部屋の入口にある光の壁の向こうに並ぶ配下の怯えた表情、立っていた時には存在しなかったはずのクレーター。
周囲の状況を確認してから、1分ほどが過ぎると魔王は理解した。
自分は負けたのだ。
なぜ自分の体に傷がないのか疑問もあったが、少なくとも目の前にいる相手と自分に圧倒的なまでの差があることは間違いない。
「なぜ、止めを刺さなかった」
「止めも何も、俺はあんたと戦いに来たんじゃないから。これで同じこと言うの3度目だけど、ちょっと土地を貸してほしいからお願いに来ただけだって」
魔王にはマサユキの言葉がいまいち理解できなかった。
魔界においては力こそがすべてだ。欲しいものがあれば話し合いなどではなく力づくで奪えばいい。魔王自身も魔王の座を戦いによって勝ち取り、魔王の座を争う戦いの過程で数多の魔種の力を吸収して今の魔種をはるかに超越した力を手に入れた。
全てを奪うだけの力を持ちながら、全てではなく一部しか欲しない。これが人種なのだろうか。そう魔王が考えたところで、マサユキは口を開く。
「あぁ……念のために言っとくけど、俺は特別だからね。たぶん俺の次にここに来る人種は魔王を倒しに来ると思うよ」
魔王の勘違いを先読みして釘をさすマサユキ。
自分を人種のスタンダードだと勘違いされ、人種の襲撃に話し合いによる平和的解決を考えたがためにやられてしまっては目も当てられないというものだ。
「で、土地を貸してもらえるか?」
「……いいだろう。魔王の地位をくれてやる」
「いや、それはいらん」
「なに? 魔界が欲しいのだろう。魔王となればすべてがお前のものだぞ」
「魔界全部が欲しいわけじゃないんだよ。魔王なんてやったこともないし、やりたくもないから魔王になるのは困る」
「力さえあれば魔王だ。魔種を統べ、人間界を攻めればいい。放っておいても配下どもが勝手に指示を出すから、経験がなくても大丈夫だ」
未経験でも大丈夫とアルバイトの募集のようなことを言う魔王。
「いやいやそんなこと言われても魔王なんてならないから。そもそも、なんで人間界を攻めるんだ?」
「我々が魔種だからだ」
「魔種だとか人種だとかで分ける必要もないだろ。まぁ、魔王が人間界に入れないことには同情するけど、人間界にある場所に行きたいからとかの理由で人間界を魔界に取り込もうとしてるわけでもないんだろ?」
「う……うむぅ……」
マサユキに言われて初めて魔王はなぜ自分が人間界を攻めようとしているのかと考えてみた。5分、10分と時間が過ぎていくが、自分の敗北をわずか1分で認めた魔王でも、なぜ自分が人間界を攻めるのかと言う問の答えは出てこない。
「……わからん」
「たぶん、魔種の存在自体が人種と敵対するように神様が作ったんだろうよ。神様なんてもんがいるかはわからんけど」
「う、うむ」
些か納得がいっていない様子の魔王だが、本題はそこではない。いつまでも関係のない話を続けるつもりはマサユキにはなかった。
「とりあえず、人間界と接する土地を貸してくれればいい。魔王にはならないアンダスタン?」
「あんだ……なんだ?」
「わかりましたか? って言ったんだよ」
「うむ。わかった。では…………たしか、北方の人間界と接する土地は領主がいない。そこを好きに使え」
「了解。んじゃ、一応契約書って形で書面に起こすから、詳しい内容を詰めるとしよう」
マサユキがそう言うと入り口をふさいでいた光の壁がなくなり、魔王を心配した配下たちが駆け寄ってくる。配下の魔種たちもマサユキの異常さを目の当たりにしていたおかげで、少なくともこの魔王城にいる配下からの魔王への信用が失墜する心配はないようだ。
魔王は配下たちをなだめるとマサユキの言った通り契約書をしたため、領土の貸し出しに関する内容を詰めるための話し合いを始めるのだった。
この日この時の出会い、何気ないマサユキの言葉であったが、人間界を攻める意味を魔王が考えるようになったのはこの後の魔種と人種の戦争において大きな意味を持つことになるのをこのときは誰一人として知る由もなかった。