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乙女は渇きの葛藤に

作者: 香川 かな

 自分の指を舐めるのは彼女が喉が渇いているときにするしぐさだった。

 指の先でも指の腹でもなく人差し指の第二関節と第三関節の間をかじるように彼女はなめる。

 まるで骨を確かめるようだ。といったのは彼女の恋人だった。

『干乾しになりそう。ああああ、喉が渇いたの。潤したいのに』

 唾液だけでは足りずいっそのことこのまま指を噛み切ってしまおうかと少女は本気で悩む。

 日差しの強さだけでは説明できない乾燥にもう一度指に唇を添える。

「ああああ、駄目だって舐めちゃふやけるよ!」

「……喉が渇いたの」

 少年が汗をかきながらも全力で少女の元へ駆け寄って水滴のついたペットボトルを彼女に渡した。

 それを受け取った彼女はちょっと眉をひそめてからペットボトルをつき返す。

 息を整えながら少年はそれのフタを開けてから再び渡す。

 少女は無言でその口に自分の唇を添えて中身を嚥下する。


「どうしてかじっちゃうかなぁ」

「駄目?」

「だめ。こんなにきれいな指なのに」

 飲み干したペットボトルを芝生において、少女は自分の指を眺める。

 左手の指には5本全てに白い包帯がぐるりと巻かれてとめられている。

 少年は包帯を少女に渡した。

 用途はわかっていたので少女は一人でそれを指に巻こうとした。

 舐めないようにされた包帯。それが余計に彼女の行動を邪魔する。

 包帯を留めるためのテープを用意していた少年はそれを見て片方の手で手伝いをする。

 片手の補助だけでも十分に包帯はまけた。

 ――――少年の汗がぽたりと今巻いたばかりの包帯に落ちて、染みる。

 タオルで一度ぬぐっておけばよかったな。そう少年は苦笑した。

 少女はその少しだけ湿った包帯を見つめた後に、ためらうことなく舌を這わせた。

「え、あ」

 しっかりした消毒液の匂いに混じる確かな汗の塩気を少女は感じ取る。

「汗っかき」

 少女がそうつぶやくと少年はむくれて反論した。

「走ってきたんだから当たり前だろ」

 彼女は空になったペットボトルを遠くに放り投げたと思うと立ち上がる。

 上を見上げれば、見事な夏空のコントラストに目を奪われた。

 馬鹿みたいに目に痛い太陽に手を突き出して、彼女はそのまま仰向けに倒れた。

「あぶな」

 もちろんそれができたのも背後の少年が受け止めてくれるという信頼がなせるもの。

 少女は見下ろしてくる少年の腕に手を伸ばすと、はむとその腕をごくごく軽く噛み付いた。

 まるでトウモロコシや骨付き肉をかじるように、ただ噛むというよりは歯を少したてるように。

「ばっちいよ」

 少年は恋人の奇行を止めるように軽く言葉で諭す。

「あなたを汚いと思ったことないよ」

 だって汗だくなのは私のために飲み物を買いに行ってくれたからだもの。

 少女は思ったがその言葉を腕を噛んで汗と共に飲み込んでしまう。


 気づけば少年の腕の中で眠っていた少女は夕焼けの紫と茜の美しさを見逃さずに目覚めることができた。

 よく焼けた肌を後できちんと手当てしようと思いながら、自分と同じように午睡に走った恋人の頭を手を精一杯伸ばして優しくなでた。

 ――――彼と付き合い始めてからずいぶんと渇きが堪えられるようになった。

 自分でも驚くほどの変化に感謝の念を持った少女は、まずは堪えてゆっくりと彼の腕の中から抜け出した。

 短い人生の中でどうして自分の指を舐めるクセができたのかわからない次に不思議な存在が今ここにいる恋人。

 ――――強いて言うなら無条件降伏だもん。俺

 それがまるで自分の誇りだというように浮かべた笑顔が少女には太陽よりまぶしく思えた。

「ん、あ寝ちゃった」

「まだ間に合ってる」

 起きて体を起こした少年に少女は西空を注目するように目線を動かす。

 日が沈むまで、二人は無言だった。

 お互い同じものに対して感動する時間に言葉は無用の存在だったから。


 日没後も二人は無言で、少女は立ち上がった少年の腕に抱きついた。

 少年は一瞬腕に湿ったものが触れて驚いたが、それが少女の舌だと気づいてむぅと言葉を飲み込む。

 自分の愛しい人は無意識の内によく舐めてくる。

 それが嬉しくて、救いだった。

 けれども一般的に考えて子供のようなクセであることは変わりなく、舐めるのは彼女が慢性的な渇きのせいだと知っていたのでどうにかする方法がないか時々考えがめぐる。

 恋人が頭を腕に擦り付けてきた。

 課題はいくつもあるがこの帰り道だけは誰にも邪魔されたくない。

 そう少年は思いながらつないだ手を握り返す。

 無言で歩いていたとしても、彼女も彼も幸せだった。

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