婚約者の本音に負けそうになる王子様
「君の本心が知りたいんだ。」
雲ひとつない晴天の下広々とした庭園にあるガゼボにて、そう言って真っ直ぐに真摯な眼差しを向けたのは、金髪碧眼の見た目麗しい第一王子、フィレス。
覚悟を決めて発した言葉は僅かに震えてしまった。らしくない。だが、彼の婚約者である公爵令嬢のキャシリアは訝しむことなく、いつもの整えられた微笑みのままであった。
「今更こんなことを言われても困惑するかもしれない。しかし私は、君の心を知りたいんだ。公爵令嬢としての建前でなく、キャシー自身の言葉で君の話を聞かせてほしい。私は君と互いに向き合って愛し合って婚姻に至りたいんだ。」
何度も頭の中で反芻し練習した言葉達。イメージしていたよりスラスラと話すことが出来て安堵する。
(あとは、キャシーが本音で話しやすいように根気強く言葉を重ねて導いてあげれば…)
「私が次期国王の第一王子だからと言って遠慮する必要はなく、むしろ君が本音で話してくれる方が嬉しいんだ。親しみを感じることが出来、好ましいと思う。」
「分かりましたわ。」
「そうだな。やはり今すぐに本音で話してというのは些か無理がーーえっ?」
予想に反して即答で頷いて見せたキャシリアに、フィレスが青の双眸を見開く。
普段の王子然とした優雅さは消滅し、鳩が豆鉄砲を食ったような間抜けな顔をしている。せっかくの美形が台無しだ。
「まず」
キャシリアの声音は、これまでの鼻から抜けるような可憐な声音とは打って変わり、大臣達が議会で発言するような重みのある声音に変わった。
(まずって、一体いくつあるんだ………)
フィレスは思わずしかめ面をしそうになったが、王族の意地で何気ない表情を装った。完璧な微笑みを向けることも忘れない。
「毎回決まって青か金色のドレスをお贈り頂くことがナンセンスですわ。」
(な、ナンセンスだと………)
全身を殴打されたような強い衝撃を受けるフィレス。王子たる者、一生無縁だと思っていた言葉を向けられた。本音とはつくづく恐ろしい。
軽く目眩を起こしながらも、感情的にならないよう意識して努めて論理的に反論する。
「それは…愛する婚約者に自分の瞳か髪と同じ色のドレスを贈るという本国の一般的な愛情表現ではないか。周囲への牽制の意味も込められていて大事なことだ。そう軽々否定せずとも…」
「この決められた婚姻に必要ですの?次期国王とこの国唯一の公爵令嬢の婚姻、誰が口を挟みましょう?」
(くっ…なかなか鋭い所をついてくる…)
「私がキャシーのことを想っていると周囲にアピールすることは大切だ。誠に愛し合う私たちは国民から羨望を受け、それが国政への支持にも繋がるだろう。」
「いいえ、全く。曖昧な愛をアピールするなど不要ですわ。それなら、この国伝統の染め布を使ったドレスを着用した私を広告塔にすべきでは?産業の発展に貢献した方が有用ですもの。」
「……それも一理あるな。貴重なアドバイス感謝する。此度は有意義な茶会であった。」
(これ以上もう聞きたくない…普通に無理。今日は終いにしたい…)
「次に」
「は?まだ言っ……コホンッ。何でもない。続けてくれ。」
(つい促してしまったが、次は一体何を言われるのか……)
「キャシーという愛称呼びの撤廃をお願いします。」
「は」
キャシリアは最初からこの話をしようと決めていたのかと思うくらい、澱みなく言葉を発した。普段は柔和な印象を与える色素の薄いシルパーの瞳が、強かな意思を持って輝いている。
「……なぜだ?この婚約が決まった時から、お互い公の場以外ではキャシー&フィーで呼び合おうと決めていたではないか。それをなぜ今更」
(まさか、愛称呼びを馴れ馴れしいと思われていたのか?胸が苦しい…上手く息が吸えない…)
変な汗が止まらず、フィレスは片手で胸を抑えながら、真っ白なハンカチで顔面を拭きまくっている。いつもの冷静さは跡形もなく消え去っていた。
「キャメリア、キャロライン、キャセフィーヌ…、フィルドレス、フィルメリア、フィルスターなど、王家及び高位貴族に似たような名前が多過ぎますの。頭文字を取った愛称だと誰のことを指しているか分からなくなりますわ。」
(いや、そうはならないだろ……………)
「それならば、二人きりの時に限定して使うのは良いか?」
フィレスは思わず心の中でツッコミを入れてしまったが、気を取り直して折衷案を提案する。
「二人きりであれば、愛称を使う意味がないのではありませんか?愛称というのは本来、周囲に親密性或いは特別性を示すためのものですわ。」
「ごもっとも………………」
ぐうの音も出なかった。
あっさりとキャシリアの言い分を認めたフィレス。
誤魔化すようにティーカップに口をつけた。残念ながら味はせず、ただの生ぬるい水を飲んでいるようだった。
「最後に」
「もうやめてくれ」
精神状態が不安定になったフィレスから、本来隠したいはずの心の声が漏れ出た。…いや、はっきりと口に出していた。
幸か不幸か、彼の情けない本音はキャシリアの耳には入らなかったようで彼女の言葉は続く。
「この婚姻は王家と公爵家の政略結婚にございます。ですので、私に愛を求めないで頂きたいのです。」
「………不要なことだからか?」
(政略結婚に愛を見出そうなど、王となる私には初めから不要なものであったのだ…もうやめよう。個人的感情など為政者にはいらぬ。)
顔を上げてキャシリアのことを見返すフィレスの瞳にもう迷いはなかった。彼の纏う空気は、王族特有の荘厳たるオーラに満ちていた。
「いえ、フィレス殿下の愛に応える自信がないからですわ。」
「は………………………」
「王妃教育は受けたものの、殿方の愛し方は学んではおりません。だからきっと上手く出来ないと思うのです。それでもしフィレス殿下に失望されてしまったらと思うと…」
(何だその勝手に頬が緩む可愛い理由は)
「耐えられん」
「何かおっしゃいまして?」
「いや、私が聞きたかったのはそういう本音だ。いいぞもっとくれ。」
一気に調子を取り戻したフィレスが分かりやすいほどに笑みを深め、心の赴くままお代わりを口走っていた。
「コホンッ…今日は君のことを知る良き機会となった。また是非ともこういった場を設けよう。必ずだ。」
(…いかん、冷静さを欠いて嫌われるところだった。続きはまた今度にしよう。色々と歯止めが効かなくなるからな。)
「それには及びませんわ。フィレス殿下はお忙しいでしょうから、次は一問一答形式でレポートを提出しようと思いますの。直接会って話すより速く正確に情報を伝えることが出来ますわ。」
「……………気遣い感謝する。」
距離が縮まったのか開いたのか…こうして戦果不明のままフィレスとキャシリアの茶会は終了となったのだった。
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