第6話「時間の中で」
あれから三葉の日常は少しずつ変わっていった。無理に大きな変化を求めることはなく、むしろ心の中でその「普通」が心地よい変化を遂げていることに気づくことが増えていった。
キノと過ごす時間、部活での仲間との関係、そして少しだけ意識し始めた自分の気持ち。どれもがあたり前の日常の一部だが、確かに特別な色が添えられる瞬間が増えていった。
一歩踏み出した先
放課後、いつも通り部活を終えた三葉は、今日もキノと一緒に帰る予定だった。彼は今日は少し早く部室を出たようで、三葉を待っていた。
「草牧さん、ちょっと待っててくれ」
キノが部室の扉を開け、三葉に笑いかけた。その顔がどこかいつもと違って、少し真剣に見えた。三葉は何だか不安になりながらも、そのまま頷く。
キノが戻ってきた時、手に握っていたのは、やはりカメラだった。
「これ、さっき撮った写真だよ」
三葉はその写真を受け取る。目を引くのは、部活の練習後の彼の顔。カメラ越しに笑うキノの表情が、自分にとってはいつもと違う温かさを持っているように感じられた。
「いい顔してるじゃん」と彼が言うと、三葉は思わず笑顔になる。「これ、私が撮ったんじゃないですよね」
「うん、さっき撮ったものだよ。ただ、草牧さんに見せたかったから」と、キノは軽く肩をすくめる。
少し照れくさい気持ちと、そこに込められた気持ちに三葉は心の中で戸惑いを覚える。
その後、二人は並んで歩きながらも、言葉を少しずつ交わす。しかし、三葉は今日、キノから聞きたかったことがある。
「先輩、あの……」
また言葉が詰まった。だけど、もう今日こそは言いたかった。
「私、これから先、どうしたらいいのか、分からないけど……でも、先輩のことが少しだけ、もっとちゃんと知りたくて」
キノは歩みを止め、その場でゆっくりと三葉を見つめた。その瞳の奥に深い気持ちを読み取った三葉は、思わず心を震わせた。
「草牧さん、それってどういう意味だと思う?」
少しの沈黙の後、彼はぽんと三葉の肩を叩いた。「俺、草牧さんがどういう風に俺を見てるのか、わからなかった。でも今は、君がどう思ってるのか、少しだけわかった気がする」
三葉はその言葉を聞きながら、改めて胸がどきどきと高鳴るのを感じた。そこで初めて、自分がどれだけキノの存在を大切に思っていたのかに気づいた。そしてそれがもう、あたり前のように心の中で芽生えていたことを。
新しい風
その日の帰り道、三葉は少しだけ違和感を感じながら歩きながら言った。「先輩、さっき撮った写真って、やっぱり私の目から見ても…私、まだそこまでよく自分を理解できてないんですね」
キノはそれに対して静かに頷いた。「うん、けどそれでいいんだよ。それでも、俺は君がちゃんと『見ていること』に意味があると思う」
その後、何も特別なことはなかった。ただ、二人は歩きながら少しだけお互いを少しだけ大切にしている気持ちを、確かめ合っていた。それは言葉では表せない感情に包まれていたけれど、それが自然に、まるでそれがもう定められていたように二人の間で静かに流れ始めた。
心の奥のあたり前の感情が、少しだけ、次の段階に踏み出した。やっと、それを受け入れる準備ができたという気がした。
そして、時間は少しずつ、三葉の足元でその変化を紡ぎ続けていった。恋という目に見える形にならずとも、何かが少しずつ動き出していた。その「普通」が、一歩踏み出すことで、どれだけ大きな意味を持ち始めるかは、まだわからないけれど。
その一歩が、今後の三葉の世界をどう変えていくのか。それを今、見守るしかなかった。