第5話 「動き出す時間」
あれから数日が経った。三葉は依然として部活に没頭し、日常の中で少しずつ、キノとの関係の変化に心の中で向き合いながらも、以前よりも楽に彼と接することができるようになった。普段通りのやり取りの中で、その存在がいつもより特別に感じられる瞬間が増えた。お互いに照れくさい距離がほんの少し縮まった気がした。
そして、この日は、部活の活動が終わるのを待って二人だけで外に出る約束をした。
夕焼けに照らされて
「草牧さん、ちょっと立ち止まってくれる?」
部室を出ると、キノが突然そう言った。三葉は驚きながらも歩みを止める。
キノが手にしたカメラを構えながら言う。「ほら、そんな気にする必要はないけど、ちょっとだけポーズしてくれ」
「ポーズ?」
「そんな大げさなもんじゃないよ。ただ、ただのお決まりみたいなもんだから」
そのまま、三葉が少し不安げに立っていると、キノは照れたように笑った。「それに、草牧さんの写真をちゃんと撮ったことないから、まぁ、今じゃないとちょっともったいないなって」
少し照れるが、思いきって三葉は立ち上がり、カメラに向かってゆっくりと微笑んだ。
シャッター音が静かに響く。ふと、瞬間がここにあることを実感する。自分がそのまま、これから一歩ずつ歩み続けていく姿を記録するみたいな、そんな気持ちが湧き上がった。
「ありがとう」
何気ない言葉を呟いたのは、三葉の方だった。
会話の中で
その後、二人は歩きながら街中を歩く。あたりはすっかりと夕焼けに染まり、冷えた風が頬を撫でる。
「写真を撮るのってさ、やっぱり自分が見てきたものを、誰かに見せたくて撮ってる感じがする」
「確かに」
三葉は考えながら答える。「でも、誰かと共有できる写真なら、ただの記録だけじゃなくて、思い出になるんだよね」
「それが、だんだん面白くなってくるんだろうな」
キノは空を見上げる。やがて言葉を続けた。「なんか俺、撮った写真を飾りたくなるような、そんな気分になるのは初めてだよ。見る側と撮る側が逆になることって、あるじゃん。草牧さんが撮る写真だとさ、自然と自分の気持ちもどっかに入っちゃうような感じ」
三葉は少しびっくりした。キノがそんな風に言うなんて、まるで自分が特別な存在であるかのように感じる一瞬だった。
その時、キノがふと足を止めた。「でもね、草牧さん」
彼の目が真剣になった。
「俺、さっきから考えてるんだ。草牧さんの思ってる『普通』ってさ、ちょっと面白いんだよね」
「え?」
「俺が知ってる草牧さんってさ、『普通』をどうしようもなく『守ろう』としてるところあるじゃん。でもその『普通』がなんでか知らないけど、結構キラリと光って見えるんだよ」
キノのその言葉に、三葉は少し立ち止まった。普通の自分が、光り輝いているわけがないと思っていた。こんな私で、どうしてそんなことを?
その思いに沈んでいると、キノが優しく笑った。
「だからさ、今後、どういう風になっても、ちゃんと君の『普通』を大切にしてほしいんだ。少なくとも、俺が見てきた草牧さんは、それがちゃんと輝いていると思うよ」
その言葉に心がふっと温かくなった。キノの言葉には、いつもどこかふわりと優しい力があった。そして、ようやく気づく。キノが見ている自分の世界は、思っていた以上に柔らかな光で満ちているということ。
新しい一歩
翌日、三葉は朝の空を見上げると、どこかで何かが変わった気がした。この数週間、何も変わらずに続いた「普通」が、実は少しずつ形を変えていたのだと思う。
教室で友人たちと会話する時にも、気がつけばどこか気持ちに余裕ができていた。以前のように焦りや不安は少なく、ありふれた日常が少し色づいて見えるようになった。
そして部活で待っていたのは、キノのさりげない笑顔と、何も特別ではないように流れる時間。それが、三葉にとっては十分特別なものに思えた。
「これから先、どうなるんだろう」
心の中でそっと呟く。けれど、もう不安は感じない。きっと、どんなことがあっても、あたり前の一歩が自分に与えてくれる強さがあると感じていたから。