第2話 「忘れて」いたもの
翌日から三葉は、古いカメラを持ち歩くようになった。学校の窓辺やグラウンドの隅で、時折シャッターを切る。撮りたいものが特にあるわけではなく、なんとなく気になった瞬間を記録しているに過ぎない。
「草牧、何撮ってるの?」
クラスメイトの一人が声をかけてきた。問いに答えられずに三葉はただ曖昧に笑った。「あ、なんでもないの」とだけ返して、その場を離れる。
カメラ越しに見る世界は、彼女に少しだけ優しかった。ファインダーで切り取ると、それまで雑多で埋もれていた何かが「これでいいんだ」と訴えかけてくる気がした。
でも、自分が本当に撮りたいものってなんだろう――そんな問いは頭の片隅に置いたまま、深く考えないようにしていた。
部室の温もり
ある日の放課後、三葉が部室に入るとキノが小さなカメラを手にしていた。見るからに新しいそれは、彼のいつもの飄々とした雰囲気には少し不釣り合いだった。
「それ、先輩のカメラですか?」
「おうともさ。新品同様でしょ? 買ったんじゃないけどね。貰い物なんだよね、まあ複雑な経緯は省いて……。草牧さんも、この間のカメラに慣れたんじゃないの? 一度くらい撮られた側になってみる?」
そう言って彼は三葉にカメラを向けた。咄嗟に顔を背けたけれど、シャッターの音はすでに響いていた。
「撮りました?」
「撮ったねー。けど、今の顔はたぶん面白くないやつ。だから仕切り直しってことで。ほら、そっちの古いカメラ持って撮り合いっこでもしようか。名付けて、『不毛な写真戦争』!」
ふざけた言葉に反して、キノの目はどこか穏やかで、優しい。三葉はつい笑ってしまい、それが自然な笑顔になっていることに気づかなかった。
初めての自覚
しばらく写真を撮り合って、ふたりは窓際に腰を下ろした。廊下の遠くから聞こえる足音や部活動の音が風に混じり、なんとなく柔らかな時間が流れる。
三葉がポツリと呟いた。「キノ先輩って、どうしてそんなに、人のことをちゃんと見てるんですか?」
彼は眉をひそめた。「ちゃんと、見てるつもり?」
「わかりません。でも、少なくとも私のことは見てくれてる感じがします。他の人とはちょっと違う……」
「それ、何気なく言ってるけど割と困るセリフだよね。うっかり期待されそうでドキッとする」
「期待しない主義なんじゃなかったんですか?」
「そうなんだよねぇ、困ったことに。でもほら、君がその先輩を見る目のほうが、実はよっぽど真剣なんじゃないの?」
その言葉に胸がざわめいた。どう返したらいいかわからず、ただ黙り込む。ふと目の前に置いたカメラが視界に入る。
キノが軽く笑いながら立ち上がった。「じゃあ僕、そろそろ行くよ。ちょっとだけ遅い晩ごはんが待ってるしね。草牧さんも、鍵よろしくね」
部室にひとり残された三葉は、自分が胸に抱えた感情に初めて気づいたような気がした。それは言葉にならないもどかしさと、それ以上の暖かさを同時に孕んでいた。