マッドの両親
卒業から一年が経ち、トクサツもマッドも、気付けば二十歳になっていた。
「そういえば、マッドのママはどういった馴れ初めでマッドのパパと仲良くなったの?」
エンタメ国の城内に作らせた、サイエンティスト家用の研究所。
広さは勿論安全性も高く、個室や設備もしっかりと用意させてある。研究対象からあまり離れたくないというサイエンティスト家の意思を尊重し、研究所内で快適に生活出来るようにもしておいた。
そんな研究所の一番広い部屋、共同研究室の隅にあるちょっとしたお茶スペースで、今日の分の仕事を終えたトクサツはマッドの母であるヤサシイにお茶を淹れてもらいながらそう問いかけた。
「まあ……! まあ、まあ、まあ!」
ヤサシイは目を輝かせ、嬉しそうに赤く染まった頬を緩ませて笑う。
「トクサツったらわたしの馴れ初めを聞いてくれるのね!?」
「ええ、是非聞きたいわ! だってきっととっても素敵で、とっても気になっちゃうんだもの」
「嬉しい!」
トクサツを抱きしめ、嬉しい嬉しいとヤサシイはトクサツに頬擦りした。
「そう、そうなの、わたしは娘とこういう話をしてみたかったの! 関わりのある人のちょっとしたお話もそうだし、わたし自身のお話をそうやって興味を持った上で聞いてほしかったのよ!」
「母様、何故わざわざわたくし様に聞こえる音量で?」
「だってマッドったら全然そういう話に興味を持ってくれなかったんだもの! 人気の恋愛譚にすら、恋心という概念を付与させる、一般的には惚れ薬と呼ばれるものを作るにはどうするか、なんて……そこじゃないのよ大事なところは!」
んもう! と言いながらもヤサシイはトクサツを抱きしめたままだった。
温かくて柔らかくて、トクサツはじんわりとしたものが胸の中に広がっていくのを感じる。
「ええと、それであの人、クレイジーとの馴れ初めだったわよね?」
トクサツから離れ、ヤサシイはトクサツの向かいに座り、ニコニコウキウキワクワクした様子で語り始めた。
・
ヤサシイは、とある村の生まれだった。
正直に言って裕福では無かったし、飢饉まで発生した為に若者は身売りを覚悟しなければならない程だった。肉体労働で即戦力になる男は村に残った方が良いからと、若い女は特に危うかった。
毎日、どこかの家から若い女の泣き声が聞こえるくらいには、ギリギリだった。
「枯れ果てた畑を見せてもらおう」
そこにやって来たのが、クレイジー・サイエンティストだった。
身なりに気を遣っていない、正直言って所属も成果もよくわからない研究者だった。けれど村の飢饉は本当に酷かった為、どれだけ不審な人物であろうと、藁でなくとも縋りたい状態の村人は彼に賭けてみる事にした。
「寧ろ、よくもまあこれだけ枯れた土を耕そうと思ったものだ」
不愛想にそう言いながらも、クレイジーは弟子に指示を出した。
「君はそちら。肥料を一面に撒いてくれ。撒き終わったら村人たちに耕させる。その後、薬品を混ぜた水を土に染み込ませる。これを五日間繰り返せば、多少は見れる畑になるだろう」
その通りだった。
最初は半信半疑だったけれど、翌日にはもう、雑草の小さな芽が出始めていた。彼が言っていた通りの五日が経過すれば、こんなに沢山のミミズは見た事が無い、と思う程に大量のミミズが発生していた。
ふかふかの、こんな土があったのかと思うような土になった。
「まず栄養が無かった。特製の肥料を混ぜ込む事により、土の中に空気と栄養を入れ込む。耕さずとも効果はあるが、耕した方が栄養の行き渡りが早い。水に混ぜた薬品は、単純に効果が出るのを早める為の薬だ。ミミズといった益虫の類を集める効果も持つ」
一体どうしたらこうなるのかと問えば、クレイジーは淡々とそう返した。
次に、クレイジーは種を用意した。
「通常より早く育ち、栄養価も高く、収穫後に残った茎や根っこは耕して肥料にする事が出来る作物の種だ。難点は頻度高く食べていると栄養素の過剰摂取状態で逆に不調が発生する事と、繰り返し同じ畑で育てると畑が肥料焼けを起こすようになる事。一先ずこれを育てて、畑の改善と足りていない栄養を確保した方が良い」
村が改善するのは、あっという間だった。
その作物の種が用意されたのはその時限りだったが、村人それぞれに必要な栄養が足りた事で病人が回復し、働き手が確保出来た。畑が回復した事で、普通の作物が育てられるようになった。
「どうしてここまでするのか、だと? わかりきった事を。枯れ果てた村だからこそ、それを回復させるだけの力があるかどうかの確認が出来る。大して枯れていない村を回復させたところで意味など無い。健康体や微熱があるだけの人間にどれだけ上等な熱冷ましを飲ませても意味など無いように、今にも死にそうな高熱の患者に飲ませてこそ、上等な薬の効果がわかるというものだ。違うか」
確かに、と思った。
普通の人なら諦めるような症状相手でも、この人は逆に諦めないのね、とも思った。
「あの……弟子にしてください!」
「構わないが」
二度目を起こさない為にも、他にも飢饉が起きている場所を救う為にも、とヤサシイは弟子入りを志願した。驚く程あっさりと受け入れられた。
「僕様は来る者を拒まない。まあ、悪人にならないよう気を付けたまえ」
「? はい!」
その言葉の意味は、その時はわからなかった。
・
「言葉の意味?」
「つまりね? あの人ったら弟子入りを受け入れてたのは、弟子になった人がスパイやお金目当てで成果の横取りするのを待ってたんですって」
「えっ!? でもそれってとっても悪い事よね!?」
「そう! でもそんな悪人だからこそ、誰に指を差される事も無く人体実験に使えるからって! それを知った時にはビックリしちゃった!」
その会話に、研究の手を止めずに居たクレイジーがため息を零す。
「それを何度か見て、同僚を警戒しなければいけない状況で人間不信になっていくのも、同僚だった相手が人体実験に使われるのを見るのも嫌だと泣いたのは君だろう。それ以降弟子は取っていないんだから、今更掘り返す必要もないだろうに」
「それとこれとは違うのよ! もう!」
ぷん、とヤサシイは拗ねたように頬を膨らませる。
こういう時のヤサシイは何だかちょっと幼くて、トクサツは思わず笑ってしまった。
・
ヤサシイは、クレイジーに対して淡い気持ちを抱いていた。
元々村を救ってくれた恩人でもあった。とびきり集中して実験をしているとかでもない限り、質問にはそれなりに答えてくれたし、どうやれば良いのかも教えてくれた。
同僚の弟子がやらかしては人体実験に使用されて大変な事になるのをドン引きして横目に見つつ、ヤサシイは真面目に着々と技術を磨き、文句無しの助手へと至っていた。
その頃には、クレイジーへの気持ちも自覚していた。
(でも、先生への迷惑に……)
そういうものに興味がない人に見えた。
こんなに凄い人なのだから、もっとこう貴族やお姫様みたいな、そういう人の方が良いんじゃないかしらとも思った。
(……いえ、それは無いわよね)
でも冷静になってみれば、貴族の娘やお姫様が大人しく研究を見守ったり手伝ったりするイメージは無いし、そういった人にクレイジーが優しく微笑みかけるようなイメージも湧かなかった。
そもそもどちらかといえば権力を嫌うタイプの人である。
(というか、考えるだけ無駄なんじゃないかしら)
恋愛事に興味がない人なら、相手が平民でも貴族でも、飢饉で売られる寸前だった村娘でも、対応に差異はないだろう。
告白をしてしまえば助手として傍に居る事すら出来なくなるのではないかと心配したが、それでも想いを抱いたまま何も告げないなんて出来なくて、ヤサシイはクレイジーに告白した。
「そう。よろしく」
「……えっ?」
「うん? 今後恋人という関係性で関わりを持つという話じゃなかったのか?」
とても、とてもあっさりと、その告白は受け入れられた。
・
「でもその後、触れ合いも恋人らしい会話も一切、いっっっっっっさい無かったのよ! 酷いでしょう!?」
「それは酷いわ! きっともっと素敵な関係になるんじゃないかって胸を躍らせてたに違いないのに!」
「そう! そうなの! でもあの人全然そんな事に気付いてくれなかったの!」
きゃあきゃあと騒ぐような声量と声音で姦しく話す二人に、クレイジーは少し困ったように眉をひそめてフラスコを揺らす。
「……マッド、先程から思っていたんだが、僕様は時間差で責められているのか?」
「さあ。わたくし様には判断出来ないのでよくわかりません」
「そうか」
やはりこういった門外漢についてはわからないものだな、とクレイジーは納得して思考を止めた。考えたところで二十年以上答えが出ていない分野だ。根本的に理解不能だと諦めた方が合理的。
・
恋人になっても、クレイジーとの関係は何も変わらなかった。
恋心があるのか心配になるくらい、まったくもってクレイジーからの態度は変わらなかった。
「……あの!」
「?」
「幾らなんでも、これは酷いわ! 折角恋人になったのに、今までと何も変わらないだなんて!」
他にも色々言った。叫んだ。支離滅裂な自覚がありながら感情をぶつければ、クレイジーはいつも通りの顔で、よくわからないと首を傾げる。
「君が望んだ恋人という関係性にはなっただろう」
「……は?」
「恋人の定義というものは曖昧だが、基本的にはお互いに合意した上で得る関係性だと判断した。性行為をすれば恋人なのか、キスをすれば恋人なのか。そう判断すると、娼婦や性依存状態の者は適用されない。一般的には、そういった行為は無くとも、お互いが恋人という関係性に合意していれば恋人である、という事のようだった」
まあ恋人関係になるとキスを始めとした何らかの性行為をする傾向にあるようだが、そういったものが無い恋人関係もあるようだし。
クレイジーは淡々とそう言った。
「だが、ヤサシイにとっては不満だったようだな。お互いが主張すれば会話があろうが無かろうが、距離があろうが無かろうが恋人関係と言えるものだと判断したが違うらしい」
難しいな、とクレイジーは顎に手を当てて少し眉間に皺を寄せる。
「こういったものは、満足したという判断になる境界線が酷く曖昧だ。個人差が大きい。一般的な平均値が適用されるか不明な以上、率直に聞かせてもらおう」
クレイジーはヤサシイを真正面から見据え、いつも通りに言った。
「君が僕様に一体何を求めているのか、ハッキリと示してくれ」
「~~~~~っ! さいっ、てい!」
あまりにもあんまりだった。
デリカシーが欠片も無い。恋人とは何ぞやと、恋人に聞いてくる。恋人という定義を全うすればそれで良いんだろうという態度もまた、ヤサシイの腹を苛立たせた。
そういうのに興味がないのは知っていたけれど。
そういうのを理解しているかも怪しいとは知っていたけれど。
だからって、それを真正面から聞いてくるだなんて。
「…………何故?」
思わず手を振り抜いたヤサシイに頬をビンタされたクレイジーは、感情のままに研究所を出て行ったヤサシイの背中を見ながら心底不思議そうにそう零した。
・
「聞こえたの?」
「そう、聞こえたの。開け放した扉の向こう、背中越しに。それが本当に不思議そうで、どうしてわたしが怒ってるのかさえわかっていないような声なのよ? もう絶対、ぜぇーーーーったいに戻ってあげないわって思うのも仕方のない事でしょう!?」
もう! もう! とヤサシイは膝を叩く。
「でも、こうして二人が一緒に居るって事はそれでお別れって事にはならなかったのよね? マッドのママが帰って来たの? それとも、マッドのパパが迎えに?」
トクサツの疑問に、先程まで怒っていたはずのヤサシイが一気に機嫌を良くして微笑んだ。
「うふふ、どっちだと思う?」
「……迎えに来たの? マッドのパパが?」
「そう! わたしもクレイジーは絶対に迎えに来てくれないと思ってたのに、ちゃんと迎えに来てくれたのよ! 恋人だから、って!」
「恋人という関係性は維持されている中で、故郷で他の男と結婚するなんて知らせを受ければ迎えに行くのは当然だろう。関係性としては恋人であり、助手としても有能な人材を失うのは惜しい」
「あなたってば、そういう事を言わなければ満点だって言ってるのに!」
「事実を言っているだけだろう」
相変わらずよくわからんな、とクレイジーはフラスコの中身を傾けた。うむ、予想通りの色になった。順調順調。
・
ヤサシイは、当時イカレタ達とは別に研究所を持ってあちこちを旅していたクレイジーのところに居候していた。
クレイジーは対人よりも自然相手の薬を作る事が多く、規模が大きいものを好む事から当時は移動頻度が多かった為、よく拠点を変えていた。
勿論それは弟子になった裏切り者がサイエンティスト家の情報を売ってお国が確保に動くからという理由もあったようだが、ともかくヤサシイは彼のところに住んでいた。
だが、飛び出してしまってからどうしたらいいか困ってしまい、とりあえず丁度近かった地元に帰る事にした。
「うう……やってしまったわ。クレイジーは……先生は、怒っているかしら。……怒ってさえ、くれてないかしら」
何なら助手が居なくなったのは少し残念だけれど、これでまた弟子を取って人体実験に使う事が出来る、なんて考えて楽しんでいるかもしれない。ヤサシイは勝手な想像をして勝手に落ち込んだ。
クレイジーの中でそこまで大事な存在になれていないのは自覚していたけれど、それでも、一度うっかり期待してしまった分、それを感じるのは辛かった。
「……間違いなく、迎えになんて来てくれないわよね」
そもそも、どこに居るかもわからないだろう。飛び出してから行き先を決めたくらいだ。
行き先がわかっているからといって迎えに来るイメージも無い。それよりは害虫の嫌う臭いについてを研究したがるだろう。数年間ずっと一緒に居たので間違いない。絶対そう。
そうやってウジウジしていたら、何故か村ではヤサシイの結婚話が進んでいた。
・
「どうして!?」
「ショックが大きかったのもあってわたしは話をよく聞かずに適当な相槌を打ってたのね? そしたら、結婚適齢期をそろそろ超えそうな年頃だから、って。村だからそういうのが早かったの。そして売れ残りは恥みたいなところがあるから、凄い勢いで話が進んじゃって」
「大変だわ! ……あ、それでマッドのパパが迎えに来るのね!?」
「ええ」
ヤサシイは両手の指を絡ませるようにして合わせ、ほんのり色付いた頬を緩ませる。
「クレイジーはね? 作物の種でわたしを買ったのよ」
「どういう事?」
流石のトクサツも真顔で問うくらいのワードだった。
・
急な結婚話で困りはしたが、どうせあの人は迎えに来てくれないだろうから、と自棄になるような気持ちで結婚の話を進めた。
そうして式の二日前、クレイジーが突然やって来た。
「……どうして?」
「招待状が来た」
それはヤサシイの親が出したものだった。
ヤサシイがクレイジーと恋人関係にあるなんて知らない、ヤサシイも語れる心境じゃ無かった為に言っていなかった結果、娘がお世話になった師匠であり、村の恩人であるクレイジーにも招待状をと思って出したらしい。
「こういった話は、村長に告げれば良いか」
「え、ちょ、先生? クレイジー? どうしたの?」
クレイジーはいつも通りの顔でヤサシイの手を引き、村長の家に向かった。
そこでクレイジーは、作物の種を村長に見せた。
「回復した畑を二度と枯らさないようにと水源である近くの川を村まで繋げたようだが、そのせいで水害に悩まされているようだな。これは水辺の近くに植える事で根を伸ばし、土を固め、川の水が周辺を飲み込み氾濫するのを抑えるものだ」
「何と!」
「これを、この娘と交換して欲しい」
貴方の人柄はよく知っておりますから安心だ、と村長は言った。昔お世話になった時と、今この時くらいしかまともに会話した事も無いのに。
向こうには話を通しておきましょう、と村長は言った。それはありがたい事だった。
ではお前はその人の世話になるんだぞ、と村長は言った。村から飛び出してクレイジーに弟子入りしたというのもあってか、ヤサシイが村から出てクレイジーのところに行くというのを何も疑問視していないようだった。
そうしてとてもあっさり、それはもうあっさりと買い取られたヤサシイは困惑したまま腕を引かれて村を出て、そこでようやく状況を理解した。
「って! どういう事!?」
「何がだ」
「現状よ! 何で結婚が、いや買い取り、じゃなくて何で迎えに!? どういう事!?」
「君は僕様の恋人なんだろう」
一体何を言っているんだか、と眉を潜めて、クレイジーはため息を吐く。
「恋人が他の男と結婚するなんて話を聞いたら、駆け付けるのが恋人なんじゃないのか?」
当然のようにそう言ってくれるのが嬉しかった。
当然のようにそう言っているのが認められなかった。
「……それは、恋人だからした事?」
「ああ」
「恋人という立場だからこそした事?」
「先程の問いと何が違うかわからないが、ああ」
「…………わたしを他に奪われたくないと思っての事じゃなく、恋人ならこうするという義務感から行ったもの?」
期待。でもほんの少し、保険として持ったままの諦め。
それを胸の内でドキドキさせながら問えば、クレイジーは先程よりも眉間に皺を寄せた。怒っているようにも、考えているようにも、困っているようにも見える顔。
「……正直、僕様に恋人関係なるものの定義や価値観はわからない。恋人関係は性的な接触無しでも、傍に居るだけでも良いとあった。会話は必須ではない、と。だから同じ空間で実験を繰り返すのであっても、恋人に求められている行動は達成していると判断した」
だが、君はそう認識していないようだった。
クレイジーは淡々と、低い声でそう告げる。
「奪われたくないのかという問いには、その通りだ、と言わせてもらおう。言われた通りの手順を全うする真面目さ、僕様の研究に付き合える頭の出来、どのタイミングで何を差し出すべきか理解している経験。それらを思えば、手放すには惜しい助手だった」
「助手……」
「こういった場合、誰かに取られたらというのを想像して感情を判断するんだろうが、僕様としては誰かの隣に居る君を想像した際、これだけ出来る裏切らない弟子を育てるのは無理だから困ったな、と思った。だがまあ、広義的に言えばこれも独占欲と言えるものだろう。奪われたくないと思われたい、という考えがあるのなら、これで妥協して欲しい」
色々言いたい事はあった。妥協って何よとか、それは私が思ってもらいたいものと違うとか、言いたかった。言いたくて仕方がなかった。
でも、クレイジーが本気で、真面目に、真っ直ぐに言っているのが伝わったから、クレイジーなりに真剣に考えた結果こういった言い方と判断になったのだろう。
「では改めて言おう」
クレイジーは、言う。
「やって欲しい事があるなら、先に詳細を伝えて欲しい。二度とこういった行為はするな。やりたい事があるなら、重要な実験中でない限り付き合おう」
ただし、
「次は無いぞ。恋人という関係性である前提ゆえの判断なので恋人関係を解消されて以降ならともかく、恋人関係のままでまた同じ事をするようなら」
その時は、
「僕様は君から、外に出るという自由を奪う事になる」
その言葉に、この想いはただの一方通行じゃなかったのだと知って思わず泣いた。
・
「わかるわ、マッドのママ! 嬉しいのよねそういうの!」
「そう! そうなの! わかってくれるのね!」
「だって、捨てられる方が……見放される事の方が、よっぽど怖い事でしょう? その逆を持ってきてくれるだなんて、とっても大事にしてくれてるって事だわ。そして、今後も大事にしてくれると言っているも同然じゃない」
「やっぱりわたし、トクサツとは気が合うみたい! そう! その通りよ! それでもうわたしったら嬉しくって!」
きゃあきゃあ、とトクサツとヤサシイは明るく楽しい声を研究所内に響かせる。
「それに、そこで何というか……クレイジーって本当にそういった機微というか、情緒みたいなものがわからないってのも実感しちゃったから。それ以降、一般論とわたし個人の意見と望みをちゃんと明文化するようにしてるの。じゃないと実験しかしないものね」
「それで……そのお陰で、マッドは僕のお願いを聞いてくれるのかしら」
「勿論。マッドにはちゃぁーーーーーーんと、相手の態度等から何を求めているか察したり、何かをしてもらっているという意識があるのならしっっっっかりそのお礼として相手が喜ぶものを返してあげてねって教えたわ!」
「まあ……! ありがとうマッドのママ!」
じゃれ合うようにきゃっきゃと戯れているのを耳で感じながら、それぞれ休憩として実験を中断した父子は目だけを動かして視線を合わせた。
「わたくし様としては別に厭うものでもないという判断から。そして肉体という元手さえあれば達成する事が出来る願いばかりなのですぐに応じているわけですが、父様もそういう風にしてるんです?」
「まあ、そうだな。一週間以上先の約束はつい実験に集中して忘れてしまう為、そういった約束事は一週間を切ってからだ。時折予約の問題から数ヵ月先の予定が入る事もあるが、そういう場合は毎日時報のようにそのことを告げられるので忘れずに済む」
「成る程」
普通ならノイローゼになるだろうし、そうもしつこく言われればプレッシャーに感じる事もあるだろう。単純に聞き飽きたという意味でストレスになる事もあるかもしれない。
だが、マッドとしては忘れず済むのでありがたいなという感想だけだ。
思考回路としてはマッドと似通っている為、クレイジーもまた同じ感想だろう。そこまでしつこく言ってくれるなら、逆にありがたい。
「何だ何だ、盛り上がってんじゃねえか! 何かあったのか?」
「ええ、そうなのよお義父様! 今トクサツに、わたしとクレイジーの馴れ初めを聞いてもらってたところなの!」
「へえ、そりゃあ良い。前からそういった会話を娘とするのが夢だって言ってたもんな」
「そうなの! こんなに可愛い娘とコイバナが出来るなんて、ちょっと遅れたけど夢が叶っちゃった!」
かいぐりかいぐり頭を撫で回されたトクサツは顔を赤くして照れ、一方のマッドはこれわりと嫌味だなと判断したが何も言わなかった。そういった内容の会話に興味がなく、わざわざその話に付き合う必要性も無いからと拒否してきたのはただの事実だったので。
「あ、そうだわ! マッドのお爺様は、マッドのお婆様とどういった馴れ初めなの?」
ハグと頭撫で撫でから解放されて一息入れ落ち着いたトクサツは、ふと気付いたように手を叩いてそう言った。既に意識はそちらに移ったらしく、トクサツの目は期待と興味にキラキラと輝いている。
「オレとイカレタの?」
「そう!」
「期待してるような可愛らしいもんじゃねーぞ」
老体にしてはわりと元気で頑丈な体を持つマトモナが、どっかりと椅子に腰かけた。
「幼馴染のアイツに勝負を挑んでは負けてたのが許せなくて、オレは何度も勝負を挑んでたんだ。なのにあの馬鹿、勝ち逃げで勝手にどこかへ行きやがって!」
ダン! と机が叩かれ一瞬だがカップが宙に浮いた。
「それが許せなかったから追いかけて、テメェに勝つまで諦めねえぞと宣言したら、何故か薬で意識奪われて監禁されて、気付いたらアイツが腹ん中にオレとの子をこさえてた」
「何があって!?」
「だろ、そうなるだろ!? オレだってぼんやりした気分から意識が覚めてみれば、うっすら腹がデカくなったアイツだぞ!? それだけならともかく、オレとの子をこさえた発言! 何があったんだってどんだけ驚いたか!」
「酷い言い草だね」
やれやれ、とここまで完全に我関せずのまま新薬についての論文を書き連ねていたイカレタが肩をすくめる。
「流石の私様だってこれは駄目だと判断して姿を消したのに、君は私様を追って来た。とんでもない口説き文句まで繰り出してね」
だから、とイカレタは言う。
「だからコレを確実に私様の物として手元に置く為の手っ取り早く確実な案として、子を作る、という選択肢を実行した」
「その段階の飛び方がおかしいだろっつってんだクソババア!」
「半身不随になった原因相手に微塵も態度を変えなかった君の方がおかしいだろう」
ちょっと待って半身不随って何?
Q マトモナは半身不随だった事があるんですか?
A はい。
Q 今のマトモナは普通に走ったり動いたりしてますよね?
A はい。
Q 半身不随が治ったんです?
A 治ったんです。




