相性良し悪し
噛み千切る勢いで歯を食い込ませる。
『ああああああああああああ』
仰け反ろうとする喉を逃がさない。暴れようとする両の手を離さない。
実態が無いはずの悪霊の喉から、ミリ、と皮膚が破れるような音がした。
『ああああああ、ああ、ああああああああいたいいたいいたいいたいいたいいたいいたいいいいいいいいいいいいいい!』
「う゛う゛う゛う゛う゛う゛っっ!」
逃がさない。
軸をブレさせず、重心を安定させたまま手首を固定する事で腕を曲げたりすら出来ないよう相手の動きを封じ、痛みに身を跳ねさせる獲物が逃げないよう一層歯を食い込ませた。
『いやだいやだいやだいいたいいやだいたいいたいいたいいやだいやだいやだあっっっ!』
「ひ、ヒメ、その辺にしておいてあげないと可哀想よ!」
「…………ふ゛ぅーーーー……」
トクサツからのストップが入ったので、ヒメは渋々ながらも口を離した。念の為にギロリと悪霊を睨みつければ怯えたように身を震わせたので、ここから再び暴れようとはするまい。
ただ痛めつけるだけでは、それをやめた瞬間に反撃される恐れがある。
悲鳴を上げても止まらず痛みを与える事により、痛みが止んでも逆らう気持ちが発生しないようになる。向上心があるのは結構だが、勝機が無いという事もわからん下手な反乱を起こすような馬鹿を出さない為、こういった行為は重要だ。
「……さて」
『憎い……憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い』
「一旦落ち着いたところで話を」
『憎い憎い憎い憎い憎い憎い』
悪霊はこちらを見ようともせず、噛み癖でもあるのか随分と乱れた爪で、自身の顔を引っ掻き始めた。
頭から口元に掛けてを切れ味の悪い、しかし鋭利ではある爪で掻き、顔面の皮膚が裂ける。
そこからどす黒い色の血を流し、暗い色の肉を晒し、けれど魂だけの存在であるからか砂が重力に従って落ちるような自然さでしゅるりと皮膚は戻ってゆく。
悪霊はそれに自覚があるのかないのか、血走った目をどこに向けるでもなく、ただひたすらに憎いと呟いて自身の顔を掻いては血を流し、傷が治り、また爪で裂き、を繰り返していた。
「ちょっと、無駄な自傷はやめなさいな。それより話を」
『どいつもこいつもおれが悪いみたいに……おれが、おれは、おれだって……!』
「黙れ」
『っ!?』
うるさかったので横面に蹴りを入れて黙らせた。話を聞かない上にこちらを認識する気も無いのなら無理矢理意識させるまでだ。
「まともに話を聞かせる気があるのかどうかを聞いてるのだわ。貴方の人権を得たいならそちらの態度次第よ」
『……ハハッ、これだこれだよお貴族様ってのは。だからおれは貴族が嫌いなんだ。いつだって上から目線でふんぞり返ってえっらそうによお』
「そちらがどんな立場であろうと亡霊は亡霊。ここは生者の世界。生きた体も持たない亡霊がぎゃあぎゃあと子供の癇癪みたいに喚く姿を見せられるこちらの気持ちも考えて欲しいのだわ」
『…………』
ギョロリ、と血走った目がヒメを見た。
『おれはお前が嫌いだ。いけ好かねえ。おれを馬鹿にするやつらと同じ臭いがする』
「あらそう。私は貴方について、別にそこまで嫌いでも無いのだわ。環境に負けないで諦めずに居たなら、それはとても強いこと」
けれど、
「過去に囚われてぎゃあぎゃあ喚くしかせず、乗り越えようとも歩き出そうともしないのなら、強かろうが意味など無い。どれだけ頑丈だろうと沈んだ鉄塊に何の意味がある。貴様自身でその価値を貶めるな亡霊」
『お前だってそうだ、ほらやっぱりそうだ、誰もおれを見ない……誰も、誰もおれの行いを認めない……誰も、誰も誰も誰も誰も誰も誰も誰も!』
そのいちいち嘆く態度が気に入らない。自分の行いがどうなのかと顧みるのではなく、他人のせいだと喚く態度が気に食わない。
そう思ってもう一撃入れてやろうとすれば、ジンゾウに取り押さえられた。
「なに」
「いや、ヒメちゃんかなりスイッチ入ってたから……」
「他者の評価程度でぐらつくメンタルが気に食わないのだわ。間違いなく強者であるなら、その事実は揺らがない。他人の評価が無ければ自分を保つ事も出来ないだなんてあり得ない」
そう、
「事実として強さがあり、自分自身がそれを間違いない事実として掲げているなら! それはただの事実! それなのに他人の評価を気にしたり、他人に理由を求めたり! 折角の強さを持て余すのが何よりも嫌いなのだわ!」
「ヒメちゃん落ち着いて!? っていうかそれ僕のことじゃない!?」
「ジンゾウは自分の弱さと強さに向き合っているでしょう! 自分自身から目を逸らして他人に理由を押し付ける、そこが気に食わないと言っているのであってジンゾウは関係無いのだわ! 勝手に無関係な者が割り込まない!」
「はい!」
良い返事をした癖に手を緩める気は無いらしい。まあ、このまま解放されればまた一撃入れようとしてしまうので仕方あるまい。
調べた内容から、この悪霊が強いのは知っている。こうして目の当たりにして、実際に強いというのもよくわかった。
だからこそ許せない。
自分で自分を追い詰めて、自分から弱くなっているかのような現状が。
人生の後半で得たはずの安定感や安らぎをすっかり忘れてしまったかのような態度が、認められない。認めたくない。単純な武力としての強さだけでなく、心が安定し、人としての強さも得たはずじゃないのか。
それが、どうしてこんなにも見苦しい挙句になる!
「まったく、ザカの者は相手が強い程感情的になるね」
やれやれ、とマッドが真顔で肩をすくめた。
「ヒゲキ女王の時も彼女のか弱いからこその強かな強さを前にして苛烈な態度になっていたが、もしやと思って持ってきて正解だったよ。はい、精神を落ち着ける薬」
「要らないわ、マッド」
「だったら即座に落ち着くんだね。感情のコントロールくらい出来るだろう。戦場では激昂こそ命取りだ」
「………………」
その通りだった。相手の弱さが気に食わないと言いながら、こちらも弱さを見せてしまうとは何たる恥。
強者が自ら自身の強さを貶めるなと叫んだ舌の根も乾かぬ内に、自分が感情を荒ぶらせた姿を見せてしまうとは。相手に叫ぶなと言っておきながら、注意した本人が叫んでいるようなもの。
ヒメはすぐに思考を落ち着け、感情を整理し、深呼吸で熱を持った頭を冷やす。
今はそういった場で無いから良かったものの、ここが戦場で、相手が意図してそういった煽り方をしていたなら一撃で首を取られていただろう。我ながら未熟な。
「うーん……まずお兄さん、あ、オレはライト・ノベル。お兄さんの名前聞いても良い?」
一方ライトは悪霊にフランクな態度で話しかけ、悪霊から怪訝な目で見られていた。
暴走のキッカケとなるような何らかのコンプレックスは刺激されていないようだが、明らかに頭おかしいヤツを見る目をしている。
『……何で』
「呼びづらいし」
『…………ミサ・セイジャク』
「ミサね、オッケー。それでミサは憎いとか色々言ってたけど、何かあった?」
『……どいつも、どいつもこいつもが、おれを、おれを否定して、』
「どんな風に?」
『………………』
キレるわけでもなく、悪霊はライトのテンポに呑まれているのか無言の後、静かに答えた。
『……醜い』
「そう言われたの?」
『ガキの頃、そう言われない日は無かった。醜い。見るのも不快だ。その黒いヤツをどこかへ捨てて来い。足の形もみっともない。……皆そう言った。おれを見て、皆、みんな、みんなが』
「そっかァ」
悪霊はガリガリと自身の顔を掻いて黒い血を流すが、ライトはそれを完全にスルーしている。ただ穏やかに話を促し、聞いているだけだ。
だというのに、明らかに悪霊の様子が落ち着き始めていた。
「……ライトは元々、祓の効果もあってか手術前の患者と話すのを任される事が多かったらしい」
「そういえばそんな話を聞いたような気もするのだわ」
「…………だからなのか、元々そうだというのもあるだろうが、ライトは聞き上手だ。話を聞くこと自体も好きなのだとは思うが……」
ライト達の方を見ながら、フリョウが言う。
「……祓を無意識に発動しているのか、ライトと話していると思考から淀みが消える。本当の意味で抱いていた、素の気持ちは何だったか。そういったものが浮き彫りになっていく」
「…………とりあえず、私は相性が悪いようだから身を引いている方が良さそうなのだわ」
「だろうね」
マッドが頷く。
「グーにはパーで包んでしまうのが一等良い。ヒメはグーを出したあの男に対し、グーで殴り合いという選択をした。そりゃあ当然、あいこが終わらないわけだ」
何も言い返せないくらいマッドの言葉は正論だった。
「そう言われて、憎かった?」
『当たり前だ!』
優しい声で放たれるライトの問いに、悪霊は噛み付くようにそう返す。
『おれは、そんな評価にも負けないよう、頑張って、がんばって、まけないように』
「そういう人ばっかりだった?」
『……ああ。おれを見たヤツ皆がそう言った。ガキのおれに対して、こんなのが評価されるのはこいつが死んでせいせいしたって時くらいだろうと……誰もが、そうやって、おれを』
「そう言わなかった人は?」
『あ?』
「そういった事を言わなかった人は、居なかった?」
悪霊は目を見開き、止まった。
『……居た』
「居たんだね」
『ああ……居たんだ。おれの世話役になった男が。……爺さんは、爺さんだけは、おれを愛してると言ってくれた。もっと高い位置に至れると。他のヤツなんて目じゃないと。どんなヤツもぶっちぎれるくらい強くなれるって、爺さんだけはおれを信じてくれた』
「良いお爺さんだね」
『馬鹿な爺だ。爺って程のトシでも無かったが』
そう語る悪霊はまだ顔を掻いて黒い血を流しているものの、その目付きは先程までに比べてかなり穏やかなものへと変じている。
声からもトゲが取れ、口角は僅かに上がっていた。
『……爺さんだけは、おれを疫病神と言わないでくれた』
「他の人には言われた?」
『言われた。片手で数えられる年の頃、同じ年ごろの奴らと馬車に乗ってて……その日は、教会の見学からの帰りだった。乗ってた馬車がひっくり返った』
「えっ」
『タイヤが外れた。坂道だった。止まらなくなった。馬も、御者も、他の奴らも皆死んだ。生き残ったのはおれだけだった』
「……唯一生き残る事が出来たなら、よくぞ生きててくれたって言うもんだろ」
『爺さん以外が言うわけねえだろ。どいつもこいつも、何でお前が生きてあの子達が死んだんだ、って顔を真っ赤にして唾を吐き散らしてきやがった』
悪霊は笑う。暗い目で笑う。
『お前が死んでいれば良かったのに』
何度そう言われたか、と言って悪霊は笑う。
『それでも、それでも負けないようおれは戦った。戦士になった。大会じゃ厄介なライバルも居たが、何度か勝ったんだぜ。優勝だってした。したんだ……』
悪霊の顔は笑っている。しかし、その目は虚ろになっていた。
ヒメが調べ上げた悪霊の情報、改めミサ・セイジャクについての情報には、確かにその記録があった。記録した者がミサのアンチだったのか随分ボロクソな言い様だったが、ライバル本人との仲はそこまで悪くなかったのだろう。
そのライバルは貴族出身で、屈強で、顔が良くて、性格も明るく、万人に好かれる人だったらしい。
一方ミサは出身も曖昧、小柄で、醜くて、性格は狂暴で、貴族から毛嫌いされていた。
けれど偏見が薄い書物では、ライバルの実家の方はともかくとして、ライバル自身はミサを嫌ってなど居なかったという。出来レースのような中に飛び込んで勝利をもぎ取る姿を好ましく思い、戦うのを楽しんでいたとか。
もっともそのライバルは不慮の事故で弱っていたところ、処方された薬に拒絶反応を起こして死んでしまったらしい。
一部の本ではミサがやったに違いないと騒ぎ立てるものもあって、当時アンチからミサの扱いがどんなものだったかが透けて見える。
『……でも、誰もおれを認めなかった。爺さんは生活が苦しくて、どうにもならなくて、だからおれは爺さんが生活苦にならないよう、国を出て……』
ガリ、とミサはまた顔を掻き始めた。
『なのに』
ガリガリガリ、と傷が増えて黒い血が流れ暗い肉が覗いては塞がってゆく。
『なのになのになのになのになのに』
血走った目は完全に焦点がどこかへと飛んでいて、窓の外で瘴気に当てられたのだろう小鳥が墜落するのが見えた。
『なのにあいつら、ずっと後になってから手のひらを返して、爺さんを』
ミサの目から、黒い涙が粘度を持って零れ始める。
『爺さん、爺さんが酷い目に、おれのせいで、だからおれは、爺さんを、爺さんが、爺さんは』
「なァ、ミサ」
ライトは声を掛けながらミサの目の前でひょいと軽く手を振り、一瞬で焦点のブレを直して視線を戻させた。たったそれだけの動作で、だ。
「良かったら、詳しい話を全部聞くよ」
オレで良かったらだけどさァ、とライトは眉を下げて笑う。
「聞かせて欲しいな、ミサが出会った人達の話」
『…………』
ミサの目から涙が止まる。
何だか、アカの手紙にあった内容の意味がわかった気がした。
「……アカ、本当にあの子達は悪霊退治を全う出来るのか? お前はイージーモードだと言っていたが、被害を思えば」
「相性次第でハードもイージーになるんだ、ヒミツ。トクサツとの相性は最悪でも、ヒメとライトが居れば何とかなる」
「む……しかし、」
「言っとくけどもっと無茶振りあったからな。それに、あの七人はお互いとの関係性が深くなればなるほど、ハッピーエンド率が上がっていく。なら友情度が上がるイベントを選ぶのが最善だ」
「あんたがそう言うならそれを信じるまでだが……それで、この国の調整が終わったらどこへ行くんだ?」
「さてな」
「知らないわけがないだろう。既に目的地を定めているはずだ、お前は」
「…………ワルノ王国」
「あの国か。相当根深いんじゃないか? 外国に疎い僕でも知ってるくらいには悪名高いぞ」
「現状なら、早くて五年以内には片が付くさ。しかしそこでの革命を成功させる為には準備が要る。あの子があの子らしく動いてくれればそれだけで脅威は去るし隙も出来るんだが、その未来に近付ける為にもこういった友情イベントや引継ぎを済ませやすいようにという細工が必要ってわけだ」
「……やってる事は善行だし、犠牲が出ない道を積極的に選んでくれてるのに、どうしてこうアカの言葉は裏があるような聞こえ方になるんだろうな」
「俺だって心にダメージは負うんだぞ……」




