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私、実は姫騎士なのだわ  作者:
トクサツ誘拐作戦
48/89

上書き



 ボロボロと涙を零すトクサツに微笑みかけながら、マッドは囁く。


「愛されていたかった、という事は愛されていなかったという事だろう」

「……ちゃんと僕がいい子でいれば、愛していると言ってくれたわ」

「それが愛で良いのかい?」


 右の耳に寄せられた唇から放たれる言葉が鼓膜を揺らす。脳が痺れる。

 このまま聞こえてくる声に溺れてしまいたいのに、その声はトクサツに思考を要求した。考えろ、と。自分の意見を言えと言う。


「トクサツが求めた愛は、本当にそれだったのかな」


 トクサツの手を取ったまま、マッドのもう片方の手がトクサツの頬に伸び、優しくその頬を撫でる。

 ママがやるような触れるか触れないかわからない優しいものじゃなく、ひやりとした手がぴたりと頬を覆い、輪郭を確認するように指先が滑り、触れている部分からじんわりと体温が移って熱くなった。


「わたくし様は愛なんていう漠然としたものは理解し切れないものと認識しているが、ヒゲキ女王が、君の母親が、トクサツのママがトクサツに与えていた愛()()()()()は、献身に対する報酬でしかないだろう。無償の愛という、君が欲したものじゃないはずだ」


 うるさい。言わないで。僕はずっと見ない振りをしてきたのに。

 そうなの。僕が欲しかったものはもっと違ったの。あれじゃないわ。

 触って。もっと触れて。僕は一人じゃないって思わせて。

 人格が複数あるみたいに、頭の中がぐるぐるする。幼い頃の兄もこんな感じだったんだろうか。いいや、兄は自分の世界を作り上げてその世界に呑み込まれた人だから、これとは全く違うのか。


「わかっているはずだよ」


 そうよ。わかってる。わかっているの。

 でも、わかったらとても耐えられないから、わからない僕で居るしかなかったの。

 わかってしまえば、お兄様と同じになってしまうから。


「トクサツは素直で馬鹿が頭につく程正直だ。けれど、愚か者じゃない。だからわかっているはずだ。君に求められた献身の対価にしては、支払われた報酬は随分安いものだとね。君が求める基準に達成しているかも怪しい」

「…………ちゃんと、僕が望んでいたものをママはくれたわ」

「本当に?」


 頬を撫でる手が離れ、トクサツの髪を梳くようにして頭に触れる。


「こうして頭を撫でられて、愛していると言われて、眠る前にキスをして、おやすみなさいと言えるような。そんな些細な願いは叶えられたかい?」


 あたたかい。ぽわぽわする。何かしら、これ。

 トクサツはそこで初めて、自分が頭を撫でられている事を自覚した。ママがしてくれなかった事。誰もしてくれなかった事。

 使用人が髪を梳いてくれる時に触れる時はあるけれど、それだけだった。

 ずっとずっと夢見ていた。誰かに優しく頭を撫でられて、大事にしているものみたいに触れてもらうのを。愛しいと思ってもらえているのがわかる、優しい触れ方を。


「トクサツ」


 名前を呼んでもらえるのが、嬉しい。

 優しく触れて、名前を呼んでもらえて。いっそこのままとろけて死んでしまえば、どれ程幸せな心地かしらと思ってしまう。


「助けてあげる」

「え…………」

「言ったろう、前に。わたくし様の実験に付き合ってくれたお礼として、もしトクサツに何かあった時はわたくし様が助けてあげる、って」


 マッドはおどけたようにくすりと笑い、その吐息すらもトクサツの鼓膜に熱を与える。


「忘れちゃった?」


 掠れるようなその声は、脳と背骨を同時に引っ掻くような感覚をもたらした。


「助けを求めるのは慣れていないだろうけれど、助ける側が助けられちゃいけないなんて法律は無い。そうだろう?」


 ああ、そうだ。そうだった。確かにマッドはあの時、助けると言ってくれた。

 助ける事が義務付けられているヒーロー家の娘相手に、助ける以外の選択肢を与えられていなかったトクサツに、当然のようにそう言ってくれたのだ。

 例え被検体になったお礼を兼ねているのだとしても、その言葉がどれだけ嬉しかったか。


「さあ、一言で良いんだよ。君が生まれて来てから今に至るまで、一番耳にしてきた言葉だ。ママの真似でもしてみれば良い。ほんの一言」


 とろけるような、引きずり込むような、優しく揺らすような声。


「助けてくれと、一言で良い」


 それはずっと言いたかった、そして何より欲しかった言葉。


「助けてと言って、そして何が欲しいか言ってごらん」

「……何でもいいの?」

「叶えられるかは別だ。でも、君が望む事も願う事も、何一つとして罪じゃない」


 ちゅ、と耳元で音がした。先程から耳に触れていた唇が音を立てた。それだけ。

 唇が触れるだけでキスになるなら、耳を寄せられた時からキスはされていた。でもそうは思わなかった。ただ唇を寄せられているだけだった。

 でも、今のは確かに、トクサツに与えられたキスだった。


「キスが欲しいならしてあげる。一人で寝るのが寂しいなら、君が眠るまで隣で手を握って、何か話でもしてあげよう。愛は、わたくし様にはよくわからないが、愛していると言って裸で抱き合うくらいは出来る」

「でも、それは……それは、ワガママよね?」


 それは悪い子と言われる事で、口に出すのは勿論、考える事すら良くない事じゃないかしら。

 子供の頃、そう言われた。

 一人の部屋が苦手だった。暗い部屋が怖かった。広いお部屋は夜になると無性に寒くて、ママと一緒に眠りたくて、せめて寝るまで一緒に居て欲しいと思っていた。

 でもママの邪魔をしてはいけないから。

 だから読み聞かせもおやすみのキスも無いまま、トクサツは一人、寒くて暗い部屋で震えながら眠るしかなかったのに。


「わたくし様は欲しいものに妥協しない。求める基準を妥協しない。目標に到達しようと、更に上を目指している。わたくし様がこう考える事を、トクサツはワガママだと思うかい?」

「……いいえ。諦めなくて、向上心に満ちていて、とても素敵な事だと思う」

「だったら同じ事だ。あんまりにも無茶なワガママだったらわたくし様だって無理だと言う。でも、そうじゃないなら可愛いおねだりだ。何が好きだとか、何をしたいだとか、……そして何が欲しいと言うのだって、みんな自由だ」

「自由……」

「手に入るかは別として、何を欲しいと思うかは自由だとも。緑色になりたいと思っても、雲になりたいと思っても、」


 か細く、掠れるように、マッドの声が鼓膜を震わす。


「……愛されたいと思うのだって、君の自由」


 それは、考えた事も無いこと。


「愛されたいなんて、思っても良いのかしら」


 だって、


「思う事すら悪い事じゃないのかしら」


 だってそれは、


「それを想うのは寄越せと要求するのと同じで、そんなあさましい真似をしてはいけないって、ママが」

「トクサツ」


 顎に指を添え、上を向かされる。気付けば耳元から離れていたマッドの顔が目の前にあって、額と額が触れ合った。


「ママの事は忘れて、今はわたくし様の事を考えてほしいな」


 その声が、言葉が、脳に優しく染み込んでいく。


「……僕は今、心が酷くぐらぐらしているわ」

「だろうね」

「今にも倒れそう」

「知ってる」

「気絶してしまいたい」

「うん」

「とっても不安よ」

「そうかい」

「信じていた何もかもが、夢か幻だったと知らされた気分」


 トクサツの中にあった何もかもの価値観が、ぐしゃぐしゃに蹂躙されたような気分だ。

 ママの言う事を聞き続けて、学園で友人が出来て、ママの言う事を聞いて遠ざかって、そしてママに捨てられて、マッドに手を取られ助けを求めろと囁かれている。

 何もかも、幼少期どころか生まれた時からの何もかもが夢なんじゃないのかと思う程、考えがまったく追い付かない。


「それで」


 トクサツは微笑む。睫毛が触れた。吐息が唇に温度を与える。少し動けば唇同士が触れ合いそうな距離で、目の前にはトクサツの目があるばかり。


「それを踏まえた上で、トクサツはわたくし様に、何を望む?」


 望んでいいの?


「良いよ」


 ワガママを言っても、


「良いよ」


 自分勝手な事を言っても、


「良いよ」


 母親が子供に読み聞かせるときのような声。あるいは恋人を慰める時のような声。

 そんな優しい声に、ずっと求めていた言葉に、トクサツはくしゃりと顔を歪めてより一層大粒の涙を零し始める。


「……お願い……」


 マッドの視線から逃げるように顔を俯かせ、トクサツはマッドの華奢な胸に顔を伏せた。


「……助けてくれなくても良いの。愛されなくても良いの」


 慣れているから、与えられなくてもいいの。


「ただ、」


 一つだけ。


「ただ、」


 これだけで良い。


「ただ、」


 唯一のお願い。


「ただ、」


 ずっと望んでた。


「ただ、」


 憧れていたもの。


「ただ、僕のそばに居て……」

「良いよ」


 マッドはトクサツの頭を優しく撫で、ずっと握っていた手を離してその手をトクサツの背に添える。

 抱きしめられる感覚。これが抱擁。あたたかいもの。憧れていたもの。欲しかったもの。ほんの少し圧迫感や拘束感があって、それでいて敵は居ないと安心出来る不思議な感覚。

 トクサツは恐る恐る手を伸ばし、マッドの背中に自分の腕を回した。


「そのくらい、容易い事だ」


 回した腕が拒絶される事はなかった。避けられる事もなかった。

 夢の中、または夜に泣きながら枕やクッションを抱きしめるのとは違う、生きた感覚。肉があって骨があって体温があって、脈動がある。

 人を助ける時に抱きかかえる事はあっても、嬉しい気持ちのまま抱き着いたり抱き着かれたりはあっても、こうした形で誰かの温度を感じるのは初めてだった。


「助けてばかりの君は、たまには助けられる側になるくらいで丁度いいさ」


 耳に、唇が寄せられる。


「一人になんて、してあげない」


 その言葉に安堵したトクサツはゆっくりと目を伏せ、強張っていた体から力を抜いた。





 マンガが一部始終を全力でノートに書き留めていれば、ふとトクサツが静かになった事に気付いた。


「あれ、大丈夫?」


 どうかしたのか心配になって問えば、腕の中を確認したマッドが真顔で頷く。


「寝たね」

「えっこの状況で!? あっ本当だ寝てる! 嘘でしょここから幸せなキスをキメて暗転からのベッドコースでは!?」

「マンガさん、ヒメちゃんがこの場に居たらその発言許してないからね」

「わたし以上に際どい事してたのあっち! あっち!」


 マンガは慌ててマッドを指差すが、マッドはそんなマンガを鼻で笑って自分の膝にトクサツの頭を置いて寝かせている。


「どうせ城の中ではまともに眠れやしなかったんだろう。可哀想にね」


 マッドは膝の上のトクサツの頭を撫で、顔に張り付いていた髪を退けてやっていた。


「一先ず母親からの呪縛は解けたようで安心したよ」

「いや別の呪縛足されたようにしか見えなかった」

「そりゃあね。その方が手っ取り早くて確実だったから」


 何のこっちゃ。

 正直言って大変参考になるし大変エモいし大変百合で小躍りどころかズンチャカと謎の民族っぽい踊りを披露したいくらいには大興奮な絵面だったが、その実内容は恐ろしかった。あんなのはただの洗脳だ。

 それの何が手っ取り早くて確実なのか。


「……後学の為に何をしたかって聞いても良い?」

「端的に言えば洗脳」

「そんなものは見りゃわかるよ!」


 あれだけわかりやすく近距離での囁き、接触、そして相手の現実を叩き込んだり求めている言葉を与えたりしていれば誰だって気付く。あの状況では背景になる以外の選択肢が無かった程だ。必死に背景に溶け込みながらノートにペンを走らせる緊張感は二度と味わいたくない。いや嘘ああいうエモい場面には何度でも遭遇したいです神様。


「トクサツが母親に向ける気持ちは強かった。そして根深かった。外野が何かを言ったところで無駄だろうという程にはね」

「それは、まあ」

「母親から引き剥がして外の世界を見せ続ければ、長い時間は掛かるけれど一応どうにかはなるだろう。だが根っこまで処分出来るかはわからない上、母親と何らかの形で接触すれば再発する危険な状態」


 マッドはトクサツの目元に浮かんでいた涙を指先で掬い取る。


「水を止めてもコップの中で表面張力が悲鳴を上げているところに、ほんの少しの揺れまたは水滴が与えられれば、台無しになってしまう」

「そこで、何で洗脳?」

「向ける先は誰でも良いんだ。トクサツに自覚は無いようだけどね。トクサツの中にある、誰かへの強い矢印。縋るような矢印。それをトクサツの母親からわたくし様へと移動させた。気持ちはそのままに、向ける先をそっくりそのままスライドさせた」

「あ゛ー…………」


 言いたい事は、わかる。

 確かにトクサツは母親に対して依存に近い状態に陥っていたし、縋っていたし、求める物を与えてくれるかもしれないという希望に縋っていた。

 そして先程の会話からすれば、今後のトクサツはそれと同じものをマッドに向ける。

 だがそれは矢印が二又になったのではなく、ただスライドしただけ。母親に向ける分は消え去った。

 トクサツは、母親から解放された。


「トクサツの母親は、トクサツから向けられる気持ちに応えず常に不完全燃焼を与え、次こそは、という飢餓状態に陥らせる事で依存させていた。だがわたくし様がわたくし様に向けられる想いにある程度応えれば、その飢餓感は失せていく。飢えていたはずのそれはゆっくりと満足に変わり、余裕となるだろうね」

「……逆にもっともっとっていうヤバい状態になった場合は?」

「対象へ向けられる強い感情を少し緩める薬を無断で定期的に処方。段々と気持ちが落ち着いてきた、と錯覚させて対応する」

「何てこった、あの会話が伏線だったなんて」


 トクサツが居ないせいで泣かされた新入生が居たわけだが、その薬についての会話を思い出した。そうだったそんな会話してた。同時にマッドなら絶対作るし絶対やるぞという確信も抱いた。マンガは思わず頭を抱えた。


「まあ、離れないという言葉に偽りはないよ。素直で健康で頑丈な被検体を手放すつもりは無い」

「愛は無いの?」

「愛の定義は理解出来ないと散々言っているだろう。そも、愛があれば被検体にしないという思考回路が理解出来ない。愛があろうとそこに健康体が居たなら使えば良いのに」

「最悪のマリーアントワネット発言なのだわ」


 いえ実際は言っていないらしいけれど、と言ってやって来たのはヒメだった。

 気付けばジンゾウはヒメの隣でニコニコしているし、その後ろではフリョウとライトがぐったりした様子で三キロ分くらいやつれてる。


「おかえり、ヒメ。早かったね。マリーアントワネットって何?」

「ただいま戻ったのだわ。城を出るまでは普通に出たけど、ジンゾウが迎えに来てくれたからお言葉に甘えたの。マリーアントワネットについては風評被害が地獄だった異世界の王妃よ」


 何だか創作のネタとして最高そうな匂いがするので一応ノートに名前とヒメが言った情報を書き留めておく。

 しかし、やたら静かだとは思ったが知らない間にジンゾウが居なくなっていたとは。まあジンゾウなら事が終わったとわかった瞬間に迎えに行っても不思議じゃないな。納得した。


「とりあえずトクサツについてだけれど、ヒーロー家の者というのは現状維持です」


 つまり、学園に通い続ける事が出来るということ。


「ヒーロー家の者が跡継ぎに指名したならトクサツが後を継ぐ。ただし現ヒーロー家の者はその治世に口出しを禁ずる、という契約に頷かせました」


 えっ。


「……頷く? 普通」


 本当に最終手段用というか、そこまで追い詰められて後が無いって状態にでもならないとトクサツをヒーロー家に返すなんてしねえよという圧を感じる。

 流石にそんなトンデモな契約に頷かないだろうとライト達の方を見れば、ライトとフリョウは顔を引き攣らせて目に涙を浮かべていた。


「いやァもう怖かったよマジで……ヒメと絶対敵対したくね~って思ったもんオレ」

「一生分のトラウマ映像を長時間強制的に見せられた気分だ……」


 成る程、三キロ分はやつれたように見えたが実際にそのくらいの消耗だったらしい。お疲れ。





 トクサツの愛は尽くすこと。そう刷り込まれているので自然とそうなる。

 その為マッドの被検体になり、その対価として頭を撫でて貰ったり褒めて貰ったり、というのは実はかなり相性が良い。何かしらの行為を返さないと、自分は本当に愛される価値があるのだろうか、と考え出してしまうのがトクサツ。

 要するに無償の愛というものが理解出来ない。

 無償の愛に憧れているけれど、本当に無償の愛を差し出されると不安で仕方なくなってしまう。

 対価として支払える何かがあるから与えてもらえる、というのは、対価を差し出している限りはその愛を与えてもらう事が出来る、となるので安心。


 マッドの方は前回も書いたが愛が無い。情はある。

 そして被検体の健康管理をするのは当然の範囲なので、望まれるまま構う事に抵抗はない。ペットが猫じゃらしやフリスビーを持って来たらある程度付き合う飼い主みたいなもの。ブラシを持ってくるならブラッシングをしてあげるのと同じ。

 尚、トクサツが対価ありきじゃないと愛を受け取れない性質なのは何となく察してる。

 何度も被検体にしている為、性格はかなり把握してた。それらや環境を踏まえた上でそういった性質だと推測し、自身にとってもメリットが大きい形を選択。愛が無いから出来る判断。

 愛があれば普通は依存のスライドよりも依存から離れるよう(健康の為に禁煙や禁酒をするようにと)言うが、愛が無かったお陰でトクサツに必要以上の負荷を与えない判断をした。一気に全部を断つのではなく、毒性の無い(ノンアルの)ものに変えた上で少しずつ量を減らすタイプの禁酒に近い。

 あとはトクサツが構って構ってとうろちょろせず、構って欲しいけどいつ暇になるかな、とお行儀良く待っていられるタイプなのもある程度の甘えには応えようとなった理由。研究の邪魔をするタイプなら薬で記憶消して解決してた。



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