救われない
トクサツは、呆然としていた。
今どこにいるかもわからない。ただジンゾウの、恐らく移動系の魔法によりあの場所から連れ出された。
慌てて戻ろうとするも止められ、彼らは言った。
「オッケー、視界音声共に良好。向こうの様子、バッチリ見えてるよ」
「ありがとう、マンガさん。それじゃあトクサツさんはここでちょっと大人しくして、様子を見てよっか」
「ど、どういうこと?」
「見ればわかるよ」
そう言ったジンゾウがトクサツに触れると同時、視界が変わった。
今見ている視界はちゃんとあるのに、ママとヒメが険悪な雰囲気で話し合っている様子が見える。音声も、まるでその場に居るかのようにクリアに聞こえた。
「これ、は」
「わたしのスコープ魔法。トクサツには今、ジンゾウ経由でわたしが見聞きしているものを共有してもらってる」
「僕も模倣でスコープ魔法を使う事は出来るけど、それに加えてこの伝達魔法を使うのはちょっと面倒だから。誰かにスコープ魔法を発動させる、っていう一つの魔法にしちゃう手もあったはあったよ? でもヒメちゃんが、ちゃんと全員で向こうの様子を把握していた方が良い、って言ったからこうしたんだ」
重なっているのに違和感無くそれぞれ別物として認識出来る異様な視界の中、マッドもジンゾウに触れているのが見えた。つまり、今この場に居る四人全員が同じ光景を共有している。
でも、それにしたって、
「ヒメが僕のママに酷い事を、」
「確かに口は悪いようだが、トクサツが今まで君のママにされてきた、言われてきた事に比べれば可愛いものだろう」
「僕が……?」
「トクサツ」
マッドが言う。
「君は、母親に愛された事が一度でもあったかい」
その言葉を告げられた瞬間、息が出来なくなった。
「あ、愛された、事くらい……」
呼吸の仕方はどうするんだっけ。吸って吐くだけのはずなのに、やり方がわからない。どうして。
「ああ、質問を変えようか。何かしらのお願い事をされてそれを全うした時以外に、母親から、君のママから、優しい言葉を告げられた事は?」
声が出ない。頭が回らない。
ひたすら、頭の中が真っ白になった。
あると言いたい。反射的に言いそうになったのも本当。なのに口から言葉は出なくて、喉が閉じていて、どういった表現をすれば良いのかと脳内を探っても全てが白紙になっている。
具体的にこういった事があったのよ、と言いたい。言いたいのに。
ママに言われた通りの事をした以外に、ママからよく出来ましたと言ってもらえた事なんて、
「……いちども、ない」
言われた通りの事をしても、基本的にはよくできました、で終わりだった。
言われた以上の事をしても、言われた通りにしていれば良いのよ、と叱られた。
ママの為になる事を勝手にした時は、先にきちんと報告しなさい、と言って、でも笑ってくれた。
それ以外に、何かあったっけ。
だってママの役に立たないと、僕は要らない子だから。ママの役に立てないんじゃ駄目な子だから。自分の事を主張するのはワガママの悪い子だから。
わからない。頭が動かない。
「いやあ……ヒメ、全力過ぎない? 参考になるけど煽りが酷い」
「ちょっと強めに言うって言ってたよ」
「ちょっと? これで?」
「アカの指示からすると、タカラザカの女として全力で喧嘩を売る勢いの方が良いみたいだから、って」
「確かにそんな事は言ってたけど……」
「格好いいよね、ヒメちゃん」
「そんな笑顔で言うには現場が怖過ぎると思う」
二人の会話の通り、ヒメが凄い勢いで、一方的とさえ言える勢いでママを責め立てていた。
助けないと、と思う。こういう時に割って入るのはトクサツの役割だったから。
でもジンゾウ達には待つように言われて、僕が自分で考えて動くのは悪い事になるかもしれないから、だからやっちゃ駄目で、
「トクサツは、中々自分から動こうとしないね。ママから何か言われでもしたのかい?」
マッドの声が聞こえる。質問だ。質問なら答えなきゃ。
「……むかし、昔ね、森で見つけたの。多分猟師が仕留めようとして、仕留め損ねて逃げた鹿を。沢山血を流してた。可哀想だった。だから僕、この子を助けたいってママに言ったの」
「それで、どうなった?」
「…………ママは、駄目って言ったわ。そんな死にかけの生き物、死なせてやりなさいって。それでもヒーロー家は命を助ける者だから。震える誰かを救って、怪我の手当てをしてあげて、また暮らせるようにしてあげるのがヒーロー家だから。だから僕はママに逆らって、反抗して、どうしてもこの子を助けたいって言ったの」
「トクサツのママは、それに頷いてくれたのかな」
「ええ。悪い子って言われたけど、酷い子って言われたけど、裏切り者って言われたけど、それでも獣医を呼んで助けたわ。……助からなかったけど」
そう、あの子は助からなかった。
「もう、死にかけてたの。薬を飲ませて、綺麗にして、怪我の手当てもして。それでもとっくに血は流れ過ぎていた。僕が見つけるまでに途中の木々で傷付いたのか、酷い怪我もいっぱいあった。包帯でぐるぐる巻きになったあの子に餌をあげようとしたけど、あの子はほんの少ししか食べられなかった」
「そうして、死んだ?」
「……苦しんで、死んだわ」
酷いものだった。
「ずっと熱を出していたの。ずっと呻き声をあげていたの。僕はそれに寄り添って、きっと大丈夫、って声を掛け続けてた。あの子は苦しんで、苦しんで苦しんで苦しんで、酷い高熱が三日も続いて、口から泡を吹いて、苦しみながら死んでいった」
ヒーローなのに、助けられなかった。
「ママにね、言われたの。僕のせいだって。あのまま死なせてやれば、こんなにも苦しむ事は無かった。高熱も、魘される事も、空腹や喉の渇きにしばらく苦しむ事だって無かった。薬で体力は少し戻ったけど、体力があったせいで苦しむ余裕が出来てしまった、って」
体力が完全に尽きていれば、苦しみを感じる事すら出来ず安らかに眠れたでしょうに。
ママはあの子に縋って泣く僕に、そう言った。
「僕が、あの子を苦しめたの」
助けようとした。ママに言われて誰かを助けるんじゃなくて、助けを求める誰かに応えるんじゃなくて、僕自身が助けたいと思って助けた。
そうして、苦しめるだけ苦しめて死なせてしまった。
「僕が何もしなければ、いっそあの時ママが言っていたように死なせてやれば、あの子はあんな目に遭わなかったわ」
「本当に、それだけ?」
「え?」
マッドの目がこちらを向いている。口元にうっすらと浮かんでいる笑みは、知りたい何かがある時の顔。
「どう頑張っても助けきれない生き物というのはどう足掻いたって居る。それこそ、トクサツがトクサツのママに言われて助けた誰かだって、助けが間に合ってもその後死んでしまった事が無いわけでもないだろう」
ああ、どうだったっけ。そうかもしれない。わからない。助けたらそこまでで、助けた後に会うのはママだったから。僕は助けて、名乗って、ヒーロー家の者だと言って、後はママが何もかもを纏めていた。
助けた後の人がどうしているかなんて、考えた事も無かった。
「ああ、そこには関わる事も出来なかったのか。ジンゾウの魔法による効果か、考えている事の詳細まではわからずとも大体の輪郭がわかるのは便利だね」
マッドは言う。
「思い出してごらん。きっとそれだけじゃないはずだ。その鹿以外にも被害があったと言われたんじゃないかな」
マッドは、言う。
「助かるかもしれない誰かを、そりゃ勿論その分長い間苦しめてしまうかもしれないけれど、それでも助かる可能性に賭けて助ける事を諦めない。君ならそう言うはずだ」
わたくし様の知っている君ならね、とマッドは言う。
「それなのに、何故、自分の意思で助けちゃいけないなんて考えになった?」
どうだったっけ。わかんないや。
でもマッドの言葉がゆっくりと頭の中に入って来て、何かをぼんやりと思い出した。
「……ママがね、言ったの」
そう、ママが言っていた。
「それを助ける為に使われた薬、包帯、食べもしないのに用意された餌や寝床用の藁。それらに使用された金額があれば、助かる病人が居たのに、って」
そう言っていた。
「助からないあの子に使った包帯を、包帯を必要としている人に渡していたら、その人は元気に走り回れたかもしれないって。僕があの子を助けようとしたから、助からない人が出たでしょうね、って…………」
助けたかったのに助けられなかった。そして誰かを助けようとしたせいで、他の誰かを見捨ててしまった。
「だから、僕は自分で動いちゃいけないの。ママの言う通りにしないと。そうすれば僕はいい子でいられる。そうすれば、」
「そうすれば、と言っているけれど、そうしていたトクサツはママに愛してもらえたのかい?」
息が止まった。
心臓も一瞬止まったかもしれない。
何かを言いたい。叫びたい。でも怒りたいのか嘆きたいのかもわからない。感情がぐるぐるするのに、どういう感情なのかわからない。吐き出したい気持ちはあるのにどう吐き出せば良いのかわからなくて、か細い息が出て行くばかり。
「ママ……」
ヒメに喉を指差され、誰を手放すかと問われたママは何かを考えているようだった。
これはあくまでマンガの魔法を使用した視界であり、そこにママは居ない。それでも思わず、トクサツはママに向かって手を伸ばしていた。
・
「センタイだけはもう、誰にも渡さないわ……!」
・
その手が届く事は無く。
その懇願が届く事は無く。
トクサツは誰に取ってもらう事も無い手を伸ばしたまま、泣く。
「……ママにとって、僕はやっぱり、いらないのね……」
ママはトクサツに、見捨てないでと言っていた。
微笑みながら、縋りながら、泣きながら、喚きながら、怒りながら、何度も何度もそう言っていた。だからトクサツは、トクサツだけは決してママを見捨てないぞと思っていた。
でも、トクサツはママに見捨てられてしまった。
「そう、よね」
苦しい。悲しい。胸の奥が軋むような痛みを放ち、どろどろした感情が涙となって外に出て行く。
そんな状況でも不思議と、胸の内に広がるのは倦怠感。これはきっと諦めという名前だろう。ずっとあったけれど、ずっと見ない振りをしていたもの。
最初から、トクサツが期待していた母の愛なんてものは、存在しなかったのだ。
それでも諦めに蓋をして、
「きっとこうして頑張っていれば、ママに認めて貰えば、僕が頑張ればママは認めてくれるはずだから、だから僕は愛されたくて、僕は」
ママはいつだって、兄の事ばかり考えていた。
トクサツから見ても他人で、兄から見てもこちらは他人でしかない関係性。そんな兄をママはひたすら愛していた。優しく微笑みかけていた。
優しく抱き締めたり、おやすみのキスをしようとしていた。
兄はそれを拒絶していたけれど、羨ましかった。トクサツがお願いしても、貰えないものだから。どうして拒絶する兄が、他人だと主張する兄だけはそれを貰えるの。どうしてママに愛してもらえるの。
愛を拒絶する兄に愛が注がれ、愛を求める僕には、何も、
「だから、僕はずっと、ママの為に…………!」
それでもママの心には居られなかった。
ママと兄とトクサツ、それぞれを天秤に賭け、ママはトクサツを捨てる事を選んだ。
愛されていない事は知っていた。愛して欲しかった。愛されたかった。だから愛を求めて、求めて、言われた通りにしていたのに。お利口にしていたのに。悪い子にはならないよう頑張ったのに。
それでも結局求めていた愛は貰えず、僕は、捨てられて、
「トクサツ」
伸ばしたままだった手に、何かが触れた。
やわらかくて、奥に芯みたいなものがある何か。最初は少しひんやりしていたのに、触れているとじんわりと体温が移っていく何か。
トクサツは俯いていた顔を上げた。気付けばジンゾウの手は離れていて、スコープ魔法が切れている。
ゆっくりと手に視線を向ければ、誰かがトクサツの手を取っていた。白い手だ。血色が悪いというのが正しいかもしれない。
その手は、マッドのものだった。
マッドはいつも通りの睡眠不足みたいな顔で、うっすらと笑みを浮かべている。そのまま彼女はトクサツに顔を近づけ、耳に唇を添えて囁いた。
「可哀想に」
違う。可哀想じゃない。僕は可哀想なんかじゃない。
そう。わかってくれるの。可哀想な僕を慰めて。
相反する二つの気持ちがそう叫ぶ。
「どれだけの献身をしようと、彼女には届かなかった。君のママは君の愛を、献身を、懇願を、何一つとして受け取ってくれてはいなかったわけだ」
そんな事ない。
そう、そうなの。
「彼女にとっての大事な我が子とは、かつて奪われ壊された息子だけであって、自分の都合のいいように作り上げた娘はそうではなかったという事だ」
そう。違った。僕はママにとって、大事じゃなかった。我が子とさえ思ってくれていなかったのかしら。どうなのかな。ねえママ。
「誰よりも愛した母親に捨てられた可哀想なトクサツ。あれ程愛していたのにね」
マッドの声が鼓膜を爪弾き、脳を揺らす。
吐息が、声が、震えが、耳をひっくり返して引っ掻きたい程の掻痒感を与えてきた。脳がガンガンする。思考が痺れる。この感覚に浸ってしまいたいとさえ思う。
「愛していたのに、愛されなかった」
違う!
「僕は、僕はちゃんと、ママに、愛されて……!」
いたかった。
マッドのブレーキについて。
マッドは基本的に倫理観のブレーキを緩めている、と思いきやちゃんとブレーキを掛けてます。
じゃないとドン引きやスルーなんてしない。倫理観を緩めていたらドン引きするような会話に手を叩いて笑ってるので。
つまり、ケラケラ笑わずに囁いている今も倫理観のブレーキはちゃんと掛かってる。悪意のブレーキもガッチリです。漏れる隙もありません。
ただし根本的に愛は無い。情はある。
善意で捨て猫を拾いはしないが、実験台といった研究対象扱いとして拾う事はあるし、万全に研究出来るようにとまともな暮らしを与えるタイプ、という感じ。彼女の家系は大体こう。
全人類実験体と認識している人でなしのようではあるが、実験体候補とはいえ友人をちゃんと友人とは思っているし、他で即座に代用、とはせず取り戻そうとする情もある。
そもそも情が無ければ、薄毛やぎっくり腰への特効薬といったどれか一つを作れただけでもお国に囲われかねないような薬を大盤振る舞いなんてしない。
色んな国から全力で狙われるリスクをわかっている上で、トクサツを取り返す為だと即決で劇薬以上の切り札であるこれらの特効薬を持ち出すくらいには情がある。




