最高の
男はジョテイに何も聞かなかった。
生き抜く術を教えたりはするし、働かざるもの食うべからず、と言って狩りを手伝わせる事もあったがそのくらいだ。
「働かずに食う飯も美味いだろうが、ひたすら肥えて鈍るだけだぞ」
正確にはそう言われた。ジョテイは売り言葉に買い言葉できちんと薪割りや水汲みなどをやるようになったが、わりとすぐに乗せられたなと気付いた。しかし事実だったので不満を抱きながらも手伝いは続けた。
そうして、ジョテイはジョテイと名乗らず、男も名を名乗らないまま、お互いに名を知らない関係が一年続いた。
・
「一年!?」
「ああ。二人きりの生活だった為、個人名が無くともコミュニケーションに問題無かったせいだろうな。わたくしも名を名乗ろうとはしなかったし、オウも憎まれ口と様々な技術の説明以外はてんで喋らない男だった」
・
男に拾われて一年が経った。
そのころには男が時折肉を売りに行ったり香辛料を買ったりで町へ行く際、同行するようになっていた。
「あらまあ可愛いお嬢さんじゃないの! ちょいとあんた、もっと可愛らしい服を着せてやりなさいな!」
「無茶言うな。山暮らしだぞ」
「それでもこんなに可愛らしい子にあんたのお古なんか着せてどうすんのよ!」
「俺のお古じゃなくてちゃんと知り合いのガキのお古だ」
「お古のどこがちゃんとしてるってのさ! ああもうこれだから女手が無い男の子育てってのは! ちょいと待ってな! お古はお古だけど、うちの娘が着なかったオシャレ着沢山残ってるのよ! 持ってくるわ!」
「おい、山暮らしだって言ってんだろうが! オシャレ着なんぞ着せてもそこらの木の枝に引っ掛かるし、最悪絡まって死因になるぞ!」
「だったらあんたが問題無い動きでも教えな! 元騎士様だって聞いてんのよ!」
「げ……誰だ漏らしやがったヤツ」
あいつか? それともあいつか? と男は考えていたが、ジョテイにはどうでも良かった。正直オシャレ着にも興味は無かった。
そんな事よりも、カウンターに開かれたまま置かれた新聞。その方が重要だった。
タカラザカの女帝が変わってから一年と記された、その文面の方が。
「……おい、どうした」
「…………何でもない」
男に心配混じりの声で問われるくらいには、挙動不審になっていたらしい。
そのまま店のご婦人からオシャレ着や綺麗な古着を沢山貰い、必要な品を幾つか買っての帰路。ジョテイは考えていた。
ジョテイは、叶うなら現在のタカラザカ女帝を下してその座を取り戻したい。
だが今の弱さではとても敵わない。勝てるはずがない。決闘相手としてすら認識されないかもしれない。それが恐ろしくて仕方ない。価値が無いと見做されるのが、最早トラウマと化していた。
それでも、諦められなかった。
この一年、男と暮らした。何も聞かずに生きる為の知識を与えてくれる男との生活は居心地が良かった。不意打ちを狙っても容易くいなせるくらい強い男というのも、好印象を抱けるものだった。
そんな暮らしは楽しくて、心安らかで、何もかもが壊されたあの日に比べ、心の傷が塞がっているのを感じた。
(……それでも)
それでも諦められない。諦めきれない。
今の生活をだらだらと続けたいという気持ちはある。だが、それでもタカラザカを諦めきれない。負けたままではいられない。価値が無いという判断を下されたままでは、死にきれない。
例えこの生活を手放す時が必ず来る事が決定するとしても、ジョテイはタカラザカに返り咲く事を選んだ。
「話がある」
だから、山小屋に帰ると同時、ジョテイは男に打ち明けた。
「わたくしはタカラザカの先代女帝が娘。現女帝にその座を奪われ、決闘の価値すら無いとして無作法に殺され掛けた者。名はジョテイ・キシ」
「……何だ、突然」
男は怪訝に眉を顰める。怪訝、どころか不機嫌にも見えた。
それでも、ジョテイはじっと男の目を見て口を開く。
「貴方の力を貸してくれ。わたくしは強くならねばならない。玉座を取り戻す程、強く」
「…………」
ジョテイはただ見つめ続けた。それ以上の言葉は重ねなかった。ひたすら目を逸らさず見つめ続け、目を逸らされても見つめ続け、
「………………ハァ」
長い沈黙は、諦めたような男のため息によって破られた。
「良いだろう。鍛えてやる」
「!」
「ただし、全力で鍛え上げるぞ。何だ恐れていた敵はこの程度の弱さだったのかと思える程にとことんやる。優しくはしない。血反吐を吐けば止まれるなんて思うんじゃねえぞ。血豆が潰れる程度で休ませもしねえ。泣いて喚いてゲロを吐いても断じて逃がさん」
いいか、と男は念押しするように言う。
「逃げるなら今だ。これを過ぎれば、俺が強くなったとお前を認めるまで逃がしてやる事も無い」
「そのつもりです」
「掛かる年月も不明だ。数年は掛かる」
「覚悟の上です」
「俺は全力でお前を馬鹿にするしけちょんけちょんにひっくり返す。泣かせる気でやる。だから」
だから、
「今の内に泣いておけ。今日までのお前に別れを告げろ」
「!」
「今日以降の涙は全て、俺という存在を乗り越え、目標を仕留める為の踏み台になる。この程度で泣かされたという自分を不甲斐ないと思って泣け」
「……はい!」
「その為にも、泣いておけ。今日以降は胸なんざ貸してやらねえぞ」
「………………!」
その時、ジョテイは何かを言おうとした。
でも、何も言葉が出なかった。
喉に何かがつっかえるような感覚があって、どうにか言葉にしようと必死に息を吸って、その息が急激に乱れ始めて、
「、ひ、う、ぁあ……っ!」
母が殺されても泣く暇は無く、命の危機があっても泣く時間は無く、逃げている間も泣いてなんていられなくて、ここで男と暮らした一年間でも泣き出す事なんて出来なくて。
そうして必死に二本の足で踏ん張っていたジョテイは、男の胸に飛び込み、泣いた。
八つの子供らしく、親を恋しがる子供らしく、わんわん泣いた。
・
「……めちゃくちゃ格好いいのだわ、お父様」
「ああ。格好良かった。正直に言えばわたくしがオウに惚れた、というよりは淡い恋心を抱き始めたのは暮らし始めて半年頃、初めて一人で作ったシチューを上出来と言われた時なのだが」
「それ、お父様的には褒めてるけど一般的には褒めてないのだわ」
「それまでは食えるとしか言わなかった男だぞ。優、良、可、は、食えるモンが出来たじゃねえか、まあ食える、食って死ぬわけでもねえ、という言い方だった男の上出来だ。わたくしが中々火加減を覚えなかったのも問題だが、だからこそ響いた」
確かに、素直じゃない父からの素直な評価が与えられたら嬉しいものなのでわからなくはない。
「……それでも、本当の意味で彼に惚れたのは、きっとその時だったのだろうな」
噛み締めるようにそう呟く母の瞳は、恋する女性特有の色を灯していた。
・
一晩泣いて、翌日。
昨夜までの優しさは無くただひたすらに師として接すると言った男は、そこで初めて名を名乗った。
「俺の名はオウ。ファミリーネームは捨てた。師でもオッサンでもオウでも好きに呼べ。本日より、お前を今までに知っている最悪よりも五段階は上回る最悪に叩き落とす者だ」
「はい。覚悟しています」
「……ま、安心しろ。何もお前の体に合わない無茶をさせる気はない。俺が得意とする動きや戦い方を教えるより、お前に合った、最高のお前になる為の鍛え方をしてやるよ」
そして、地獄のような日々が始まった。
・
「前半はひたすらに基礎。気が狂うまで基礎を鍛えられ、気が狂っても基礎を鍛えさせられた」
「気が狂っても……」
「誰しも、強くなりたければ強い技や技術を得たがるものだ。その焦りを殺す為、そしてそれらの技を完全にモノにする為。まだ続けなければいけないのかという程基礎を鍛えられた。もう城を建てる必要などないだろうというくらい盤石な石垣を数年掛けて築き上げ、そこからやっと技術面に移行した」
「それは、確かに気が狂いそうなのだわ……」
技といったものは、自身がどこまで前と変化したかを実感するにも使えるもの。昔は出来なかった動きが簡単に出来る、という事に喜び、今後も頑張ろうという励みになるもの。
だが恐らく母の話し方から察するに、それらは無かった。どころか禁止される勢いだったに違いない。
しかも基礎という事は、慣れる前に次の段階へ、と移行していったのがわかる。毎日毎日少しずつノルマが増え、アハ体験のように気付けないまま常に体力を限界まで削り、泥のように眠る。それを繰り返し続けたのだろう。
その日のノルマが終わった時には完全に疲れ切った状態が待っているとなれば、自分はまだまだなのではないか、という気になるのもさもありなん。成長した実感が無いのでは、気が狂いそうになるのもわかる気がした。
「……でも、その気が狂いそうな状況でも正気を保ててこそ、って言いそうなのだわ」
「ああ。言われた。気が狂う程度で見逃してもらえると思うな。気が狂えば助かるなんて事は無い。気が狂っちゃいけねえとは言わねえが即座に復帰しろ。そういった事をひたすら叩き込まれたものだ」
流石お父様。相手の申し出だったとはいえ、両手だけで余裕で数えきれる年頃の娘相手でも容赦がない。
「そしてみっちり鍛え上げられたわたくしは、十七になった時、タカラザカへ戻って当時の女帝に身分を明かした上で決闘を挑み、圧倒的な勝利を収めた」
「展開が早過ぎるのだわ!」
「当時の女帝との会話は碌に無いから覚えていないのだが……そうだな、それまでについてを語ろうか」
・
あの日から十年。
オウに師事して九年間、ひたすらに鍛え上げられた。
「俺は後遺症が残る程の大怪我を負って騎士を引退した身だ。しかし持っている魔法はオート型の、生涯現役という魔法。怪我が治りやすいわけでも常に絶好調というわけでもないが、生涯現役で居続ける事が出来る。酷くショボいが、お陰で現役でいられない程の後遺症は残らず済んだ」
オウは言う。
「とはいえ後遺症は後遺症。騎士を引退して指導に回った。だが国の思想がちょいとキナ臭くなってな。元々怪しくはあったが、完全に決裂した。結果俺は国を追放。……わかるか?」
オウは言った。
「お前が対峙しているのは、後遺症持ちの引退騎士。それも国外追放されるような出来損ないだ。引退してから時間も経ってる。その程度の俺に勝てないようじゃ、文句無しとは言えねえぞ」
そう、最終試練、文句無しと言われる為にはこれまでの全部を出し切ってオウに勝たなくてはならなかった。
だが後遺症持ちの隠居なんて嘘だろうという勢いでひっくり返された。
挑戦は一日一度。首に触れられれば死んだものとしてそこまで。流石に首に触れる際は一瞬で力を緩めてトンと触れるだけになっていたが、それでも何度も殺された。首以外への攻撃はきちんと本気だったので何度手足を折られたか。
「お前部下育ててる時だってここまで虐待染みた事してなかったろ……」
オウ曰く知り合い、本人曰くオウが追放されたのを見て国に愛想を尽かしたという友人。
そういったオウの友人が沢山居るのをジョテイは知っていた。何せオウの山小屋に顔を見せる為、必然的に顔見知りになったのだ。
その中にも数人居た回復系魔法持ちに連絡を取っては骨折を治してもらっていたが、そういった人達ですらドン引きする勢いだった。何度か彼らはオウに本気の説教をしていたが、
「こいつ自身が望んだ事だ。時間を掛けりゃここまでしなくても良いが、早くに達成させてやりたいだろ。その分辛いぞとは言ってある」
オウのその一歩も引かないぞという言葉と、何度骨を折られようと諦めないジョテイの目を見て諦めたらしく、その後は連絡が入るなり即座に駆け付けて回復してくれるようになった。一部の人なんて近くの町に家を借りたくらいだった。
そうしてようやく、オウに勝った。
「……よくやった」
「まぐれとは思わないのですか」
「誰が思うかよ。俺に勝っておいて生意気言いやがる。戦場じゃまぐれも充分に死因となる。これがまぐれであってもお前は俺を負かした。なら、それが事実だ。これ以上俺がお前に教えてやれる事は一つもねえ」
ふ、と微笑みを浮かべ、地面に座った状態でオウは言った。
「免許皆伝だ。文句無しに最高のお前が実ったぜ。相手に泡吹かしてこい、ジョテイ」
「…………っ、はい!」
ジョテイは頭を下げ、山小屋に戻り荷物を纏めて即座に山小屋を出た。そういった約束をしていたから。そしてそのままタカラザカに向かって走り、宿で一泊して身嗜みや体調を整え、挑んだ。
現女帝との戦いは、あっけない程の速さで終わった。
あの日絶望に叩き込んだ敵は情けない程に弱く、それ以上に弱かったはずのジョテイは、圧倒的な強さを得たジョテイへと至っていた。
「あら~、ジョテイちゃん行っちゃったのか。残念だね」
「良いこったろ。うるせえのが居なくなって清々したぜ」
「顔に寂しいって書いてあるよ、オウ」
「お前もうるせえのの一部なんだよ崖から落ちろ」
「落ちませーん! 落ちましぇーーーーん! 何だよお前は暴言ばっかり吐いてさ! 酷いヤツめ! 友達を何だと思ってるんだ! 今ここで踊り出して山小屋ファイヤーしてやっても良いんだぞ!」
「その前に俺がテメェの首を捻る」
「こっわ。いつも俺が煽ると不機嫌になるのはそうだけど、明らかにいつもより殺意高くない? やっぱジョテイちゃん居なくて寂しいんでしょ。構いたがりで面倒見たがりのオウからすれば、あんだけキッツイしごきにも耐えて着実に強く磨かれてくジョテイちゃんとか最高にお気に入りだっただろうしね」
「黙れ」
「いつかアイツも立ち去るんだ……それが今ってだけの話さ……と、か、雰囲気出して言ってても、内心は可愛がってた子が居なくなって寂しい~! ってなってるんだろ! 知ってんだぞ! お前もうちょっと優しく接してやっても良かったかなとかどうせ思ってるだろうし、今日から事あるごとにあの子の事を思って寂しがるんだ。知ってる」
「殺す」
「今日からお前はご飯多めに作ってはそういやジョテイはもう居なかったな……って思ったり、ふもとの町でジョテイちゃんの事聞かれてナイーブな気分になったりするんだ。俺には見える。独身のオッサンが子育て終わっていよいよ一人になるって寂しいよね。せめてジョテイちゃんと連絡取れるようにしとけばよかったのにそれもしないし」
「お前口臭いぞ馬糞でも食ったか」
「テメェーーーーーーっ! 人を黙らそうとしてもその言い方だけはしちゃ駄目なヤツだろうが! 幾ら温厚なギフさんでも怒るぞコラ! 毎日ちゃんと歯磨きしてるし馬糞なんか食った事もないわい! もう! 失礼しちゃうよ! すっごく不機嫌になっちゃったもんね! 帰る!」
「おう、帰れ帰れ」
「バーーーカ! 今晩絶対寂しくなるぞお前!」
「……拾ったガキが立派に成長して、目的を達成するってわかってんだ。寂しいなんて思うどころか、大満足の巣立ちじゃねえか」




