幕開け
幕が上がった舞台の向こう側は、真っ白だった。
真っ白な背景。滑ったり引っかけたりはしないようになっているのだろうが、床にも白い布が敷かれている。
そんな真っ白な舞台の中、一人の男が立っていた。
アラビア風で、吟遊詩人風で、どこかの部族の司祭風でもある、様々な文化をこれでもかとミックスして新しい形にしたような、飾りが多いのに異様に似合っている衣装。
そこに立っているだけで存在感を放つ大男は、優しい笑みで手に持っていたハードカバーの本を掲げた。
「これは、どこかであったお話だ」
男は本を胸の前に移動させる。
「どこかであった、誰かの物語」
男は本を開こうともう片方の手で本に触れる。
「『彼らの救いは数年前に』」
男は静かに本を開く。
「ご清聴の程、よろしくお願い致します」
男がそう言って笑うと同時、開き切った本の中から、ぶわりと強い光が溢れ出した。
様々な国の言語が本の中からぶわりと膨らむように弾けて、散って、目の前に迫りくる文字の奔流に驚いて。
気付けば、溢れた文字がその姿を取ったかのように、舞台の背景用だろう白い幕や布には広い野原が映し出されていた。
・
野原の中、一人の少女が転げまわる。
「あー、楽しかった! そうだわ! タロウ、次はお花の冠とかを作りましょうよ!」
「あれだけ追いかけっこしたのに元気だなァ、ハナコは」
クスクスと笑って追いかけて来た少年は、少女の隣に座って花を摘み始めた。
女の子の名は、ハナコ。男の子の名は、タロウ。
二人は幼馴染で、いつも二人で遊んでいた。
花冠は先にハナコが作り終わり、タロウの頭に被せてころころと笑う。
それを見たタロウは優しく微笑み、手元で作っていた花飾りをハナコの指へと通した。
そう、花で作った指輪を。
「まあ……! 素敵だわ! とっても綺麗!」
「本物もあるんだよ」
「え?」
タロウは優しくハナコの手を握り、頬を赤くしながら言った。
「オレと、結婚してください」
幼馴染からの告白に、ハナコは鏡みたいに頬を真っ赤に染め上げて、弾けるように笑って頷く。
「ええ、ええ! 勿論よ!」
これでめでたしめでたしと結婚式が始まれば文句も無いが、残念ながら、語られるだけあってそうは問屋が卸さなかった。
・
ハナコは早速、母親に報告をしに行った。
「ねえママ聞いて!」
「帰って来たらただいま、でしょう?」
「あ、そうだった。ただいまママ! ねえねえそれでね、今日とっても凄い事があったの!」
「お茶を飲みながら聞くから、少し落ち着きなさいな」
随分とはしゃいだ様子の娘に、母親は笑いながらお茶の準備をした。
母親お手製のハーブティーを用意され、それを一口飲んでハナコは安堵したように一息つく。
「それで、何があったの? 嬉しいこと?」
「そう!」
「それは、その指輪のこと?」
母親が指さした先には、ハナコの手。そこに輝く、花で作ったものではない、本物の指輪。
それを指摘され、ハナコは照れ臭そうに笑った。
「うん、うん、ええ、そうなの。タロウがね、結婚しようって」
「あら素敵。ちょっと待っててね、今クッキー持ってきちゃうから。娘の恋バナなんて素敵なお話、お茶しながらじっくり話してもらわなくっちゃ!」
「ええ、アタシもたっくさん聞いて欲しい!」
母子の楽しい時間は、あっという間に過ぎてゆく。
・
だがそれを良しとしない者も居た。
ハナコとタロウの結婚話を良しとしない男は、タロウからその報告を受けていた。
「というわけで、結婚する事になりまして。へへ、昔から彼女の事が大好きだったから、何だか今もふわふわした気分になっちゃうなァ」
「…………そうか」
男はこの辺りでも金持ちで偉い、アクダイカンという名の男だった。
「……折角のめでたい話だ。俺直々に茶でも淹れてやろう」
「エッ!? 良いんですか!?」
「ああ」
アクダイカンは席を立ち、厨房へ移動した。
普段から自分で淹れる事も多いアクダイカンは手慣れたように茶を用意して、ひっそりと、色の違うカップを用意した。
赤い線が入ったカップと、黒い線が入ったカップ。
アクダイカンは赤い線が入ったカップの中に、戸棚から取り出した小瓶の中身を数滴入れる。
「……待たせたな」
「いやァ、貴方がお茶を淹れてくれるなんて嬉しくって、ワクワクしちゃって。そわそわしちゃってお恥ずかしい」
そう笑うタロウに、アクダイカンも笑みを浮かべながらトレイを机の上に置いた。
カップに注いでからでは移動の間に冷めてしまう為、アクダイカンはタロウの目の前で茶を注ぎながら問いかける。
「本当に、結婚をするんだな」
「はい!」
躊躇いも何も無い、嬉しさに満ちた返事だった。
それにアクダイカンは少しだけ眉を寄せ、一瞬目を伏せ、うっすら微笑みながら暗い瞳を再び覗かせる。
「……さあ、飲むと良い」
微笑みを浮かべたアクダイカンは、赤い線が入ったカップをタロウに差し出した。
「ありがとうございます!」
タロウは疑いも無く、それを飲み干した。
自身を蝕む事になる、毒入りのお茶を。
・
翌日、タロウが倒れたという知らせを聞いたハナコは慌てて診療所へと飛び込んだ。
「タロウ!」
「病人が居る中であんまり騒がれちゃ困るな」
「あ、ご、ごめんなさい」
「おいで。タロウはこっちで寝ているよ」
二人が昔からお世話になっている、近所の医者。ドクターオイシャはベッドの上で顔色悪く寝込んでいるタロウの隣、置いてある椅子にギシリと腰掛けた。
「調べた結果、毒を服用したものと思われる」
「毒を!? そんな、何で……」
「意図して飲んだわけじゃないらしい。それは本人からも確認した。だがここらに自生しているわけも、何なら手に入れる事も難しい毒のはず。値段がそれなりにするからね。意図的に盛られた、が一番可能性としては高い」
「一体誰が!?」
「私が知ってると思うのかい?」
オイシャの言葉に、ハナコは悔しげに黙り込む。
「まあとりあえず、命の危機が今すぐに、というわけじゃないよ。問題は特効薬となる材料が無いせいで解毒剤が作れない事だね。解毒剤を購入するのはバカみたいに高騰していて無理だ」
「だ、だったらその材料を確保すれば!」
「無理だ。自然というのは時に私達に対してそっぽを向く。ここ数年、自生している数が激減しているのさ。個人で育てているものすら育たないとさえ言われていて、その材料も、その材料を使っている何もかもも異様な程高騰している。仮に金を工面しても、解毒剤が間に合うかどうか……」
「間に合うか、って……命の危険は無いって!」
「今は、の話だ。今はまだ問題無い。解毒剤、または材料を持っている商人が今どこに居るか、ここまで来るのにどれだけの期間か、という問題があるんだよ。何より、解毒剤を作るにはその材料を乾燥させる必要もある」
「そんな……」
どうしたら良いのか、と思い詰めるハナコの脳裏に、一つの考えがよぎった。
「そうだわ! それなら、タロウにこんな酷い事をした人に聞いてみる!」
「は?」
「だって、毒を扱うならきっと解毒剤だって持ってるに違いないわ! 万が一自分に使っちゃったらとっても危ない事になるんだもの!」
「ふむ。まあその考え方もある」
「でしょう!?」
「だがこの毒は遅効性だ。昨日の午後に盛られた物だろうが、昨日のタロウはお前との結婚についてを知り合いに片っ端から話していたせいで、誰がタロウに盛ったか見当もつかん。私のところにまで報告に来たくらいだから、特定は難儀だぞ」
「それでも、ある可能性が低い材料を近所で必死に探すより、タロウが昨日行ったとわかってる家をしらみつぶしに聞いて行く方がずっと可能性が高いじゃない!」
「…………若者め」
オイシャはため息を吐き、奥の部屋から小さな籠を持ってきた。
「実験用ラットだ。鼻が良い。頭も良いぞ。タロウが飲まされた毒についても覚えているから、このラットの後について行け」
「……良いの?」
「ちゃんと連れ帰れよ。生態系を崩すとご近所付き合いでけちょんけちょんに泣かされてしまう」
いつも通りに真顔なオイシャが放った言葉に、ハナコは思わず笑ってしまった。
ハナコは大事に籠を受け取り、こくりと頷く。
「絶対に、解毒剤とこの子を連れて帰るわ」
「危ない事はするんじゃないよ」
「それはアタシより、向こうに言ってもらわなきゃ!」
笑顔で診療所を飛び出して行ったハナコにやれやれと肩をすくめ、オイシャは微笑む。
「元気な内に動き回っておけよ、若人」
それは彼らを知る者特有の、優しい声。
「さて、タロウに薬湯でも飲ませてやるか」
そう零し、オイシャは再び奥へと消えた。
「ところで気になったんだけどね、わたくし様が演じるこのオイシャは女性か男性かどっちだい? ズボンは男性物で、上のシャツは女性物だからよくわからない」
「そこが重要ポイントだよ!」
「おっと、スイッチを入れてしまった」
「女性か? 男性か? どちらもあり得る! 一見すると女性のようだがよく見ると男性に見えなくもない、いや男性と思って見ると女性にも見える! そういった中性的な要素を押し出してみたんだよ! そう、つまりオイシゃは性別不明だからこその魅力を備えている!」
「あーうん、そっか。それ話長い?」
「で、マッドも普段からズボンだし、口調は中性的だしという点をピックアップしてこういう形に」
「良かった短かった。とりあえず女性的だとか男性的だとかは考えずに演じれば良いという事だね」
「そういう事」
「了解したよ」
「ところでマッド、前から気になってたんだけど」
「何だい? 答えられる質問なら答えるよ。マンガには前に被検体になってもらった恩があるからね」
「同意無しだったけどね。じゃなくて、何で普段からズボン? 別に女生徒がズボン履くのを禁止はされてないけど、珍しいから」
「薬品が素肌に掛かると困るだろう」
「……それだけ?」
「それ以外に何が? スカートは防御力が無い」
「わたしはロマンが無いと言いたいよ……タイツ履けば?」
「あれは肌にピッチリ密着するから着脱の度に不快感がある」
「た、タイツに不快感とか初めて聞いたな……」
「そうかい、新しい体験との出会いが出来て良かったね」
「ブレザーは?」
「邪魔だろう、アレ。サイエンティスト式収納法があるし、見た目以上の収納が出来る道具を一つ二つ持っていれば問題無い」
「上着をただの持ち物容量増加アイテムとしか見てない」
「ああ、防寒具としての役割りか。体温調節のブレーキを操作すれば、真冬の凍りそうな空間でも温かい体温を維持出来る。代謝量の問題か食事量と摂取頻度が上がるけどね」
「……リボンのネクタイは?」
「リボン結びをすると歪むんだ。綺麗に結ぶ事も出来るが面倒臭い」
「そんな理由だったんだ」
「あと真下を見る時に嵩張って邪魔臭い。ネクタイならボタンに先端を絡ませればそこまで邪魔にもならないからね」
「……創作の参考として聞きたいんだけど、マッドってオシャレに興味ある?」
「あると思うかい?」
「全然」
「それが答えだよ。わたくし様を創作物に出したいのなら、その答えで問題無いとも。好きにやりたまえ。わたくし様も好きにやる以上、そちらが好きにやる分には咎めない。実験の邪魔になるようなら話は別だが」
「ありがたや」




