一方その頃
マンガは図書室にて、友人であり寮の隣室でもあるトショにしつこく絡んでいた。
「いいから! 面白いか面白くないかを言ってくれるだけで良いから!」
「絡みつくんじゃねえマンガ!」
「わたしにはお前しか居ないんだよ! どんなキャラクターでどんな世界観でどんな展開にしても作品として楽しんでくれるお前しか!」
「テメェのダチは他にも居るだろうが! そっちに構って貰って来い!」
「ヤダ!」
被服部のコスチユム・プレイ・シロは駄目だった。二年の先輩であるアイツは被服部の服作り大好き四天王の一柱なので、台本についてを確認しようにも、
「フハハハよく来たなマンガァ! さあ着ろ着て見せろ着て試せ! 貴様は主人公の母という碌に出番も無い役柄だが構わん! どういった母なのかを指定しなかった貴様の罪と知れ! さあ我輩が作った衣装をとくと見よ!」
「ぐえっ。違う、わたしは台本についてを確認してもらいたくて」
「台本なぞ我輩には関係無い! 我輩はただ作るだけだ! 服を! 貴様が物語を紡ぐように、我輩は布を服という形に導いてゆく! さあ着ろ! 試着せよ! 貴様が試着する事で実際に着た際の印象! 舞台からの見え方! 貴様に似合うデザインか、似合う色合いか、作品に合うか! とにもかくにも試着しなければ始まらん!」
「ぎゃあ!」
十着以上を無理矢理着せ替えられながら、どうにか這う這うの体で逃げ出して来たのだ。
好きな分野に対して盲目的なまでに熱狂するコスチユム先輩の姿はどこか自分と同じように思えるのでわりと仲良くなれたのだが、相手の分野に首を突っ込むと碌なことが無い。傍から見ていると楽しいけれど、それを直接真正面から向けられたくは無かった。メンタルがゴリゴリ削れた気分だ。
「それに被服部とか演劇部の関係者なら必要な物資を用意してもらってるからネタバレしても良いとして、他の人にネタバレをするわけにもいかないから本当にお前しか居ないんだよ、トショ」
「…………」
トショ・イインはめちゃくちゃ嫌そうな顔で全力の拒絶顔をしてきた。
「何だよその顔は!」
「おれには随分早くから暴露したように思うが」
「そりゃ意見聞きたかったし。何より多種多様な本を読んでいる読書中毒の助言は役立つ! 表現がわかりやすいかどうかとかそういう色々が!」
「そもそもテメェが寄越した台本は既に何度も確認したし、推敲重ねる度に確認してやっただろうが! 脳みその容量でも足りてねえのか馬の面した鳥頭が! 今更おれが横からどうのこうのと言い出す必要もねえくらいに出来上がってるっつったろボケ!」
「そうなんだけど! 満足もしてるけど! でももしかしてわたしにはわからないだけで他の人から見たらもっとここを改善した方が良いんじゃないかとか、ここを削ってこういったストーリーを入れた方が良いんじゃないかとか、そういった意見が来たらどうしようみたいなアレソレがさあ!」
「いつだってテメェ一人で他の誰よりもまずテメェ自身を満足させる為に作品描いてるヤツが日和ってんじゃねえダボ! 邪魔臭ぇんだよ!」
「ぎゃっ」
流石にトショも苛立ちがピークに達したのか、マンガはトショに首根っこを掴まれて引きずられ、そのまま図書室の外へと放り出された。思いっきり投げられたせいで受け身に失敗してべしょりと廊下と仲良くなる。いたくてちべたい。
「そんなにテメェの作品に自信がねえってんなら、後でどこが良いと思ったのかキッチリ感想言ってやるから待ってろ!」
「言ったね!? トショの部屋で待つからな覚悟しとけよ! 今晩は寝かさないぜ!」
「良いだろう一晩中語ってやる! それでテメェがウザッたるい絡みをしなくなるんならな!」
「ぐえっ」
胸倉を掴む形で持ち上げられ、そのまま立たされた。相変わらず気遣いを乱暴で着飾ったみたいな動きをする男だ。
「それと、テメェの仲間を信じろとは言わねえが、テメェの仲間が演じられる範囲でのお前の好きを詰めたんだろ」
マンガは一瞬息を呑んだ。
気付かれていたのか、とも思った。
マンガは様々な作品を執筆してきたわけだし、合作だってやった事はある。だがこういう、演技の台本として、そして演者として自分の作品を用いる、という事は初めてだった。
自分が好きに作っただけのコレで本当に良いのか。これは本当に面白いと思えるものなのか。面白いと思ってもらえるだろうか。演じる側はこれで良いのか。もっと舞台映えする、見る側も演じる側も大満足になるような完全無欠なストーリーは他にあるんじゃないのか。
そんな風に心の内で密かに、普段は考えないのにふと一人になった時や静かになった瞬間に湧き上がる、形の無い不安。それに気付かれていたのかという気恥ずかしさと、気付いてくれたのかという歓喜が溢れる。
思わず言葉を失ったままのマンガの胸倉から手を離し、トショは言う。
「だったらそれに自信持ってろ。誰が評価してなくても、テメェの好きは間違いなく本物で、台本を読んだおれが良いと思ったのも本当だって事は忘れんな」
「……ツンデレ……」
「ふざける余裕があんなら元気じゃねえか馬鹿野郎が! ぐだぐだ悩む暇があったら舞台上でトチって台本以外の点で台無しにするような事だけはすんじゃねえぞ!」
「うん! ありがと!」
トショに手を振り、マンガは軽くなった心と共に歩き出す。
感想を聞かなくても良いくらいの勢いで心は随分と楽になったけれど、まあ、折角なので今晩トショから台本の好きポイントをありったけ聞いて、その上でこの悩みとの完全お別れという事にしちゃおうか。
・
「ママは僕を見てくれないの」
最初は戸惑いと躊躇い、そして困惑があったトクサツ。
しかしマッドが渡したココアを一口飲めば、安心したように笑顔になった。そうして少し促してやれば、あっさりと彼女はそう語る。
「見てくれないとはどういう事かな?」
「お兄様を見てるの。いつも。いつだって。お兄様が大事なんだって」
そう語るトクサツに、マッドは効果が出ているのを感じてほくそ笑んだ。
今回トクサツに少々回りくどい言い方で誤魔化したものの許可を貰った上で飲ませた新薬は、要するに精神退行と自白剤を混ぜ合わせた物。
トクサツ本人からすれば幼少期の意識になる為、慣れない空間に見慣れない人間、そして急に成長した体、という認識になる。なので新薬に干渉しない程度の精神安定剤を混ぜたココアを処方し、素直なトクサツはマッドを敵では無いと認識してあっさり笑顔を向けた。相変わらず警戒心が随分と薄い。
それに、トクサツは家族についてを語らないところがある。
「初恋は?」
「十歳の時。お城のお手伝いに来てくれた男の子がとっても素敵だったの。でも、ママはそんな相手はヒーロー家に、そしてヒーローにふさわしくないからって」
「それで?」
「それだけよ? だって、ママが駄目って言ったんだもの。僕はその通りにしなくっちゃ」
出会った時からそうだった。こうだった。
薬の実験台になれと言えば頷き、その為のデータとして全てを話せと言えば、個人情報だろう何もかもをあっさりと寄越した。
被検体としてはかなり良いが、人間としてはお粗末過ぎる。
「トクサツのママはどんな人? どこ出身?」
「ママは僕の国の人。とっても素敵で美人さんなの! ママの美しさとパパの存在があれば、国に困った事なんて有りはしないって言われてるのよ!」
「そう、美人なんだね。確かに外国にも通用する美女だという話は聞いているよ」
「そう! 凄いの! 素敵なの! いつだって素敵で、素晴らしくて、見本のような方なのよ。ママは僕に何でも教えてくれる、優しい人。僕がどうしたら良いのか、ヒーロー家として僕がどうあれば良いかを教えてくれるの!」
「パパの方は?」
「……さあ……」
「さあ?」
「パパはあんまりお家に居ないから、わからないの。帰って来てもママと一緒の時間の方が良いみたい。それにパパはヒーロー家を、国を率いる王様だから、お家の事なんて気にしてちゃいけないんですって。家族を優先して民を見捨てたら、それはヒーローでは無いから、って」
「……へえ。他に家族は?」
「かぞく」
「兄弟とか」
「居ないわ」
トクサツは基本的に、質問にはひたすら正直に答える。虚偽の返答は正義では無いという思想で教育されているからだ。
勿論国の機密については語らないし、そもそも内容を知らされていない事も多いようだが。
それにしては、異様に返答が早かった。
「居ない? 本当に?」
「居るけど、居ない事になってるの。居ない事にされてるけど、居るの。居ないといけないの。居たくないみたいだけど、居ないとママが……」
「ママが?」
「……とにかく、居ないの。居るけど居ちゃ駄目だし、居ても駄目だから、居ない事になってて、でも居ないと困るから居るの」
そう、あの時マッドはそう返された。
支離滅裂で不透明な言い方だった。兄弟に、つまり親族にもし存在を消されるような、例えば肉体に異常がある状態で生まれたりした者が居るなら、被検体として利用させてもらっているトクサツに使用しては駄目な薬もあるかもしれない。その点を考えても親族の情報はしっかりと欲しいのだが、どうにも要領を得ない返答が多かった。
本人ですらどう表現すれば良いか分からずに居るかのように。
ならば、と精神を退行させた。自白剤も混ぜた。よくわからないまま、当時の感覚のまま語れる状態になってもらったわけだ。
今の状態では記憶に多少の装飾がされているかもしれないが、幼少期に見たままを語るのなら、幼少期の意識に聞いた方が確実だろう。
「お兄様が居るんだね」
「うん」
普段のトクサツは何度聞いても、それとなく聞いても真正面から聞いてもそこに関しては口を噤んでいたので兄か姉か弟か妹かすらわからなかったが、兄が居たらしい。
さあ、ここからもうおかしい。マッドは探究心が刺激されて口に笑みを浮かべた。
だってそうだろう。調べた限り、トクサツは王位継承権第一位。だがエンタメ国は女が優先されるとかはなく、男が長子なら普通にそちらが王位継承権を優先される。弟であっても、男なら長子である娘よりも優先されるくらいだ。
つまり男が王位を継承する国が、男の長子が居るのにも関わらず、第二子である女のトクサツを次の王位にと言っている。
その理由は、一体何だ?
「お兄様はどんな人?」
「知らない人」
また随分とおかしな返答が来た。
「話した事が無いのかな」
「ううん、何回か。でもお兄様は、お姫様の僕は妹じゃないんですって。お兄様は平民だから」
「……王族だろう?」
「そうだけど、お兄様はそれが嫌で、自分を平民と思ってるんですって。頭のご病気とか、心のご病気とか、そういったものだって聞いたけれど」
「ふうん。それは可哀想だね。どうしてお兄様はそんな事に?」
「お婆様が、王様に相応しいようにって教育したの。それでとっても酷い事をされて、王様が嫌になって、王族っていう記憶も何もかもを消しちゃったらしいわ」
「成る程」
年代。エンタメ国の洗脳に近い、いや、洗脳と言ってもまったく過言じゃない思想教育。
それらを思えば、トクサツの兄は虐待を受けていたのだろう。その結果精神的に崩壊し、王位を継承出来る状態ですら無くなった。
「折角お兄様が居るのにお兄様とお話したり遊んだりが出来ないなんて、寂しいね」
「……お兄様と遊んだりは、したくないから、いいの」
「おや」
人を敵と、悪と見做して成敗する事はあっても、人を嫌う事は滅多にないトクサツにしては珍しい。
何なら親族というだけで無条件に守る対象と認識するくらいには洗脳教育が施されていそうだったし、虐待からの精神異常に陥っている弱者となれば反射的に守りそうなのに。
なのに、遊びたくない、とは。
「お兄様は嫌いかな?」
「嫌いじゃないけど、でもお兄様は、いつもママを取っちゃうの。僕とお話していても、お兄様が脱走しようとしたらママはすぐにそっちへ行っちゃう。いつだって、僕への時間は取ってくれないけど、お兄様との時間はちゃんと取るの」
王位を嫌悪して自分を平民と錯覚する程の精神状態に対し、女王であり母親として接するならただ追い詰めるだけだろうに。
それはそのお兄様にお前は王族なのだと伝える行為であり、ただ精神を削るだけの行為だ。好意と善意と親心でやっているなら、救いようが無い。
「僕はママの味方だから、ママの言う通りにするの。でもお兄様はママを味方と思ってなくて、ママを嫌がってて、ママの言う事を聞かずに脱走しようとするのに、なのに……ママは……お兄様を、ずっと……心配、して、いるの…………」
ふむ、どうやら効果があるのはそこまで長い時間でも無いらしい。
薬が切れたトクサツは眠気に襲われたらしく、ココアが残ったマグカップを持ったままスゥスゥと小さく寝息を立てていた。
まあ元々人体に害が無い程度に抑え、後遺症が発生しないよう調節済みの薬なのでこんなものだろう。そう思いながらマグカップを回収して机の上に置いておく。
欲を言えばもっと強い効果がある薬をいきなり人間に投与して反応や影響を確認したいのだが、それをやると一気にアウトなペナルティにより人格を改造されかねないのでとても出来なかった。マッドは自分らしい自分が何よりも気に入っているので、そこを弄られる危険性を思えばギリギリの位置でお行儀良くするしかない。
「ん、んん……あれ、僕寝ちゃってた?」
パチ、とトクサツが目を覚ます。
「あっ、そっか薬の効果! どうかなマッド、効果は出てた? 僕は役に立てたかしら?」
「ああ、とても良いデータが取れたよ。ありがとう」
「良かった!」
トクサツは弾けるような笑顔を浮かべた。役立てたのが心底嬉しいという顔だ。
先程の、こんな事を思うのも言うのもいけないのわかっているけれど、とでも言うような陰気な顔とは随分違う。空元気というわけでも無く、単純に母親を中心とした家族関係が地雷という事だろう。
「こうして何度も実験に付き合って助けられている身としては、その内君にきちんと借りを返さなくてはいけないな」
「そんな、借りだなんて。誰かを助けるのがヒーロー家のお役目なんだから、マッドの役に立ってるならそれだけで良いのよ」
とても美しく素晴らしく、思わず笑ってしまいそうになる奉仕精神だ。魚が住めない程に清い水場を連想させる。
「それではわたくし様の気が済まないというだけさ。勿論今すぐにというわけにはいかないが、そうだね。君は助けるばかりで助けてくれる人も居なさそうだから、もし何かあったらわたくし様に言うと良い」
「えっ?」
ポカンと口を開けたトクサツに思わず笑い、マッドは言う。
「助けてあげる、と言っているのさ」
「でも、ヒーローは助ける側で」
「ヒーローが助けられちゃいけないという法律なんて無いだろう?」
パア、とトクサツが輝く大輪の花を連想させる程の笑みを浮かべた。
そんな大した事は言っていないし、本当にそんな機会があるかすらわからないというのに、この程度でこれ程喜ぶとは随分コスパが良い。だからわたくし様のような存在に都合よく使われるんだろうに。
そこまで考えて、そういえば聞いておきたい事があったのを思い出した。
「ああそうだ、君の事情を踏まえた上で聞くけれど、トクサツは本当に母親が好きなんだね」
「勿論! 大好きよ!」
「愛しているんだね?」
「僕だけじゃなくて、民の皆もママの事を愛しているわ!」
「そうかい」
ところで、とマッドはにちゃりとした粘度のある笑みを浮かべて問いかける。
「トクサツも当然、母親に愛されているんだね?」
その言葉にトクサツは、いつも通りに明るい、しかしいつもと違い少し陰った笑みを浮かべた。
「……ええ、そうだと良いわね」
そうであってほしいとでも言うような声だった。
マッドはとても素敵な人。
助けてくれるだなんて、そんな事を言ってくれた人は初めてだった。
本当にそれが必要となる時は無いかもしれないけど、それでも、助けると言ってくれたのがとても嬉しい。
「……これは、僕だけのものにしちゃおうかしら」
ママへの手紙は沢山書く。誰と関わったか、誰と話したか、どんな話をしたか。
授業で何を学んだか、先生が何を言っていたかも全部書く。
だけどそこまで細かく書いちゃうとママも読むのが大変なので、出来るだけ簡潔に。それでいて、何があったかは完璧にわかるように。
「これだけは」
でも、今日の事は書かないでおく事にした。
ママを助けるのはトクサツの仕事だから。助ける側が助けられるなんていけないから。
それでもとても嬉しくて、泣きそうなくらい嬉しくて、今後何があったってその言葉で救われるような気がしたから。
だからこの言葉だけは、トクサツの胸の中で、大事にしたいと思ったのだ。
トクサツに興味が無いママなら、きっと深堀りをしてくる事も、気付く事もない。
他の何もかもは差し出すけれど、これだけはどうか、自分だけのものに。
「……ママ」
僕はどうして、ママに愛されていると言い切れなかったのかしら。




