ソムリエのひとこえ
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
ふーん、こうやってカタログで見る分には、犬もなかなか可愛いものね。
あたし、ずっと前に犬に追いかけられて以来、どうも苦手意識があって。生のペットとして飼うなんて、とてもとても。
年月が経った今じゃあ少しはマシになったけど、遠目で見るレベルで十分ね。追いかけられる前は、普通に毛をわしゃわしゃしたりするほど好きだったんだけど……いや、思い出のダメージって根深いもんね。
放し飼いの犬はもちろんきついわ、けれどたとえつながっていても、家の軒先とかの触れようと思えば、簡単に触れられるところにいるのも、ちょっと用心しておきたい感じがしている。
これは追いかけられる以外にも、少し妙な体験をしたことが関わっているわ。
つぶらやくんの好きそうな話だと思うし、聞いてみない?
私が犬に追いかけられる、数カ月前だったかしら。
ここ最近、近所で犬を飼う家が増えてきたことにも、私はさほど気にせずに日々を過ごしていたわ。
隣の家でも、玄関の外の柱につながれる形で、黒白の毛をしたシーズーを飼っていたっけ。
シーズーは賢い犬種って聞いたことがあったわ。あの子、人が家の前を通っただけじゃ吠えることがほとんどないのよ。敷地内へ入るお客さんでも、吠えるのはあまりなじみのない人だけ。
私たちみたいな近所に住んでいて、顔をよく見る人には、すり寄ることはあっても、それ以上の威嚇をすることはめったにない。
私自身もそのシーズーを憎からず思っていたわ。
そんなある日の放課後。
私は学校からの下校途中で、スカーフを巻いた飼い犬を何匹か見かけたわ。彼らは以前から飼われていた犬たち。新しく購入したわけじゃなさそうだった。
犬種は様々。スカーフの色も赤に緑に紫にと、犬によって違う種類のものを身に着けている。彼らは一様に、軒先へ出ることができる、外の犬小屋で飼われているものばかりだったわ。
あのシーズーも同じ。彼の場合は、黄土色のスカーフを首元へ巻いていたの。
最近、流行りのファッションなのかしらと、私はいつものように前を通り過ぎようとして。
いきなりシーズーへ吠えたてられたわ。
思わぬ奇襲に声をあげかけて、飛びのく私の背中を、不意に一陣の風が過ぎていく。
冬に似つかない、生暖かい風だった。車の排気、とも思ったけれど、車通りはない。私の髪と服を少しばかりもてあそんで、風はさっさと通り過ぎてしまったわ。
シーズーはというと、風の吹いている二秒足らずの間は熱心に鳴いていたのに、いまは連れてきた猫の子みたいにおとなしくなっている。けれども、その二秒での彼の吠え方は尋常じゃなかったわ。
リアル口角泡を飛ばすの犬バージョンとでもいえばいいかしら?
黄土色のスカーフのあちらこちらによだれが飛び散って、黒々とした斑点になっている。あの短い間でこんなに、とも思ったけれど、今はおとなしいシーズーを見ていると、どうもあの風が原因のように感じられてならなかったわ。
次の日の学校。
私は友達のひとりに、このことを尋ねてみたわ。彼女の家は下校途中に通り過ぎる一軒だけど、やはり犬を飼っていたわ。
そして彼女の犬はあの時、緑色のスカーフを身に着けていたの。
シーズーの様子を話して説明を乞うと、「話していいのかなあ?」と彼女はひとりごちてから、廊下の片隅まで私を引っ張っていってから、口を開いたわ。
あのスカーフを巻いている犬たち。どうやら「風のソムリエ」になっているらしいのよ。
近所で回ってくる回覧板。あれにはどうやら、大人たちにしか分からない符丁? 暗号? みたいなものが混じっているらしくて。必要に応じて、犬を飼っている家だとあの各色のスカートを犬へ巻くようなのね。
そして、ふさわしい風が吹くと彼らはそれに応じて、おとなしい犬でも盛んに吠えたてるようになる。
「なにが、そんなに犬たちを吠えさせるの?」
「うーん、それはよく聞いてないの。ただ役に立つことだって」
ワインのソムリエなら、幅広い知識を持ち、お客様に最適な品を提供することがメインの業務のはず。
なら、スカーフを巻いた犬たちも、吠えることで何かの知識を披露しているのかしら?
い
その日の夜遅くだったと思う。
外から聞こえる犬の声に、私はぱっと目を覚ます。
隣の家のシーズーのもの。私の部屋はあの子の寝ている軒先に、この家で一番近い位置にある。おかげで、締め切った家の中でもかすかに音を拾えたのね。
それだけなら、また布団へ潜り込んでしまったでしょうけど、直後にカーテンを通り抜けるほど、強い光が私の部屋の中へ差し込んでくる。明かりもつけていないのに、部屋の中はさあっと、昼間のような明るさに。
車じゃない。道路に面しているこの部屋だけど、これほどの強さを持つものは、トラック相手にだってお目にかかったことはない。
そっと窓へ寄って、カーテンをめくった瞬間。
急ブレーキのかかる音がした。
左手から来た乗用車が、思い切りタイヤを地面にこすってその歩みを止める。
数メートルを開けた対面にあるのは、例の強烈な光源ね。あっという間に目を潰されそうになって、かろうじて手をかざし、細めで様子を探ってみる。
高さはダンプカーほどだったけれど、そのてっぺんから足元近くまで、ゆうに10個以上のランプが灯っている。それが反対側も同じようにあって、一対20個以上のライトが、私の部屋のカーテンを貫いていたわけね。
シーズーの声は止まない。かすかに横へ目をやると、庭の木や屋根のアンテナが震えている。外で強い風が吹いているんだわ。
そう思うや、20個の輝く瞳が一斉に動いた。
前にではなく、上へ。ふわりと浮き上がったそれの明かりが動かなかったおかげで、私は視界にはっきりおさめることができた。
ダンプカーに思えたのは前面だけ。それより後ろは細長い胴体と、両脇、そして尾っぽに大きな翼を持つ、ミサイルのような形状だったの。
風が窓を揺らすほどに強まる。それとともに、ぐんと勢いを増したミサイルらしき影は明かりを消すとともに、空高くへと消えていってしまったのよ。
どんな理由か知らないけれど、たぶん外で吹いていたのはあの生暖かい風だったのだと思うわ。それが、あのミサイルもどきが飛んでいくのに必要だったのね。
彼ら、シーズーを含めた犬たちは、そのタイミングをはかるために、「風のソムリエ」としての仕事を与えられていたのでしょうね。