第190話『静の迷宮』
アグニ達を乗せた巨大な竜は飛竜種で、速度には自信があります。すでにモントーヤ邸を離れたアグニ達を、六時間ほどでラズルシャーチを隔てる山脈にあるという迷宮近くに運んでいました。
「またお父様の家で、毒入り果実の炒め物が食べたいですわ」
「お前、よく生きてるな・・・」
グラウスが、アグニのぼやきに呆れたように呟きます。
「庭園では暗黒の花トリカプロスを生育しておりますのよ? 私が育ててますの。猛毒で、一口入れたら一分以内に昇天致します。いざというときのためにも毒は必要ですからね。師匠も一度食べてみたらどうです」
いざというときってどんなときよ、と隣で話を聞いていた漣が頭を軽く手を抑えます。アグニは漣に、お父様の自決用、毒で死ぬのが貴族の花道なの、と力説しました。そんな花道ないから、と漣は苦笑します。「お前が死んだら食べてやる」とグラウスは真顔で言い切りました。
「それは食べたくないっと言ってるのと同じですわよ師匠、この旅が終わったら、また家に来て、漣と一緒に召し上がって下さいませね」
「えっ私も食べなきゃいけないの」
「当然でしょ? 毒で死ぬのが魔族の作法ですわ」
「アグニ、お前は私に死ねというのか」
「まさかっ師匠は、ちゃんと死なないように量を調節いたしますからご安心くださいませ」
「私は殺す気なの?」
「当然でしょっあなたと私は絶対に友達になんかならないし、手だって握ってあげないし、まあ、時々気が向いた時には特別に助けてあげてもいいけれど、この旅が終わったら二度と会うことないですし、私が素敵な殿方と結婚しても結婚式になんか呼んであげないし、子供が出来ても抱っこさせてあげないし、私の部屋で仲良くお茶会も致しませんし、そもそも万が一私がおばさんになる頃には、あなたはとっくにババァになっているでしょうから、腰が曲がって家に来られないでしょうっまあ、それでもあなたは悪い魔族で、家にやってくる可能性はなきにしろあらずですから、そのときは丁重にもてなしてあげますわよっ」
「そう、ありがとう。家に行くの、楽しみにしてるね」
笑顔を見せる漣にアグニがふんっと鼻を鳴らしたそのときでした。ペロッティがピエタにとある進言をしたのです。
「ピエタ様、これから先のラズルシャーチまでの道中、変名を使って活動をしたらいかがでしょう」
「変名? 何故じゃ」
「これまでも色々と不都合が起きましたでしょう? 私が自慢の変名を考えてみました。プリン・ア・ラモードというのはいかがです」
ペロッティが自信満々に言いますが、ピエタは却下します。
「ペロッティよ、お主は知らんかもしれんが、ワシには既にリョウマが、おたま、という変名をつけておるのじゃよ」
「なんと、おたま、とは。それはとても冴えた名前ですね。言われてみますと、今のピエタ様は、おたま、という感じが致します。リョウマ様の感性には叶いません」
「ペロッティよ、お主、ハインの血を飲んで、アホが少し移ってしまったようじゃな。まあ、ワシも人の事は言えんがの」
落ち込んでいるペロッティを横目に、勇者が視界に入り始めた、山脈の中腹にある人工的に彫られた形跡がある巨大な穴を指差しました。
「恐らく、あそこが目的地じゃないかな」
「うむ、どうやらまちがいなさそうじゃの」
「アグニ、目的地に着いたみたいよ」
「そう、いよいよラズルシャーチに突入ですわね」
「頼むから大人しくしててくれよっ、て、言っても、どうせお前はきかないんだろうな」
「次はどんな騒動が起きるんだろうね。僕、なんだか楽しくなってきちゃったよ」
ひときわ士気が高い勇者は、既に迷宮に入る心積もりは万全の様子でした。
「この龍はまだ山脈越えは出来ないようじゃからの。迷宮に突撃するか」
こうして、アグニ達は龍を迷宮の近くまで寄せて地面に降り立つと、入り口付近にやって来ました。勇者は念の為、木陰にオブリビオンのゲートを作っておきます。
洞窟から少し距離を置いた左右の端には、ラズルシャーチの兵士二人が腕組みをして待機していました。兵士達は既にアグニ達と現れた龍を認識していましたが、歴戦の猛者の多い武の国の兵士に動揺した素振りはなく、極めて冷静でした。龍を見ても物動じない兵士二名の奇妙な威圧感に、グラウスは圧倒されます。
早速グラウスは二人のレベルを確認しました。左側の兵士が15620、右側の兵士が21200、さすがラズルシャーチ兵、レベルが高い、と多少畏怖の念を抱きましたが、これまでのように露骨な動揺を表情に示すことはありませんでした。
「一体どうしましょう。あの兵士、私たちのこと見てますけれど、通していただけますかしら。私好みの殿方ではないですし、ひょっとしたら、漣が色々ご奉仕しないといけなくなるかもしれませんわね」
アグニは困り顔で首を傾げます。何故私が、と、漣は吐き捨てます。
「ここは私が獣人族になり、平和的に交渉をしてみます」
「まあ素敵、コアラ外交作戦ですわね」
さっそくペロッティが麗しの美青年から可愛いコアラの姿へと戻ります。アグニと漣にひとしきりもみくちゃになるまで撫でまわされた後、一同の前に出て、兵士二名の元へと勇猛果敢に短い脚を勢いよく突き出して向かって行きました。
左側の兵士、ワーガがコアラになったペロッティに心をときめかせつつも、表情には出さずに、答えます。
「可愛いな、コアラよ、旅の者か? ここは静の迷宮。現在お主と同じ獣人族が派閥争いをしていて大変危険な状況になっている。可愛いからモフモフしたいし、出来れば通してやりたいが、危険なので、やっぱり通すわけにはいかない」
「ではどうやってラズルシャーチまで行けと」
ペロッティの問いに、右側の兵士、やはり心をときめかせていたマーマが答えました。
「お前が可愛いから仕方なく話してやるが、事態が沈静化するまでは山脈越えをしてもらうか、サラバナ国境から海路で行ってもらう他はないんだ。お前が可愛くて抱きしめたい気持ちはあるのだが、立場上それは許されないのでな。わかったらさっさと家に帰って、ママの手作りハンバーグを食べたら、歯を磨いて、毎日最低7時間は寝るようにするんだぞ、わかったな、可愛い奴っ」
言い終わったマーマはペロッティの頭を優しく撫でつつ、手で払う仕草を見せました。渋々皆のところに戻ってきたペロッティは、状況を説明します。
「ふむ、コアラ外交失敗か。山脈越えは危険じゃし、準備もない。海路は時間がかかりすぎる。ワシらは何としてもこの迷宮を通らないといかん。」
ピエタは凛凛しい眼差しでそう言い切ります。
「でも兵士さん達は通してくれなさそうだよ? コアラ外交も駄目、サラバナにはリョウマちゃんがいないと入国できなさそうだし、一体どうするピエタちゃん。倒しちゃおうか」
物騒なことを言い出す勇者を横目に、ピエタは覚悟を決めた様子でこう切り出しました。
「ワシに策がある。もはやこれしかあるまいて」
覚悟を決めたピエタは、入り口を守る兵士、ワーガとマーマの元に向かっていったのでした。




