第184話『癒しの国の健全化政策』
ハインの病院の室内で、勇者と漣は、リョウマが作成した未だ未完成のオフェイシスガイドブックを読みつつ、地図と照らし合わせ、世界の地理、気候と国の経済、文化などの勉強を熱心にしていました。
このオフェイシスで広く用いられている共通言語が、大賢者ピエタ・マリアッティとペロッティの祖国、賢者の国ジャスタールのジャスタール語であること、リョウマがジャスタール語のほかにサラバナ語を喋られること、そして、これから自らが向かうラズルシャーチでもジャスタール語が一応通じることを学びました。そしてラズルシャーチへと至るその道中に、ハインズケールという海に面した、癒しの国と呼称される国家があることを知ったのです。
癒しの国という珍妙な響きに不穏な空気を覚えた勇者は、部屋のソファに座り銃の手入れをしていたリョウマに、ハインズケールの事を尋ねてみました。
案の定、リョウマの反応は渋いものです。辟易した様子で、彼女はこう言い切りました。
「おまんら、ハインズケールに寄るのだけはやめておいた方がええぞ」
「どうしてだい? 癒しの国なんでしょ? ちょっと寄るぐらい、いいじゃん」
少し悪い笑みを浮かべ、勇者が膿を引き釣り出そうと試みます。
「いかんぜよ。あの国は旅人が立ち入るようなところじゃない」
「危険って、何が。癒しの国なのに」
「全く、おまん、人が悪いな。まあええ、知りたいなら教えちゃるきに。」
「そいつはどうも、ぜひ教えてよ」
「ハインズケールは癒しの国を謳っているが、その実、国民健全化政策ちゅー恐ろしいことをしちょるんだ」
「健全化って、どういうことだい」
「ハインズケールではな、罪を犯した者は、どんな些細な物であっても、即死刑にされるぜよ。例えば飢えに苦しんで、店のパンを一切れ盗んだだけでも、即死刑にされる。それが健全化政策っちゅー奴の一つだ」
そう言い放つリョウマの瞳は、怒りと悲しみに満ち溢れています。
「リョウマ、それ、本当なの」
俄かには信じがたい話に、漣は唇を微かに震わせます。
「嘘じゃない。健全化政策っちゅーがは、元々は国家の急激な人口減少に歯止めをかけるために産み出されたものでな。どんな些細な罪でも即死刑になる代わり、ハインズケールでは、国民全員に、毎月5万ジェルを支給しちょる。結婚したら、配偶者の分、更に子供が出来たらその子供の分、と、健全化と称して、ジェルをばらまいちょるんだ。ハインズケールではな、過剰な労働と悪戯に富を稼ぐことは悪、とみなされちょる。その辺は過剰に富を得ることを良しとしないジャスタールの影響を受け貯るのかもしれん。元々はジャスタールの植民地で、そこから独立した国だからな」
「何だかきな臭いけど、働かなくて済むなら、それでよくない? ということは、国民達は全員働いてないわけ? そもそも、そのジェルの財源はどこから出てるのさ」
核心をつく質問をした勇者に、リョウマは感心した様子で、やや饒舌になりました。
「いや、国民の中には適度な労働をしちょる奴もおるぜよ。5万ジェルじゃあ、流石にまともな生活はできんからな。財源は、塩だ。海に面したハインズケールは、世界有数の塩の輸出国なんだ。塩を取らんと、人は死んでしまうじゃろ? ハインズケールはな、その塩をがっつり握っちょるんだ。だけど、ハインズケールで塩を作るには王の許可が必要でな。その許可は、大金を払わないともらえない。なので古くから居る諸侯たちが、実質塩利権を独占しちょるんだ。許可を得られない庶民達は当然塩を作れんから、国内では貧富の格差がとてつもないことになっちょってな。労働ができない、更に娯楽が処刑しかない民達の間では虚無主義が蔓延してて、わざと凶悪な犯罪を犯して死刑を望む者が後を絶たなかったり、心身を病む者達も仰山おるといわれちょる。国民の誰も死ぬほど不幸にしない代わりに、誰もとことん幸福にもしないっ、みんな平等で全員一番、ちゅーのが現在の国王のお考えらしいが、実際不幸になってる人達は沢山いて、内情は、血なまぐさいもんぜよ。人口が増えすぎるとあれだから、ちゅーことで、適当な罪をでっちあげて無理やり死刑にして、処刑を見世物にしてる、ちゅー噂もあるぐらいだ。実際のところはウチもわからんけどな」
「そっそうなんだ・・・・でも、この本によると、世界で一番回復術士が多い国なんでしょう」
「うむ、確かに仰山おる。というか、塩を作ることを許されない庶民の仕事なんて、回復術士か農作業しか無いような国だ。他の国も塩が欲しいから、ハインズケールの問題には干渉はせん。だからハインズケールの民達は、今日も苦しんでおるぜよ」
「・・・なんか、私達、近くを通ったら、領空侵犯とか何とかで捕らえられたりとか、しないわよね」
「犯罪を犯した者は、他国の者でも即死刑にするような国だからな。ハインズケールの背後には賢者の国ジャスタールがおるし、可能性はあるきにのう。だから竜に乗っていくときは、ハインズケールの上空だけは避けて飛んでいった方がええぞ」
「なるほど。要するに、塩を作れない庶民で、更に回復術士になる能もない奴は、毎月5万ジェルもらいつつ、必死に農作業をして食いしのげってことかい。で、ジェルを多くもらうために無理くり結婚して、子供を作らせまくって少子化対策、と。中々にえげつないお話だね。そんな国、立ち寄る必要ないね。漣、ここは流石にヤバすぎるから絶対素通りしようね」
勇者は冷徹な瞳で言い切りましたが、リョウマが更に興味深い事を二人に話し始めました。
「悪い事ばかりじゃないぞ。実はとてつもないお宝があるらしい」
「お宝って、塩以外に何があるのさ」
「ウチも名前は知らんが、領地内に存在するらしい。だから、そのたった一つのお宝を求めて、多くの命知らずな冒険者が、ハインズケール内で傷つけあい、殺し合いをしちょるようでな。国内はかなり殺伐とした情勢らしい。で、回復術士の民達は、傷ついた冒険者らを癒して金を得て、生計を立てるっちゅう寸法だ」
「なんてこと。その宝って、そこまでして手に入れる価値がある代物なの」
「詳しい事は、ウチもよう知らん。どんな宝なのかもわからん。でも宝っちゅーもんは、欲しがる者はとことん欲しがる物じゃき。人間の欲望と好奇心には底がないからな。でもそのお宝があるっちゅー情報も、ハインズケール側が流しちょるもんだ。真偽の程は定かじゃない。だからウチは行かんようにしちょるぜよ」
「そっか・・・じゃあ、ハインズケールには、よほどの事が無い限り、関わらないほうが良さそうね」
「それでええ。とにかく、これからラズルシャーチに向かうときは、ハインズケールにだけは近寄ったらいかんぜよ。ピエタ様も、ハインズケールのことは熟知してる思うから、立ち寄らんと思うけどな。寄り道はせず、アグニをラズルシャーチに早く連れて行ってやれ、いいな」
リョウマは神妙な面持ちで二人に釘を刺した後、再び口笛を吹きながら、銃の手入れ作業に戻ったのでした。話を聞いた勇者と漣は互いに顔を見合わせます。改めて自分達がやってきた中央世界の怖さを知り、特に勇者は、何としても元の世界に帰る方法を探さなくては、という想いをより一層強くしたのでした。




