第165話『名もなき神とスサノオノミコト』
病室内でマテウスとハインに交代で傷口に回復魔法の治療を受けていたピエタの元に、突如幽霊が現れました。
その正体は初代大賢者、トガレフ・マクドリアです。ハインは驚きのあまり、念仏を唱え始めます。
「案ずるな、ハインよ。悪霊ではない、マクドリア様だ」
「ピエタよ、今日はお主にどうしても話しておきたい事があってやってきた。」
半透明な霊体姿のマクドリアは、低音のしゃがれ声を発しました。
「私もお尋ねしたい事がございます」
「何だ?」
「生まれたときに死んだと言われている炎の神、カグツチ様は・・・まだ、生きておられるのですか」
ピエタの話を受け、ここから先はお前の心に語り掛ける、とトガレフは彼女に
告げました。それから室内は静寂に包まれ、トガレフは視認できていたものの、マテウスとハインは二人の会話を聞くことはありませんでした。
「いきなり確信をついてくるな、ピエタよ。答えは、はい、だ。」
マクドリアは頷きました。
「・・・まさか? 生まれて、すぐに殺されたはずでは」
「理由は定かではないが、呪われた名前、クーシャダ言語で、タタラカガミと名付けられ、生きていたようだな」
「そんなことが・・・」
「それよりも、ピエタ。そなたに伝えねばならぬ話がある」
「なんでございましょう」
「かつて高天原にいた、名もなき神についてだ」
「名もなき、神? 何者でしょう」
「それは解らない。だがその神は、あの武神スサノオノミコトと、実に100年に及ぶ死闘を繰り広げたそうだ」
「100年も・・・」
「ああ。互いに一睡もせずにな」
マクドリアは苦虫を噛み潰したような表情をしていました。
「それで、名もなき神はどうなったのです」
「神の座を放棄し、自らの体を八十体に分散させ、高天原から去り、中央世界とあらゆる異世界に飛散した、と言われている」
「・・・そんなことが・・・」
「そしてスサノオノミコトは、その名もなき神達に、ヤソガミ、と名付けたのだ」
「ヤソガミ・・・・」
二人の話が理解できないハインは、必死にピエタの胸の傷に回復魔法を充てていました。
「詳しい事情は、スサノオノミコトが知っているであろう。お前が行方を探している滅びの記録についても、あの武神ならば、何か手がかりを持っているはずだ」
「しかし、スサノオ様はラズルシャーチを離れ、今は行方不明だと・・・・」
「案ずるな、ピエタ。あの武神、今は、この広大なオフェイシス大陸を一人で彷徨い続けている」
「彷徨う? スサノオ様が」
ピエタが眉をしかめます。
「ああ。もしそなたが滅びの記録を封印したいと願うなら、スサノオノミコトを探し出し、話を聞くがよい。教えてくれるかはわからんがな」
「マクドリア様は滅びの記録を読まれたのですよね。一体、何が書かれていたのです」
「全て神が用いるとされる古代クシャーダ言語で書かれていたため、殆ど解読する事は出来なかった。どうしてオフェイシスに落ちてきたのかも定かでは無いが、とある神の名前と、謎の言葉が何度か記載されていたことだけは覚えている。」
「それは何です」
「・・・・神の名はスサノオノミコト。そして、森、と記載されていた」
「・・・スサノオノミコト。森、とは、一体何かの比喩ですか」
「それが解ったら苦労はしない。ピエタよ、そなたに託したい使命が三つある。」
マクドリアは、話を続けました。
「一つは、二ニギノマコトの呪力を押さえ込んで欲しい、というものだ。あの女性神は、昔は善なる神であったが、現在は完全に狂気にとらわれている、危険極まりない存在だ。黄泉の国にいるが、それでも想像を絶する呪力を発し続けている。滅びの記録とニニギノマコトに関連性があるかは解らないが、彼女が存在し続ける限り、仮に滅びの記録を封印しても、彼女が放つ呪力のせいで、世界は完全には修復されないであろう。何といっても、一日に1000人もの人間を無作為に呪い殺しているからな。そして夫であるニニギノミコトは、一日に1001人の人間を産み出している、そんな関係が、悠久の昔から続いているのだ」
「私は、この悲惨な世界の現状を憂いて元の人間だけの世界に戻したく、滅びの記録の封印をしたいと考えておりますが、果たして、それは正しきことなのでしょうか。仮に滅びの記録を封印したら、世界はどうなってしまうのでしょう」
「何が起こるのか、全く予想がつかぬこと。一つの可能性として考えられるのは、人間以外の全ての異種族の生殖機能が奪われ、緩やかに絶滅していく、という程度か。だがそれも、ニニギノマコトが存在する限り、どのように転がるか・・・」
「万事承知致しました、マクドリア様。して、二つめの使命とは」
「そろそろお主の力で、新たなる大賢者を育て上げよ」
「・・・・畏まりました。」
「候補者になりえそうな者はいるか」
「・・・・一人だけ、可能性を感じている者がおります」
「ひょっとして、あの青年か」
マクドリアはグラウスの顔を思い浮かべ、瞳を細めました。
「はい。まだ人としても、強さにおいても、知識も、全てにおいて未熟ではありますが、人智を超えた魔法の才を持つ、紛れも無く天才にございます。私の見立てでは、彼が新たなる大賢者として育てるのに一番相応しいのではないか、と考えております」
「ふむ・・・やはりあの男か。確かにあの者、まだ全てにおいて未熟だが、今後の成長次第では、想像を絶するほどの存在となる可能性はある。が、どこか心が荒廃している節が見られるな。今のまま力のみを成長させていくのは、少々危ういかもしれん」
「承知の上です」
話しは聞こえていませんでしたが、マテウスは、大賢者同士の会話からして、恐らく将来の大賢者育成絡みであろうと推察しました。そして、その候補がグラウスであることを想定し、息を飲みます。彼女は真面目で純朴そうにみえるグラウスの心の内の荒廃した一面に気が付いていたのです。それは恐らくブリジン王国滅亡と、魔族に対する強い憎悪、復讐心であろうと、回復専門術士は理解しました。
マテウスは密かな高揚感を覚えつつ、疲労したハインに代わり、ピエタに回復魔法をかけ始めました。
「うむ・・・・では、次期大賢者の件は、ピエタ、お前に一任しよう」
「ありがたきお言葉。して、マクドリア様、最後の使命とは」
「・・・その件については、そなただけでなく、そなたが従える者全員に聞かせておきたい。また後日改めて、時間を取って話す。このオフェイシスの存亡に関わる重要な話だ。余を倒せた者達になら、話しておくべきことであろうからな」
「承知致しました」
「では、私は一端失礼する。養生しろよ、ピエタ」
「畏まりました」
こうして、ピエタの頭上に現れたマクドリアは姿を消しました。
そして入れ替わるように、少し部屋の外で休んでいた勇者が病室に入ってきたのでした。
「何か渋いオッサンの声が聴こえたけど、何かあったの」
勇者の質問に、ハインは何とか誤魔化そうとしましたが、上手い言葉が見つからず、しどろもどろになってしまいました。マテウスが、ピシャリと「勇者様、クシャーダの亡霊が現れて、ちょっと大変だったんですよ。既にいなくなりましたがね」と柔和な表情で言い切り、勇者は「げえ、幽霊とか、怖っ。僕を呼ばないでくれてありがとう、マテウスちゃん」と彼女に感謝しました。
「いい歳して幽霊が怖いとか、勇者様って、意外と臆病なんですね」
「ハインよ、強き者は皆臆病じゃよ。ワシだって、幽霊は怖い」




