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マリーゴールドの花の中で

作者: あさな

「ああ、最後にお風呂に入りたかったわ」


 シャルロット・ローゼン公爵令嬢は底冷えのする独房の、粗末な寝台に腰かけてつぶやいた。

 本日、死刑が執行される。

 彼女の父・ローゼン公爵が国家転覆罪により極刑を受け、一族郎党も連座で次々に死刑台に送られた。

 一人娘のシャルロットも例外ではない。

 彼女はまだ十七歳の身空ではあったが、生き残りのちに復讐などせぬよう遺恨はすべて排除するという徹底ぶりだ。このような措置は極めて異例だが、それだけの大事変であるともいえる。

 まもなく、迎えが来て連行されるだろう。

 風前の灯の命を前に、彼女が思いつく望みは温かな湯船に浸かりたいというそれだけだった。他に願いなど思いつかない。後悔も懺悔も混乱も、どうしてこのようなことになったのかという悲しみも浮かばない。会いたい人もいない。この世への名残も、未練も、最早なかった。ただ、死ぬ前に身綺麗にしておきたい。令嬢としての矜持からもらしたつぶやきだ。

 潔いほど、整然としたシャルロットの胸中を、しかし、気に食わない人物がいた。

 今朝方、彼女の元を訪れたこの国の第一王子・エドワード殿下である。

 彼はシャルロットの元婚約者だった。

 鉄格子越しの対面。そして、冷ややかに告げた。


「詫びる気にはなったか」


 それは、国家転覆を計った両親の罪への詫びではなく、もっと個人的なもの。シャルロットがエマ・オードリー侯爵令嬢へ行った数々のいじめに対する謝罪を求めたのだ。


 エマはローゼン公爵一族の大粛清のきっかけとなった令嬢である。


 彼女はオードリー侯爵の養女だ。前侯爵の老いらくの恋のはてに生まれたエマは市井で育ったが、遺言状によりその存在が詳らかにされた。遺言には彼女の養育をするか、相応の金銭を渡すよう指示されており、現侯爵は彼女を引き取ることにした。

 貴族社会は閉鎖された場所だ。当然彼女は奇異の目で見られていたが、正義感の強いエドワードはそんな彼女を見過ごせず気にかけた。

 シャルロットは二人が関わるようになってすぐにエマに対し、エドワードは自分の婚約者であるから近づかないよう忠告をした。

 エマは素直に忠告に従いエドワードを避けた。あまりにもあからさまに避けるものだから、エドワードは訝しんでエマを捕まえ理由を尋ねた。エマはやはり素直にシャルロットに言われたことを話した。事実を知ったエドワードは怒り


「私の不貞を疑うのか? 彼女は貴族社会に来たばかりで困っているのに、それを見過ごせというのか? 君がそんなに心無い人だとは思わなかった」


 そう言ってシャルロットを責めた。


 しかし、はたしてシャルロットの行為は「心無い」と糾弾されるほどのものだったのか。婚約者が他の異性を気にかけるなど嫌なものだ。エドワードこそシャルロットに無配慮だったと詫びるべきではないのか。――けれども、現実はそうはならなかった。この件以降、自分はなんら疚しいことなどしていないのだから、とエドワードはますますエマと関りを持った。

 シャルロットの行為は何の意味もないどころか、逆効果になったのだ。

 いや、逆効果というよりも利用されたというのが正しいだろう。

 結局のところエドワードはエマにすでに魅かれていただけ。彼はそれが罪だと知っていた。自分には婚約者がいる。そのことで生じていた罪悪感を、自分の非を、だが、受け入れられなかった。ならば、後ろめたさそのものを消せばいい。シャルロットがつまらない嫉妬をして自分を疑ったと憤慨することで本質を誤魔化した。自分を疑うなどなんという狭量でひどい女だとシャルロットを悪者にし、エドワードはそれをわからせるため、自身の潔白を証明するため、エマと関わるのだと一緒にいる口実にした。

 エドワードは王子として正しくあることに強迫観念に近い思いを抱いていた。なんとしても自分を正に置きたかった。そのために、事実を歪め、自分の心の安定を得ることに成功した。

 正義感があることと、その正義が本当に正しいものかは、まったく別なのだ。

 シャルロットがそのことに気づけていたら結末は大きく変わったかもしれない。 

 だが、エドワードがエマと親しくするほど、シャルロットもまたむきになって二人を引き離そうとした。女の怒りは女に向かう。シャルロットはエマを目の敵にした。廊下で会えば故意にぶつかっては被害者を装い糾弾したり、パーティ会場から追い出そうとドレスに飲み物をかけたりという真似もした。

 二人が本物の恋仲になる頃には、シャルロットはすっかり嫌な女で、嫌悪の対象になっていた。

 エドワードはエマと結ばれたいという本音を、悪辣なシャルロットとの婚姻など到底考えられないとまた理由をすり替えた上で、婚約破棄を模索しはじめた。とはいえ、この婚約は王命であり、シャルロットの父・ローゼン公爵は影響力のある人物だ。余程の事情がなければ婚約解消など難しい。

 それでもエドワードは諦めなかった。シャルロットがエマをいじめるたび、シャルロットは王妃になる器ではないという思いを強め、婚約を破棄することは正しいことだと信じていった。都合の良い正義を作り出し、エドワードは縋ったのだ。

 力になってくれたのはエマの養父・オードリー侯爵だ。

 そして、夜会の席で、大々的にシャルロットがエマにしていた仕打ちとローゼン公爵の不正を暴露した。結果、大粛清が行われるに至った。

 ローゼン公爵の失脚によりエドワードは無事にシャルロットとの婚約を破棄し、状況が落ち着き次第エマとの婚約を予定している。望み通りの結末である。

 だから、オードリー侯爵の背後にローゼン公爵と敵対しているバイエルン公爵の存在があったことや、力を持ちすぎたローゼン公爵を王族の中でも一部が快く思っていなかったことなど、考えることもなかった。見ないことにした。確かにシャルロットはエマに嫌がらせをしていたし、ローゼン公爵は国際法に触れる武器の売買を行っていたのだから、そもそも何故シャルロットが嫌がらせをしたのか、ローゼン公爵の秘密裏の取引の理由などエドワードが省みる必要はない。彼はただ、熱烈な、盲目な、恋をしていただけなのである。この恋が何ら後ろめたいものではないという理由をつけることが何より大事。そして、その目的は達成した。彼の恋路の邪魔をする存在は悪として葬られた。それだけで十分。政治的な駆け引きや、裏側で蠢いていたものにも興味がない。本当にこれが正しいかどうかなど、少しも。


 死刑執行日に、エドワードが独房を訪れたのは、最後なのだからシャルロットも少しは反省し改心しただろうと期待し、愛するエマへの謝罪を求めてである。元とはいえ婚約していた相手が死を前にしているのに尚も罪を突き付ける。悪に対して、遠慮することなどない。どこまでも残酷になれる。いや、謝罪の機会を与え少しでも罪を軽くして黄泉路へ向かわせることがせめてもの優しさであるとエドワードは考えていたのかもしれない。


「詫びですか? ……そうですね。両親や親族には申し訳ないことをしたとは思っております」


 エドワードの問いに、シャルロットはおっとりと答えた。

 謝罪を求められて思いつく相手を素直に上げたのだが、その答えはエドワードには気に入らない。


「とぼけるな。君が真っ先に謝るべきは、エマだろう」

「……わたくしが彼女に何か詫びなければならないことがありますか?」

「散々、嫌がらせをしてきただろう」

「わたくしが、自分の立場を守るためにした行為を、嫌がらせとおっしゃられても困ります」

「権力を欲するのは父親譲りということか。浅ましい」


 シャルロットは小首を傾げた。

 権力を欲する――それが王妃という立場に固執しているという揶揄であるとは理解できたが、何故それを浅ましいと言われるのかはわからなかった。

 エドワードが次期国王として厳しく育てられたように、シャルロットもまた幼い頃から厳しい王妃教育を受けてきた。自分の望み、自分のやりたいことを全部我慢して、頑張ってきた。シャルロットのこれまでの日々は、王妃となること以外の生きる意味を持たせてはくれなかった。彼女のすべてがそこに集約される。だから、彼女の唯一を揺るがそうとする者は排除する。義務を果たしているのだから、権利は主張しただけだ。

 エマは忠告を聞き入れるふりをしながら、エドワードに泣きついてシャルロットを悪者にした。

 だが、シャルロットが本当に腹が立ったのは、エマが安易にエドワードを頼ったことである。王妃として国王を支えるよう、エドワードの周囲に目を配り力になるよう、シャルロットはずっと言い含められてきた。間違っても、エドワードを煩わせる真似をしてはならないと。だから、エマのこともエドワードではなく直接エマに話をつけたのだ。そうであるのに、エマはエドワードを巻き込んだ。あまつさえ、エドワードはエマの味方をした。

 一連の出来事は、シャルロットの心を苛んだ。

 エマは排除しなければならない。か弱いふりをしてエドワードに守られるのなら、シャルロットも被害者を装う。パーティで二人がこっそり抜け出し逢瀬を楽しんだと知って以来、そうならないようエマを見かけたら追い返そうとドレスを汚したりもした。すべて、理由があってのこと。理由があれば何をしてもいいわけではないが、少なくともシャルロットは信念を持って行った。それを謝る必要性を感じなかった。

 だが、何もかもが空回って、自身の行為がきっかけとなり、最後は一族ともども破滅したのだから、それについては申し訳なかった。

 もっと自分に力はないことを自覚していたら、エマのしたたかさを、その背後にいる者たちの狡猾さを見抜き、周囲に助けを求めていれば、こんなことにはならなかったのかもしれない。何もかもが後の祭りとなってから、シャルロットが抱いた贖罪の気持ちである。

 しかし、同時に、ほっとしている自身にも気が付いた。

 シャルロットはけして愚かな令嬢ではない。知っていたのだ。自分は、王妃となれるような器量ではないこと。求められ期待され、否をいう隙を与えられず、必死になって縋りついてやってきたけれども、やりがいを感じたことも満足を感じたこともない。あるのは重責に対するたただひたすらの恐怖だった。ローゼン公爵家の一人娘として生まれた以上は務めなければならない役割だから、頑張ってきただけで、本当はいつだって逃げ出したかったのだと、すべてを失ってようやくひた隠しにしてきた思いと向き合えた。唯一のものを手放したはてに手に入れた安堵、自分のためのはじめての安らぎを感じていた。

 握りしめいた拳を解くことで、見えてくるものもある。


「殿下。わたくしは、あなたのことを許します」


 ねめつけてくるエドワードに、相変わらずのおっとりとした口調でシャルロットは告げた。

 

「君が許しを乞う立場だ……気でも狂ったか」

「狂ってらっしゃるのは殿下でしょう。わたくしはついぞ知りえることはございませんでしたが、恋は人を狂わせる猛毒であると伺っております。けれど、その熱病はやがて治まるとも。そのときには、殿下が謝罪するべき相手はもういないのですから、今、こうして、わたくしが許しを与えたのです」


 シャルロットは父からこの大粛清の事情を聞かされていた。

 自分のせいだと泣きじゃくる娘に、そうではないと――バイエルン公爵の罠にまんまと嵌り、陥れられた。防げなかったのは自分の力のなさで、シャルロットのせいではないとそう慰めてくれた。

 それもまた、はじめて父からかけられる優しい言葉だった。

 公爵としてではなく、父として、娘へ。死を前にして、父はただ娘の心を守ろうとしてくれた。

 だから、シャルロットはもう十分だと思った。

 何もなせなかったけれど、何もつかめなかったけれど、悪者として刑に処せられる最後でも、思い残すことはないと。

 諦念の中に満足を見出し、静かに生涯を終えようとするシャルロットの前に、だが、エドワードはのこのこやってきて謝罪を求めた。

 自分たちには、温かな交流はなかったが、それでも婚約していた間柄である。それなのに慰めるわけでも同情するわけでもなく、謝罪を。悪かったと非を認めろと告げるのだ。

 シャルロットは、彼の弱さに、脆さに、危うさに、それを持ったままこれからも生きていかなければならないことに、ほんの少し同情した。

 それから、そのことにもっと早く気づいて寄り添えていたら、また別の関わりを持てたかもしれないと思った。それが、できなかった。二人は幼くして婚約し、シャルロットは自分の勉強を、責務をこなすのだけで精一杯だった。余裕がなかった。その隙をエマにつかれたのだ。

 でも、今更だ。今更だから、優しくする気は起きなかった。

 エドワードが正義の鉄槌を振りかざすのなら、シャルロットは真実の楔を打つまでである。

 

「わたくしは、許します。あなたがわたくしに、わたくしの家族に、わたくしの親族に、したことすべてを許します。殿下は聡明な方ですもの。いつか必ず、ご自身がしたことの意味を、正確に理解される日がくるでしょう。真実からは逃れられませんから。そのときに、思い出してくださいませ。わたくしが、あなたを許すと申し上げたこと」


 エドワードが何故ここへ来たのか。

 エマへの謝罪を求めに――それもまた建前である。お得意の口実である。彼は間違いなくシャルロットがろくでもない者だったとより確信を強めたかったのだ。

 それはつまり彼の中に迷いがあることの証明でもある。

 だから、今、ここで、エドワードを糾弾しても意味はない。ヒステリックになるほど、シャルロットは悪として、エドワードの正しさを強めてしまう。それこそが彼の望みなのだ。故に、シャルロットはゆったりと微笑み、許しを与えた。

 わたくしは何も間違っておらず、間違っているのはあなた。

 暗にそう込めた思いが、エドワードの弱い心には影を落とすだろう。

 弱さ故に、正しさにこだわり、自分は間違っていない証明を求め続けるエドワードには効果的な毒だ。

 エドワードはこの先、恋に浮かされたままバイエルン公爵の傀儡となりつづけるか、次期国王として実権を取り戻すかを迫られる。目が覚めたなら、きっとシャルロットの言葉を思い出し、そして、彼がここへ来なければ問われることなかった罪を、改めて突き付けられる。彼が誠実であれば、自分の恋を認めていれば、バイエルン公爵に利用されず、もっと穏便な解決があっただろうことを。誰も死ぬことはなかったことを。


「……君は救いようがないな」

「殿下は、救われるとよろしいですね」


 目の奥に怒りの色を孕んでエドワードは踵を返した。

 シャルロットはその姿を見送った。

 感慨も何もない、これが二人の別れだった。


 一人きりになったシャルロットは、粗末な寝台に腰かけて静かに時を待った。

 

 髪の乱れを直すように、そっと撫でる。

 ずっと侍女に結ってもらっていたので、やり方もわからず、ひっつめるようにして結んだだけ。衣装も、罪人の着る簡素なものだ。だが、装飾品のないぶん軽く動きやすく、コルセットでぎゅうぎゅうと締め付けていかにくびれを見せるかを大事にする夜会用のドレスよりも楽である。これならばきっと走ることもできるだろう。

 

(もっと早くに、身軽になることはできなかったのかしら?)


 静まり返った独房で、彼女はこれまでを振り返る。

 それは後悔とは少し違う。

 今だからこそ思える疑問だった。

 シャルロットには自由がなかったし、自由になろうという発想もなかった。将来の王妃として、そうあるべき自分を追いかけ続けてきただけ。物心つかない頃から、そうすることを当たり前のものとして生きてきて、それがなくなることなど考えたこともなかった。

 でも、エマの登場により、疑うことのなかった未来に陰りがさした。

 あれは一つの転機だった。

 あのとき、別の道があると思えていたら――いや、違う。そう思おうとした心に蓋をしたのだ。そんな考え必要ない。王妃となることだけを目標に生きてきたのだから、それを捨てる選択などこれまでの自分を否定する真似は絶対にしたくなかった。唯一が手に入らないなら、生きている意味はない。

 

 王妃になれないなら、何もない。

 それがシャルロットの人生。

 だから、何一つ手に入らないまま、終わる。

 

(それでいいのよ)


 ガシャリと金属の音がした。

 施錠が外され、鉄格子が開かれる。

 迎えが、きた。

 騎士が三人、そのうちの一人が中に入ってきてシャルロットに手を差し出した。罪人としてではなく、令嬢としての扱いに驚きながらも、これは最後の恩情なのだろうと自分の手を重ねて立ち上がる。

 廊下に出ると、残りの騎士がシャルロットの後ろについた。

 厳重な警護の中、薄暗い建物を手を引かれて歩き始める。

 独房のある塔を出ると日の光に目が眩んで足を止めた。黴臭く、じめじめとした牢に数日もいると鼻も慣れて麻痺していたが日向の匂いがした。明るく豊かな匂いだ。

 瞬きを繰り返して目をならす間、騎士は黙って待ってくれた。

 視界が定まると、再び歩き出す。

 処刑場までは一本道になっている。父は国賊として公開処刑になったが、他の者たちは非公開で行われる。シャルロットのそれも同様だ。年若い娘の公開処刑など流石に反感を買うからだろう。

 道の脇には、途切れることなく花が植えられている。

 マリーゴールドの花。


「きれい……」


 生の最後に、美しいものを。それは慰めなのだろうか。

 シャルロットは咲き誇る花々に視線を向けたままで歩みを進めた。

 そうしながら気づいた。


「……こんな風に合わせていただいたのは初めてよ。殿下はご自分の歩調を崩されないから」


 エドワードから大切にされたことは一度もない。夜会でのエスコートもダンスも、エドワードは自身の好きなようにする。シャルロットは懸命についていく。そういう二人だった。

 それを悲しいとも寂しいとも思わなかった。

 シャルロットもまたエドワードに好意を持っていなかったから。

 ただ、義務と誠意があっただけ。

 愛することも、愛されることもなく、与えられた役割をこなすのがシャルロットの人生のはずだった。

 だが、それを失い、死を待つばかりの自分に、思いがけず舞い込んできたもの。

 一人の令嬢として丁寧なエスコート。

 笑ってしまう。


 何もないと思っていたのに。

 何ひとつ持たないまま、死ぬのだと思っていたのに。

 何故、諦めた途端に手に入るのか。

 人生とは、皮肉に満ちている。


 つぶやきを拾った騎士が困惑したような顔でシャルロットを見た。

 たとえ罪人であれ、これから死刑となる娘を邪険になど扱えなかったが、特別親切にしていたわけではないからである。彼には婚約者がいるが、婚約者にはもっと丁寧なエスコートをする。それに比べて義務的なこのエスコートに、そのような言葉を返されて戸惑わないわけがなかった。

 騎士は、シャルロットをいっそう憐れに思った。


 ローゼン公爵は確かに違法な売買をしていた。

 だが、一族郎党連座にして処刑をされるほどのものだったのか。

 疑問の声は上がっている。

 新聞紙面ではローゼン公爵を非難する記事が連日掲載されているが、彼らによくしてもらった者たちは多い。だから、この事件をきな臭く感じている者も。嘆願書を集めようという話も出ている。

 刑の執行が早かったのは、そのような背景も関係しているのだろう。


 騎士もまた疑問を感じる一人だった。


「ごめんなさいね。困らせるつもりではなかったのよ」


 シャルロットは彼の混乱を感じ取り告げた。

 それは本心である。シャルロットは自分が粗末に扱われていたことを、騎士のエスコートにより強烈に自覚したけれど、それを寂しいとか腹が立つと思ったわけではなかった。どちらかといえば、逆である。知ることはないまま終わると思っていた、胸の高鳴りを感じていたのだから。

 そう、彼女はこの瞬間、幸福を感じていた。

 騎士にとっては取るに足らない当たり前の態度でも、シャルロットにとっては初めて淑女として男性に接せられた。それがこんなにも嬉しいものだなんて思わなかった。


「さぁ、まいりましょう」


 だから、彼女は自らそう促した。 

 その先に刑の執行が待ち構えていても、残りわずかの淑女としての扱いを味わいたかった。それが味わえるなら、自分の人生は不幸ではないと胸を張れる。シャルロットの幸福はこんなにも些細な中にあったのである。

 それは強がりでもなんでもない。

 シャルロットは歩く。

 マリーゴールドの花に見送られ、さながらウエディングロードでも歩くような軽やかさで、死刑台までの道をエスコートされ、美しく、颯爽と。 

 その表情は、十七年の生涯の中で、もっとも可憐で幸せそうに見えた。

読んでくださりありがとうございました。


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