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断頭台に赤い池が出来て、転がった赤い布袋を抱えて僕は鎮魂の歌を歌う。
彼の願い通り、人生で一番大きな声で歌うのだ。空気を震わせて、観衆の鼓膜を揺らし、処刑人を困惑させる。
腕の中から温もりが消えていくのを感じて、僕は涙を流す。
切り離された体から黄金の光が生まれて、金の糸が無数に絡まっている。
見届け人が絢爛豪華な刃物を僕に手渡し、仕事を完了しなさいと命令する。
僕は赤い布袋を床に置いて、刃物を手に取り、ぷちんぷちんと金の糸を切っていくのだった。
「うわっ!」
飛び起きると、心臓がばくばく音を立てて暴れ出すので、僕は胸を押さえて息を整えた。
「大丈夫?」
心配そうに顔を覗いて来たのはダリアで、僕は周囲を見渡して、さっきまで見ていた光景が夢だったという事にやっと気づいた。
「だ、大丈夫。変な夢を見ただけだから」
おそらく正夢になるだろうが、あまりにも鮮明な夢だった。
「リド、ジュニアも目が覚めたし、一旦ジュニアの家に帰りましょう」
「ダリア、ハインさんは?」
窓の外は日が登り始めていて部屋の中が明るくなっている。見渡してもハインさんの姿が見当たらなかった。
「宮廷の朝議に乗り込んで、王様に直訴するんだ、って言ってさっき出て行ったわ」
「王様に直訴って、いい脱獄計画は思いつかなかったんだね」
彼女は目線で「そうよ」と伝えていた。
「ひとまず、ジュニアの家に帰ろうか。ハインさんとは正午前に現地で集合することに決まったよ」
この家の鍵を持ったリドが僕たちを外へ出るように促す。そして扉を閉めて鍵をかけようとした時、かしゃんと何かが脆く割れる音が鳴り響いた。
「ジュニア、ごめん」
バツが悪そうに謝ったのはダリアで、彼女の足元には真っ二つに割れたお皿が転がっていた。
「そんな!僕のお皿が……」
ディアンさんから貰った高級皿がもう、換金することも不可能な姿に変貌していて、僕は膝から崩れ落ちながら落胆した。
数か月分の食費が消えてなくなった。
「手が滑ってしまって。ごめんね」
美しい花模様が途切れて、金の縁取りも欠けて、くっつけてみても元通りにはならない。
「ジュニア、ダリアも悪気があっての事じゃないから、許してやって」
分かっている。事故だってことも、自分がちゃんと管理していなかったせいだってことも理解しているが、正直な気持ちは悲しい。涙がこぼれてしまいそうだ。
「どうにかくっつける方法ってないのかしら?」
ダリアが僕の手から割れた皿を奪い取って、どうにかこうにか引っ付けてみようとするのだが、もちろん元通りになどならない。
「ダリア、もういいよ。割れたものは元には戻らないんだから」
「魔法があればいいのにね。そうすれば綺麗に元通りになるのに」
魔法なんてとうの昔に廃れてしまった。ルシオラも歌って魂を呼び出すしかできないし、人間は何一つ使えない。少しだけだが魔法が使えるのはゼノだけ……。
「あ、そうだ!ティダに直してもらえないか聞いてみよう」
僕は名案を思い付いて、ダリアの腕から割れた皿を引っ張り上げた。
「え?」
「うそ?」
「どういうこと?」
古い歌の中に「どんなものも元に戻せる」という魔法についての歌がある。幼い頃より、僕はその歌があまりにも現実的ではなくて好きではなかったが、今日、はじめてその歌が頭の中で鳴り響く。
「……くっついている」
僕の手には綺麗に繋がった、割れ目もない新品のようなお皿が一枚あるのだった。
「ジュニアって魔法が使えるの?それならそうと先に行ってくれればーー」
ダリアの言葉を遮って僕は「違う」と必死に答えた。拍子様が言うには、ルシオラは魔法があった時代でも歌うことでしか魔法を使うことが出来なかったらしい。仮に僕が起こした魔法だとしても、僕は一小節たりとも歌っていないのだ。絶対に僕の仕業ではない。
「これは、君の力だ」
そう言ってリドはダリアの肩を優しく叩いた。彼は何か事情を知っているような眼差しで彼女を眺めると、「取り敢えず家に帰ろう」と僕たちの背中を押すのだった。
太陽が真上に上って、じりじりと肌を焼くような熱を降らせる。見上げると雲一つない真っ青な青空で、今日も雨は降りそうにない。
井戸水を汲んできて、お腹いっぱいになるまで水を飲み干す。歌うには喉に水分が多くないといけないらしいので、長時間の歌唱が考えられる場合にはこうして多めの水分補給をする。
国から支給される墨で塗りつぶしたような光沢のない黒い制服を着て、黒い紗がついた帽子を被る。
僕の出番は罪人の首が落ちた時からで、それまでは舞台袖で待機を命じられる。
屈強な男たちに挟まれ、後ろ手に縛られた罪人が断頭台にて跪かされ、彼の首の後ろに鈍色に光る斬首刀がかざされた。
「罪人、ディアン・アルスメールは戦地にて、国王陛下の愛する国民と兵を愚策により失わせた罪により斬首の刑を言い渡す。ここに正午を持って施行される」
何故か民衆は処刑を好んで見に来る。正義感からなのか、ただの怖いもの見たさなのか、暑いのにも関わらず、朝早くから一番前を陣取る輩も多い。
こんなのはただの公開殺人、ただの見せしめ。面白いものでも、為になるものでもない。いつになったら廃止されるのだろうか。
断頭台で項垂れている男を見て、民衆が沸いている。貴族の坊ちゃんが殺されるのが爽快なのだろうか。
「お待ちください。どうか、今一度裁判のやり直しをお願い致します。こんなのはあまりにも性急ではありませんか」
民衆を掻き分けて、ハインさんが断頭台に目掛けて駆け寄ってくるが、巨体の男に取り押さえられて、地面に顎を押し付けられた。
「こんなのは不当だ!戦地で戦った者に敗走したからとすぐに命をとるなど、軍紀が乱れるだけだ」
ハインさんは押さえつけられても、蹴りを入れられても黙らなずに、口に砂を付けながら呼び掛け続ける。
「騎士への扱いがこのような不当なものであるならば、この国は誰も守れない。騎士は守ろうとしない。国の根底を揺るがすに決まっている」
民衆がハインさんの叫び聞いて、どこか納得しているような反応を見せ始め、どこかで「そうだ」という肯定の言葉まで飛び始めた。
「国民を守るのは他でもない騎士だ。その騎士に戦いの責を負わすなど、これでは騎士は戦うことを拒む。民を守らない。それで良いのか!撤回しろ。裁判をやり直せ」
ハインさんの熱弁に煽られるように民衆が「撤回しろ」と合唱を始める。断頭台に並んだ大人たちが困惑してしまい、予定時刻通りに施行されるはずの刑が執行されないまま、正午が過ぎていく。
「ハインさん凄い」
僕がその光景を舞台の袖で覗き見ていると、僕の横を独りの男性が軽やかな足取りで通り過ぎていくのが見えた。
夏なのに頭から頭巾付きの外套をすっぽりかぶって、固い革の長靴を履いている。彼はさっそうと現れて、大男に押さえつけられているハインさんの前で足を止まった。
「誰だろう?」
見たことのない男だ。おそらく処刑に関わる役人ではないと思われる。
「もしかして、キアノ殿下かな?」
僕たちが待ち望んでいた王子がようやく到着したのだろうか。それにしては、服装があまりにも質素だ。
「お黙りください。これ以上呻くようなら、貴方も罪に問いますよ」
その声は若い男性の物で、歳はだいたい十代後半くらい。
「不当を不当と言って何が悪い。人の命にかかわることなのだ」
「もうやめろ!そいつは本気だ」
ハインさんの言葉を止めたのは、断頭台の兄だった。弟が兄に視線を向けると、兄は首を横に振る。すると、弟は奥歯を噛みしめて目の前に仁王立ちする外套姿の青年を睨みつけた。
「この裏切り者」
「……ではお静かに」
外套を靡かせて青年は軽やかに断頭台が設置された舞台に上る。そして執行官に耳打ちをすると、執行官は気持ちを立て直して、判決文の続きを読み始める。
そしてその瞬間は訪れた。
「それでは刑を執行する」
豪華な勲章を付けた斬首人が罪人に黒い袋を乱暴に被せて、淡々と刃を振り上げる。民衆が固唾を飲むのが分かるくらい、辺りは一斉に静まり、その光景に釘付けになった。
断頭台は木で足場を作っているから、首が落ちた時、まるで果物が木箱の上に落ちた時と同じような音がする。僕はこの仕事を始めてから、木の床や箱の上に物を落とす音が嫌いになった。
銀細工の豪華な柄の刀が躊躇なく振り下ろされると、「ごとん」と鈍い音がして、民衆は複雑な反応を見せた。一部では喜ぶように歓喜の声を上げ、一部では恐ろしいものを見たように悲鳴を上げた。そしていつもと違ったのは、ため息のような落胆の声だった。
「やっぱり、王様の言うことがすべてなのか」
「俺達の声なんて何にも変えられない」
そんな声まで聞こえてくる。
ハインさんが地面に顔を埋めて、震えている。僕は震え泣く弟と崩れるように倒れた兄の姿を目の当たりにし、胸の奥に激痛が走って、しゃがみ込んだ。
「おい、ルシオラ。早く歌え」
執行官が舞台から去り際に僕にそう、横柄に言って去って行った。
僕は震える足をゆっくり動かして、舞台の真ん中へと進んでいく。目の前が胸の苦しさで歪んで見える。
目の前に頭部のない崩れた体、だんだん大きくなる赤い池、黒い布袋が一つ。
ああ、歌いたくないはずなのに、どうしてか歌わなくてはならないという使命感のような感情が沸いてくる。
あっけない。こんなにも簡単に人は死ぬのか。何度もこの場に居合わせても慣れることのない感覚だ。
「ねえ、どうして殺したんですか?」
外套の青年の横を通り過ぎる際に、そんな今更どうしようもない疑問を投げかけた。
「君には関係ない。早く歌え」
「……はい」
僕は黒い布袋を優しく抱きかかえ、唇を動かすが、上手く声が出てこない。
腕の中は未だに温かく、死を感じられない。そう、まだ温かい。まだ温かい。
大きい声で歌ってくれとお願いされたのに、どうやら上手く歌えそうにない。
ごめんなさい。と心の中で謝った時、青年が僕の耳元に顔を寄せてこう言った。
「歌えないなら、代わりの者を用意する」
初めて目が合った青年は、目鼻立ちの整った美しい顔の男性で、耳に金色の蝶型の耳飾りを付けていた。
「歌います」
「はやくしろ」
そして僕は予定通り、歌を歌う。はじめはかすれ声だったが、だんだん震えにも慣れ始めて、声が通るようになった。そしていつもよりも大きい声が出るようになると、帰り支度を始めていた民衆の足が止まった。
「ルシオラの歌声が聞こえる」
「この歌は誕生日に歌う歌よね」
僕が歌っているのは「鎮魂歌」で、この国では誕生日に歌われることが多い、国民的に有名な曲だ。もともとは、遺族への歌で、残された者の魂が死者の許へ一緒に行ってしまわないように、体から魂よ出るなという鎮めの歌なのだ。
「おい。どういうつもりだ」
青年がぴりぴりとした空気を纏って、睨みつけてくるが、僕はそれに構うことなく歌い続ける。「魂よ体から出て行くな」という歌を。
「いい加減にしろ。罪人が望んたレクイエムを歌え」
聞きなれた歌のせいか、民衆の中で僕と一緒に口遊む人がちらほら出始めると、ますます隣に立っている男の機嫌が悪くなる。
一緒に歌ってくれるのは有り難い。ルシオラの性質上、死者の前では気を抜くと、すぐにレクイエムを歌ってしまいそうになる。耐えなくてはならない。
まだ温かい。まだ腕の中は温かい。
「そんな歌を歌うな。罪人が望んだ歌はそうじゃない。ディアンが望んだ歌は……」
ディアンさんが望んだ歌は「追憶の歌」というレクイエムで、大往生した人に歌われることが多い歌だった。でも、その願いは叶えてやるつもりはない。僕は今日、なんとしても魂を呼び出すわけにはいかないのだ。
「ディアンは追憶の歌で、古語で歌われることを望んだはずだ」
なぜか、この青年はディアンさんと僕の間で決めた選曲を知っている。執行官にも報告しない選曲を知っているという事は、もしかして彼はディアンさんの知り合いで、本人から聞いたのだろうか。
「いい加減にーー」
「歌うな小僧!どけ!」
わらわらと人をなぎ倒して、民衆の間から飛び込んできたのは、外套姿の青年と背の高い中年男性だった。
「キャノ……」
青年が小声で現れた男の名を口にする。そして僕から離れて、舞台の端の方で膝をついて顔を伏せた。
「歌うなと言っているのが聞こえないのか」
屈強な男達が取り押さえるどころか、道を開けていく。
線が細く、中性的な顔立ちで髪の長い王子様。まさにその通りの風貌で、すぐに彼が第三王子だという事が分かった。
「王子様、遅いよ」
王子は断頭台に飛び乗ると、僕を容赦なく蹴り飛ばした。僕の腕から転がり落ちた黒い布袋を急いで拾うと、すぐに中身を確認し、呼吸を一瞬止め、両目にぎゅっと力を込めた。
「殿下、このような事は困ります。お引き取りください」
膝をついた青年が下を向きながら進言した。
「なぜこの私がお前に指図されなければならない」
袋を大切に抱えると、後からついて来た側近のような男に頭部の無い体を運ぶように言い渡す。
「殿下、まだ魂が切られておりません」
「だからなんだ」
「罪人は魂を回収後、首を晒すことに決まっております。持ち出されては困ります」
「お前、よくもそんなことをぺらぺらと言えるものだな」
僕は二人の会話を聞きながら、歌ってしまわないように両手で口を押える。
「陛下より仰せつかった仕事ですので」
「お前にとってもディアンは兄同然だろう」
「……」
昨日、ディアンさんは実の弟以外に弟のような男の子が二人いると言っていた。ということは一人はキアノ殿下で、もう一人はこの蝶の耳飾りを付けた青年だったのか。
「お前は誰だ?」
「…………」
二人は一瞬目を合わせるが、王子が先に顔を動かして僕に視線を移す。僕がちゃんと口を両手で塞いでいる姿を見ると何も言わずに、袋を抱えたまま断頭台を下りていき、民衆の間をずかずかと進んでいく。
死人と滴る赤い液体を気持ち悪がって人々が道を開けていくと、その先にダリアとリドの姿が見えた。そして僕は口を塞いだまま、青年の前を横切って舞台脇へと逃げるように下りていった。
ここからが本番だ。