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作戦会議は家の近くにある公園で開かれた。家には拍子様が眠っているので、起こすようなことがあってはならないし、それに脱獄の話を耳にも入れたくなかった。
「私達が聴衆に紛れて、隙を見つけて断頭台に上ったディアンさんを攫うって言うのはどう?」
ダリアが身振り手振りを交えながら自分の脱走案を発表する。
「聴衆と囚人の間には距離もあるし、あの化け物級の看守がいるから無理だと思う」
僕が否定すると、ダリアはまるで子どもみたいにすぐにむくれた。
「断首される前にボヤ騒ぎとか、一騒動起こすというのはどうかな?」
リドは眉間に皺を寄せながら案をひねり出すが、その手もすでに誰かが試していて失敗に終わっている。
「火事とかスリとか、殺人事件が目の前で起きても刑はちゃんと施行される。長引いたり中止になったりしたことは一度もないんじゃないかな?」
先代の拍子様こと僕のおじいちゃんが言うには、目の前で革命が起きようが、国王が崩御しようが、死刑は必ず施行されるのだとか。「死刑というのは国の法律が決めているから、法改正が行われない限り、必ず行われるのか。参ったな」
しかも死刑判決は前日には決まっているので、当日に撤回などされない。判決阻止ならまだやり様があったと思うが、施行が明日に控えていてはもう遅いので、リドがお手上げ状態なのも頷ける。
「なら、死刑執行人を殺しましょう」
「え?」
ダリアのとんでもない一言に、僕とリドは言葉を失った。闇夜の中での殺人発言は、夏でも腹の底にひやっと冷たいものが流れ込んでくるように感じさせる。
「ダリア、本気?」
「本気よ。私だって調べたわ。ディアン隊長ほどの身分のある人は地位の高い処刑人でなくてはならないのでしょう?ならば、その処刑人に居なくなってもらえば、延期になるわ」
確かに処刑人には位があり、王族やその親族だけを裁く者、領主や貴族を裁く者、武官や文官を裁く者、平民や移民を裁く者など、人の身分に合わせて処刑人が用意されているのだ。
「悪くない発想だと思うけど、僕とジュニアとダリアではどう考えても人殺しは出来そうにないな」
ディアンさんほど腕の立つ騎士ならば出来たかもしれないが、僕たちみたいに剣もろくに触れない人間では到底無理そうだ。
「なら、ディアン隊長に武器を渡して、自力で逃げ出してもらうとかはどう?」
「ダリア、それも無理だよ。処刑場に入るには持ち物検査されるから」
針一つ見逃さないという噂の目利き検査人がいるらしい。
「じゃあ、どうするのよ」
三人とも作戦が思いつかなくて、とうとう黙り込んでしまった。夏虫が近くの草むらで必死に鳴いているので、その声が気になって僕も思考回路が上手く動かない。
草むらに近づいて、虫を追い払おうとしたその時、光こちらに近づいてくるのが見えた。ランプの灯のように見える。
僕はしゃがみ込んで草むらに身を隠そうとしたが、僕が隠れられるほど草は背が高くなかった。
「もしかして君か?」
ランプの光が近づいて止まると、若い男性の声が聞こえてきた。
「もしかして僕に話しかけてる?」
「どう見てもそうだろう」
話し方と靴の音、ランプの装飾具合から判断して、現れた男は貴族並みの金持ちだと分かった。
「何の用ですか?」
「ティダという娘にルシオラの少年を探せと言われたのだ」
「ティダ?」
後方でダリアとリドが耳を澄ませながら、こちらの様子を窺っている。下手に反応してはいけない。もし先ほどティダとの会話を聞いて勘付いた役人だった場合、僕たちはすぐに捕らえられて殺されてしまう。
「扉を開けるにはまだ鍵が足りないと言っていたが、どういう意味だ?」
男の足が数歩近づき、僕はようやくランプを持つ男の顔をはっきり見ることが出来た。そしてその顔つきを見て緊張感がゆっくりほどけていくのが分かった。
「お兄さんもしかして、ディアンさんの」
「夜でも分かるとは、そんなに似ているか?」
「そっくりですから」
「いかにも、ディアンの弟だ。兄を救うべくこうして君を探していた」
まるであの人が牢獄の中から逃げ出して来たかのように、目の前の男は囚人とよく似ていた。僕が後ろで心配そうに睨んでいる二人を手招きで呼ぶと、二人もランプを持った男の顔を確認して目を見開いて大袈裟に驚いていた。
「不愉快だ。人を化け物のように扱うな。君、鍵とは何なのか簡潔に説明しろ」
「性格は全く違ようですね」
「当たり前だ。兄のようなお人好しは一人で十分だ」
いかにも気位が高そうな貴族と言った雰囲気で、柔和で気さくな兄とは全く違い、僕は胸の奥で大いにがっかりした。
ディアンさんの弟はハインと名乗った。ハインさんは公園の野ざらしの木製椅子になど座りたくないと駄々をこねたので、僕たちは作戦会議場所を移すことにした。
ハインさんが案内したのは住宅街の真ん中にある小さな一軒家で、家の中には人の住んでいる気配は無かった。
「ここは誰の家ですか?」
リドが部屋を見渡して素直に質問した。
「兄の家だ。と言っても、ほとんど使用されていない。ただの物置に過ぎないがな」
「確かに生活感が無いわね」
ダリアが埃の被った部屋の窓を嫌そうに睨みつけている。
「兄は殿下にこの家に住むように言われていたそうだが、宮殿に通うのが面倒だと言って、宮殿に近い軍の寄宿舎で寝泊まりをしていたそうだ。こうして、ここにあるのは日常に使わない物ばかり」
ハインさんは部屋に入るとランプに布を被せて灯を小さくした。埃が積もった椅子を手巾で払いのけ、椅子の上にその布を敷いて腰かけて、木製の丸机に折りたたんでいた紙を広げた。
「ジュニア、扉を開けると言うのはどういう意味かまだ説明を貰っていないのだが?」
広げられた紙には断頭台と牢獄が書かれた周辺地図だった。
「ここって安全なんですか?」
ほとんど使っていない家だとしても、罪人の家ならば家宅捜索する役人だっているだろう。こうして脱走計画を企てようとする輩を取り締まろうと身を潜めている可能性もある。
「大丈夫だ。ここはあくまで殿下の持ち物だからな。それより、質問の答えは?」
ハインさんは少し苛ついているように見えたが、どこか疲れていて怒る気力は無いようだ。
「私達、ディアン隊長を脱獄させるためにゼノの女の子に協力をお願いしたの」
ダリアが窓の外を窺いながら、小声で答えた。女性なのにとても度胸のある人だと感心させられる。
「それで?」
「逃亡の算段がついたならば扉を開けてくれると約束してくれました」
リドも他の窓から外を注意深く覗いている。
「扉を開けると言う比喩は何を意味しているんだ?」
「ティダはディアンさんが逃げ出さないように魔法をかけているんです」
ゼノが拘束魔法を使うというのは真実だったのかと、弟は困ったように眉間に皺を寄せた。
「扉を開けるというのは、その拘束の魔法を解いてくれるという意味だと思います」
ちゃんとティダと意見を合わせたわけではないが、彼女もディアンさんが処刑されることを望んでいないように見えたから、きっと解釈は間違っていないはずだ。
「それで脱獄計画はどうなった?」
僕もダリアもリドもそっぽを向いて、黙ってしまうので、ハインさんは小さなため息をついた。
「ジュニア、時間を稼ぐことは出来そうか?」
「時間ですか?」
ハインさんは机上の地図に指を刺す。そこは処刑台へとつながる緩やかな階段だった。
「断頭台に上るまで時間稼ぎが出来れば、何とかなるかもしれない」
「時間をかけると何かが起こるんですか?」
「救世主が現れる」
ダリアが現実的ではないと思ったのか、少し不服そうに首を傾げた。
「弟さん、その救世主って誰のこと?」
「キアノ殿下だ」
冗談とかではなく、地図を指さしたままの男はとてもまじめな顔でその人の名を口にした。
リドが記憶を探るように斜め上を見ながら、その人の情報を思い出していく。
「確か、ケルウス王国の第三王子で、髪が長く、華奢で中性的だとか。表に出ることは殆ど無い王子だと聞いたことがありますが、ディアン隊長とどういったご関係なのですか?」
「兄は殿下の護衛と剣術の指南役を務めていた。殿下にとっては実の兄たちよりディアンの方が兄らしいだろう」
そういえば、監獄内でディアンさんはハインさん以外に二人の弟がいると話していた。その一人は第三王子だったのか。では、もう一人は?
「それで、その髪の長い王子様が助けに来てくれるっていうのかしら?」
「ああ、ノックスに向かっているという情報は得ているが、明日の正午までに間に合いそうにないのだ」
「え?王子様ってあの宮殿に住んでいるんじゃないの?」
ダリアの言う通り、王様の子ども達は多くの場合、宮殿で生活するものだと聞いている。
「殿下はある事情があってアルスメール領にご滞在中で、兄が裁判にかけられてすぐにこちらに向かっているのだが、早馬でも一週間はかかる」
第三王子がアルスメール領に滞在中の理由は教えてもらえなかったが、僕にはなんとなくその理由が分かるような気がした。今までいろんな処刑人を見てきたせいか、今回の処刑が異例なのは分かっている。
「兄はまともな裁判を受けられず、わずか四日で判決が下った。いろんな伝手を使って二日は日を伸ばすことが出来たが、私にはもう限界だ。もう打つ手がない」
ハインさんの手に力が込められ、悔しさや無力さを握っている。覇気のない目元の理由はこの一週間、兄の為に奔走していたからだった。
「よっぽど、ディアンさんに死んでもらいたい人がいるんですね」
あ、不味いことを口走ってしまった。
僕の何気ない発言は失言で、人を傷つけて不快にしてしまう物だった。ハインさんの疲れた目元が一気に険しくなり、僕を鋭い眼光で睨みつけている。
「ごめんなさい。変な言い方をしてしまって」
「いいや。ジュニアの言う通りだ」
通常の貴族裁判は一か月から一年ほどかかることが多い。事実調査というものに時間が掛かると聞いたことがある。その上、極刑の判決が出ても刑が施行されるまでに時間が置かれることが多い。余罪が無いか調べたり、共犯者の裁判が終わるのを待ったりと、何かと時間が掛かる。
時間がかかるので、脱獄させようと穴を掘ったりする人が居たりするのだ。
「僕から見てもディアンさんの場合、何もかも急いでいるように見えます。まるで第三王子が戻ってくる前に終わらせたいかのような」
「だから、時間さえ稼いでくれたなら何とかなるのかもしれないと思うんだ」
まるで祈っているようね。と小声で呟いたのはダリアで、ハインさんはその言葉に聞こえないふりをしていた。
「ハインさん、時間稼ぎすら難しいですよ」
雨が降ろうが、雷が落ちようが、執行の前に罪人が自殺しようが、ルシオラが不在だろうが、決められた時刻に必ず施行される。
「分かっている。だからこうして考えているのだ」
僕には考えているというよりは、嘆くこともできず落ち込んでいるように見えた。
住宅街なのに夏虫はじりじり歌っていて、ルシオラの耳に短命な虫達の歌は、命の儚さを歌っているように聞こえる。僕はディアンさんの事を考えているせいか、虫の歌声で胸が苦しくなる。
「ジュニア、ジュニア?」
リドが僕の背中を優しく撫でながら、呼び掛けてきた。
「ジュニア、大丈夫?どこか苦しい?」
気づけば、僕は耳を塞いで体を丸め、立てた両膝に顔を埋めていた。
「大丈夫、少し眠いだけ」
虫の声を聞いて胸が苦しくなったと言ったところで、ルシオラではない人間の三人には理解されないだろうと思って、嘘を吐いた。
「子どもは眠っておけ。難しいことは大人が考えるから」
ハインさんはそう言って、椅子に掛けていたひざ掛けを差し出してくた。
「ありがとうございます」
「そうね、ジュニアは明日仕事ですもんね。徹夜で声が出ないなんてことになったら一大事だし」
少し嫌味っぽい言い方に聞こえるのは僕だけだろうか。
「僕だって好き好んで歌っているわけではないんだ。この仕事をしていないと市民権は剥奪されるし、食費も稼げなくて餓死するんだから」
歌うのは好きだ。でも、志半ばで殺された人間の為に歌うのは好きではない。僕だけじゃない、すべてのルシオラがそうだ。みんな悲しい歌ではなく、嬉しい歌を歌いたいんだ。
「ダリア、少しジュニアには休んでもらおう」
リドが説得すると、ダリアはしぶしぶ納得して「好きにすれば」と小声で言った。
僕は眠たくは無かったけれど、居心地が悪くなってしまったので、近くの背もたれ付きの椅子に深く座って仮眠をとることにした。
夢の中で、何かよい案が浮かんだりすればいいのに。
もちろん、そんな都合の良いことは起きたりはしないのだ。