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人は奇跡を選ぶ(D-01)  作者: 橙ノ縁
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 ダリアとリドがゼノにどうしても会いたいと僕にお願いしてきた。

「じゃあ、明日ゼノの集落に案内するよ」

「それでは遅いのよ。ジュニア!」

 ダリアはお腹一杯になって元気いっぱいで、僕に顔を近づけて「どうしても」だと頼み込んでくる。

「今から尋ねた所で門前払いだよ。僕、そろそろ眠りたいんだけど……」

 明日は断頭台で歌唱するという大仕事があるのだから、睡眠を十分にとって喉の調子を整えておきたいのだ。

「まだ寝てはだめよ。ゼノに死刑囚にかけた魔法のことを聞きだすの」

 僕は豪華な皿を丁寧に洗って、乾いた布巾で水気をとっている。この皿は僕のようなルシオラには勿体ない代物だから、ディアンさんに返却した方がいいだろうか。明日には死んでしまうのだから、返すのならば早い方がいいに決まっている。

「ダリア。やっぱり、僕、このお皿をディアンさんに返しに行ってくるよ」

「ちょっと、話がかみ合っていないわ。そんな皿の一枚二枚なんてどうでもいいのよ」

 この皿は貴族が使うような高級品で、きっと皿一枚で三か月分の食費くらいにはなる。

「そうだ、ジュニアはどうやって監獄に出入りしているんだ?」

 リドが僕と目線を合わせるように前屈みになって、僕の瞳を覗き込んでくる。彼はよく人の目の奥の方を覗くような眺め方をする人だ。

「僕は今回の歌担当だから自由に出入りできるんだ。関係者は死刑囚に面会が許可されているんだよ」

「なら、ディアン隊長に魔法をかけたゼノも自由に出入りが出来るのかな?」

「ゼノ達のことは詳しくないけど、そう聞いてる。というか、ゼノはいつだって死刑囚の近くで座ってるんだ」

「何ですって!」

 ダリアが僕とリドの間に割って入り込んでくる。あまりに突然の大声だったので、僕の繊細な耳が悲鳴のようにキーンと音を立ててしまっている。

「魔法をかけた張本人に簡単に会えるんじゃない。今すぐに皿を返しに行くわよ」

「でも、ダリアは中には入れない」

「そんなの分かっているわ。ジュニアにそのゼノを連れてきてもらうのよ」

「ええー。嫌だ」

 ルシオラはゼノとは距離を置いていて、彼らとは深い関りもなければ、知り合いすらいない。そもそも会話をしたことは無いし、あっちも僕たちを毛嫌いしているようにすら感じる。

「とにかく、皿を返しに行ってみようか」

 リドとダリアはにこにこ顔で僕の両腕を抱える。右腕を持ったリドが高級皿を持って、左腕を持ったダリアが玄関扉を勢いよく開ける。

「最悪だ」

 大人に抱えられた僕の嘆きは夜の闇に消えていった。





「何しに戻って来た?」

 監獄内の階段を下って一番下に辿り着いた時、闇の中から男の声が流れてきた。

「お皿を返しに来ました。起こしてしまいましたか?」

 夜も深まって街にも明かりは殆どついていない時刻だ。僕は皿を大事に抱えながら冷たい鉄格子の前でしゃがみ込んだ。

「眠れるはずがない」

「そうですか」

 皿を目の前の男に差し出そうとすると、男は手で静止するような動きを見せた。僕たちルシオラは夜目が効く方で、暗闇でもだいたいの物の形や動きは確認できる。

「その皿は受け取ってくれ。要らなければ捨ててくれて構わない。持ち主がさっき、残りの皿類をその角の所で粉々にして帰ったから気にしないでいい」

「分かりました。それでは売って食費にでもします」

 彼に差し入れをした人が面会にやって来たようだった。どんな者も面会謝絶なのにどんな手を使ってここに面会に来れたのだろうか。

「君は、家が近いのか?」

「はい。すぐ近くです」

 代々、死刑囚の歌係として生計を立てている一族なので、自宅も監獄の近くに用意されている。数代前の王様が用意してくださったと聞いているが、詳しくは知らない。

「そうか。断頭台で歌うのは何回目だ?」

「八歳からこの仕事をしているので、数えたことがありません」

「ずいぶん若い頃から歌っているんだな」

「いいえ。これが普通ですから」

 ルシオラという人種にとって歌とは生活に欠かせないもので、子どもは何かにつけて歌で物を覚える。

 文字の書き方から髪の洗い方、地名に昔話、植物の覚え方に至るまで何もかもに旋律がついて歌って覚えさせられる。

 死者への歌は物心がついた時には誰もが歌い始めるそうで、幼子は出鱈目な歌詞と旋律で死者を弔うのだそうだ。

「ルシオラは死に対して動じないんだな」

「僕は……あなたが死んだら悲しいですよ」

「……」

 冷静な声音をしていた男の呼吸が少し乱れた。動揺したような感じで、言葉を見失ったようだった。

「昔、ルシオラは別れを嫌う生き物なんだと言う人が居たそうです。誰だか忘れましたが、その人の言う通りだなと僕も思いました」

 ルシオラは人嫌いで有名。だから死んだ人間を前にしても呑気に歌など歌っていられるんだと蔑まれることも度々だ。

「見ず知らずの人間でも目の前で息をしていないと分かると胸が苦しくなって、歌にしてこの苦しみを外に出さないと辛くなってしまうんです。知っている人ならそれ以上、友人なら何十倍も苦しい。だから知り合いを多く持たないのだと思うんです」

 僕は皿を両腕に抱えたまま、鉄格子の前に近づいて腰を下ろす。

「だから、僕はあなたが死んだら悲しいです」

 闇の中から手が伸びてきて、僕の頭を掴むと優しい手つきでゆっくり撫でる。

「すまない。失礼な言い方をしてしまった」

「いいえ。お気になさらず」

「君にとって歌は涙と同じなんだな」

 暖かい手から感じるのは、この目の前の人は良い人だという事だ。人々の前で罪人として首を切り落とされるなんて運命が相応しくない、こんな所で死んではいけない人なんだという事。

 頭の上から手が離れると、少し笑ったような気配を感じて、男が心を許してくれたような感覚が耳に伝わった。

「君の歌声を聴くことが出来そうになくて残念だな」

「なら、今歌いましょうか」

「いいや。やめておく。死んだときに取っておくよ」

「?」

 聴きたいのか聴きたくないのかどっちなんだろうと僕が首を傾げると、男はその動きを感じ取ったのか少し笑みをこぼした。

「そうだ、君は西側のルシオラを知っているか?」

 この国では中央山脈の東側を自国、そして反対の国々を西側と呼ぶことが多い。

「襤褸を着て、鎌を振り回している田舎者だって聞いています。汚い人は好きではありません」

「確かに王国内のルシオラとは違って、素朴な服を着ていて畑仕事をしていたよ。でも汚いわけではなかった」

「そうでしたか」

 その昔、ルシオラは東西に分裂した。ケルウス王国の国民になることを選んだ東側は西側とは関係を断ち切ったという。西側は昔通りの自給自足の田舎暮らしを続け、東側は僕のように歌う事を仕事として暮らすようになった。

 大人たちに西側のルシオラは貧しくて、死体処理ばかりやらされている汚らしい種族なんだと教えられてきたが、違ったらしい。本当かどうかは自分の目で見るしか分からないのかもしれない。

「向こうのルシオラは天に届くような大きな良い声で歌っていた。その歌声が素晴らしくて惚れ惚れしたんだ」

「僕たちの声が小さくて不満ですか?」

「そうではなくて、君の歌声が聴きたいから、死んだ人間の耳にも届くように歌ってほしんだ」

 僕は少し下を向いて、返答に困った。なぜならこの国でルシオラは大声での歌唱を禁止されている。今までだって、歌は死者の耳元で小さく囁くように歌うのみで、腹から声を出して歌ったことは無い。

「……」

「無理を言ってしまったようだ。気にするな。今まで通りで構わない」

「……分かりました。あなたの願いを叶えます。それが僕の仕事ですから」

 少々殴られることになろうが息の根を止められることは無いだろう。きっと、僕のような子どもが素直に死刑囚の願いをきいただけならば軽傷ですむと思う。そう信じることにしよう。

 それから他愛のない話をした。ほとんどが、目の前の男の思い出話で、僕にとっては住む世界の違うお伽話のように聞こえた。

 彼はケルウス王国北方のアルスメール領の次男坊で、貴族だ。食うに困ったこともない、求める物は何だって手に入っていた事だろう。不自由という事を知らない人で、見た目も良く、勉学を煩わしく思えるくらい享受し、剣術も得意だとか。

 利発で頼りがいのある兄を持ち、心優しい美しい妹がいて、憎たらしくも可愛い弟もいるそうだ。一人っ子の僕にとっては羨ましい限りで、自慢話にそろそろ飽き始めていた。

「実の弟以外に君のような弟があと二人いるんだ」

「どういう意味ですか?」

「ここノックスで、陛下に子守を仰せつかったんだよ。一人は第三王子キアノ殿下。そしてもう一人はゼノの男の子だ」

 王子様の護衛を任せられていたという事だろうか。僕は都生まれの都育ちだが、宮殿の内情は全く詳しくない。

「二人とも悪ガキで、君のように目の前で大人しく人の話をじっと聞いてくれる奴らじゃなかったな」

「僕はお皿を失わないようにじっとしているだけです」

 暗闇で手を滑らせば高級皿は割れてしまうかもしれないし、適当な場所に置けば見失ってしまうかもしれない。食費を無残に失う訳にはいかないのだ。

「なるほど。確かにそうかもしれない。失いたくないものはずっと大切に抱えておくべきなのかもしれない」

「手放したら、次に見つけた時には壊れているかもしれませんからね」

 この皿を自分で落として割ったら悲しいし、人に踏まれて割られたら恨むかもしれない。

「つまらない昔話を聞かせてすまない。そろそろ帰りなさい。明日も仕事があるだろう?」

「そうですね。大仕事が待っていますから、そろそろ眠らないといけません」

 きっと彼は微笑んだ。そんな呼吸音が聞こえたから。

「おやすみ。明日は宜しく頼んだよ」

「はい、おやすみなさい。お皿、ありがとうございました」

 僕は立ち上がって、振り向くことなく淡々と歩を進めて階段をのぼり始める。

 監獄の方で悲し気なため息がぽろんとこぼれ落ちて、僕の胸の奥は歌いたい気持ちで一杯になった。人の悲しみに寄りそう優しい歌を歌いたくて仕方なくなった。

「歌っている場合じゃない。ゼノを見つけないと」

 僕にはまだ仕事が残っていて、死刑囚に魔法をかけたであろうゼノを探さなければならない。外ではあの二人が待っているのだから。




 監獄内には無数の隠し扉がある。昔の囚人が脱獄しようとして掘った物や、使用人の通用口、囚人を取り戻そうと外から開けられた穴など、様々だ。その多くは放置され、どこへ繋がっているか、行き止まりなのか、すべてを把握している人はいないだろう。

「魔法があるんだから、どんな裏口を作ろうが無意味なんだろうね」

 誰もいないのに独りで喋って気分を紛らわせようとしている。

 暗闇の中、知らない道を突き進む恐怖と、ゼノが見つかるかどうか分からない不安と、死刑囚の事が胸の奥で渦巻いていて、どうすればいいか分からず独り言ばかりつぶやいている。

 いっその事、呼び掛けてみようかな。近くに恐ろしい看守もいそうにないし、その方が早いかもしれない。

「だれかいませんか?」

 石が積まれた冷たい壁に反響しながらも暗闇の遠くまで僕の声は飛んでいったように思えたが、返答はなさそうだ。

「迷子になりました。助けてください」

 声が真っすぐ飛んですっと消えていく。前方は想像以上に長い直線道が続いているようだ。

 今度は近くの扉を開いてわき道に入る。

「帰り道が分からなくなりました」

 声が数歩前辺りで跳ね返ってくるので、ここはこれで行き止まりのようだ。

「困ったな」

 元の通りに戻って首を傾げていると、ぱたぱたと小さな足音が近づいてい来るのが分かった。軽い足音は子どもか女性のようだ。

「そこに誰かいるんですか?」

 衣擦れの音が足元から聞こえてくるので、きっとスカートが揺れる音だろう。

「ルシオラも迷子になるのね」

 僕の目の前で止まった人からは、若い女性の声が聞こえた。しかも僕よりも年上で背も高い。

「頑張って迷子になりました。外まで案内して頂けませんか?」

「構わないけど、君、何を持っているの?」

 暗闇の中、灯も持たずに僕が腕に物を抱えているかどうかを判断することが出来るのは、ルシオラかゼノしかいない。僕は王都に住むルシオラの殆どは声を覚えているので、彼女はゼノだとすぐに判断できた。

「お皿です。ディアンさんに貰いました」

「ディアン・アルスメール……。もしかして貴方が彼の歌い手なの?」

「そうです。もしかしてお姉さんは、ディアンさんに魔法をかけた人ですか?」

 ゼノの女性は何故そんな質問をするのだろうといった雰囲気で、何かを言いそうになったが、すぐに言葉を飲み込んだ。

 ゼノは魔法を使えるが、その力は弱く、魔法を維持させるために囚人の近くにいる、ということを拍子様から聞いたことがあった。やはりその話は本当だったようだ。

「出口はこっちよ。ついてきて」

「お世話になります」

 暗闇の中で漠然と見える僕より少し背の高い細い背中を眺めながら出口を目指す。

「ゼノのお姉さん、お名前はなんて言うんですか?」

「知ってどうするの?」

「恩人の名前を知りたくなるのはおかしいですか?」

「ティダって呼ばれてるわ」

「僕はジュニアって呼ばれてます」

 僕もちゃんと自己紹介すると、ティダは「そう」と興味なさげに返事をして、それかたどんな質問をしても「へえ」とか「ふーん」とか相槌だけを打たれて、話が膨らまなくなった。

「私はここまで、この扉は外に繋がっているの」

「親切にありがとうございました。最後にもう一つお願いがあります」

「何?」

「扉を開けてくれませんか?僕、お皿を持っているので開けられないんです」

 手を離したすきに割れたり、失くしては困る皿なのだ。これはもはや皿ではなく、金貨の山と言っても過言ではないだろう。

 ティダは呆れたように息を一つ吐いて、仕方なしといった風に扉を開いた。

 開かれた扉の先には確かに外に繋がっていて、見慣れた植木が目の前に広がっている。

「ティダ、あのね……」

 僕は最後の好機だと思って、脱走計画の協力を持ちかけてみようとしたが、話の途中でティダが声を掛けてきた。

「お皿を貰えて良かったね」

「ああ、はい。ディアンさんは良い人です」

「そうね。死ぬには惜しい人よね」

 扉にもたれかかって、僕の背中をそっと押す。雲がゆっくり流れて、月が顔を出すと、白い光がティダを照らした。顔が小さく意志の強そうな瞳をした、綺麗な女性だった。

「ティダ、僕たちと一緒にあのお皿も外に出しませんか?」

 ここはもう外で、どこで僕たちの会話を聞いているか分からない。この例え話が伝わるだろうか。

 ティダは左右に目を動かして人の気配が近くにあるかどうか確認する。そしてしばらく沈黙し、僕の目を真っすぐ見つめなおした。

「もし、外へ出せそうなら、また扉を開けてあげてもいいよ」

「本当に?なら……」

 僕がティダに確約を貰おうとした時、植木の向こうから物音がして、ティダはすぐに扉を音を立てずに閉めてしまった。

「行っちゃった……」

「ジュニア、やっと見つけたわ」

 植木を掻き分けて現れたのは、ダリアとリドだった。

「ジュニア、ゼノには会えたかな?」

「会えたよ。扉は開けてくれるって言ってた」

 リドとダリアは目を合わせて、頷き合っていた。二人にもこの言葉の意味は分かったらしい。

「一先ず、作戦会議を開くわよ」

 ダリアは嬉しそうに張り切って、僕の二の腕を掴んでぐいぐい引っ張っていく。

「ダリア、引っ張らないで。お皿が落ちる」

「大丈夫、僕が持ってあげるから」

 リドに僕の大事な皿を取り上げられてしまった。この二人、とても強引だと思う。


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