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人は奇跡を選ぶ
瑠璃色のカエルは黄金の瞳を持っています。黄金の瞳には精霊が映るといい、精霊に愛されている証拠なのです。
カエルは精霊から貰った愛情を次から次に人々に与えました。人々はそれを奇跡だと謳って、大そう好かれ感謝されていました。
童話「瑠璃色カエル」より。
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葵蹄十一年。ケルウス王国首都ノックス。
夏でも冷たい牢の向こうに男が一人。蝋燭の灯が一つ、小さな木製の机が一つ、寝床となる布団はない。
鉄格子に錆びた分厚い鍵がかけられ、看守が地上へ続く階段をのぼっていく。
極悪人が収容される地下二階の監獄には、彼の他に収監されていないので、ほとんど貸し切り状態だ。
「これは、なかなか滑稽だな」
罪人となった男は唇の端に笑みを浮かべながらそう呟いた。
「コッケイって何?」
僕がそう素直に聞き返すと、男は少し驚きながら振り向いて、僕の顔を覗き込んできた。鉄格子を挟んで目を合わせたこの男は、明日処刑される。
「滑稽って言うのは、馬鹿馬鹿しくて可笑しいっていう意味だよ」
「それって、自分が明日殺されることがっていう意味?」
目の前の男は領主の息子で、いわゆるお坊ちゃんだ。剣術の腕も第二王子より上だという噂だが、僕は第二王子の腕前についてはよく知らないので、この男の強さも分からなかった。そんな優秀な貴族階級のボンボンが大罪人として投獄されている。
「そうではなくて、この料理の事だ」
男は小さな机に並べられた食事を指さした。
薄暗くてよく見えないが、高級な皿に山盛りの料理が乗せられているようだった。
「いくら最後の晩餐だろうと、明日死ぬ人間にこんな高価な料理を食わせて何になるんだって話だよ。栄養付ける必要がないんだから、もっと質素が望ましいと思ったんだ」
「ふーん。僕は栄養が欲しいけどな」
夕ご飯は食べてきたが、深夜前にもなるとまたお腹が減ってくる。皆、年頃だからすぐに空腹になるのは仕方ないと笑う。
「そうだな。なら一緒に食べようか。たぶん毒は入っていないから大丈夫だ」
男は料理の乗った机を鉄格子の前まで寄せてきて、床に皿を並べていく。そして僕に匙を渡した。
「料理を分けるかわりに君にお願いがあるんだ」
そう切り出された時には、すでに僕は果物を口に放り込んだ後だった。
死刑囚は食欲がないらしく、一口二口野菜を抓んだが「もうお腹一杯だ」と言って、残りを僕に持たせてくれた。
僕は初めて口にした高級料理に満足しながら、余った料理を抱えて家に帰った。
「ただいま」
監獄の近くに僕の家はある。家は代々、中央監獄の死刑囚と、この地域で亡くなった魂を葬る歌を歌う事を生業としている。つまりルシオラだ。
ルシオラという人種の家はケルウス人のように華やかではなく、簡素な家ばかりだ。木製の床や壁に色は付けないし、扉には飾りも付けない。家具も木目調を集めて、食器類も色のついている物は使わないので、こんな絵柄が描かれたお皿は初めて見た。
「おかえり、ジュニア」
「ダリア、ねえねえ、ほら。美味しそうでしょう」
僕を出迎えてくれたのは、数日前から家に居候している異国の女性で、珍しい髪の色をしている。名前はダリア。
「どこからそんなご馳走を貰って来たんだ?」
そしてもう一人の居候がダリアの後ろから驚いたように僕の腕の中の料理をまじまじと見つめた。彼は優し気な雰囲気のとても親切な人で喋り方も耳に優しい、名前をリドと言った。
「ディアンさんに貰ったんだ」
僕が死刑囚の名を口にすると、ダリアとリドは顔を強張らせて、少し俯いた。
「もしかして、この料理って、ディアン隊長の最後の晩餐だということではないわよね……」
「そうだよ」
頭を抱えてるリドの横で、ダリアが深いため息を吐いた。
「やっぱり、刑の執行は取りやめにならないのね」
「何か出来ることがあればいいんだけど」
二人はケルウス国に入国しようと無謀にも中央山脈を越えようとしていた時、ケルウスとグッタ国の戦に巻き込まれたそうだ。そして命からがら生き延びて、ディアンさんに助けてもらい、軍隊帰還と共にケルウスにやって来たらしい。
首都までの道中で仲良しになったそうで、今回の死刑判決も心を痛めているようだった。
僕にとっては昨日まで普通の人が、突然罪人になって次の日に処刑されるなんてことは日常茶飯事だから慣れているけども、異国出身の二人には明日は辛い日になるかもしれない。
「とりあえず、捨てるのも勿体ないから、二人にあげるよ」
豪華な皿を食卓に置いて、僕は湯飲みに香草水を淹れてさしだす。
「どうしてルシオラは何でもかんでも、この香りのついた水を飲むのかしら」
ダリアは香草水が苦手らしく、いつも鼻を抓んで飲み込んでいる。嫌いなら飲まなければいいのに変わった人だなと思う。
「僕は食欲がないな。ダリアが全部食べていいよ」
「何を言っているの。食べなくては良い考えも思いつかないわ」
「良い考えってどういう意味?」
僕が聞き返すと、ダリアは待っていましたとばかりににこにこ顔になって、前のめりで話を始めた。
「ディアン隊長を脱走させる作戦を考えていたの」
「ええ!そんなことしたら、国王様に殺されるよ」
死刑囚を逃がそうとして兵士に取り押さえられて殺された場面を何度か見たことがある。それはもう、鶏を絞めるように無慈悲な殺し方だった。思い出しただけで寒気が走る。
「だから、考えるのよ」
「難しいと思うな」
そもそも、中央監獄から脱走を成功させた人物は存在しないと聞いている。いくら腕の立つディアンさんですら成功しないだろう。
「ジュニアはどうして難しいと思うの?」
リドが真剣な顔で僕に尋ねてくるが、答えは単純なのだ
「簡単だよ。死刑囚はあの監獄から一歩たりとも外へ出ることが出来ないからだ」
目の前の二人は、「何かしら方法はあるだろう」と言いたげな顔をしているが、それが事実なのだ。
「ジュニア、筋骨隆々の男たちで牢獄を固められているからって、抜け道とか隙という物はあると思うんだけど」
「ダリアの言う通り、監獄には筋肉のお化けみたいな男が取り囲んでいるんだけど、それだけじゃない。あいつらは人を人と思っていないんだ」
僕の言葉にリドは香草水をちびちびと口に運びながら言葉を挟んでくる。
「つまり、脱走しそうな者、脱走を手助けしようとする者には容赦なく殺人行為に及ぶという事なんだね」
現に脱獄を企てるということは度々行われているが、そのどれもが監獄警備兵に始末されて未遂に終わっている。
「うん。血も涙もないケダモノだよ」
「なら、そいつらを出し抜けば脱出できるかしら?」
「それも無理だよ」
脱獄不可能なのは監獄警備兵の異常なまでの優秀さだけではない。
「死刑囚には魔法がかけられているという。監獄から出られない魔法だそうだよ」
「魔法……失われたのでは?」
リドが首を傾げるのももっともだ。魔法というのは遠い昔に人類の手から失われたとされている奇跡の技なのだから。
「拍子様の話によれば、魔法というのは原住民には残っているらしい」
拍子様というのは僕たちルシオラの一族を取りまとめる族長で、その拍子様というのは僕の父だ。
「つまり、原住民と呼ばれるルシオラ、ランテルナ、プルモ、ゼノ達は今でも魔法が使えるという事なんだね」
「リドの言う通り、死人に歌を歌うと魂を呼び出せるなんて、魔法以外の何物でもないものね」
ケルウス国はレピュス人と呼ばれる北の大陸から移動してきた移民が作った国で、人口の殆どがそのレピュス人だ。僕たちルシオラは市民権は持っているものの、職業選択の自由はなく、日常生活の中に制限も多い。ゼノやプルモに至っては市民権は与えられていないので、よそ者扱いだ。
リドやダリアのようにグッタ国など他国からやって来たアピス人にもそんな簡単に市民権や永住権は与えられないので、一定期間滞在すると、兵士に国境の外へ追い出される。その上、ケルウス国民よりも刑罰が重いので、二人が脱獄を企てたということが知られればそれだけで、死刑にもなりかねないのだ。
僕は二人にこの計画を諦めてもらわなけらばならない。
「魔法がかけられていて外には出せないので、リドもダリアも、ディアンさんを助けようなんて考えるのは止めよう」
ダリアは口を曲げながら数分間悩み、そして「分かったわ」と頷いた。
リドもとぼとぼと料理を口にしながら、「ならば仕方ないね」と納得しているようだった。
僕は無謀な二人を止めることが出来たんだと、ほっと胸を撫でおろし、果物に手を伸ばそうとしたまさにその時。
「リド、好機は一度よ」
「ダリア、そうだね。もうそれしかない」
「え?二人とも諦めたんじゃないの?」
ダリアの瞳は星が入ったようにキラキラと輝いていた。これは何かを諦めた人間の瞳ではないとすぐに分かった。
「諦めるわけないでしょう。人の命よ。人間なら一番諦めてはいけないの」
「……でも。自分の命が危なくなるんだよ」
「ジュニア、君には迷惑はかけないから安心して」
リドに肩を優しく叩かれても、安心など出来るはずがない。
「さあ、勝負は断頭台ね」
乗り込むつもりなんだ。
僕は果物を口に入れる気が失せてしまい、言葉にならないモヤモヤを吐き出すように「うわぁああ」と発しながら天を仰いだ。少し涙が出た。