影響を受けるとはどういうことか
今私の目の前にゴッホの絵があるとします。
当然私にはこの絵が美しいということを
否定することはできない。
しかし私にゴッホが美しいと
言わしめるのは純粋美の感覚などではない。
私の「美しい」という発言の背後には
既存の評論やいくつかの予備知識がある。
つまり絵の中に自分の経験したもの、
苦難や不幸、理想や和解や救済の比喩を
見出だすやり方を
あらかじめ先人から学んでいるということです。
これが俗に言う
「影響を受ける」という現象です。
平たく言えば
ゴッホを賛美する私は
ゴッホを賛美する人から
影響を受けたからゴッホを賛美できるのです。
更にその私と先人との関連の背後には
到底明文化し得ない生活空間全体、文化全体、
風土や環境からの影響が存在する。
その明文化し得ない
(つまり合理的体系的には
説明しきれない)知識の堆積こそが
伝統や文化であり
教育の根本の基盤です。
「教育とは学校や塾のような
特定の場所だけで行われるものではない。
人生そのものが教育のプロセスなのだ。」
(ポール・ヴァレリー『精神の危機』)
優れたものが優れていると認められるというのは
天才が突然変異のように突如出没して
成し遂げることではなくて、
長い長い伝統や教育の成果なのです。
言い換えれば、芸術や古典、文化遺産が保存されるのは
単に珍しいからではなく、
娯楽や贅沢や箔付け飾り付け見栄っ張りのためでもなく
人間の教育のためなのです。
そういう訳なので、
文化の歴史と人間の知性は絶対不可分なのであります。