表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

楽しみにすると

作者: ひつじ

これは高校生の頃の話です。

旅行にまつわる一つの話です。

実際にあった体験談として、自分の思い出を残すつもりで書いてみました。

ゆるーい気持ちで読んでください。

 高校生の頃の話。旅行が好きで許される限り出かけていた頃の話。

 どうしても乗りたい列車があった。それは夜行列車の個室寝台。

 一編成に一両、部屋数十四。憧れだった。夢だった。寝台列車での旅は何度も経験していたが、「A寝台個室」には乗ったことがなかった。

 寝台列車に乗る度に、車両の端から端まで散策するのだけれど、『A寝台』と書かれた扉だけは開けたことがなかった。その扉の向こうにだけは行ったことがなかった。もちろん廊下に足を踏み入れることには、問題があるわけではないが、「B寝台」の切符しか持たない私には、その廊下ですら分不相応で、おこがましく、入ることが許されないような、そういう車両だった。


 旅行の予定を立て、切符を手に入れるため、何度となくみどりの窓口に並んだことがあったが、ことごとく売り切れ。その切符は今で言うところの「プレミアムチケット」。

 発売一ヶ月前の朝一番にみどりの窓口に並ぼうとするが、始発電車でみどりの窓口の有る駅に行っても一番になることができない。必ず、先に並んでいる人がいる。そこで考えたのが、前の日から駅に泊まることだった。

 泊まると言っても寝袋を用意するなんてことはしない。みどりの窓口の前で一晩を過ごすだけなので軽装で十分。夏休みに行く旅行のため、一ヶ月前でも駅で一晩過ごすのに重装備は必要ない。時期的に期末試験間近のため、少しの勉強道具を持って行ったのだけれど、関西のこのターミナル駅は一晩中夜行列車が行き交うため、それらを見るのに駅を走り回って、勉強どころではなかった。

 夜、みどりの窓口の閉まる前に駅員さんに事情を説明すると、快く入り口前にいることを許してくれた。その上「頑張ってな」と声もかけて頂いた。

 次の日の朝、自分の後ろに前売り券を買おうとする人が並びだす。さすがに今回は一番だ。前もって希望を書く紙に第三希望までを記載しておくようになっているが、私は一択。第一希望しか書いていない。駅員さんもそれを了承している。


 十時少し前に一旦切符の販売システムが止まる。私はなぜか並んでいる列から外された。窓口のカウンターの外にいる駅員さんが私の後ろに並んでいた人を順番に三つある発券窓口に順番に並ばせている。カウンターの中では端末の操作をするパタパタ・カチャカチャと音が響く。私はカウンターの端で待つように言われ、それに従った。

 カウンターの上では電話がスピーカーの状態で時報を刻み続ける。そのスピーカーから十時の時報が流れると共に端末の決定キーを叩く音が聞こえ、三台ある発券機の二台目を操作していた人が、「よし」とガッツポーズを決める。他の二つの窓口の担当も彼の方に向き笑顔を見せた。

 私はその二番目の窓口に呼ばれ切符が取れたことを告げられた。ジキジキジキという音と共にプリントされた切符がカウンターに並べられる。そこには紛れもなくその列車のA寝台個室と部屋番号が記載されている。乗車は東京からその列車の終着駅まで。私は喜びで財布を開ける手が震えていた。

 実はこの切符を取るために窓口総出だったそうだ。十時前に列から外された時に聞かされた。今でこそ見かける光景になったが、その頃は、前の日から並んで切符を取ろうなんて考えるのはよっぽどことだった様だ。それならと、絶対に取ってやろうと、窓口が一丸になって協力することになったらしい。

 三台ある端末に同じ情報を入力し十時の時報とともに三台同時にリクエストを送ることで、コンマ数秒の差を補おうとしてくれていたそうだ。そうすることで三台のうちどれかは取れるだろうということだったらしい。

 この頃日本で一番長い距離を走る列車のA寝台個室。その列車はこの駅を深夜に通過するため、この駅から乗車できない。なので今までこの列車のA寝台個室はリクエストがなかったそうで、この窓口で初めての販売だったらしい。

 二番窓口の担当さんもまさか自分が取れるとは思っていなかったと言って、自分のことのように喜んでくれた。

 支払いを済ませ切符を大事に握り締め、窓口の皆さんに見えるようお礼を言って頭を下げた。


 ここから一ヶ月間毎日が遠足前日のような、そんな楽しい時間を過ごすことになる。毎日毎日その切符を眺めては列車の中の約二十四時間をどう過ごそうかと思いを巡らせる。そんな日々が続いていた出発約十日前、そのニュースは私の夢を打ち砕くことになる。

 台風により降り続いた雨で、東海道本線富士川橋梁下り線が流されてしまった。もちろん東海道本線を走る長距離夜行列車は、橋梁復旧まで全ての運行を取り止めることとなってしまった。テレビのニュースが完全復旧までは二ヶ月以上かかると告げた。

 あれだけ劇的に切符を入手したというのに、あれだけの方々に協力をして頂いたというのに、その列車が運休になるなんて。絶望とは何かを知った。それは絶望以外何ものでもないと。

 しかし思いもよらぬ、想像もしなかった、私からすると奇跡の様なことが起こる。また、日本の技術の凄さも知ることになる。数日の運休があったものの、残った上り線を使用してこの区間のみ単線扱いとして運行するよう、信号とポイントを設置し、特別ダイヤを組むことで長距離列車の運行を復旧させた。それに伴うダイヤの乱れはあったが、長距離列車にはそれほど大きな影響は出なかった。これで今までの努力を無駄にすることなく旅行に行けるようになった。それどころか、富士川橋梁の上り線を下り列車で通るというレアな体験もすることができた。もちろんその場所を通る時は窓に張り付き、今後体験できないであろう光景を目に焼き付けた。

 その後列車は深夜一時ごろに、切符を買ったターミナル駅を通過する。その駅のみどりの窓口は走る列車の廊下側になるので、駅を通過する時に廊下に出て駅舎に向かって手を振った。

 その後の旅はとても楽しく、約一週間、九州を満喫した。


 それから約三十年後の九月。徐々に消えていく夜行列車にまた乗りたくなり、休みをとって出かけることにした。

 夜行列車・寝台列車が廃止されていくことが、メディアで沢山取り上げられることで、切符の入手が難しくなっている。また高校生の頃のようにみどりの窓口に並び入手を試みた。今回は前の日から徹夜で並ぶことはしなかったが、乗車一ヶ月前の十時に列の前になれるようにできる限りの努力をした。

 今回はあの時の様な劇的な物語もなく、切符は無事取れた。

 切符を眺めながらの一ヶ月を過ごす間、またあの時を思い出す様なことが起こった。

 台風により降り続いた雨で、由比~興津間で土砂崩れがあり東海道本線が不通になってしまった。今回は上下線が完全不通。


 「川の次は山かよ」そう言いたくなる気持ち、わかってもらえますよね。


 まぁ、今回も長距離列車の運休にヤキモキしたけど、出発数日前には復旧され、無事旅行には行けたんですけどね。


前回とは違う感じの体験ですが、この頃が一番楽しかったのかもしれません。

最近思い出すのは、この頃のことばかりです。

いろんな人たちに助けてもらいながら、たくさんの体験、経験をしてきたんだとつくづく思います。

関わって下さった方々にお礼を言いたいのですが、そんなことはできないと理解しています。

それでも、届かないとわかっていても、この場を借りてあの時の全ての方々に。


本当にありがとうございました。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ